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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第二章 辺境に芽吹く
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第四十三話 街道を守るために

 窓から差し込む朝日が、机の上を照らしていた。


 開け放たれた窓からは、鳥の鳴き声と、遠くで働く人々の声が聞こえてくる。


 天気は良好。


 風も穏やかで、絶好の昼寝日和だ。


 ……うん。


 こんな日に仕事なんてしたくないよね。


「カイル様、こちらの書類にも目を通していただけますか?」


「……はい」


 僕は小さくため息を吐きながら、差し出された紙を受け取った。


 商隊の救出から数日。


 肩の痛みもほとんどなくなり、ようやく普段通りに動けるようになった。


 そして、体調が戻ったということは。


 当然、仕事も再開するわけである。


 ……もう少し休んでいてもよかったんじゃないかなあ。


「随分と不満そうなお顔ですね」


 机の向こうで、セバスチャンが静かに言った。


「いや、不満っていうかさ。もうちょっとのんびりしたかったなって」


「十分にお休みになられたかと存じますが」


「休みって、いくらあっても困らないでしょ?」


「仕事は溜まります」


「……知ってる」


 残念ながら、今回は反論できない。


 というのも、机の上に積まれている書類の半分くらいは、僕が自分で確認すると決めたものだからだ。


 ……何であんなこと言っちゃったんだろう。


 いや、必要なのは分かってるんだけどね。


「それで、グレンからの報告は?」


「こちらにございます」


 セバスチャンが、一枚の紙を差し出した。


 そこには、今回の商隊襲撃事件についての報告がまとめられていた。


 商人六名の生存を確認。


 負傷者二名は治療を受け、現在は宿で療養中。


 失われた荷物や荷馬車については、現場の安全が確認できていないため、回収を見合わせている。


 そして、巨大な狼型魔物の所在は不明。


「……やっぱり、まだ見つかってないんだ」


「はい。グレン殿によれば、街道付近での新たな目撃情報はないとのことです」


「そっか。それなら、少しは安心かな」


 ただ、見つかっていないからといって、いなくなったとは限らない。


 あの魔物はかなり弱っていたけれど、森へ戻って傷を癒している可能性もある。


 それに、あれほど大きな魔物が街道近くまで出てきた理由も、まだ分かっていない。


「……セバス」


「はい」


「今日、グレンを呼んでもらえる?」


「すでにお呼びしております」


「……仕事が早いね」


「殿下が今回の件について話し合われることは、昨日伺っておりましたので」


「ああ、そっか」


 そうだった。


 昨日の夕食の時に、そんな話をしたんだっけ。


 ……うん。


 自分から言い出した以上、ちゃんとやらないとね。


     ◇


 しばらくして、執務室にグレンがやってきた。


 部屋には僕とフィオナ、セバスチャンがいる。


 机の上には、街道周辺の簡単な地図が広げられていた。


「それで、グレン。今の街道って、どれくらい警備できてるの?」


「正直に申し上げますと、十分とは言えませんな」


 グレンは地図の上へ指を置いた。


「現在は町の周辺を中心に巡回しておりますが、そこから先まで頻繁に見回る余裕はありません」


「まあ、そうだよね」


「それに、今回のような大型の魔物が現れた場合、通常の団員だけでは対処が難しいでしょう」


 僕は頷いた。


 あの魔物を相手に、普通の自警団員だけで戦うのは危険すぎる。


 グレンほどの経験がある人間でも、簡単に倒せる相手ではなかったはずだ。


「じゃあ、仮にまた同じような魔物が出てきたら?」


「まずは住民や商人を避難させるべきでしょうな。戦闘は可能な限り避け、町へ知らせることを優先すべきかと」


「僕もそう思う」


 あんな相手に、無理して戦ってもらう必要はない。


 そもそも、勝てるかどうかも分からないのだから。


「それなら、街道の警備を増やすより先に、危険を知らせる仕組みを作った方がいいのかな」


「それも必要でしょう。ただ、巡回そのものが不要になるわけではありません」


「うん。もちろん」


 僕は地図を覗き込んだ。


 町から西へ伸びる街道。


 森に近づくにつれて道幅が狭くなり、場所によっては周囲の見通しも悪くなる。


 今回、商隊が襲われたのもその先だ。


