第四十七話 広がる仕事
「……あれ、何かいい匂いしない?」
中央広場へ向かう途中、僕は思わず足を止めた。
風に乗って漂ってきたのは、焼きたてのパンと、何かを煮込んでいるような匂い。
朝食はちゃんと食べてきたはずなのに、不思議とお腹が空いてくる。
「そうですね。パンでしょうか?」
隣を歩いていたフィオナも、辺りを見回した。
「でも、こっちにパン屋なんてあったっけ?」
「私の知る限りでは、なかったと思いますが……」
「だよね。ちょっと見に行ってみようよ」
僕らは匂いを頼りに、広場の端へ向かった。
午前中は、住宅地にする予定の土地を見て回っていた。
いくつか候補は見つかったものの、地面の低い場所は排水を考える必要があるし、道路との繋がりも確認しなければならない。
そこは職人たちにも見てもらうことにして、ちょうど広場へ戻ってきたところだった。
そして今、僕の興味は完全に別のところへ向かっている。
……いや、仕方ないじゃん。
いい匂いがするんだし。
「あ、あそこかな?」
工事現場から少し離れた場所に、小さな露店ができていた。
簡単な木の台に籠が並び、その奥には大きな鍋が置かれている。
店先には、仕事着の男性たちが数人集まっていた。
どうやら、道路工事をしている職人たちらしい。
「……こんな店、前からあった?」
「いえ。少なくとも、先日通った時にはありませんでした」
「だよねえ」
気になって近づいてみる。
すると、鍋の前に立っていた女性がこちらに気づいた。
「いらっしゃい! ……あら、殿下じゃありませんか!」
「こんにちは。ここ、最近できたの?」
「ええ! つい先日から始めたんですよ」
女性は嬉しそうに笑った。
「道路の工事が始まってから、毎日たくさんの職人さんが集まるでしょう? 昼になると皆さん、食べるものを探してあちこち歩いているものですから」
「ああ、なるほど」
「それなら、ここで売ればいいんじゃないかと思いましてね。家で作っていたパンとスープを、持ってくることにしたんです」
女性はそう言って、鍋の蓋を開けた。
ふわりと湯気が立ち上る。
中には野菜がたっぷり入っていて、香草のいい香りがした。
……うわ。
これはおいしそう。
「いいね、それ! ちょうどお昼だったし、僕らにも二人分もらえる?」
「もちろんですよ!」
女性が手際よくスープを器へ注ぎ、焼き色のついたパンを添えてくれる。
僕は代金を払い、フィオナと一緒に近くの腰掛けへ向かった。
「いただきます」
「いただきます」
まずはパンを一口。
外側は少し硬めだけれど、中は柔らかい。
それをスープにつけて食べると、じんわりと温かさが広がった。
「……おいしい!」
「はい。野菜の甘みがよく出ていますね」
「これ、毎日食べられるなら結構嬉しいなあ」
思わず、もう一口食べる。
……うん。
いいねえ。
こういう素朴な料理、結構好きなんだよね。
僕らの周りでは、職人たちも昼食を取っていた。
地面に腰を下ろしてパンを頬張る人。
仲間と作業の話をしながらスープを飲む人。
食べ終わると、また工事現場へ戻っていく人。
いつの間にか、広場の端が小さな休憩場所になっていた。
「……こうして見ると、結構賑わってるね」
「そうですね。皆さん、ここで昼食を取られているようです」
「前は、この辺りってほとんど人がいなかったのにね」
僕はスープを飲みながら、工事現場へ目を向けた。
少し前まで、ただ草が生えているだけだった空き地。
今は地面が整えられ、石材が運び込まれ、何人もの職人が働いている。
そして、その人たちを相手に新しい店ができた。
……なるほど。
道を造り始めただけなのに、こんな変化も起きるんだ。
「ねえ、フィオナ」
「はい?」
「これってさ、僕らが工事を始めなかったら、できてなかった店だよね?」
「おそらく、そうだと思います」
「でも、店を始めたのはあの人でしょ?」
「はい」
「……面白いよね」
僕は小さく笑った。
僕が考えていたのは、荷車が通りやすい道を造ることだった。
でも、それだけじゃなかったらしい。
人が集まれば、そこに新しい仕事が生まれる。
そして、その仕事を始めるかどうかは、町の人たちが自分で決めている。
……へえ。
こういうのも、町づくりの楽しさなのかもしれない。
◇
「……そうだ!」
