第五話 辺境のはじまり
馬車が山道を下りきった頃には、日はかなり傾いていた。
遠目には小さく見えていた集落も、近づいてみればそれなりに人が暮らしている。
とはいえ、帝都とは比べるべくもない。
道は土が剥き出しで、ところどころ深い轍が残っている。
並んでいる家も木造が多く、屋根には補修の跡が目立った。
人の姿はある。
畑を耕す者。
荷車を押す者。
家の前で薪を割る者。
ただ、活気があるかと言われれば微妙だった。
「……思っていたより、人はいるのですね」
馬車の窓から外を眺めながら、フィオナが言う。
「僕も同じこと思った」
「資料には?」
「人口は書いてあったよ」
「覚えていないのですよね」
「細かい数字はね」
「……」
何も言われなかった。
何も言われない方がちょっと怖い。
馬車が通り過ぎるたび、住民たちがこちらを見ている。
皇族の紋章が付いた馬車なのだから当然だろう。
手を止めて頭を下げる者もいた。
ただ、その表情には歓迎というより戸惑いの方が強い。
まあ、そうなるよね。
いきなり皇子が領主として送られてくるなんて、向こうからしても困るだろう。
「カイル様」
「ん?」
「あちらを」
フィオナが指差す。
街道の脇を、小さな水路が流れていた。
「水?」
「ええ。ただ、随分浅いです」
「そう?」
「上流で何か起きているのかもしれません」
僕にはただの細い川にしか見えない。
「分かるの?」
「水の精霊が少ないので」
「……便利だね、精霊魔法」
「カイル様に言われると、なぜか複雑です」
「なんで?」
「いえ。まだ何でもありません」
まだ?
少し気になったが、馬車が止まったので聞き返す機会を逃した。
「殿下、到着いたしました」
御者の声。
僕は窓から外を見た。
「…………」
フィオナも見た。
「…………」
二人とも黙った。
目の前にあるのは、一応屋敷だった。
一応。
石造りの二階建て。
広さだけなら悪くない。
庭もかなり広い。
ただし。
「……カイル様」
「うん」
「屋根に穴が開いています」
「見えてる」
「窓も割れています」
「それも見えてる」
「壁に蔦が」
「……あれは雰囲気あっていいんじゃない?」
「現実逃避はおやめください」
ですよね。
馬車を降りる。
近くで見ると、さらに酷かった。
庭は雑草だらけ。
門は傾き、片方が地面を擦っている。
玄関へ続く石畳も、半分ほど土に埋まっていた。
「資料には『領主館あり』としか書いてなかったんだけどな」
「嘘は書いておりませんね」
「そういう問題かなぁ」
玄関の扉を押す。
ギィ、と嫌な音がした。
そして。
「……」
閉めた。
「なぜ閉めるのです?」
「見なかったことにしようかなって」
「開けてください」
「はい」
もう一度開く。
中は想像通りだった。
埃。
蜘蛛の巣。
傾いた家具。
天井の一部には、しっかり空が見えている。
「……今夜ここで寝るの?」
「このままでは難しいでしょうね」
「宿とかないかな」
「領主が到着初日に宿へ泊まるのですか?」
「駄目?」
「駄目とは言いませんが」
フィオナは屋敷の奥を見た。
「少なくとも、住民からの印象は良くないでしょう」
「うーん」
確かに。
兄上に辺境へ飛ばされたからといって、何もしないつもりはない。
僕だって快適には暮らしたい。
そのためには最低限、領地をどうにかする必要がある。
ただ。
「これ直すの、何日かかるんだろ」
「職人を集めても、すぐには難しいのでは」
「だよね」
僕は屋敷を見上げた。
屋根。
壁。
柱。
庭。
その向こうには森。
木材なら、嫌になるほどある。
「……じゃあ」
少し考える。
「とりあえず、今日寝られるくらいにはしようか」
「どうやって?」
「こうやって」
庭へ出た。
屋敷の横に一本、大きな木が生えている。
僕はその幹に手を触れた。
「カイル様?」
「ちょっと離れてて」
目を閉じる。
地面の下へ意識を伸ばす。
根。
土。
水。
それから、木そのもの。
この辺りは思っていた以上に土地の魔力が濃い。
使いやすい。
「――《成長》」
木が軋んだ。
「……っ!」
フィオナが息を呑む。
幹から何本もの枝が伸び始める。
普通なら何年もかけて育つはずの枝が、見る間に太くなっていく。
葉が開き、さらに新しい枝が伸びる。
そのまま屋敷の壁へ沿わせる。
穴の開いた部分を覆うように。
「次」
地面に手をつく。
「《根走り》」
土の中から、低い音が響いた。
屋敷の下へ根を伸ばす。
崩れかけた基礎の隙間へ入り込み、支えるように形を変える。
「……」
フィオナが完全に黙っている。
まあ、まだ終わってない。
伸ばした枝を必要なところだけ切り落とす。
風の刃。
これは普通の魔法だ。
