第六話 この町に足りないもの
翌朝。
「……眠い」
「起きてください」
「起きてるよ」
「目を閉じたまま言われても説得力がありません」
昨日なんとか使えるようにした屋敷の一室。
僕は机に突っ伏したまま、目の前に置かれたパンを齧っていた。
硬い。
昨日、町で分けてもらったものだ。
味は悪くない。
ただ、朝から顎を鍛えることになるとは思わなかった。
「フィオナ」
「はい」
「このパン硬くない?」
「保存の利くパンとは、このようなものです」
「もっと柔らかいの食べたい」
「では、そのためにも町の状態を確認しましょう」
「話の繋げ方が強引じゃない?」
「昨日、ご自身で『住みやすくする』と仰いました」
「言ったけどさぁ」
言った。
確かに言った。
昨日の自分を少し恨みたい。
「それに、カイル様」
「ん?」
「水路のことも気になります」
フィオナが窓の外へ目を向ける。
昨日、町へ入る途中で見つけた細い水路。
フィオナ曰く、水の精霊が妙に少ないらしい。
「放置しておくのは良くないと思います」
「分かったよ」
残っていたパンを口に押し込む。
「じゃあ行こうか」
「はい」
「帰ってきたら昼寝していい?」
「仕事が終わっていれば」
「もう領主より厳しくない?」
「その領主がカイル様です」
逃げ道がなかった。
◇
町を歩いてみて、最初に思ったことがある。
「……思ったより酷いな」
「昨日も同じことを仰っていましたよ」
「屋敷だけかと思ってた」
昨日は馬車の中から眺めただけだった。
実際に歩けば、見えてくるものも違う。
町の中心を通る道は、馬車二台がすれ違える程度の幅はある。
問題は状態だ。
地面はあちこち窪み、昨日まで雨でも降っていたのか水溜まりが残っている。
石が敷かれている場所もあるが、途中から完全に土へ変わっていた。
「これ、雨が降ったら大変そう」
「泥だらけになるでしょうね」
「荷車も通りにくいか」
「ええ」
実際、少し先で荷車の車輪が窪みに嵌まっていた。
二人の男が必死に押している。
「ちょっと行ってくる」
「カイル様?」
近づくと、僕に気づいた二人が慌てて頭を下げた。
「で、殿下!」
「そのままでいいよ。荷車出すんでしょ?」
「しかし……」
「よいしょっと」
車輪の近くへ手を向ける。
土の下にある草の根へ、少しだけ魔力を流した。
「《根上げ》」
細い根が地中で絡み合い、沈んだ車輪を押し上げる。
「あっ」
「今、押して」
「は、はい!」
二人が荷車を押す。
今度は簡単に窪みを抜けた。
「おお……」
「ありがとうございます、殿下!」
「いいよいいよ」
手を振ってその場を離れる。
戻ると、フィオナがこちらを見ていた。
「なに?」
「いえ」
「また変なことした?」
「今回は何も申し上げておりません」
「今回はって言った」
フィオナは答えず、先へ歩いていく。
なんだろう。
◇
町の中心には、小さな広場があった。
井戸。
いくつかの露店。
それと、小さな商店。
朝だからなのか、人はそれなりにいる。
ただ、並んでいる品は多くない。
野菜。
乾燥肉。
豆。
硬そうなパン。
「果物ないね」
「そこですか?」
「大事でしょ」
僕は果物が食べたい。
「帝都から運んでくるには、この道では難しいのでしょう」
「そっか」
道。
やっぱり道は直さないと駄目か。
「カイル様」
フィオナが井戸を見ていた。
「どうしたの?」
「少し見てもよろしいですか?」
「僕に聞かなくてもいいよ」
「……では」
井戸へ近づき、中を覗く。
僕も横から覗いた。
ちゃんと水はある。
「普通じゃない?」
「少ないです」
「分かるの?」
「はい」
フィオナが目を閉じる。
尖った耳が僅かに動いた。
「水の精霊はいます。ただ……やはり弱い」
「昨日の水路と同じ?」
「おそらく」
「上流に何かあるのかな」
「確かめてみたいです」
「じゃあ行こう」
そこで、近くにいた老人がこちらへ歩いてきた。
「殿下」
「ん?」
腰を曲げ、深く頭を下げる。
「水路を見に行かれるので?」
「そのつもりだけど」
