第81話 婚約者になった二人の初仕事
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一行を乗せた馬車が農村へ到着すると、村長をはじめ、大勢の領民たちが出迎えてくれた。
「カイル殿下、ようこそお越しくださいました。」
緊張した様子で頭を下げる村長に、カイルは穏やかに声を掛ける。
「今日は普段どおりにしてくれ。我々が見たいのは、物理道具が実際にどのように使われているかだ。使いにくい点や困っていることがあれば、遠慮なく話してほしい。」
「承知いたしました。」
村長の案内で一行が向かったのは、畑の近くを流れる用水路だった。
そこには、木製の足踏み板と筒を組み合わせた揚水装置が設置されている。
村人が左右の足を交互に動かすと、用水路の水が筒を通り、少し高い場所にある畑へ流れ込んでいった。
「以前は桶を使って、何度も水を運んでおりました。この装置ができてからは、随分と作業が楽になりました。」
村長はそう説明した後、少し困ったように揚水装置を見る。
「ただ、長く使い続けていると足が疲れてしまいます。それに最近は、設置した頃よりも水の出が悪くなったように感じるのです。」
その言葉を聞いた瞬間、アリスの目が変わった。
「水の出が悪くなったのは、いつ頃からですか?」
「ひと月ほど前からでしょうか。」
「一日に何時間ほど使っていますか? 使用する人数と、踏み込む回数も分かりますか?」
次々と飛んでくる質問に戸惑いながら、村長は分かる範囲で答えていく。
アリスは揚水装置の前へしゃがみ込み、筒や接続部を調べ始めた。
セドリックも自然とその隣へ並ぶ。
「装置を動かした時に、僅かですが空気の漏れる音がします。」
「やはり、どこかから空気が入り込んでいますわね。」
アリスは木製の筒と筒をつなぐ部分へ手を当てた。
「こちらです。長く使ったことで密閉材が劣化し、隙間ができています。」
「隙間から空気が入り、十分な圧力差を作れなくなっていたのでしょう。」
村の職人に頼み、劣化していた密閉材を新しいものへ交換する。
再び装置を動かすと、水の出は設置当初と同じ状態へ戻った。
村人たちから歓声が上がる。
「これで元どおりです!」
「以前よりも軽く動かせます!」
アリスは満足そうに頷いた。
だが、調査はそれだけでは終わらなかった。
足踏み板が動く様子を見つめながら、何かを考え始める。
「踏み込む足を替えるたびに、装置の動きが一度止まっていますわ。」
「その度に、再び静止状態から動かすための力が必要になっている。」
セドリックが言葉を続ける。
「ええ。このままでは、一度加えた力を十分に使えていません。」
アリスとセドリックは、同時に周囲を見渡した。
二人の視線が、納屋の壁へ立て掛けられていた古い荷車の車輪で止まる。
「往復運動を回転運動へ変えれば、動きを維持できるのではありませんか?」
「なるほど! あの車輪を取り付ければ、回転の慣性を利用できますわ!」
二人は顔を見合わせると、揃って目を輝かせた。
「待て。」
カイルが止める。
アリスとセドリックが、同時に振り返った。
「何でしょうか、カイル殿下。」
「今日は視察だ。その場で新しい装置を作る予定ではなかったはずだ。」
「ですが、現場で問題が見つかったのですから、改善案が正しいか確認する必要があります。」
「使用者の負担を減らせる可能性があります。試す価値はあるかと。」
二人から真っ直ぐに見つめられ、カイルは言葉に詰まった。
確かに、二人の主張は間違っていない。
現場で問題点を見つけ、改良することも視察の目的に含まれている。
「……危険なことはするなよ。」
「もちろんですわ。」
「安全性を最優先にいたします。」
二人は揃って答えた。
その返事を聞いたマクシミリアンが、少し離れた場所で小さく身震いする。
