第8話 令嬢の興味を惹きつけるもの
生徒会室には、重く険悪なムードが漂っていた。 正面には、怒りに顔を紅潮させたマクシミリアンと、悲劇のヒロインを演じるリリィが並んで座っている。そしてその向かい側に、私はごく自然体で腰を下ろしていた。
「……あ、あの、アリス様。何か釈明はありますか?」
執行部員の一人が恐る恐る尋ねるが、マクシミリアンがそれを遮って机を叩いた。
「釈明など無用だ! リリィが襲われた現場にいたのは貴様だろう! この嫉妬に狂った女め、魔法を使って姿を隠し、クッキーを奪ってリリィを愚弄したのだ!」
(……やれやれ。彼の怒りのベクトルは相変わらず支離滅裂ね)
私は心の中で、この不毛なやり取りが消費する「時間」という名の貴重なリソースを惜しんだ。カイル王子とセドリック様が冷静な目でこちらを見つめているのを感じながら……。
「マクシミリアン様、主観による推論は証拠とは呼びませんわ」 私が静かに告げると、マクシミリアンはさらに激昂した。
「ならば証拠を見せてやる! リリィ、その鞄を出しなさい!」
リリィが差し出したのは、ひったくりにあったという高級な革の鞄だった。表面には僅かに引きずられたような傷跡がある。
(早くこの不毛な時間を論破して帰ろう……) そう思いながら鞄を一瞥した瞬間、私の視界が、ある微細な異常を捉えた。
「あれ?」 私は思わず立ち上がりその鞄を覗き込んだ。
「……リリィ様。その鞄、少し拝見してもよろしいかしら?」
「な、なんですの? 証拠隠滅でもするつもりですか!?」
「いいえ。光学的な観測だけでは限界があります。少しばかりマナの感度を上げたいだけですわ……近くで拝見してもよろしいですか?」
私は答えながら、リリィ様ではなくセドリック様へ視線を向けた。
彼の頷きを得て、私は鞄に手をかざす。周囲が固唾を呑んで見守る中、私の瞳には世界が通常とは異なるレイヤーで映し出されていた。
(面倒な帰宅ミッションのつもりだったけれど、これは……面白いわ! 鞄の周囲に、見たことのない奇妙な波長の『低周波マナ振動』が残留している。この複雑な干渉縞の形状、ただの属性魔法の痕跡じゃない!)
先ほどまで惜しんでいた時間的コストなどすっかり頭から消え去り、純粋な好奇心から魔力の波形データを解析し終えた私は、真っ直ぐにカイル王子を見て答えた。
「犯人は、人間ではありません。野生の魔獣の波形とも違いますし……消去法で考えれば、召喚獣か何かだと推測されますわ。波長の乱れから推測するに、パニックに陥っているか、極度の空腹状態にある個体ですわね」
「……召喚獣だと?」
「どういうことだ、ベレニケ嬢」
生徒会室の全員が揃って間抜けな顔をしている中、カイル王子とセドリック様が同時に声を上げた。何を馬鹿なことを、とマクシミリアンが口を挟もうとするのを手で制し、カイル王子が鋭い視線で続きを促す。私は淡々と続けた。
「ええ。魔力とは、術者の生命活動や精神状態に依存した固有の振動数(周波数)を持っています。いわば、個体ごとの指紋のようなものです。この鞄に残されたエネルギーの波長は、リリィ様のものでも、私の物でもありません。野生の魔獣とも異なる、人為的に座標固定された不自然な波形……つまり、契約済みの召喚獣のものだと考えるのが最も論理的ですわ」
「なに訳の分からないこといってんのよ! 犯人はあんたよ! 大体、なんでそんなことがわかるのよ!」
叫ぶリリィに、私は首を傾げた。
「だって、そこに『ある』ではありませんか。この物理的な現象として残っている魔力の情報を読み取れば、犯人を特定することなど造作もありませんわ。そうですね……直近で、召喚獣の行方不明の届け出とか出ていませんか?」
「魔力で特定できる……だと……?」
カイル王子の顔から、いつもの余裕の笑みが消えていた。
この世界の魔法学において、魔力は「量」や「属性」で測るものであり、その質が「個人を証明する情報」になるという概念は存在しなかったのだ。
その時、一人の執行部員が震える声で手を挙げた。
「……あの、先ほど、一年生の女生徒から、狐の召喚獣がいなくなったと……捜索願の届け出がありまして……」
「あっ、きっとその狐の召喚獣ですわね」
私は、ようやく夕食の糖分補給(お菓子)に近づけたと確信し、満足げに微笑んだ。
だが、私の背後では、セドリック様とカイル王子が、まるで天変地異でも目撃したかのような呆然とした表情で、私という「理解不能な存在」を見つめ続けていた。
生徒会室に満ちていた重苦しい混沌は、第二王子カイルの冷静な判断によって、ひとまずの停戦を迎えた。
「直ちに召喚獣を探している令嬢を伴い、現場へ向かってくれ。ベレニケ嬢の指摘が正しいか、現地で確認を行ってこい」
王子は迅速に執行部員に指示を出した。マクシミリアンは納得がいかない様子で鼻を鳴らし、リリィは「あんなデタラメ、信じる方がおかしいですわ」と吐き捨てるように呟いたが、王子の決定を覆す力は彼らにはない。
「アリス嬢。君の主張の正否は、捜索の結果を待って判断する。今日はもう帰って構わないよ」
「畏まりました。では、失礼いたします」
私は優雅に一礼し、足早に退出した。
(ふぅ。不純物の多い議論で時間を浪費してしまったわ。脳内のブドウ糖が枯渇して、処理速度(クロック周波数)が落ちているのを感じる。早く戻って糖分を補給しつつ、あの召喚獣が残したマナの波形データを整理しなきゃ。座標固定が甘いからこそ漏れ出していたあのエネルギーの残滓……興味深いわ)
背後でマクシミリアンたちが何か叫んでいたような気がしたが、もはや私の意識という名のレーダーからは、彼らの存在は「背景雑音」として完全にフィルタリングされていた。




