第84話 一つ一つのつながりが、村を支える
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「実際に動かすのは、管理を任されている者にさせよう。」
カイルが念を押す。
アリスは少し残念そうな顔をしたが、大人しく巻き上げ機から手を離した。
代わって、管理を任されている村人が取っ手を握る。
「それでは、中央の水門を少しだけ開けます。」
村人が取っ手を回すと、小さな歯車が動き始めた。
その力が隣の大きな歯車へ伝わり、太い鎖がゆっくりと巻き取られていく。
同時に、水門の反対側へ取り付けられていた釣り合い重りが、少しずつ下がり始めた。
大河の水圧を受けているにもかかわらず、村人は一人で取っ手を回している。
やがて、中央の水門が僅かに持ち上がった。
開いた隙間から水が勢いよく流れ込み、石で固められた取水路を通って用水路へ向かっていく。
「すごい……。あれほど大きな水門を、一人で動かしている。」
リリィが驚いたように声を上げる。
「小さな歯車を何度も回し、その力を大きな歯車へ伝えていますの。」
アリスが嬉しそうに説明する。
「水門を直接持ち上げるより、動かす距離は長くなります。ですが、その分だけ必要な力を小さくできますわ。」
「釣り合い重りが、水門の重さを打ち消すのですね。」
セドリックが続ける。
「水門そのものの重さを全て持ち上げる必要がないため、水圧によって動きが重くなっても、一人で開閉できます。」
マクシミリアンは、大きさの異なる歯車を交互に見た。
「小さな力を何度も加えることで、大きなものを動かしているのか。」
「そのとおりですわ!」
アリスは嬉しそうに頷いた。
中央の水門が目盛りの一つ分まで持ち上がると、村人は取っ手を止めた。
固定具を差し込み、歯車が逆方向へ回らないようにする。
「水門を三枚に分けてあるのにも、理由があるのですか?」
レオナルドが、水門を指差し尋ねる。
「一枚の大きな水門にしてしまうと、開いた瞬間に大量の水が流れ込み、用水路が溢れる危険があります。三枚に分けておけば、必要な水量に合わせて、開ける水門の数を変えられますわ。」
雨の少ない時期は二枚。
普段は中央の一枚だけ。
大雨の後で川の水位が高い時には、一枚の水門を僅かに開くだけにする。
水門を開ける数と高さを変えることで、用水路へ流れ込む水量を調整しているのだ。
「なるほど。水が多いからといって、全て村へ流せばよいわけではないのだな。」
マクシミリアンが納得したように頷く。
「はい。田畑へ必要な量を超えれば、今度は洪水を起こしてしまいます。」
水は少なすぎても困る。
だが、多すぎても田畑を傷める。
大河から水を引くためには、水門を作るだけではなく、流れ込む量を管理し続けなければならなかった。
取水口の脇には、水に浮かぶ木製の浮きが設置されていた。
浮きにつながる細い縄は滑車を通り、その先にある指針を動かしている。
用水路の水位が上がれば浮きも上がり、指針が上へ動く。
反対に水位が下がれば、指針も下がる仕組みだった。
「こちらの指針と、川岸に刻まれた目盛りを確認しながら、水門を調整しております。」
管理を任されている村人が説明する。
そばに置かれた板には、川の水位と、水門を開いた高さが毎日記録されていた。
「まあ!記録を残しているのですね!」
アリスが板を手に取る。
「最初の頃は、どれくらい水門を開けばよいのか分かりませんでした。ですが、毎日の水位と田畑へ届いた水の量を書き残しているうちに、少しずつ分かるようになってきたのです。」
「素晴らしいですわ!」
アリスの瞳が輝く。
「川の状態と水門の開き方、その結果を記録して比較したのですね。これも立派な実証実験です!」
村人は難しい言葉を向けられ、戸惑ったように頭をかいた。
「私どもは、失敗しないように書き残していただけなのですが……。」
「それが重要なのです。」
セドリックも記録へ目を通す。
「同じくらいの水位で、同じ高さまで水門を開けば、用水路へ入る水量もある程度予測できます。この記録があれば、経験の少ない者でも管理できるようになります。」
以前、この村は近くの小川から水を引いていた。
流れが穏やかなため、簡単な水門でも水を取り入れることができた。
しかし、雨の少ない日が続くと、すぐに水量が減ってしまう。
干ばつの年には流れが途絶え、多くの作物を枯らしたこともあった。
一方、この大河には、遠くの山々からいくつもの川が流れ込んでいる。
小川よりも干ばつの影響を受けにくく、一年を通して水量が安定していた。
強い流れと大きな水圧を制御できるようになったことで、村は初めて、この豊富な水を田畑へ利用できるようになったのである。
カイルは大河から取水門へ流れ込み、用水路へ向かっていく水を見つめた。
その先には、先ほど改良した揚水装置がある。
大河の水を取水門で調整し、緩やかな傾斜をつけた用水路で村中へ運ぶ。
そして、用水路より高い場所にある田畑へ、揚水装置で水をくみ上げる。
一つ一つの物理道具がつながり、村全体へ水を届けていた。
「道具を一つ作るだけでは、領民の暮らしは変わらないのだな。」
カイルが静かに呟く。
「必要な場所まで水を運び、使い続けられるように管理する。その全てが揃って、初めて役に立つのか。」
「はい。」
アリスが頷く。
「物理学は、何かを作るためだけのものではありません。自然の力を知り、それを安全に使い続けるためのものでもありますわ。」
カイルはもう一度、取水門へ目を向けた。
水門を動かしているのは、特別な魔法を持つ者ではない。
仕組みを理解し、記録を残しながら管理する村人たちだった。
物理学は既に、アリス一人の知識ではなくなり始めていた。




