第12話 仕事中毒(ワークホリック)な側近の欲望
セドリックの頭の中では、先ほど目撃した「物質浮遊」の光景が何度もリプレイされていた。
彼をこの研究室へ向かわせた最大の理由――すなわち、王太子やカイル王子から下された『魔力残滓の調査』という重大な密命は、この瞬間、彼の優秀な脳内から完全に消し飛んでいた。 もし、あの魔法が――自分にも使えたらどうなるだろうか。
(……カイル王子との執務。あの膨大な量の書類。私が作成した決裁文書を、いちいち歩いて王子の机まで運び、返却されるのを待つ。あの移動時間は、一日で見ればかなりの損失だ)
セドリックは、生徒会室で書類が鳥のように舞い、自分の机から王子の机へと整然と飛んでいく光景を思い浮かべた。自分は席を立つことなく、空中でペンを走らせ、次々と書類を処理していく。
(……素晴らしい。もしこれが実現すれば、睡眠時間を一時間は増やせるかもしれない。あるいは、さらに高度な政務に時間を割ける)
仕事中毒な側近にとって、それは国家の危機管理や「真実の愛」などよりも遥かに魅惑的な、究極の理想郷に思えた。
「……これが使えれば、執務が劇的に効率的になるのに……」
国家の密命を帯びた冷徹な側近の口から、無意識のうちに、ただの仕事中毒としての本音が小さな呟きとなって漏れ出した。
* * *
報告書を読み終えた私の耳に、その呟きが届いた。私は顔を上げ、彼をじっと見つめた。
「教えましょうか?」
「……えっ?」
セドリック様が、まるで国家機密でも漏洩した現場を見つかったかのように、目を見開いて硬直した。
「い、いいのか? これは君の、独自の……秘匿された技術ではないのか?」
「秘匿? いえ、別に隠してはいませんわ。ただ、以前マクシミリアン様に説明しようとしたら『変人の妄言だ』と一蹴されましたし、私の家族も『アリスはすごいね』と言って聞き流すだけでしたから」
(他者に理解を求める際のS/N比(信号対雑音比)があまりに低すぎて、コストに見合わないと判断して出力を止めていただけだわ)
私は椅子に深く座り直し、少しだけ楽しげに口角を上げた。
「教えるのは構いません。ですが、この技術は既存の『属性魔法』のセンスでは扱えませんわ。まずは世界の成り立ち――すなわち『原理』を基礎から理解していただく必要がありますが、それでもよろしいかしら?」
(……! ぜひ、学びたい! そうだ、私にはカイル王子たちから下された『密命』があったではないか!)
セドリックの脳内で、先ほどまで見事に忘れ去られていた国家の重大任務が、都合よく蘇った。
(彼女の根本的な思考回路を知ることは、『魔力残滓のメカニズム解明』にも直結するはずだ。決して、私の私的な執務効率化のためだけではない。そう、これはあくまで国家のための潜入調査だ……!)
己の暴走しそうな好奇心と欲望に、再度『密命』という言い訳を繰り返し、セドリックは真顔で深く頷いた。
「原理?……が何かは知らんが……、構わない。むしろ、それを知りたい」
セドリック様の瞳に、かつてないほど強い知的好奇心の光が宿った。 その瞬間、私の中に微かな期待が芽生えた。この世界で初めて、私の「言語」を理解しようとする人間が現れたのかもしれない。
「いい返事ですわ。ではセドリック様。最初の講義を始めましょうか」
私は真っ白な羊皮紙を広げ、その中央に一本の垂直な線を引いた。重力加速度という、もっとも身近で美しいベクトルの説明から始めるために。




