第1話 物理思考にまい進する令嬢と真逆の婚約者
しかし、その平穏な日々に影を落としたのが、七歳の時に決まったグランディス公爵家の子息マクシミリアンとの婚約だった。
「アリス、君はまた、魔法を『数値化』するなどという無意味なことをしているのか」
定期的な交流会で、マクシミリアンは私のノートを冷ややかな目で見下ろした。 彼にとって魔法は「選ばれた者の特権」であり、高貴な精神によって操るべき神秘だった。それを「運動エネルギーの変換」だの「質量保存の法則」だのと理屈でこねくり回す私は、不気味な変人に映っていたのだ。
「マクシミリアン様、事象には必ず理由があります。魔法もまた、この世界の物理法則の一部なのです」
「……やめろ。そんな意味不明な言葉。何を言っているのか理解できんし、興味もない。君は黙って、公爵夫人に相応しいマナーだけを磨いていればいいんだ」
私は彼に、前世の知識があることを打ち明けようとは微塵も思わなかった。説明したところで、彼はそれを「妄想」だと断じるだろう。
(まあ、いいわ。研究の邪魔さえされなければ……)
私は彼に期待するのをやめた。その代わり、私の情熱はさらに深く、魔法の深淵へと向かっていった。
時が経ち、私たちは十三歳になった。
全貴族子弟の義務であり、魔法研究の最高峰である「王立魔法学園」への入学の日が訪れた。 この学園には学年首席の生徒に「個人研究室」の所有権が与えられるという素晴らしい制度がある。入学試験を満点で通過した私は、最優先でその権利を手に入れていた。
アリスにとって、学園は宝の山だ。 膨大な蔵書、高価な実験器具、そして何より「魔法」を公然と行使できる環境。入学早々、私は授業を最低限の労力でこなし、放課後のほとんどを個人研究室に引きこもることに費やした。
一方、婚約者であるマクシミリアンは、学園という社交の場で、ある少女と出会っていた。 ランバート子爵家の令嬢、リリィ。彼女は私とは正反対の女性だった。理屈っぽくなく、愛らしく、そして何より、マクシミリアンの「騎士道精神」を誰よりも称賛した。
「マクシミリアン様、すごいです! 今の魔法、まるで物語の英雄のようでしたわ!」 「ははは。アリスとは大違いだ。あいつは魔法の火花を見て、温度がどうのとブツブツ言うだけだからな」
学園内で二人はいつも一緒に行動し、距離がどんどん近づき、親密になっていく。その様子は、またたく間に学園中の噂となった。
マクシミリアンは、私との定期的な交流の際にも、露骨に面倒そうな態度を見せるようになっていった。
「アリス。君は今日も研究室か? たまには令嬢らしいドレスを着て、私に付き添ったらどうだ」
「申し訳ありません。今は転移魔法のベクトル計算が重要な局面ですので」
「……勝手にしろ」
吐き捨てるように言って立ち去る彼の背中を、私は一瞥もせずに見送った。
(ベクトル……そうだわ。座標軸の固定には、術者の精神力ではなく、マナの波長による共鳴現象を利用すれば、誤差を10のマイナス5乗ミリ以下に抑えられるはず……!)
彼の扱いが雑になろうと、私の名誉が傷つこうと、私にはどうでもよかった。
私を動かすのは、ただ一つの純粋な欲求。 ――この世界のすべてを、物理学の言葉で記述したい。そんな願望を心に秘めていた。
学園生活二年目の初夏。その「転換点」は、舞踏会の華やかな喧騒ととも訪れた。




