第111話 山脈の地下へ
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翌朝。
出発時刻を遅らせることなく、一行は領主館を出発し、再び神殿跡地へ向かった。
調査隊全体の人数は、昨日より増えている。
ただし、地下へ入るのは、護衛と調査に必要な者だけに絞ることにした。増員された騎士と調査員の多くは地上へ残り、入口の監視や連絡、予備の装備の管理を担当する。
携帯灯。
予備の油。
縄。
壁へ目印を残すための道具。
空気の状態を調べる器具。
階段や床の強度を確かめるための棒。
予備の食料と水も、それぞれの荷物へ分けて入れられていた。
森と草原を抜け、一行が崖の前へ到着すると、夜通し遺跡を見張っていた騎士たちが駆け寄ってきた。
「夜間、異常はありませんでした。遺跡へ近づいた者もおりません」
報告を受けたカイルは、四本の柱に囲まれた石畳へ目を向けた。
昨日、地下への入口を閉じた石畳は、そのままの状態を保っていた。
柱の位置と石畳の継ぎ目へ付けておいた印にも、ずれはなかった。
カイルは頷き、指示を出す。
「周囲の安全を確認した後、入口を開ける。何が起きても、すぐに退避できるよう準備しておけ」
騎士たちが四本の柱を囲むように配置についた。
調査員たちは昨日作成した図面を広げ、それぞれの柱に付けた印と、石畳に刻まれた線を照合した後、弧状の溝に沿って動く三本の柱を回転させた。
硬い音が響き、柱が所定の位置へ収まるたび、石畳の下で金属の部品が動く音がした。
そして、最後の柱を直線の溝に沿って動かすと、昨日発見した石造りの階段が、再び姿を現した。
地下から吹き上がる冷たい空気には、湿った匂いが混じっている。
「柱を固定しろ。調査中に仕掛けが動かないようにするんだ」
カイルの指示を受け、騎士たちは柱の根元へ楔を差し込み、太い縄を使って現在の位置へ固定した。
入口の両側には騎士が配置され、地上には数名の騎士と調査員が、柱と入口を監視することになった。
「決めた時刻までに戻らなければ、領主館へ連絡しろ。救援が来るまで地下へ入ろうとするなよ」
「承知いたしました」
続いて、空気の状態を調べる器具を縄へ取り付け、階段の奥へ下ろしていった。
地上から確認できる範囲を越え、昨日は調べられなかった深さまで慎重に下ろした。
しばらく置いた後で引き上げ、調査員が反応を確認する。
「現時点では、人体に害のある反応はありません。地下から空気も流れてきていますが、奥まで同じ状態とは限りません」
エレノアが暗い階段を見下ろした。
「先へ進む間も、一定の距離ごとに確認を続けましょう。異常を感じた者が一人でもいれば、すぐに引き返すべきです」
「わかった」
カイルは全員を見回した。
「油を使う灯りは、空気の安全を確認した場所でのみ使用する。先頭は明かりの魔法を使い、空気の状態と床の安全を確かめながら進め」
地下へ入る者たちが、入口の前へ集まった。
「通路の状態は分からない。壁や天井へ不用意に触れるな。異変を感じた者は、すぐに声を上げろ」
カイルが隊列を確認した。
「先頭は騎士二名。その後ろに、空気と通路の状態を調べる調査員。アリスとセドリックは中央を進め。分かれ道があっても、勝手に進むことは禁止する。一定の間隔で、必ず壁へ印を残せ」
騎士たちが声をそろえて返事をした。
その間に、マクシミリアンはリリィの隣へ移動していた。
「リリィ。必ず私の側にいるのだ。足元が危険なら、すぐに言ってくれ」
「はい、マクシミリアン様」
「疲れた時もだ。無理をして歩く必要はない」
二人のやり取りを横目に見ながら、セドリックもアリスの側へ立った。
「アリスも、私から離れないでください」
「ですが、調査のために動く必要がございますわ」
「その時は、私も一緒に動きますから、絶対に離れないでください」
「セドリック様まで一緒に動かれますと、狭い場所では調査がしにくいのですわ」
「それでも、アリスの安全には代えられません」
アリスは黙って俯いた。
カイルは、その二組を見て僅かに考えた後、エレノアへ向き直る。
