第30話 知的資源(リソース)に舞い上がる令嬢
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数日後。
王太子の絶対的な命令により、王宮の隠し私塾にて、極秘の「物理学特別講義」が開始された。
教壇に立った私は、黒板(マナ定着石板)の前に立ち、チョークを手に取って集まった面々を見渡した。最前列には王太子殿下、カイル殿下、そしてそれぞれの優秀な側近たち。その後ろには、何が始まったのか分からず困惑している王立研究所の白髪の学者たちがずらりと並んでいる。
(素晴らしいわ! 孤立していた私の言葉を理解できるかもしれない知的資源が、これほど大量に揃うなんて!)
私は純粋なオタク的歓喜に胸を躍らせ、容赦なくチョークを走らせた。隣には、すでに基礎を終え、どこか余裕の表情を浮かべるセドリック様が、優秀な「助手」として控えている。
「では皆様、講義を始めますわ。まずは世界の成り立ち、重力加速度 $g$ から記述していきます。……はい、そこの王太子殿下、マナの指向性に気を取られて数式がブレていますわ。やり直しです」
「くっ……一国の王太子たる私が、冷や汗を流すことになるとはな……ッ!理解が追い付かない……ぐっ、未知の概念で頭が割れるように痛い……!」
王太子殿下は目の下に濃い隈を作り、震える手で必死にノートをとっている。その隣では、カイル殿下が限界を迎えた脳をフル回転させ、うわ言のように数式を呟きながら、教壇の横へ恨みがましい視線を向けていた。
「……セドリック」
「次行きますか?黒板の板書を消しましょうか、カイル殿下?」
涼しい顔でチョークの粉を払う自身の側近に、カイル殿下はギリッと歯を食いしばった。
「なぜお前は、一人で先に……、どうして、私に隠蔽していた……!? もっと早く共有していれば、私が今、これほど致死量の情報を一気に脳へ叩き込まれて衰弱することもなかったはずだぞ……ッ!」
「お言葉ですが殿下。私がこれを習得するまでに、アリス嬢からどれほどの精神的負荷を受けたかご存知ないでしょう。それに……」
セドリック様は一切の同情を交えずに、スッと目を細めた。
「私は先に一人でこの地獄を見たのです。少々、褒美があってもよろしいかと…」
「この……ッ!裏切り者め……ッ!」
王太子殿下やカイル殿下、そして若い側近たちは、過負荷でショート寸前の脳を強引に再起動させながら、必死に私の講義にしがみついていた。
しかし、問題は後ろの席の老人たちだった。
「あ、アリス嬢……! なぜ属性の精霊への祈りを捧げずに、物質に直接ベクトルとやらを指定できるのですか!? 魔法の神への冒涜です!」
「精霊や神といった曖昧な概念は不要なノイズ(変数)だと説明したはずですわ。そんなことより、この斜面を転がる球の加速度の微積分が間違っています。初歩的な計算の段階でクロック周波数を落とさないでいただけますか?」
「び、びせきぶん……? 属性の親和性ではなく……?」
既存の魔法体系の頂点に座り続け、頭の凝り固まった学者たちは、私の言う「理想環境」や「数式による定義」が全く理解できず、完全に脳がハングアップしていた。
講義の後、私は助手のセドリック様を振り返り、フラットなトーンで告げた。
「セドリック様。王太子殿下やカイル殿下方は素晴らしい処理速度をお持ちですが、後ろの研究所の方々は先入観という名の不純物が多すぎますわ。彼らに一から教えていては、私の貴重な研究時間が著しく浪費されてしまいます」
その言葉を聞いた王太子殿下とカイル殿下が、ニヤリと不敵に笑った。
「なるほど。ベレニケ教授、君の手を煩わせるまでもない、ということだな。……おい、研究所の老いぼれ共」
過労で落ち窪んだ目をギラギラと輝かせながら、王太子殿下が冷酷なまでの笑顔で振り返る。
「我々はこの数週間、血を吐く思いで基礎を叩き込んだ。これから、私が直々に『課題(物理ドリル)』を貴様たちに与えてやる。アリス嬢の次回の講義までに、重力と慣性の概念を完全にマスターしておけ。できぬ者は、王立研究所から即刻追放だ。死に物狂いで頭を切り替えろ」
「ひいいいいいいっ!?」
こうして、王宮の地下にある最高峰の研究所は、最先端の魔法開発の場から、一転して「中学校の基礎物理」にむせび泣く老人たちの補習室へと変貌を遂げた。
「な、なぜだ……!? 重い鉄球と軽い木球が、同時に落ちるなど〜〜世界の理があってたまるか!」
「黙って計算しろ! 明日までにこのレポートを王太子殿下に提出しなければ、我々は路頭に迷うのだぞ!」
深夜の研究所には、振り子の周期を必死に計測し、頭を抱えて涙を流す学者たちの声がこだましていた。王族たちに「自分たちもアリスの地獄の講義で苦労しているのだから、お前たちもやれ」とばかりに、容赦なく課題を押し付けられた結果である。
当のアリス本人は、自分が王宮の重鎮たちをどれほどの物理地獄に突き落としているかなど露知らず、今日も実家に戻って優雅に紅茶を飲みながら、
「ヨハン兄様が買ってきてくれたケーキ、糖分が高くて脳の活性化に最高だわ。さて、次回の講義は運動量保存則にしましょうか」と、マイペースに微笑んでいるのだった。




