浅間神社の願い
キクリ先生とコノハさんの三人で話をした翌日の朝。
コノハさんは高千穂の社屋で一度日本のサクヤちゃんと連絡を取り何か話をした後、アサマの本家へ話を付けに行きますと言って私達三人でアサマの本家へと向かった。
そして、私とキクリ先生を屋敷の門の前に残し、屋敷の奥へと入って行った。
どれだけの時間待っただろう。
真夏の日差しが私達の真上を通過して、街の明かりが空に輝きだす時間になってもコノハさんは屋敷から出てくることはなかった。
コノハさんが屋敷から出てきたのは、日付も変わろうとしている時間の事だった。
屋敷から出てきたコノハさんの顔や腕にはあちこちにすり傷や痣がついていた。
コノハさんが両親とどんな話をしたのか分からない。
分からないけれど。
コノハさんはサクヤちゃんの許嫁の話を破談にしてきてくれた。
サクヤちゃんが学園寮に戻って来れるようにしてくれた。
サクヤちゃんがこれからも笑っていられるようにしてくれた。
私達にはその事実だけで十分だった。
―――
その日の翌日。
許嫁の話が破談になったという話を受けて、サクヤちゃんが学園寮に戻ってきた。
で、私と月依とサクヤちゃん、ヒルコちゃんで夕食をとっていたのだけれど。
コノハさんがすたすたとやって来て私の肩に手を置いて
「やあ、昨日は本当に世話になったね、陽花ちゃん。今日も昨日までと比べて一段とクールで可愛らしいよ」
とのたまった。
おかしい。
昨日までのコノハさんはこんな女たらしじゃなかったのに。
またいつものコノハさんに戻ってしまった。
あの男の子版サクヤちゃんなコノハさんはどこにいってしまったんだろう。
どうしてこうなったし。
因みに昨日すり傷に痣だらけだったコノハさんはキクリ先生の傷癒のカムイで綺麗に治してもらったので、昨日コノハさんがボロボロになっていたのを知っているのは私とキクリ先生しかいない。
そしてこの事は皆には内緒にしていてくださいね、と釘をさされている。
「コノハさん、離してください」
昨日のコノハさんのそんな姿をみているので、今迄みたいに
ぞんざいに扱うのもさすがに躊躇われたので丁寧に諭す。
「つれないなぁ、陽花ちゃんは」
そう言いながら私の肩に手を置き続けるコノハさん。
だから食事の邪魔なんだってば、その手が。
うん。せっかく見直してたんだけど。
申し訳ないけど、また馬鹿なお兄さんに格下げさせてもらおう。
例え妹の気を引きたいだけなのだとしても、こうべたべたされたらたまったもんじゃない。
「お・に・い・さ・ま?」
そんなコノハさんの姿を見てサクヤちゃんは静かに負のオーラを湛えている。
「お覚悟してくださいませ」
サクヤちゃんはそう言うとコノハさんの耳を掴み反省室へと引きずって行った。
「痛い!痛いぞ!妹よ!!」
一月振りのそんなコノハさんの声を聞きながら私達三人は、はぁとため息をつく。
そして三人で思いっきり笑いあう。
ほんと、コノハさんも難儀な人だよね……。
一昨日の進路指導室でのコノハさんとの会話を思いだすとそう思わずにはいられない。
それとも、あの人、妹にいびられたい真正のマゾなのかなぁ。
サクヤちゃんに耳引っ張られながら少し微笑んでた気もするし。
なんかちょっとそんな気もしてきたよ……。
まぁ……そんな訳で、サクヤちゃんも無事に学園寮に戻ってくることができて。
サクヤちゃんにとって、これまでよりも幸せな日常がやってきたのだった。
―――
サクヤちゃんが学園寮に戻ってきて数日後。
コンコン。
この控えめなドアをノックする音はサクヤちゃんが部屋をノックする音だ。
そしてしばらくして、
「陽花さん、いらっしゃいますか?」
サクヤちゃんが月依じゃなくて私を訪ねてくるなんて珍しいなと思いつつ扉を開ける。
「どうしたの?サクヤちゃん」
「今日は陽花さんと二人きりでお話をしたくて参りました」
「そうなんだ。月依はちょうど出かけてるけど、どうしよう?」
