番外編 第二王子の想い人①
物理学を取り入れた代替魔道具が国内へ普及し始めてから、王国は急速な発展を遂げつつあった。
これまで利用できなかった水流や熱、風の力から魔石を作ることが可能となり、各地に新たな産業が生まれた。
魔石の価格は安定し、農業や工業に使われる魔道具も増えている。
その変化に、周辺諸国から寄せられる関心も、日増しに高まっていった。
その影響を最も強く受けた者の一人が、第二王子であるカイルだった。
「また、カイル殿下への婚約の申し込みが届いております」
外交を担当する官吏が、分厚い書類の束を王太子の机へ置いた。
隣国の王女。
大国の公爵令嬢。
遠く離れた国の有力貴族の娘。
王国の技術と結びつきを持とうと、各国が競うように婚約を申し込んできている。
王太子は書類の束を眺め、深く息を吐いた。
国にとっては、歓迎すべき状況である。
しかし、王太子にとってカイルは、政略のために使う駒ではない。
幼い頃から自分を慕い、共に国を支えてきた大切な弟だった。
国が安定し、他国との関係にも余裕が生まれた今だからこそ、カイルには自分が望む相手と幸せになってもらいたい。
そう考えた王太子は、その日の午後、執務室へカイルを呼び出した。
「各国から、お前との婚約を望む書状が届いている」
「聞いております」
「そこで、近いうちに王宮で大きなパーティーを開こうと思う」
カイルは、嫌な予感がしたように眉を寄せた。
「何のためですか?」
「お前の妃を探すためだ」
「お断りいたします」
あまりにも早い返事だった。
王太子は手にしていた書類を机へ置く。
「まだ説明の途中だ」
「最後まで聞いても、答えは変わりません」
「各国の王女だけではない。国内の令嬢にも広く声をかける。お前にふさわしい相手を――」
「必要ありません」
カイルの意思は固かった。
王太子は、弟の顔をじっと見つめた。
これまで婚約の話をしても、カイルは忙しいことを理由に避けてきた。
誰か特定の女性と親しくしているという話も聞かない。
兄としては、少しくらい私生活に目を向けてもらいたかった。
「国は繁栄している。今のお前なら、国益を第一に考えず、心から望む相手を婚約者に選んでも構わない」
王太子は、呆れたように続けた。
「どうせ、好きな女性もいな――」
「いますよ。好きな女性」
王太子の言葉が止まった。
執務室に沈黙が落ちる。
「……は?」
「ですから、好きな女性ならいます」
「誰だ、その女性は!」
王太子は机へ身を乗り出した。
カイルは視線を逸らし、僅かに声を落とす。
「ですが、その女性は、生涯結婚するつもりはないそうです」
「なぜだ」
「裕福ではない伯爵家の令嬢です。弟を学園へ通わせるため、自分が王宮で働き続けなくてはならないそうです。それに、結婚に必要な持参金も用意できないから、初めから結婚するつもりはないと……」
「待て」
王太子は片手を上げ、カイルの言葉を止めた。
「持参金?」
「はい」
「お前は王族なのに、相手から持参金を取るつもりなのか?」
「えっ?」
カイルが目を瞬く。
「第二王子妃を迎えるのだぞ。王家が伯爵家の持参金を当てにする必要が、どこにある?」
「それは……ありませんが」
「ならば、何も問題はないだろう」
「ですが、彼女は家族への責任を――」
「王子妃となってからでも、実家や弟を支援する方法はいくらでもある。もちろん、本人が望まない形で金を与えるべきではないがな」
王太子は、椅子の背へ体を預けた。
「それでもお前は、その女性を諦めるのか?」
カイルは、エレノアの顔を思い浮かべた。
危険な遺跡の中でも冷静さを失わず、自分より先に周囲の異変へ気づいた女性。
王子である自分を特別扱いせず、間違っていれば正面から指摘してくる女性。
家族のために自分の将来を諦め、それでも不満を口にせず働き続けている女性。
諦められるはずがなかった。
「いいえ」
カイルは顔を上げた。
「頑張って口説きます!」
「そうしろ」
王太子は満足そうに頷いた。
「それから、相手の名は?」
「……まだ申し上げません」
「なぜだ!」
「兄上が先に動きそうだからです!」
反論できなかった王太子は、黙って口を閉じた。
◇
口説くと決めたものの、カイルには大きな問題があった。
エレノアが、何を好むのか分からないのである。
宝石や美しい衣装に興味を示している姿は見たことがない。