パンを食べ終えたところで、ふと思いついた。
「フィオナ、ちょっとあっち見て」
「はい?」
僕は新しく整備している道路の方を指した。
職人たちが働いている場所から、中央広場へ向かって伸びる道。
まだ工事中だけれど、すでに一部には石畳が敷かれ始めている。
「あそこに道ができたらさ、今よりもっと人が通るようになるよね?」
「そうですね。町の入口から広場へ向かう方々も利用されるでしょうし」
「でしょ? だったら、道の近くに店が並んだら結構よくない?」
僕は少し身を乗り出した。
「今は工事の人たちが中心だけど、道ができたら商人も旅人も通るじゃん? そうしたら、食べ物だけじゃなくて、道具とか日用品とか、色々売れそうだよね」
フィオナは、僕が指した方向を眺めた。
「確かに、そうかもしれませんね。中央広場だけでなく、通り沿いにもお店があれば便利だと思います」
「だよね!」
僕は満足して頷いた。
……うん。
何だか、想像すると楽しくなってきた。
道の両側に店が並んでいて、看板が吊るされていて。
その間を商人や住民が歩いている。
今はまだ土を掘り返している場所だけど、いつかそんな景色になるのかもしれない。
「……カイル様」
「ん?」
「ですが、道路のすぐ隣にお店を並べると、荷車の通行を妨げてしまうかもしれません」
「ああ、確かに」
僕は改めて道路を見た。
荷車が通る場所。
人が歩く場所。
店の前で立ち止まる場所。
考えてみれば、全部同じ場所に詰め込むのは難しそうだ。
「じゃあ、少し奥に店を並べた方がいいのかな?」
「そうですね。それに、荷物を運び込む場所も必要になると思います」
「……なるほど」
僕は立ち上がった。
「よし。ちょっと見に行ってみよう!」
「今からですか?」
「うん。実際に歩いてみた方が分かりやすそうだし」
フィオナは一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに頷いた。
「分かりました。では、ご一緒します」
……うん。
やっぱり、こういうのは実際に試してみるのが一番だよね。
◇
中央広場の周囲には、まだ建物が建っていない土地がいくつか残っている。
その一つが、新しい道路の予定地から少し離れた場所にあった。
今は草が短く刈られ、資材も置かれていない。
以前作った町の地図では、将来商店が増える場所の候補にしていたところだ。
「……ここ、結構よさそうじゃない?」
僕は空き地の真ん中に立ち、周囲を見渡した。
広場からも近い。
新しい道からも入りやすい。
それでいて、荷車が通る場所からは少し離れている。
「はい。人が行き来するには便利そうですね」
フィオナも辺りを見回していた。
「ただ、こちら側は道になっていますので、通れる幅を残した方がよいと思います」
「ああ、そっか。じゃあ、店を置くならこっちかな」
僕は地面に落ちていた細い枝を拾い、土の上へ線を描いた。
四角形を一つ。
その隣に、もう一つ。
「これくらいなら、小さな露店を二つ並べられそうじゃない?」
「そうですね。ですが、もう少し間を空けた方がよいかもしれません」
「間?」
「はい。お店の前に人が集まると、通り抜けにくくなってしまいますから」
「……ああ、なるほど!」
言われてみれば、さっきの露店も何人か並んでいた。
買い物をする人が立ち止まれば、その分だけ場所が必要になる。
店そのものが置ければいいってわけじゃないんだね。
「じゃあ、ちょっと広げて……」
僕は線を描き直した。
通り道を残して、露店を置く場所を少し奥へ。
ついでに、荷物を運び込むための隙間も考える。
「……こんな感じ?」
「よいと思います。ですが、もう少し実際の広さが分かるとよいですね」
「確かに。地面に描いただけだと、ちょっと分かりにくいか」
僕は辺りを見回した。
ちょうど近くの工事現場には、使っていない木杭や縄が置かれている。
……あれ、借りられないかな。
そう思って近づくと、道具を整理していた職人がいた。
「ねえ、ちょっと縄と杭を借りてもいい? すぐ返すから」
「ええ、構いませんよ。何か測られるんですか?」
「うん。ちょっと店を並べる場所を考えててさ」
「店、ですか?」
「そうそう。まだ決まったわけじゃないんだけどね」
職人は不思議そうな顔をしていたものの、縄と杭を貸してくれた。