「エレノア嬢。危険だから、あなたも私の側を離れないように」
「私は、自分の身くらい守れます。殿下こそ、私の側から離れないようにしてください」
即座に返され、カイルの表情が僅かに固まった。
「……承知した」
隊列が整うと、明かりの魔法で白い光を浮かべた先頭の騎士が、長い棒で一段ずつ確かめながら、階段を下り始めた。
石造りの階段は、想像していたよりも長かった。
一段ごとの高さが僅かに異なり、所々に亀裂が入っている。
壁には水分が浮き、魔法の光を鈍く反射していた。
調査員は空気の状態を確かめながら進み、安全が確認されたところで、後方の者たちが携帯灯へ火を入れた。
二十段ほど下りたところで、周囲の様子が変わった。
初めは規則正しく切り出された石で囲まれていた壁が、少しずつ凹凸のある岩肌へ変わっていく。
天井も一定の高さではなくなり、自然にできた洞窟を削り広げたような形になっていた。
「神殿の地下施設というより、山の中の洞窟を利用しているようですね」
レオナルドが携帯灯を高く掲げる。
「方角を確認します」
調査員が道具を取り出し、地上で記録した位置と照らし合わせた。
「通路は、山脈の内側へ向かっています。緩やかですが、さらに下っているようです」
先へ進むほど、地上から差し込んでいた光は遠ざかっていった。
聞こえるのは、靴底が岩を踏む音と、どこかで水滴が落ちる音だけだった。
通路は、人が二人並んで歩けるほどの幅がある。
しかし、床には崩れた岩や窪みが多く、気を抜けば足を取られそうだった。
アリスは、岩壁の下に円形の窪みを見つけて足を止めた。
「こちらは、自然にできたものでは――」
窪みへ近づこうとした瞬間、セドリックがアリスの手を掴んだ。
「そこは危ない」
セドリックは携帯していた棒で、アリスの足元を軽く突いた。
表面を覆っていた薄い岩が崩れ、その下に深い亀裂が現れる。
落ちた小石が底へ当たる音は、すぐには返ってこなかった。
アリスは亀裂と、自分の手を掴んでいるセドリックを交互に見た。
「……確かに、危なかったですわ」
「無事で良かったです。このまま私の手を離さないでください」
セドリックは亀裂を避ける場所までアリスを引いた後も、ずっと手を放さなかった。
「もう安全ですわ」
「ダメです。次の危険へ向かわない保証がありませんので」
「わたくしを何だと思っていらっしゃいますの?」
「私の大切な婚約者です」
アリスの動きが止まった。
セドリックは何事もなかったように歩き始める。
突然返ってきた言葉を処理しきれないまま、アリスは手を引かれて通路を進んだ。
その後方では、マクシミリアンが足元の岩を先に確認しながら、リリィを安全な場所へ誘導していた。
「こちらを歩くのだ。右側は濡れている」
「ありがとうございます」
「段差がある。手を」
リリィが差し出された手を取ると、マクシミリアンは満足そうに頷いた。
一方、カイルもエレノアの前にある岩を避けようと、彼女を壁際へ誘導しようとした。
その時、エレノアが壁に刻まれた小さな紋へ気づいた。
三本の短い線の上に、欠けた三角形が描かれている。
彼女は即座にカイルの袖を掴んだ。
「殿下、こちらへ」
「エレノア嬢?」
カイルが引かれるまま一歩移動する。
直後、先ほどまで彼が立っていた場所へ、天井から拳ほどの岩が落ちてきた。
硬い音が通路へ響く。
騎士たちが一斉に上を向いた。
「今の紋は、古い時代に使われていた警告です」
エレノアは壁の印を指し示した。
「上部の岩が脆い場所や、落石の危険がある場所へ刻まれていました」
「……そうか」
カイルは、床に落ちた岩を見下ろした。
先ほどまで彼女を守るつもりでいたはずが、実際に守られたのは自分の方だった。
「助かった。ありがとう」
「この先も、殿下は私の側を離れないでくださいませ」
「……承知した」
僅かに肩を落としたカイルを見て、レオナルドが笑いを堪えるように顔を背けた。
一行は、壁に同じ警告の紋がないか確認しながら進んだ。
やがて通路の幅が広がり、円形の空間へ出る。
その先に、巨大な石壁が立ちはだかっていた。




