番外編 広まらない物理学と広まる浮気疑惑⑥
「見てください! リリィの魔力が、こんなにも私へ残っています!」
マクシミリアンは、全身を包む緑色の魔力を見回しながら声を弾ませた。
レオナルドとセドリックには、彼が見ているものと同じ光景が見えている。
確かに、マクシミリアンの身体には、リリィの魔力が広い範囲へ付着していた。
「なぜ、マクシミリアン殿だけ、これほど濃く残っているのでしょう?」
レオナルドは、周囲の者たちと見比べた。
自分に残るサラの魔力も、他の既婚者に付着している魔力も、マクシミリアンほど濃くはない。
セドリックも、不思議そうに観察している。
「リリィ嬢と、何か特別なことをしたのですか?」
「特別なこと……」
マクシミリアンは考え込んだ。
「今朝、一緒に庭を散歩しました。その時、リリィの目の前へ虫が飛んできたのです」
「虫?」
「リリィは虫が苦手です。驚いて動けなくなったので、私が急いで抱きかかえました」
そこまでは、婚約者同士ならあり得る話だった。
「ですが、パニックになったリリィが、私の腕の中で風魔法を放ってしまいまして」
レオナルドの動きが止まった。
「腕の中で?」
「はい。私も少し吹き飛ばされました」
「怪我は?」
「ありません。リリィが無事でしたので、何の問題もありません」
マクシミリアンは当然のように答えた。
セドリックは、マクシミリアンへ付着している魔力の広がりを改めて観察した。
「密着している状態で魔法を使ったため、リリィ嬢の魔力が、通常より強く移ったのではないでしょうか」
「魔法を発動する瞬間には、体外へ放出される魔力が一気に増えます。その状態で密着していたマクシミリアン殿が、直接浴びたということですか」
レオナルドも納得したように頷く。
「「なるほど……」」
二人の声が重なった。
マクシミリアンは、自分へ残されたリリィの魔力を見つめ、ますます嬉しそうな顔になる。
「午後から騎士団の訓練がありますが、これならいつも以上に頑張れそうです!」
ようやく昼食へ手をつけたマクシミリアンは、非常に機嫌がよかった。
一方、セドリックは、自分の身体を覆っている魔力壁を見つめていた。
そこには、アリスの魔力が残っていない。
他人の魔力が不用意に付着することを避けるため、アリスと一緒にいる時も魔力壁を消していなかったからだ。
「……次から、アリスと一緒にいる時は、魔力壁を展開しないことにします」
その声には、明らかな悔しさが滲んでいた。
「そうした方がよいかもしれませんね」
レオナルドも、自分へ僅かに残されたサラの魔力を見る。
先ほどまでは、それだけでも嬉しかった。
しかし、マクシミリアンの全身へべったりと付着したリリィの魔力を見た後では、あまりにも薄く感じられる。
「腕の中で魔法を使ってもらえば、これほど残るのですね……」
「おそらくは」
「……なるほど」
レオナルドは、何かを決意したように頷いた。
ガタガタガタガタッ!
食堂のあちらこちらから、大きな音が響いた。
周囲で話を聞いていた文官や騎士たちが、一斉に立ち上がったのである。
「午後の仕事へ戻ります!」
「私も急用を思い出しました!」
「講習の申込先はどこだ?」
「先ほど騎士たちが向かった方角だ!」
「私は先に妻へ手紙を書く!」
「待て、俺も行く!」
先ほど食堂を出ていった騎士たちとは、どこか様子が違っていた。
他人の魔力を移さない方法ではなく、愛する者の魔力を自分へ残す方法へ興味を持った者たちである。
慌ただしい足音が遠ざかり、食堂は急に静かになった。
気づけば、レオナルドたちの近くに残っているのは三人だけになっている。
マクシミリアンは、リリィの魔力に包まれたまま、嬉しそうに食事を続けていた。
セドリックは、次にアリスと会った時、どのように魔法を使ってもらうか考えている。
レオナルドは、サラへ何と頼めば不審に思われないか悩んでいた。
三人は、それぞれの想いを胸に、静かに昼食を食べ続けた。
◇
翌日。
王宮の物理学講習受付は、朝から大混乱に陥った。
「魔力壁の講習を受けたい!」
「他人の魔力を防ぐ方法を教えてくれ!」
「魔力視認も同時に申し込めるのか?」
騎士たちが受付へ殺到している。
その中には、これまで物理学へ全く興味を示さなかった者も多かった。
さらに、騎士に交じって、愛妻家として知られる文官や貴族まで列へ並んでいる。
「愛する者の魔力を長く残す方法も教えていただけるのでしょうか?」
「魔法を受ける位置によって、残る量は変わりますか?」
「妻は火属性なのですが、安全に受け止める方法も講習内容へ加えてください」
受付を担当する研究員たちは、質問を書き留めるだけで精一杯だった。
昼過ぎ、その報告がレオナルドのもとへ届いた。
騎士向け物理学講習の申込者数は、一日で定員の十倍を超えている。
同時に、魔力視認と薄型魔力壁の講習にも、追加開催の要望が出されていた。
レオナルドは報告書を読み、前日の食堂を思い出した。
(間違いなく、あの会話が原因だ……)
女性たちへ物理学が広まった理由は、浮気を見破るため。
騎士たちへ広まった理由は、付着する魔力を防ぐため。
そして愛妻家たちへ広まった理由は、愛する者の魔力を身体へ残し見るため。
どれも物理学の有用な応用ではある。
しかし、王太子が期待している普及理由とは、何かが違う気がした。
(これも、殿下へ報告しなければならないのか……?)
またしても、言うに言えない成果が生まれてしまった。
◇
その日の夕方。
レオナルドはサラと会うと、人目のない庭園へ彼女を誘った。
「少し、お願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「私の腕の中で、小さな魔法を使ってもらえませんか?」
サラは目を瞬かせた。
理由を説明すると、やがて小さく笑い、レオナルドの腕の中で弱い光の魔法を使った。
翌日。
執務机へ向かったレオナルドは、仕事の合間に何度も魔力視認を行い、自分へ残るサラの光を確認していた。
セドリックも同じだった。
アリスと会っている間だけ魔力壁を解除し、実験という名目で、自分の腕の中から小さな魔法を使ってもらっていた。
書類へ目を落としながらも、時折魔力視認を行い、自分へ残るアリスの魔力を見て僅かに口元を緩める。
マクシミリアンは、言うまでもない。
リリィの風魔法を全身へ浴びた翌日から、時間があれば魔力視認を行い、その光が残っていることを確認しては、騎士団の訓練へ励んでいた。
こうして、物理学は騎士や文官たちの間にも急速に広がっていった。
王太子だけが、その理由を国の教育施策が実を結んだためだと信じ、心から喜んでいた。