僕は礼を言い、フィオナのところへ戻る。
「よし、これで実際に置いてみよう!」
「はい」
二人で杭を打ち、縄を張っていく。
最初に一つ目の露店。
そこから少し間を空けて、二つ目。
さらに、前を通れるように広めの空間を残した。
「……おお!」
少し離れて眺めてみる。
ただの空き地だった場所に、二つの四角形が浮かび上がっていた。
もちろん、まだ店はない。
でも、こうして場所を区切るだけでも、何となくそれっぽく見えてくる。
「フィオナ、ちょっとこっちから見てみて」
「はい」
「どう? ここに店が二つ並んでると思ったら、結構いい感じじゃない?」
フィオナは縄で囲まれた場所を眺めた。
それから、少しだけ首を傾げる。
「……そうですね。ただ、もう少し奥に置いた方が、広場から見た時にすっきりするかもしれません」
「……あ、確かに!」
僕も広場側から見てみる。
今の位置だと、露店が通りへ少し飛び出しているように見える。
奥へ寄せれば、道沿いにきれいに並びそうだ。
「じゃあ、ちょっと動かしてみようか」
「はい。こちらの杭を抜きますね」
フィオナが杭を引き抜き、少し後ろへ移動させる。
僕も反対側の位置を調整した。
……うん。
こっちの方がいいね。
「何だか、本当にお店を造っているみたいですね」
フィオナが縄を見つめながら言った。
「でしょ? まだ何もないんだけどね」
「ですが、こうして形が見えてくると、少し楽しいです」
「だよね!」
僕は思わず笑った。
……ああ。
これ、やっぱり面白いなあ。
地図の上で考えていた場所が、実際に形になっていく。
しかも、フィオナと一緒にあれこれ相談しながら変えていける。
……うん。
こういうの、結構好きかもしれない。
◇
「……あれ?」
ちょうど二つ目の区画を整えていた時だった。
広場の方から、一台の荷車が近づいてきた。
どうやら、商店へ荷物を運ぶ途中らしい。
荷車は僕らのいる空き地の横を通り、近くの細い道へ曲がろうとしていた。
ところが。
「……あ」
荷車が曲がった瞬間、車輪が縄のすぐ近くを通った。
引いていた男性も、杭を避けるように少し大回りしている。
「……カイル様」
「……うん。見た」
僕らは顔を見合わせた。
……なるほどねえ。
思っていたより、荷車って大きく曲がるんだ。
「大丈夫?」
僕が声を掛けると、荷車を引いていた男性が振り返った。
「ああ、殿下。これは何を?」
「ちょっと露店を置く場所を考えてたんだけどさ。やっぱり、こっちまで使う?」
僕は縄の近くを指した。
男性は荷車を停め、少し考える。
「そうですな。荷物を積んでいると、あまり急には曲がれませんから」
「そっか。じゃあ、もう少し空けた方がいいね」
「その方がありがたいです」
「教えてくれてありがとう!」
男性は軽く頭を下げると、荷車を引いていった。
僕は、その後ろ姿を見送った。
……うーん。
さっきまでは、結構いい感じだと思ってたんだけどなあ。
「……少し、狭かったようですね」
フィオナが縄を見つめながら言った。
「そうだね。僕らが歩くだけなら十分なんだけど」
僕は腕を組んだ。
店を置く場所はある。
でも、その前を人が通る。
さらに、荷車も曲がってくる。
……となると。
「フィオナ、こっちの店、もう少し奥にずらしてみない?」
「はい。私も、その方がよいと思います」
二人で再び縄を張り直す。
今度は、荷車が曲がる場所を広めに残した。
ただ、その分だけ露店の区画は少し小さくなってしまった。
「……うーん。二つ並べるには、ちょっと狭いかな?」
「でしたら、こちらは一つだけにして、もう一つは向こう側へ置くのはいかがでしょうか?」
フィオナが指したのは、少し離れた別の空き地だった。
今の場所からは少し離れるけれど、人が通る道に面している。
「……あ、それもいいかも」
僕はそちらへ歩いてみた。
確かに、二つの店を無理に並べるより、それぞれに余裕を持たせた方が使いやすそうだ。
それに、店が一か所に固まりすぎないのも悪くない。
「じゃあ、こっちは一つだけにしてみようか」
「そうですね」
「それで、向こうにも一つ。もし店を増やしたい人がいたら、また別の場所を考えればいいし」
「はい。最初からすべてを決めてしまう必要はないと思います」
「だよね!」
僕は地図へ印を付けた。
