第29話 回り出す運命の歯車と、有能な側近の諦観
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アリスが退室し、分厚い扉が閉められた執務室。
そこには王太子、カイル、そして彼女を送り届けるために控えているセドリックの三人だけが残された。
「……兄上。お体の具合は」
カイルが気遣うように尋ねると、王太子は手でそれを制し、深く椅子に腰掛けた。
「毒の影響はもうない。それよりも……あの令嬢だ。一歩間違えれば、国家の根幹をひっくり返すほどの劇薬だぞ。あの『魔力残滓』の特定技術が他国に漏れれば、我が国の防諜網は全て無に帰す。……どう扱うべきか」
「ご安心を、殿下」
セドリックは冷静に答えた。
「彼女の技術は、単に魔法の呪文や術式を真似て発動できるものではありません。その根本たる『物理学(世界の理)』を完全に理解し、脳内で再構築できなければ、先ほどのように『魔力残滓』を視認することすら不可能です」
「……つまり、表面的な技術だけを盗もうとしても無意味ということか」
「左様でございます。彼女の頭脳の中にある『前提知識』こそが鍵なのです」
セドリックの言葉に、王太子とカイルは深く頷いた。
「……なるほど。ならば、他国やよからぬ輩に狙われぬよう、彼女の身の安全は王家が全力で保証しよう」
王太子は机の上で両手を組み、不敵な笑みを浮かべた。
「さて、セドリック。君がその『理論』を理解し、実際に使用できるようになったという事実は大きい。君にできるのであれば、我々にできない道理はないからな。これほど強力な防諜・効率化の技術、我が国で独占しない手はないと思わないか?……よし、私自ら彼女を王宮へ招き、その理論とやらを学ぼうではないか。カイル、お前と私の側近たち、そしてあの頭の固い王立研究所の老いぼれ共も集め、全員で一斉に履修するぞ」
「承知いたしました。……ただ……」
セドリックは一つ、何かを思い出しながら複雑な表情で言葉を付け加えた。
「……理論の普及については、『自分の言語で議論できる仲間が増えるなら大歓迎』と申しておりましたし、彼女なら理論の発展のためならば労を惜しまないでしょう。ですから教鞭に立つこと自体は快諾すると思いますが……。その……つまり……教壇に立った彼女は、王族の身分という立場は考慮されないかと……いえ、皆無であるとお覚悟ください……」
「ふっ、面白い。一介の令嬢の講義がどれほどのものか、滅多にない経験だからな……楽しみだ」
何も知らない王太子は、自信ありげに不敵に笑った。
「……承知いたしました。では私はアリス嬢にその旨を伝え、屋敷までお送りしてまいります」
――私は十分に警告しましたからね。
数日後、未知の学問の前に散っていくであろう主君たちに密かな哀悼を捧げつつ、セドリックは深く一礼した。そして近い将来、彼女の常識が王宮全体を飲み込むことを確信しながら、アリスの待つ馬車へと向かった。