花を贈ろうにも、好きな花さえ知らない。
不用意に高価な贈り物をすれば、警戒されることは目に見えていた。
まずは、相手の好みを知らなければならない。
そこでカイルが思い出したのが、リリィだった。
以前、リリィがエレノアと親しくなったという話を聞いている。
リリィならば、エレノアが何を喜ぶのか知っているかもしれない。
数日後。
マクシミリアンへの差し入れを持って、リリィが王宮を訪れた。
訓練場に面した廊下で一人になったところを見計らい、カイルは声をかける。
「リリィ嬢、少しよろしいですか?」
「はい、カイル殿下」
リリィは、抱えていた籠を持ち直した。
「エレノア嬢と親しいと伺いました」
「ええ。時々、一緒にお茶をいただいておりますわ」
「エレノア嬢の好きな物を、教えていただけませんか?」
リリィの目が、大きく見開かれた。
「まあまあまあ!」
「声を抑えてください」
「カイル殿下が、エレノア様の好きな物を?」
「できれば、本人には内密にお願いします」
リリィの表情が、たちまち華やいだ。
「もちろんですわ! それでしたら、エレノア様は――」
「リリィに何をしている!」
廊下の向こうから、大きな声が響いた。
訓練を終えたばかりのマクシミリアンが、恐ろしい勢いで駆けてくる。
そのまま二人の間へ割って入り、リリィを庇うように立った。
「殿下、いくら王族でも、リリィに――」
「違うのです、マクシミリアン様」
リリィが慌てて、マクシミリアンの袖を引いた。
「殿下は、エレノア様について聞きに来られたのです」
「エレノア嬢?」
マクシミリアンはカイルを見た。
カイルは少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
「まあ、そういうことだ……」
マクシミリアンは、しばらく考え込んだ。
「ですが、エレノア嬢は結婚しないと言っていなかったか?」
「結婚しないのではありませんわ」
リリィが訂正する。
「弟を学園へ入れるために働かなくてはならず、持参金も用意できないので、結婚を諦めているのです」
「彼女のことだ。持参金はいらないと言っただけでは、頷いてくれないだろう」
カイルが肩を落とす。
「王家から実家へ援助すると言っても、自分だけが特別扱いされたと考えるはずだ。だから、まず彼女の好みを知ろうと思ったのだが……」
「エレノア嬢の領地とは、確か、あそこだよな?」
マクシミリアンが尋ねた。
リリィが頷く。
「ええ。領地の三分の一が砂漠地帯ですわ。雨が少なく、農作物もなかなか育たないため、昔から領地経営に悩んでおられるそうです」
「砂漠か……」
マクシミリアンは呟き、窓の外へ目を向けた。
何気なく発せられたその言葉の後、彼は不意に表情を変えた。
「それなら、あれが使えるのではないか?」
「あれ?」
カイルとリリィが同時に尋ねる。
「砂漠は、昼間の地表が灼熱になるのだろう? その熱と、温度の低い地下との違いを利用すれば、内部に流れを作れるはずだ」
代替魔道具は、水や風、熱によって生じた物理的な力をマナへ変換する。
火山の熱や圧力を利用する装置が作れるのであれば、強い日差しによって熱せられる砂漠の地表も、エネルギー源として利用できる可能性がある。
「地表へ熱を集める板を置き、冷たい地下との間で液体を循環させる。その流れで装置を動かし、熱エネルギーをマナへ変換するようにすれば、魔石を作れるのではないか?」
カイルは目を見開いた。
「……そうか」
貧しさの原因となっている砂漠を、領地を支える資源へ変える。
金銭を与えるのではない。
エレノア自身が、領地を豊かにする方法を作り出すのだ。
「そうか!」
カイルの声が廊下へ響いた。
「殿下がお膳立てをして、本人が灼熱の熱エネルギーを変換する装置作りに携われば、エレノア嬢も納得するのではないか?」
マクシミリアンの言葉に、カイルは力強く頷いた。
「マクシミリアン!」
「はい」
「凄いじゃないか!」
「……なぜ、そこまで驚かれるのです?」
「この案を使わせてもらう!」
カイルは、既に走り出していた。
向かう先は、王立研究所である。
その後ろ姿を見送りながら、マクシミリアンは首を傾げ、リリィは楽しそうに微笑んだ。
マクシミリアンが考えついた贈り物は、宝石や花よりも、よほどエレノアの好みに合っていた。