嫌な予感がした。
だが、今回は農具の改良である。
魔法の攻撃実験ではない。
さすがに自分が巻き込まれることはないだろう。
そう思い直し、作業を見守ることにした。
村の職人たちの協力を得て、揚水装置へ回転軸と車輪が取り付けられていく。
アリスが構造を考え、セドリックが必要な部品の大きさと配置を計算する。
一人が説明を始めると、もう一人はその先を理解して指示を出すため、作業は驚くほどの速さで進んでいった。
「完成しましたわ!」
アリスが嬉しそうに宣言する。
村人の一人が足踏み板へ乗り、ゆっくりと踏み始めた。
車輪が回転し始める。
最初は重かった足踏み板が、回転が安定するにつれて軽くなり、少ない力でも動かせるようになった。
くみ上げられる水の量も増え、先ほどまで途切れがちだった水が、畑へ流れ続けていく。
「すごい……!」
「これなら、長く使っても疲れにくそうだ!」
村人たちから大きな歓声が上がる。
カイルも、完成した装置を見て感心したように頷いた。
「なるほど。これは確かに使いやすい。」
「成功ですわね、セドリック様!」
「はい。ですが、まだ改善の余地があります。」
セドリックは、筒から流れ出る水を見つめる。
「水の流れが僅かに脈打っています。途中へ空気をためる小さな槽を取り付ければ、圧力を安定させられるのではありませんか?」
「空気室ですね! それなら、水の流れをさらに滑らかにできますわ!」
再び二人の目が輝いた。
カイルは止めるべきか迷った。
しかし、先ほどの改良は見事に成功している。
今の提案も、装置の負担を減らすためのものだ。
止める理由がない。
「……慎重に行え。」
「はい!」
装置の途中へ、木製の小さな空気室が取り付けられた。
接続部を確認した後、再び足踏み板を動かす。
先ほどまで僅かに波打っていた水が、一定の勢いで流れ始めた。
「セドリック様、計算どおりですわ!」
「ええ。想定していた以上に安定しています。」
二人は装置へ近づき、測定を始める。
「圧力は?」
「許容範囲内です。ただ、新しい密閉材のおかげで、当初の想定よりも高くなっています。」
「では、最大出力も確認しましょう!」
「分かりました。足踏みの速度を徐々に上げてください。」
村人が足を速めると、車輪の回転速度も上がっていく。
筒から流れ出る水の勢いが、徐々に強くなった。
その時だった。
ミシッ――。
小さな音が聞こえた。
セドリックが顔を上げる。
「アリス嬢、離れてください!」
セドリックがアリスの腰を抱き、その場から飛び退いた。
次の瞬間、古くなっていた排水側の接続部が外れ、筒が勢いよく跳ね上がる。
噴き出した大量の水が、一行へ向かって襲いかかった。
カイルとレオナルドは咄嗟に左右へ避けた。
リリィは、マクシミリアンに背中を押され、水の直撃を免れた。
だが、彼女を守るため、その場から動けなかったマクシミリアンだけが、真正面から大量の水を浴びる。
「なぜだぁぁぁぁっ!!」
水の勢いに押されたマクシミリアンは、そのまま後ろの畑へ倒れ、盛大に泥の中へ沈んだ。
辺りが静まり返る。
一方、アリスとセドリックは、既に外れた筒を見つめていた。
「新しい密閉材によって、想定以上に圧力が上がったようですわ。」
「古い接続部が耐えられなかったのでしょう。」
「他の接続部も、全て確認する必要がありますわね。」
「一定以上の圧力がかかった時、自動で水を逃がす仕組みも必要です。」
「安全弁ですわね!」
再び目を輝かせる二人のそばで、泥だらけになったマクシミリアンが、無言で空を見上げていた。
昨日、二人の婚約が決まった時に想像した未来は、何一つ間違っていなかった。
セドリックはアリスを守った。
だが、実験そのものは止めていない。
そして、アリスの代わりに危険を引き受けたのは、やはり自分だったのである。




