第16話 虎視眈々とチェックメイトを狙う王子
一方、生徒会室に戻ったセドリックは、いつものように冷静な手つきで書類の束を整理していた。
(……今日も、滞りなく終えられた。殿下には『図書室で調べ物をしていた』と伝えてある。不審な点は見せていないはずだ)
セドリックは、己の隠蔽工作が完璧であると信じて疑わなかった。
彼は、アリスの研究室に通い始めてからも、執務の質を一切落としていない。むしろ、彼女から教わった「思考の最適化」を無意識に応用し、事務処理能力は向上してさえいる。
しかし、彼は大きな誤算をしていた。彼の主君であるカイルは、目に見える「成果」ではなく、その裏側にある「過程の揺らぎ」を読み取る天才であるということを。
カイルは、羽ペンを走らせるセドリックの横顔を、机の端から静かに観察していた。
いつもと変わらぬ、鉄仮面のような無表情。だが、カイルには見えていた。セドリックが時折、何事かを思案するように僅かに目を細めるその瞬間、彼の瞳に宿る「知的な高揚」を。
(……ふふ、セドリック。君は本当に嘘が下手だね。いや、嘘は完璧だが、君自身の『温度』が変わっていることに気づいていない)
カイルは、セドリックの最近の行動記録を脳内で反芻する。
毎日放課後の一時間の空白。戻ってきた後の、ごく僅かな足取りの軽さ。そして何より、彼が口にした「図書室」という言い訳。
(調べたところ、君がその時間に図書室にいた形跡はない。……だが、ここで問い詰めても君は『別の場所で自習していた』とでも言って、適当に言い逃れするだろうね)
カイルは、追及しようとした喉元で言葉を飲み込んだ。
今、下手に動けば、警戒心の強いセドリックはさらに深く尻尾を隠すだろう。確固たる証拠――彼が逃げも隠れもできないほどの「王手」の確証を得るまでは、泳がせておくのが最善だ。
「……セドリック、今日の調子はどうだい? なんだか、いつもより仕事が速いように見えるけれど」
カイルが何気ない風を装って声をかける。セドリックは一瞬だけ手を止めたが、すぐに平坦な声で返した。
「いえ。いつも通りでございます」
「そうかい。それは頼もしいね」
カイルは微笑み、再び書類に目を落とした。その口角が、僅かに吊り上がる。
(……まあ、今はいいよ、君がそこまでして隠したいのなら……。でも、君が楽しんでいる『何か』。それが例のベレニケ嬢に関することだとしたら、これほど面白いことはないな……楽しみだ)
カイルは、セドリックに気づかれないよう、静かに、そして周到に観察を続けることに決めた。支配者の目は、綻びが最大になるその瞬間を、虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。
(さあ、何を見せてくれるのかな。完璧な側近を壊した正体はあの令嬢なのか……まあいいさ、僕が暴くその時までは……)
夕闇が差し込む生徒会室で、主君の密かな愉悦が、静かな沈黙の中に溶けていった。
* * *
セドリックの実技講習が始まって、わずか一週間。
私の研究室では、数枚の書類が生き物のように優雅な弧を描いて空中を回遊していた。
「……信じられないわね。完全に制御下に置いているわ」
私は、空中で書類を静止させているセドリック様を見上げた。
初日こそ、ベクトルの出力調整が上手くいかずに書類が壁に衝突したり、揚力の計算ミスで天井に張り付いたりしていたけれど、彼はわずか数日でそれらの誤差を修正し、最適解を導き出した。
(通常、属性魔法というバイアスに染まった脳が、純粋な物理干渉にここまで適応するには数年はかかるはずよ。彼の並列演算能力……いえ、天才性は、もはや一つの物理定数のように絶対的なものね。天は二物も三物も与えるというけれど、この学習効率は羨ましいを通り越して、研究対象として非常に魅力的だわ)
私は、彼の驚異的な習得速度を「理論上の限界値」として記録しながら、どこか誇らしい気持ちになっていた。