……なるほど。
こうして実際に試してみると、色々分かるものだ。
最初から完璧な配置なんて、なかなか考えられない。
でも、歩いてみたり、荷車を通してみたりすれば、問題は見つかる。
だったら、少しずつ直していけばいい。
……うん。
やっぱり、やってみるのが一番だね。
◇
「……おや?」
その時、後ろから声がした。
振り返ると、昼間の露店の女性がこちらを覗き込んでいた。
「あら、殿下。こんなところで何をしてるんです?」
「こんにちは。ちょっと、店を置けそうな場所を考えてたんだ」
「店ですか?」
「うん。新しい道ができたら、この辺も人が増えると思うんだよね。だから、露店を並べられる場所があったら便利かなって」
女性は地面に張られた縄を見つめた。
「なるほどねえ……」
それから、少し考え込む。
「……それ、私も使えるんですか?」
「ん?」
「今は工事の人たちが近くにいるから、あそこで売ってるんですけどね。工事が終わったら、また場所を考えなきゃいけないでしょう?」
「ああ、確かに」
言われてみれば、その通りだ。
今の店は、工事現場の近くに人が集まるから成り立っている。
でも、工事が別の場所へ移れば、職人たちも移動する。
そうなれば、店の前を通る人も減ってしまうかもしれない。
「だったら、新しい道沿いに出せた方がいいかもしれないね」
「そうなんですよ。荷車も人も増えるでしょうし」
女性は嬉しそうに頷いた。
「それに、今の場所は少し狭くてね。昼になるとお客さんが重なって、通る人の邪魔になっちゃうんです」
「なるほどねえ」
……ああ。
そういう事情もあるのか。
「じゃあ、ちょっとこっち見てくれる?」
僕は縄で囲んだ場所へ案内した。
「まだ試しに考えただけなんだけど、ここなら道から少し離れてるし、お客さんが並んでも邪魔になりにくいと思うんだ」
女性は地面を見回した。
広場との距離。
近くの通り。
荷物を運び込めそうな場所。
そして、周囲の建物。
「……悪くないですねえ」
「本当?」
「ええ。広場からも見えますし、道も近いですから」
女性はそう言って、少しだけ首を傾げた。
「ただ、雨の日はどうでしょうね。この辺り、少し水が流れてきませんか?」
「……ああ」
僕は足元を見た。
確かに、地面には細い水の跡が残っている。
大雨の日には、ここへ水が流れてくるのかもしれない。
「そこは、道を整備する時に一緒に考えた方がよさそうだね」
「そうしてもらえると助かります」
女性が笑う。
……うん。
やっぱり、実際に店を開く人に聞いてみてよかった。
僕らだけだと、見落としていたこともある。
「それでさ、もしよかったら、一度ここで店を出してみない?」
「……え?」
「今すぐちゃんとした店を建てるわけじゃないんだけどね。とりあえず移動できる露店で試してみて、使いやすいか確かめてみたいんだ」
女性は少し驚いたようだった。
けれど、すぐに笑顔になる。
「それなら、ぜひ!」
「本当? じゃあ、ここの土地の使い方を確認して、問題なければ試してみようか」
「ありがとうございます!」
「いやいや。こっちも実際に使ってもらった方が分かりやすいし」
僕は笑いながら答えた。
……よし。
せっかく場所を考えたんだし、試してみないとね。
◇
幸い、今回考えた場所は、以前から町の管理地として確保していた空き地だった。
屋敷へ連絡を取り、通行の妨げにならない範囲で一時的に露店を出せることを確認する。
もちろん、正式に商売の場所として使うなら、ほかの住民にも利用の機会を設ける必要がある。
ただ、今回のように短い期間だけ試すのであれば、そこまで大掛かりな準備はいらないらしい。
……よかった。
これで、ようやく試せそうだ。
「じゃあ、実際に置いてみようか!」
僕は女性へ声を掛けた。
昼の商売を終えていた彼女は、木の台を片付けているところだった。
「ええ。お願いします!」
露店の道具は、思っていたよりも少ない。
木の台が一つ。
料理を入れるための籠。
鍋を置くための簡単な台。
あとは、雨除けに使う布などだ。
それらを小さな荷車へ積み込み、新しく考えた場所へ運んでいく。
「カイル様、こちらを持ちますね」
フィオナが木の台を持ち上げた。
「ありがとう。じゃあ、僕はこっちを運ぶよ」
僕も反対側を持つ。
