第79話 二組のバカップル
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夕食会が終わりに近づくと、カイルは明日の予定を確認するため、全員へ声を掛けた。
「明日からは、本来の目的である物理道具の視察を開始する。最初に向かうのは、領都近郊の農地だ。」
「農地ですか!」
アリスの瞳が輝く。
「それなら、揚水装置と農具の使用状況を確認できますわね。実際の作業効率や故障の頻度も調べたいです。」
「私も同行します。現場で問題点が見つかれば、その場で改良案をまとめましょう。」
セドリックもすぐに応じた。
ほんの数秒前まで婚約者らしく手を握っていた二人は、既に明日の視察について真剣な顔で話し始めている。
その様子を見ながら、カイルは小さく溜息を吐いた。
婚約者になって、二人の距離は確かに近くなった。
だが、どれほど距離が近づこうとも、二人の中心にあるものは、やはり物理学らしい。
明日の視察が無事に終わることを願いながら、カイルは二人の会話を黙って見守った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ベレニケ伯爵邸の前には、視察へ向かう一行のために数台の馬車が用意されていた。
今日からようやく、当初の目的であった物理道具の視察が始まる。
最初に向かうのは、領都から馬車で一時間ほどの場所にある農村だった。
「アリス嬢。どうぞ。」
馬車へ乗り込もうとしたアリスの前へ、セドリックが手を差し出した。
アリスは差し出された手と、セドリックの顔を交互に見る。
「一人で乗れますわ。」
「知っています。」
「では、なぜ手を?」
「あなたの手を握る機会が欲しかったのです。」
あまりにも素直な答えに、アリスは僅かに目を見開いた。
その頬が、少しずつ赤くなっていく。
「馬車へ乗る際の補助は、手を握るための口実だったのですか?」
「はい。」
セドリックは悪びれることなく頷いた。
「婚約者になったのですから、これまでよりも多く、あなたに触れたいと思っています。」
「そうなのですね……。」
アリスは自分の胸元へ手を当てる。
また心拍数が上がっている。
だが、昨夜と同じく不快ではなかった。
「では、その機会を有効に使ってくださいませ。」
アリスはそう言うと、素直にセドリックの手を取った。
「まあ……!」
少し離れた場所で二人を見ていたリリィが、うっとりとした声を上げる。
「「「……」」」
その隣では、マクシミリアン、カイル、レオナルドの三人が、揃って無言になっていた。
やがてアリスが馬車へ乗り込むと、次はリリィの番になった。
リリィは馬車の前まで進んだところで足を止め、期待のこもった瞳でマクシミリアンを見つめる。
「……何だ?」
「いえ、何でもありませんわ。」
そう答えながらも、リリィはセドリックがアリスへ手を差し出した場所へ、ちらりと視線を向けた。
その意味を察したマクシミリアンは、セドリックを見る。
ただ手を差し出すだけでは、同じことを真似したと思われるかもしれない。
それは、何となく面白くなかった。
「リリィ、失礼する。」
「え?」
マクシミリアンはリリィの背中と膝の下へ腕を回すと、その身体を軽々と抱き上げた。
「きゃっ!」
驚いたリリィが、慌ててマクシミリアンの首へ腕を回す。
そのまま彼女をお姫様抱っこで馬車まで運ぶと、座席へそっと下ろした。
「これでよいか?」
「はい! ありがとうございます、マクシミリアン様!」
リリィは頬を赤く染めながら、満面の笑みを浮かべた。
満足そうに胸を張るマクシミリアンを見て、セドリックが羨ましそうに呟く。
「その方法がありましたか。」
「え?」
馬車の窓から顔を覗かせていたアリスが、セドリックを見る。
「次からは、私もあなたを抱き上げて馬車へお乗せします。」
「分かりましたわ。」
アリスは僅かに頬を赤くしながらも、素直に頷いた。
そのやり取りを聞いたカイルとレオナルドは、何とも複雑な表情でマクシミリアンを見る。
(マクシミリアン。なぜ余計なことを教えた……!)
(これ以上、セドリック殿を積極的にしてどうするのですか……!)
二人の心の声は、見事に同じ意味を持っていた。
しかし、リリィに喜んでもらえたマクシミリアンは、二人の視線になど全く気づいていなかった。
こうして、誰も頼んでいない二組のバカップル合戦が始まったのである。