因みに、月依はどこにいったのかというと、ヒルコちゃんからアルバイトのヘルプを頼まれて生田亭でバイト中だ。
「できれば、私の部屋に来てくださいませんか?」
「うん。わかった。ちょっとまっててね」
そう言って寝間着の上からパーカーを羽織る。
そしてサクヤちゃんから、サクヤちゃんの部屋へとご招待される。
約一月ぶりのサクヤちゃんの部屋はまだ少しガランとしていたけれど、端っこに積まれた生活用品の詰まった箱が少しずつ開封されていて、わずかずつだけれど日常を取り戻しつつあった。
そんな光景を目にして本当にほっとする。
サクヤちゃんが戻ってこれて本当によかったと思う。
「そちらに座ってください、陽花さん」
そう促され私は可愛らしい模様の座布団の上に座り込む。
「それで、私に話って何?サクヤちゃん」
私の正面に同じように座り込んだサクヤちゃんにそう問いかける。
「今回の件、本当にありがとうございました」
その言葉と共に深々とお辞儀をされる。
「いやいや。私は本当に何もしてないから。お礼ならコノハさんに言ってあげてよ」
普段女たらしのあのお兄さんがあの時だけはサクヤちゃんのために
覚悟を決めてくれたのだから。
「いえ、あのお兄様を動かしてくださったのは陽花さんですから。陽花さんには本当にどんなに感謝してもしきれません」
うーん……そこまでお礼を言われるようなこと、してないんだけどなぁ。
そう思いつつ戸惑っているとサクヤちゃんはゆっくりと言葉を続ける。
「陽花さんは本当に私の為に色々してくださいました」
「私の為に、私と共に日本に逃げてくださいました」
「浅間神社でも……。白山神社でも……」
「陽花さんは陽花さんの為ではなく、こんな私のために祈ってくださいました」
え……?
何で。
何で私がサクヤちゃんのためにお祈りしたってバレてるの。
私もしかして声に出してた?
だとしたらなんだかちょっと恥ずかしいんだけど……。
私が困惑しているとサクヤちゃんは、
「実は、私の一族はカムイがなくても、ほんの少しだけ心を読むことができるんですよ」
そう言ってクスリと微笑んだ。
「え゛……そうなの?」
「はい。そうなんです。ただどんな事でもというわけではなくて。強い、強い思いだけが言葉になって私の心の中に流れ込んでくるんです。これは月依ちゃん達にも内緒にしていることなんですよ」
「そ、そうなんだ……」
そっかー……そうなんだ。
これはサクヤちゃんやコノハさんの前じゃ迂闊な事、考えられないなぁ……。
あははは……。
そんなことを私がぼんやり考えていると。
「陽花さんは、こんな私のために、本当に一生懸命に祈りを捧げてくださって……」
「私は、それが本当に嬉しくて……」
サクヤちゃんは、そう呟きながら私に近寄ってきて。
「だからそんな陽花さんのことを、私は……」
私はいつのまにかサクヤちゃんに抱きしめられていた。
サクヤちゃんの温もりが徐々に体中に伝わってくる。
そして。
「んっ……」
突然、私の口がサクヤちゃんの口で塞がれた。
サクヤちゃんからの甘い、口付け。
私の人生で、二度目の口付け。
サクヤちゃんの甘い香りが鼻孔をくすぐる。
またもや。
またしても女の子から口付けをされてしまった。
しかも今度は、あの清楚なサクヤちゃんから。
思ってもいない展開に私が目を丸くしていると。
さっとサクヤちゃんは口付けをしていた口を離して。
「……これは、私のファーストキス、です……」
リンゴの様に真っ赤に染まった頬でそんな事を言うサクヤちゃん。
「……好きです、陽花さん……」
その声と共に強く強く抱きしめられる。
「え……」
サクヤちゃんが、私の事を、好き……?
思いもかけないサクヤちゃんの言葉に呆けていると、
抱きしめられていた体を開放されて。
「このことは、月依ちゃんには絶対に秘密、ですよ」
そう言って人差し指を私の口につけて、悪戯っぽく微笑む彼女の顔は。
今まで愁いを帯びていたのが嘘だったみたいに清々しく可愛らしい笑顔だった。