切り出した木材を壁の穴へ運び、今度は細い蔓を伸ばして固定する。
「《蔦縫い》」
蔓が木材の間を走った。
まるで糸でも通すように隙間を埋めていく。
さすがにこれだけで立派な屋敷になるわけではない。
でも、雨風くらいは防げる。
「……よし」
一歩下がって眺める。
応急処置にしては悪くない。
「これなら寝られるかな」
返事がない。
「フィオナ?」
「……カイル様」
「何?」
「今のは、何ですか?」
「魔法」
「それは分かります」
「植物魔法?」
「疑問形で答えないでください」
怒られた。
フィオナは屋敷の壁に絡んだ蔓を見つめている。
そっと触れた。
「これだけ急激に植物を成長させれば、普通は枯れます」
「そうなの?」
「そうなの、ではありません」
また怒られた。
「魔力を無理に流し込めば一時的な成長は可能でしょう。しかしこれは……」
フィオナが木を見上げる。
「弱っていない」
「うん」
「むしろ、先ほどより生命力が増しているように感じます」
「そういう魔法だからね」
「どこで習われたのです?」
「適当に」
「カイル様」
「……僕、植物系の魔法は得意なんだ」
「得意」
「うん」
「……」
フィオナが屋敷を見る。
次に木を見る。
最後に僕を見る。
「これを、得意の一言で済ませるのですか?」
「便利でしょ?」
「そういう問題ではありません」
どうやら納得してもらえなかったらしい。
「まあまあ。それより」
僕は庭を見回した。
「せっかくだし、こっちもやっとこう」
「まだ何かするのですか?」
「雑草だらけなの嫌じゃない?」
軽く手を振る。
地面を覆っていた草が一斉に揺れた。
「《移植》」
雑草が根ごと土から抜ける。
そのまま庭の端へ移動させた。
全部捨ててもいいが、それはそれでもったいない。
薬草として使えそうなものも混ざっている。
「こっちは残して……あとは」
石畳を覆っている根を避ける。
土を均す。
門の横には、小さな木を二本。
「何してるんです?」
「見栄え」
「必要ですか?」
「住むなら綺麗な方がいいでしょ」
木を成長させる。
枝を整え、入口を挟むように形を作った。
「うん。さっきより屋敷っぽい」
「……」
「なに?」
「いえ」
フィオナは小さく首を振った。
「本当に、不思議な方だと思いまして」
「またそれ?」
「今回は良い意味です」
「今回は?」
「細かいことは気にしないでください」
ちょっと気になる。
でも。
市場にいた時より、随分話すようになった。
それは悪くない。
◇
日が沈む前に、屋敷の一階だけは何とか使える状態になった。
もちろん、本格的な修理は必要だ。
家具も足りない。
浴室は使えない。
厨房も掃除しなければならない。
「やること多いなぁ……」
玄関前の階段に座り込む。
「これから領主になられるのですから」
横に立ったフィオナが言った。
「僕、のんびり暮らしたいだけなんだけど」
「そのためには、まず暮らせる領地にしなくてはなりません」
「正論って怖いよね」
「何か?」
「何でもない」
フィオナが遠くを見る。
僕もそちらへ視線を向けた。
屋敷からは町の一部が見える。
古びた家々。
荒れた畑。
途中で途切れた街道。
さっきフィオナが見つけた水路も、この辺りまで来るとかなり細くなっていた。
「……ねえフィオナ」
「はい」
「この土地、どう思う?」
「どう、とは?」
「住めそう?」
フィオナは少し考えた。
風が吹く。
彼女の銀色の髪が揺れた。
「森は豊かです」
「うん」
「精霊も多い。水も、恐らく探せば十分にあります」
「へえ」
「土も死んでいるわけではありません」
しゃがみ、足元の土を指で掬う。
「手入れされていないだけです」
「じゃあ」
僕は町を見る。
「案外、どうにかなる?」
「少なくとも、何もない土地ではありません」
フィオナが立ち上がった。
「人もいます」
その言葉に、僕は少しだけ笑った。
「そっか」
何もない辺境だと思っていた。
兄上も、そう思ったから僕をここへ送ったのだろう。
でも。
森がある。
水がある。
土地がある。
人がいる。
「じゃあ、まあ」
立ち上がる。
「住みやすくするくらいは、やってみようかな」
「領主らしいお言葉ですね」
「僕が快適に暮らすためだけど」
「前言を撤回します」
「早いよ」
フィオナの口元が、ほんの少しだけ動いた。
笑った。
たぶん。
僕がそう思った時には、もういつもの表情に戻っていた。
「明日は、まず町を見て回りましょう」
「え」
「水路も確認したいです」
「えー」
「畑もです」
「フィオナ」
「はい」
「僕、今日結構働いたよ?」
「まだ初日です」
「……」
どうやら。
辺境に来れば楽ができる、という僕の計画は。
到着初日にして、早くも怪しくなってきたらしい。