「でしたら……どうかお気をつけを」
「何かあるの?」
老人は少し言いづらそうに口を閉ざした。
「上流は、森に近うございます」
「魔物?」
「最近、増えております」
隣でフィオナの表情が変わる。
「どのような魔物です?」
「狼型が多く……それに、森の奥から何か大きなものが出てきたと、猟師が申しておりました」
「なるほど」
フィオナが僕を見る。
「カイル様」
「行くなって?」
「私から離れないでください、と申し上げようかと」
「あ、行くのは行くんだ」
「水源の確認は必要です」
頼もしい。
「じゃあよろしく」
「最初から私にすべて任せる気ではありませんよね?」
「……」
「カイル様?」
「行こうか」
「誤魔化しましたね」
◇
水路を辿って町の外へ出る。
しばらく歩くと、畑が広がっていた。
「……ここもか」
昨日遠くから見た時にも気づいていた。
荒れている。
作物がまったく育っていないわけではない。
けれど、場所によって成長にかなり差がある。
青々とした場所もあれば、葉が小さく萎れているところもある。
僕は道を外れ、畑の端でしゃがんだ。
土へ触れる。
「どうですか?」
「んー」
魔力を少し流す。
土の中へ。
その先にある植物の根へ。
返ってくる感触が弱い。
「水が足りてないね」
「やはり」
「でも、それだけじゃないかな」
少し先へ移動する。
もう一度土を触る。
「こっちは悪くない」
「何が違うのでしょう」
「たぶん水の流れ」
立ち上がる。
「水路がちゃんと機能してないせいで、場所によって偏ってる」
フィオナも土へ触れた。
「精霊も同じことを言っています」
「精霊って会話できるの?」
「言葉を交わすというより、感じ取る方が近いです」
「へえ」
便利だ。
心眼とはまた違う。
僕の場合は情報が勝手に頭へ入ってくる。
フィオナの場合は、自然そのものに聞いているようなものなのだろう。
「……あっちです」
突然、フィオナが顔を上げた。
「何か分かった?」
「水の気配が強い方向があります」
「行ってみよう」
畑を抜け、そのまま水路沿いを進む。
町から離れるほど、道は悪くなった。
やがて完全に森へ入る。
すると。
「止まってください」
フィオナが僕の前へ腕を出した。
「どうしたの?」
「……います」
ヘラクレスを構える。
耳を澄ませる。
僕も周囲を見る。
心眼に引っかかるものがあった。
「右に三匹」
「分かるのですか?」
「得意なんだ」
「それで全部済ませるのはやめませんか?」
「便利な言葉なのに」
茂みが揺れた。
黒い狼が飛び出してくる。
普通の狼より一回り大きい。
口元から涎を垂らし、こちらへ一直線に走ってくる。
フィオナが矢を放つ。
一匹。
続けざまに二本目。
二匹。
残った一匹が僕へ向かって跳んだ。
「《蔓縛り》」
地面から伸びた蔓が狼の脚へ絡みつく。
そのまま地面へ叩き落とした。
「お見事です」
「フィオナの方が早いじゃん」
「私は護衛ですから」
「はいはい」
三匹とも動かなくなったことを確認して先へ進む。
もうフィオナも、僕が戦うこと自体には驚かなくなったらしい。
「……カイル様」
「なに?」
「はいはい、とは何です」
「そこ?」
◇
原因は、思っていたより単純だった。
「……これは流れないね」
水路の上流。
本来なら町へ流れていくはずの小川が、大量の倒木によって塞がれていた。
一本や二本ではない。
かなりの数だ。
土砂まで溜まり、小さな堰のようになっている。
「昨年の嵐か何かかな」
「それだけでしょうか」
フィオナが周辺を見る。
「木の倒れ方が不自然です」
「そう?」
「同じ方向へ倒れすぎています」
言われてみれば確かに。
強風ならあり得なくもないが。
「さっき言ってた大きな魔物?」
「可能性はあります」
「まあ、それはまた調べよう」
僕は倒木を見る。
「今日はこっち」
「どうされます?」
「退かす」
「この量を?」
「うん」
「……お一人で?」
「フィオナは離れてて」
地面へ手を置く。