……うん。
思っていたより重くない。
こういう移動式の店なら、場所を変えるのも比較的簡単そうだ。
「……よいしょっと」
二人で台を運び、縄で囲んだ場所へ置く。
女性も荷車から道具を下ろし、店を並べ始めた。
……おお。
何だか、一気に店らしくなってきた。
「フィオナ、ちょっと離れて見てみて」
「はい」
フィオナは数歩後ろへ下がり、露店を眺めた。
「……いいですね。広場からも、お店があることが分かります」
「でしょ?」
「それに、周りにも余裕があります。これなら、お客さんが何人か集まっても大丈夫そうです」
「うんうん」
僕は満足して頷いた。
……いいね。
さっきまでただの空き地だった場所が、もう小さな店になっている。
しかも、実際に誰かが使ってくれる。
……やっぱり、こういうのは楽しいなあ。
「殿下、ちょっと試しに売ってみてもよろしいですか?」
女性が尋ねてきた。
「もちろん! まだ料理は残ってるの?」
「ええ。少しだけですが、パンとスープがありますから」
「いいね。じゃあ、実際にお客さんが来るか見てみようよ」
女性は頷くと、鍋を温め直し始めた。
やがて、湯気と一緒にいい匂いが漂い始める。
……ああ。
さっき食べたばかりなのに、またお腹が空きそう。
「……カイル様」
「ん?」
「少し、嬉しそうですね」
「そりゃ嬉しいよ。だって、さっきまで何にもなかった場所に店ができたんだよ?」
「そうですね」
フィオナも口元を緩めた。
「私も、何だか嬉しいです」
「でしょ?」
僕は笑った。
……うん。
こういうの、やっぱりいいな。
◇
それからしばらくすると、通りを歩いていた男性が足を止めた。
「おや、こんなところに店ができてるのか?」
「ええ! 今日から試しに、こちらでも売ってるんですよ!」
「へえ。じゃあ、パンを一つもらおうかな」
「はいよ!」
女性がパンを包み、男性へ手渡す。
……おお。
早速、一人目のお客さんだ。
男性はパンを受け取ると、嬉しそうに歩いていった。
さらに少しすると、今度は仕事帰りの職人が二人やってきた。
「お、こっちに移ったのか?」
「ええ。殿下たちが場所を考えてくださったんですよ」
「なるほどなあ。こっちの方が広くていいじゃないか」
職人たちは笑いながらパンを買っていった。
……うん。
なかなかいい感じだね。
もちろん、今日だけでこの場所が成功だと決めるわけにはいかない。
人通りは日によって違うだろうし、雨の日にはまた別の問題も出てくる。
それでも、少なくとも今のところは、ちゃんと商売ができている。
しかも、店の前に人が集まっても、通りを歩く人の邪魔にはなっていなかった。
「……よし!」
僕は小さく拳を握った。
すると、フィオナがこちらを見た。
「どうされました?」
「いや、結構いい感じだなって思ってさ」
「そうですね。皆さんも利用しやすそうです」
「うん。これなら、ほかの場所でも試してみたいなあ」
僕は広場の向こうへ視線を向けた。
まだ建物のない土地。
新しく整備している道路。
その先に広がる住宅地。
今は何もない場所でも、使い方を少し考えるだけで、新しい仕事が生まれるかもしれない。
……うん。
面白いなあ。
ただ。
「……まあ、何でもかんでも店を並べればいいってわけじゃないんだろうけどね」
僕がそう呟くと、フィオナが頷いた。
「はい。住む場所や、荷物を運ぶ場所も必要ですから」
「だよね。それに、広場が店だらけになったら歩きにくいし」
「そうですね」
僕らは顔を見合わせ、小さく笑った。
……やっぱり、町づくりって考えることが多い。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、次はどんなことができるんだろうと考えてしまう。
……困ったね。
本当に、造りたいものが尽きそうにない。
◇
夕方になると、中央広場は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
工事現場では、職人たちが道具を片付けている。
石を割る音も、木槌の音も、いつの間にか少なくなっていた。
その代わり、仕事を終えた人たちの話し声が聞こえてくる。
僕とフィオナは、今日考えた露店の場所をもう一度見に行くことにした。
「……おお、まだやってる」
