第86話 湿った革帯と温かい風
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午後。
一行が次に訪れたのは、村の外れにある織物工房だった。
工房の中では、何台もの糸車が休むことなく回り続けている。
足踏み板を踏む力が車輪へ伝わり、その回転が革帯を通して複数の部品を動かす仕組みになっていた。
以前は一台ずつ人の手で回していたが、革帯を使って動力を伝えるようになってからは、一人で複数の糸車を扱えるようになったという。
「こちらの装置にも、何か困っていることはありますか?」
アリスが尋ねると、工房主は一本の革帯を指した。
「雨が続くと、この革帯が湿気を含んでしまうのです。湿った革帯は滑りやすくなり、車輪を回しても、うまく力が伝わらなくなります」
職人が足踏み板を踏む。
大きな車輪は回転したが、革帯が僅かに滑り、その先にある糸車の動きが遅れていた。
「確かに、車輪の回転数に対して、糸車の回転数が少ないですわね」
アリスが革帯の動きを見つめる。
「革帯と車輪の間の摩擦が小さくなり、力を十分に伝えられなくなっています」
「革帯が水分を含んだことが原因でしょう」
セドリックは革帯へ触れ、その状態を確かめた。
「乾燥させれば元へ戻せそうですが、自然に乾くのを待っていては、その間、作業が止まってしまいますね」
「火のそばへ置いて乾かすこともありますが、加減が難しいのです」
工房主が困ったように答える。
「革へ直接熱を当てるのは避けた方がよい」
マクシミリアンが革帯へ触れながら言った。
「訓練で濡れた革製の防具を火のそばに置くと、硬くなったり、ひび割れたりすることがある。馬具も同じだ」
「でしたら、革を直接熱するのではなく、温めた空気を送ればよいのではありませんか?」
レオナルドが尋ねる。
「火の魔石で空気を温め、それを革帯へ流すのです」
「それですわ!」
アリスの瞳が輝いた。
「火の魔石を箱の中へ入れ、その周囲を通った空気を送風車で革帯へ送ります。革へ直接火を当てなければ、急激に温度が上がるのを防げますわ!」
「温めるだけで、乾きやすくなるのですか?」
工房主が首を傾げる。
「ええ。空気を温めると、革に含まれた水分が蒸発しやすくなります。ただし、それだけでは十分ではありません」
アリスは湿った革帯の表面を指す。
「水分が蒸発すると、革帯の周囲には湿った空気がたまります。その空気が同じ場所へとどまると、それ以上、水分が蒸発しにくくなってしまうのです」
「そこで、送風車を使うのですね」
セドリックが言葉を引き継いだ。
「湿った空気を革帯の周囲から運び去り、代わりに新しい温かい空気を送り続ける。温度と空気の流れ、その両方を利用して乾燥を早めるわけです」
「なるほど……」
工房主は感心したように頷いた。
「では、温かい風を強く当てるほど、早く乾くのでしょうか?」
「ある程度までは早くなりますが、強ければよいというものでもありませんわ」
アリスは工房の中を見回し、革帯を外さずに乾かせる位置を考える。
「風が一か所に集中すれば、その部分だけが先に乾いてしまいます。革帯全体へ、なるべく均等に温風を当てる必要があります」
「魔石との距離、空気の温度、送風車の回転数。それに、温風の出口の大きさも調整しなければなりませんね」
セドリックは早くも必要な数値を計算し始めていた。
「出口を細くすれば風は速くなりますが、狭い範囲にしか当たりません。出口を広げすぎれば、今度は風が弱くなる。革帯の幅に合わせた形状が必要です」
アリスとセドリックは工房の職人たちへ頼み、木箱と小型の送風車を用意してもらった。
木箱の中には、空気を温めるための火の魔石を固定する。
魔石の熱が革帯へ直接届かないよう、間には金属板を取り付けた。
箱の片側には空気を取り込む穴を設け、反対側には細長い吹き出し口を作る。
送風車を回すと、外から取り込まれた空気が金属板の周囲を通って温められ、吹き出し口から革帯へ送られる仕組みである。
「動かしますわ」
アリスが火の魔石へ魔力を流す。
続いて職人が送風車の取っ手を回すと、吹き出し口から緩やかな温風が流れ始めた。
アリスは革帯の数か所へ順番に手を当てる。
「中央だけ、温度が高くなっていますわね」
「箱の中で、空気が最短の経路を通っているのでしょう」
セドリックが木箱の内部を確認する。
「仕切り板を入れて、空気を左右へ分けましょう。吹き出し口へ到達するまでの距離を揃えれば、温度と風量の差を小さくできます」
箱の中へ二枚の仕切り板を追加し、再び送風車を回す。
今度は革帯の端から端まで、ほぼ同じ強さの温風が当たった。
しばらく温風を送り続けた後、革帯を糸車へ掛け直す。
職人が足踏み板を踏むと、車輪と革帯が滑ることなく動き始めた。
先ほどまで遅れていた糸車も、大きな車輪と一定の割合で回転している。
「滑っていません!」
「これなら、雨の日でも作業を止めずに済みます!」
職人たちから歓声が上がった。
「成功ですわね、セドリック様!」
「はい。革帯の温度も、許容範囲内です」
セドリックは満足そうに答えた後、送風装置へ視線を戻す。
「ただし、革帯の厚さや含んでいる水分の量によって、必要な温度と時間は変わります。革を傷めない範囲を調べ、目盛りを付けた方がよいでしょう」
「送風車の回転数も記録しましょう。温度と風量、それに乾燥までの時間を組み合わせれば、適切な使い方を決められますわ!」
二人が再び測定を始める横で、レオナルドは完成した温風送風装置を見つめていた。
「この装置が騎士団にもあれば、兄上が喜ぶだろうな……」




