第28話 社交界の平和を願う王族たち
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「……終わったな」
王太子殿下が深く息を吐き出すと同時に、カイル殿下の両手を縛っていた枷が外された。自由になった手首を擦りながら、カイル殿下はセドリック様と私に向き直り、優雅に微笑んだ。
「礼を言うよ、セドリック、アリス嬢。君たちがいなければ、私は今頃、暗い牢の中で無実の罪を嘆いていたことだろう」
「もったいないお言葉です。全ては、アリス嬢の理論のおかげにございます」
セドリック様が深く頭を下げる。
私も彼に合わせて優雅にカーテシーの姿勢をとりながら、
(実地データが取れたので満足ですわ)と心の中で深く頷いた。
「それにしても……」
カイル殿下は不思議そうに首を傾げた。
「兄上が倒れられた直後、王宮の警備は最高レベルに達していたはずだ。いくらセドリックが私の側近とはいえ簡単に兄上に会うことはできないはずだ。一体、どうやって兄上の所まで辿り着けたんだい?」
その問いに、セドリック様は一瞬だけ遠い目をした。
「……アリス嬢の『観測』の賜物です」
「観測? 兵の巡回の隙でも突いたのか?」
「いいえ。アリス嬢が、我々の行く手を阻んだ近衛隊長の制服に付着していた……アクレシア公爵夫人、リーベルト伯爵夫人、そしてマイルズ子爵夫人とご息女の、非常に複雑で濃厚な『魔力残滓の干渉縞』を読み上げまして」
「…………」
「…………」
セドリック様の淡々とした報告を聞いた途端、カイル殿下と王太子殿下の動きがピタリと止まった。
(王宮のドロドロとした暗部を知り尽くしている王族の二人は、その「干渉縞」が意味するものを瞬時に理解した)
「隊長は、まるで死神を見たかのような顔で道をあけ、王太子殿下の元へ取り次ぎに向かわれました」
「…………なるほど」
「…………ええ」
重苦しい沈黙の後。
王太子殿下とカイル殿下は、全く同じ顔をして、全く同じタイミングで天を仰いだ。
「「……そういう活用方法もあるのか……」」
見事なユニゾンだった。
廊下でセドリック様が呟いたのと同じ言葉(ブラックメールへの応用)に、私は再び不思議に思って小首を傾げた。
「お三方とも、先ほどから何を感心しておられるのですか? 魔力残滓の定着率を応用すれば、もっと別の効率的な事象が――」
「「アリス嬢(ベレニケ嬢)」」
私が純粋な学術的興味から問いただそうとすると、王太子殿下とカイル殿下が、揃って私の言葉を遮った。そして、どこか遠くを見るような、それでいてひどく真剣な顔で言った。
「「女性は、知らなくていい世界だ」」
(……はて?)
物理学の探求に男女の性差など関係ないはずなのに、なぜこの人たちは急にお茶を濁したようなことを言うのだろう。
「……コホン。ベレニケ嬢。その……先ほどの『干渉縞』の活用法については、今後一切の口外を控えてもらえないだろうか。でないと、社交界が大変なことになってしまう」
王太子殿下の言いにくそうな言葉に、カイル殿下も苦笑いしながら深く頷いた。
「ああ。世の男性の……、いや……社交界の平穏のためにも、できれば内密にお願いするよ」
(……男性?……社交界?……平穏?)
私は、彼らが何を恐れ、何に感心しているのか全く理解できず、助けを求めてセドリック様を振り返った。しかし彼は、気まずそうにスッと視線を外し、明後日の方向を見つめて完全なる沈黙を貫いている。
頼みの綱にまで見放された私は、さらに深く、こてん、と首を傾げながら、とりあえず頷いておくのであった。
一連の騒動を終えた私は、小さく欠伸を噛み殺した。
「本日の実地データは非常に有意義でしたわ。ですが、度重なる演算で脳のブドウ糖が完全に枯渇しました。私は早急に糖分を補給して睡眠に入りたいので、これにて失礼いたしますわね」
私がドレスの裾を摘んで優雅に(内心は一刻も早くベッドに倒れ込むことを考えながら)おじぎをすると、カイル殿下は苦笑し、王太子殿下は呆れたように息を吐いた。
「……今日はもう遅い。セドリック、我が国の恩人であるベレニケ嬢を、責任を持って実家まで送り届けてくれ」
「御意」
「ではセドリック様、私は先に馬車でお待ちしておりますわ」
私は足早に執務室を後にした。
(帰ったら絶対、ヨハン兄様が買っておいてくれたケーキを食べて寝よう……)
と、私の意識はすでに完全なオフモードへと切り替わっていた。




