第6話 この世界の魔法を物理で紐解く
この世界において、魔法は神聖かつ不可侵な「属性」の枠組みの中にあった。
火、水、土、氷、風、そして聖。人々は魔力をこれらの属性へと変換し、現象を引き起こす。魔道具もまた、これらの属性を物質に付与することで作られる「属性の器」に過ぎない。
だが、私――アリス・ベレニケの視界に映る世界は、それほど単純な色分けはされていなかった。
(なぜ、わざわざエネルギーを属性という低効率な形に落とし込む必要があるのかしら?)
研究室の机に広げた羊皮紙には、この世界の魔法学者が決して描かない図形や数式が並んでいる。私にとって魔力とは、特定の属性を帯びる前の「高純度なエネルギー粒子」だった。 今、私が取り組んでいるのは「転移」の事象だ。 通常、転移は最高位の魔術師が膨大な魔力を用いて行う「神の領域」の業とされる。だが、物理法則に基づいて定義すれば、それは単なる『三次元座標における位置情報の書き換え』に過ぎない。
「魔力を空間そのものの歪みに干渉させる。媒介となる属性を介さず、マナの波形を空間の位相に同調させれば……」
私は指先から純粋なマナを紡ぎ出し、数センチ先の空間に焦点を合わせた。 座標変位量 Δr を指定し、対象物の運動エネルギーを保存したまま空間を短絡させる。 パチン、という小さな乾いた音と共に、机の上に置いてあったインク瓶が、一瞬で私の手のひらの上へと移動した。
「成功ね。属性魔法による『空間跳躍』のような仰々しい発動プロセスは必要ない。位置の定義さえ正確であれば、消費魔力は従来の百分の一以下に抑えられるわ」
私は「定義通りに事象が収束した」という結果に満足し、新たな研究対象に意識が移っていった。この理論を魔法学園の教授たちが知れば、既存の魔法体系を根底から覆す問題に発展するであろうことなど、私の念頭には一切なかった。
先日もまた一つ、興味深い成果が得られた研究がある。魔法の「遮断」だ。従来の盾や障壁は、属性に対して属性をぶつける――例えば火の玉を水の壁で防ぐといった、熱力学的な対抗手段が主だった。
しかし、魔力が属性へと変換されるプロセスに注目すれば、よりスマートな解決策がある。 属性への変質を司るマナの振動を、逆位相の波動で打ち消せばいい。
「干渉縞を形成し、魔力の変換効率をゼロに落とす。つまり、魔法が魔法として形を成す前に、ただの無害なマナに戻してしまう」
理論上、この『物理的干渉』が完璧に行われれば、どんな強力な攻撃魔法も、術者の前で霧散するただの風に変わる。
「火属性は燃焼、水属性は冷却……。そんな限定的な使い道だけなんて、この素晴らしいエネルギーに対して失礼だわ」
私は窓の外に広がる学園の景色を眺めた。人々が「神秘」として崇める魔法は、私にとっては未知の数式で満ちた広大な遊び場だ。光の屈折を制御して姿を消し、慣性を操作して重力から解き放たれる。物理学の視点を通せば、魔法は無限の可能性を秘めたキャンバスになる。
(さあ、次の実験は何にしましょう)
前世で届かなかった「真理」に、この世界なら、魔法という変数を使えば手が届くかもしれない。 私は再びペンを取り、羊皮紙の上に新たな数式を刻み始めた。物理学者としての魂が、歓喜に震えていた。