倒れている木は死んでいるものも多い。
なら。
「《芽吹き》」
切断された幹。
折れた枝。
その隙間から、新しい芽が伸びた。
フィオナが息を呑む。
芽は枝へ。
枝はさらに伸び、互いに絡み合う。
「《根還り》」
今度は倒木の下。
残っていた根が土の中で動き始めた。
太い幹が軋む。
一つ。
また一つ。
倒れていた木々がゆっくりと持ち上がっていく。
「……」
横を見ると、フィオナが固まっていた。
「なに?」
「いえ……続けてください」
根の残っていない木は、蔓で引っ張って岸へ寄せる。
使える木材は後で町へ運べばいい。
邪魔な土砂も、根を這わせて少しずつ崩す。
十数分ほどかかった。
最後の倒木を動かした瞬間。
ゴウッ。
溜まっていた水が一気に流れ出した。
「おお」
水路へ勢いよく水が流れ込む。
フィオナはしゃがみ、水面に指を触れた。
目を閉じる。
「……喜んでいます」
「水が?」
「精霊が、です」
「そっか」
僕はその場に座り込んだ。
「疲れた」
「当然です」
「結構魔力使った」
「でしょうね」
「褒めて」
「……」
フィオナがこちらを見る。
「よく頑張りました」
「なんか子供扱いされてない?」
「褒めろと仰ったのはカイル様です」
間違ってはいない。
「でも、これで畑も少しは良くなるかな」
「ええ」
水路を流れる水を眺める。
これだけで全部解決するわけではない。
水路そのものも整備しなければならない。
道も直す必要がある。
畑だって、もっと調べたい。
家も。
食料も。
魔物も。
「……やること、多いなぁ」
「昨日から何度目ですか、それ」
「減らないんだもん」
「始めたばかりですから」
フィオナが立ち上がる。
「ですが、一つ減りました」
「ん?」
「水です」
流れていく小川を指差す。
「昨日まで止まっていたものが、今は流れています」
「……」
「一つずつでよいのではありませんか?」
少し意外だった。
「フィオナがそういうこと言うんだ」
「何かおかしいですか?」
「いや」
僕も立ち上がる。
「その通りだなと思って」
一気に全部やろうとするから面倒に見えるのだ。
一つずつ。
自分が快適に暮らせる程度には。
「じゃあ次は道かな」
「まずは町へ戻りましょう」
「なんで?」
「魔力をかなり消耗されています」
「まだ平気だよ」
「先ほど疲れたと仰ったでしょう」
「……」
「今日は戻ります」
「はい」
どうにもフィオナには勝てない。
◇
町へ戻る頃には、夕方になっていた。
水路には朝より明らかに多くの水が流れている。
それに気づいた住民たちが、家から出てきていた。
「水が……」
「戻ってるぞ」
「こんなに流れるの、いつ以来だ?」
僕たちの姿を見つけた人たちが、次々と頭を下げる。
「殿下!」
「ありがとうございます!」
「いや、そんな大したことは――」
言いかけてやめた。
嬉しそうだったから。
別に否定する必要もないか。
「畑までちゃんと水が届くか、しばらく見ておいて」
「はい!」
「また問題あったら教えて」
そう伝えて歩き出す。
少し進んでから、フィオナが隣に並んだ。
「領主らしくなってきましたね」
「今日一日で?」
「少なくとも昨日よりは」
「基準低くない?」
「昨日は屋敷を見て帰ろうとしていましたから」
「帰りたかったんだよ」
「知っています」
屋敷へ続く道を歩く。
空は赤く染まり始めていた。
「でもさ」
「はい」
「悪くないね」
「何がです?」
振り返る。
後ろでは、子供たちが水路の周りではしゃいでいる。
「こういうの」
フィオナも振り返った。
「……ええ」
ほんの少しだけ笑った。
今度は見間違いじゃなかった。
「私も、そう思います」
荒れた町。
途中でなくなる道。
痩せた畑。
増えている魔物。
まだ何も始まっていないような土地。
でも。
水は流れた。
今日はそれでいい。
「帰ったら寝よ」
「夕食が先です」
「じゃあ食べて寝る」
「資料の確認も」
「……忘れてなかったの?」
「もちろんです」
前言撤回。
今日はまだ終わっていなかった。