昼間の女性が、店の片付けを始めているところだった。
「あら、殿下! ちょうどよかった!」
「どうしたの?」
「おかげさまで、今日は思っていたより売れましてね!」
「本当?」
「ええ。通りが近いからでしょうか、今まで来なかったお客さんも何人か寄ってくださったんですよ」
「おお、よかったじゃん!」
僕は思わず笑った。
女性も嬉しそうに頷いている。
「明日も、ここで売ってみようと思うんです。もちろん、場所の確認が取れればですけどね」
「うん。何日か試してみて、どんな感じか教えてくれると助かるな」
「もちろんです!」
女性は元気よく答えた。
それから、残っていたパンをいくつか見せてくる。
「そうそう。まだ少し残ってるんですが、お二人もいかがです?」
「……あ」
僕は思わず、パンへ視線を向けた。
朝から町を歩き回っていたせいか、ちょうど小腹が空いていたところだった。
……いや、さっきも食べたんだけどね。
「フィオナ、どうする?」
僕が尋ねると、フィオナは少し考えた。
「……では、一ついただいてもよろしいでしょうか」
「もちろん。僕も買おうと思ってたし」
「ありがとうございます」
フィオナは小さく微笑んだ。
僕らはパンを二つ買い、少し離れた場所にある腰掛けへ向かった。
広場には、まだ何人か住民が残っている。
荷物を運ぶ商人。
仕事を終えて帰っていく職人たち。
露店の片付けをする人々。
そして、今日新しく考えた場所にも、一軒の店がある。
……うん。
朝とは、少し景色が違うね。
「いただきます」
パンを一口かじる。
昼間と同じ、素朴な味。
けれど、こうして夕方の町を眺めながら食べると、また違ったおいしさがある気がした。
「……おいしいね」
「はい。私も、こちらのパンは好きです」
「お、フィオナも?」
「はい。外側は少し硬いですが、中は柔らかくて……」
フィオナはそこまで言って、少しだけ口元を緩めた。
「……それに、焼きたての香りがよいですね」
「分かる。あの匂い、結構ずるいよね」
「ずるい、ですか?」
「だって、お腹空いてなくても食べたくなるじゃん?」
そう言うと、フィオナが小さく笑った。
「……確かに、そうかもしれません」
僕も笑う。
……うん。
こういう時間、いいなあ。
少し前まで、ここには何もなかった。
道路工事が始まって、職人が集まって。
そこに新しい店ができた。
そして今、その店で買ったパンを、僕らが食べている。
……考えてみると、何だか不思議だね。
「……カイル様」
「ん?」
「今日の場所、きっとこれからも色々な方が利用されるのでしょうね」
「そうだね。まだ試してる途中だけど、うまくいったら嬉しいな」
「はい」
フィオナは、店の方へ目を向けた。
「それに、店主の方も楽しそうでした」
「うん。ああいうのを見ると、こっちまで嬉しくなるよね」
僕は残っていたパンを食べ終えた。
夕暮れの広場には、今日も人々の声が響いている。
工事現場では、明日に備えて資材が整えられていた。
その向こうでは、石畳の道が少しずつ伸びている。
そして、今まで何もなかった場所には、小さな露店が一つ。
たったそれだけの変化。
でも、何だか町が少し賑やかになった気がした。
「……さて、そろそろ帰ろうか」
「はい」
フィオナが立ち上がる。
僕も腰を上げ、屋敷へ向かって歩き始めた。
途中、ふと振り返る。
夕日に照らされた広場。
荷車が行き交う道。
店じまいをする商人たち。
そして、今日新しくできた商売の場所。
……うん。
いいね。
僕らが造った道を、誰かが使う。
そこに人が集まり、新しい仕事が生まれる。
そして、その仕事をきっかけに、また町が少し変わっていく。
……なるほど。
町って、こんなふうにも大きくなるんだ。
「カイル様?」
少し先を歩いていたフィオナが振り返った。
「ああ、ごめん。今行くよ」
僕は小走りで追いついた。
「何をご覧になっていたのですか?」
「んー、ちょっとね。今日の店、明日はもっとお客さん来るかなって」
「……どうでしょう。ですが、楽しみですね」
「うん!」
僕は笑って頷いた。
明日も工事は続く。
きっと、今日とはまた少し違う景色になるのだろう。
……さて。
明日は、どんなものが増えているかな。
そんなことを考えながら、僕はフィオナと並んで家路についた。




