第9話 匿名性の崩壊と、恐るべき技術革新
アリスが去り、不満顔の当事者たちが追い出された後の生徒会室。
カイルとセドリックの二人だけが残された空間に、静かな、だがひりつくような沈黙が流れていた。セドリックは窓の外を、カイルはアリスが先ほどまで座っていた椅子を、それぞれ無言で見つめている。
その静寂を切り裂いたのは、窓を叩く鋭い音だった。一羽の青い鳥が、冷たい風と共に舞い込んでくる。
「伝令鳥(使い魔)か」
セドリックがその脚に結ばれた筒から報告書を取り出した。目を通す彼の端正な眉が、読めば読むほど深く寄っていく。
「……セドリック。結果は?」
「……驚くべきことに、ベレニケ嬢の指摘通りでした。被害現場近くの物置小屋で、例の一年生の女生徒が自分の召喚獣の名前を呼んだところ……茂みの奥から、申し訳なさそうに狐の召喚獣が現れたそうです」
「……それで、証拠は?」
セドリックは、信じられないものを見たという顔で報告書を指した。
「はい。見つかった狐の召喚獣の口元には、まだ新しそうなクッキーの屑がびっしりと付着していたそうです。主人の令嬢とはぐれてパニックになり、空腹のあまり、持ち主が誰かも考えず香りの強いお菓子を奪い食いした……。犯人は、彼女の言った通りで間違いありません」
「本当に、言い当ててしまったな……。あのアリス・ベレニケは……」
カイルは深い溜息と共に、椅子の背もたれに体を預けた。
単に犯人を当てたのではない。彼女はこの世界で「魔法の量と属性」としてしか認識されていなかった魔力に、個体識別のための情報が刻まれていることを証明してみせたのだ。
「セドリック。君は、これがどれほど恐ろしいことか理解しているかい?」
「……言うまでもありません。これまで魔法犯罪において、犯人を特定する唯一の手段は目撃証言か、現場に残された遺留品だけでした。しかし、彼女が提示した『魔力残滓』による追跡が確立されれば――」
「匿名性という概念が、この世から消える。どんなに姿を隠しても、どんなに遠くから術を放っても、現場に目に見えない『指紋』を残すように、術者の正体が暴かれることになる」
カイルは額を押さえた。それは国家レベルで見れば、暗殺や諜報のあり方を根底から覆す、あまりにも巨大な技術革新だった。
「彼女は、あれが特別なことだとは思っていないようだった。まるで、空が青い理由を説明するかのように淡々と、当然の理として語っていた」
「……あのアリスという令嬢。我々が見ている彼女は、ほんの氷山の一角に過ぎないのかもしれません。彼女の頭の中には、我々が想像もつかないような世界が広がっているのではないでしょうか……」
セドリックの言葉に、カイルは重く、そして確信を込めた頷きを返した。 二人の天才は、かつてない知的な敗北感と、一人の少女への底知れない恐怖に似た興味に震えながら、深い溜息を漏らすのだった。