「とりあえず、町に近いところだけでも定期的に見回れないかな?」


「可能ではありますが、今の人数では町の警備に影響が出る恐れがあります」


「……やっぱり人手かあ」


 グレンは申し訳なさそうに頭を下げた。


「私としても、もう少し団員がいればと思っております。町の人口も増えつつありますからな」


「いや、グレンが悪いわけじゃないよ。今いる人たちだけで全部やろうとする方が無理だと思うし」


 そう言ってから、僕は椅子の背にもたれた。


 ……うーん。


 警備を増やしたい。


 でも、人が足りない。


 だったら人を増やすしかないわけだけど。


 今の町に、そんな余裕があるのだろうか。


「グレン、新しい団員を募集するとしたら、どれくらい増やしたい?」


「まずは数名でしょうか。町の巡回と街道の警戒を分担できるようにしたいところです」


「なるほど。いきなり大勢増やしても、訓練が大変だもんね」


「その通りです。経験のない者ばかりでは、かえって危険な目に遭わせかねません」


「じゃあ、経験者がいれば優先的に採用して、そうじゃない人は少しずつ育てていく感じかな」


「それがよろしいかと」


 僕は頷いた。


 とりあえず、自警団の増員は必要そうだ。


 ただ、それだけでは今回の問題は解決しない。


「あと、商人さんたちにも、しばらく注意してもらわないとね」


「具体的には、どのように?」


「森に近い区間で魔物が出たことを知らせる。できるだけ日中に通ってもらって、夜間の移動は避けてもらう。それから、可能なら複数の商隊でまとまって移動してもらうとか」


 僕がそう言うと、フィオナが地図へ目を向けた。


「それでしたら、町を出発する商人だけでなく、こちらへ向かってくる方々にも知らせる必要がありますね」


「ああ、確かに。こっちで注意してても、向こうから来る人には分かんないもんね」


「近隣の町や、街道を利用する商人の方々へ情報を伝えていただくのはいかがでしょうか」


「いいね。それなら、商人さんたちにも協力してもらえそう」


 セバスチャンが頷いた。


「町へ定期的に訪れている商人の方々に、事情を説明してみましょう」


「うん、お願い」


 それから、僕はもう一度地図へ視線を戻した。


 危険な場所を知らせる。


 できる範囲で巡回する。


 商人たちにも協力してもらう。


 今すぐできるのは、このくらいだろうか。


 もちろん、根本的な解決にはなっていない。


 でも、何もしないよりはずっといい。


「……よし。まずはこれで進めようか」


「承知しました」


 グレンが頷いた。


 ひとまず、街道の安全対策については方向性が決まった。


 ……さて。


 これで一つ仕事が片付いたかな。


 そう思ったところで、セバスチャンが別の書類を取り出した。


「殿下、もう一点よろしいでしょうか」


「……まだあるの?」


「はい。こちらも、今後の町に関わる問題でございます」


 ……ですよね。


 そう簡単には終わらないよね。


     ◇


「……人手が足りない?」


「はい」


 セバスチャンが差し出した書類には、町の各仕事場から寄せられた要望がまとめられていた。


 僕は一つずつ目を通していく。


 建築関係の仕事場では、住宅や商店の建設依頼が増えている。


 工房では、道具や資材の注文が以前より多くなっている。


 茶の生産や加工に関わる人たちも、作業量が増えたことで新しい働き手を必要としているらしい。


 さらに、宿屋や商店からも同じような話が届いていた。


「……思ったより色々なところで足りてないんだね」


「町の商業が活発になったことで、仕事の量が増えておりますから」


「それ自体はいいことなんだけどなあ」


 僕は書類を机へ置いた。


 少し前までは、この町に仕事が少ないことが問題だった。


 商人が来ない。


 売るものがない。


 働きたくても、働ける場所が限られている。


 だから茶を作り、商売を増やしてきた。


 その結果、今度は働く人が足りなくなったわけだ。


「……何だろう。うまくいったら、別の問題が出てきた感じだね」


「町が成長している証拠でもあります」


 セバスチャンが答える。


「現在の人口で対応できる仕事量には、限界がありますから」


「まあ、そうだよねえ」


 どれだけ仕事が増えても、働く人がいなければ意味がない。


 それに、今いる人たちへ無理をさせ続けるのもよくない。


 ……というか。


 これって、放っておいたらかなり面倒なことになるんじゃない?


 家を建てたくても大工が足りない。


 商品を作りたくても職人が足りない。


 警備を増やしたくても団員が足りない。


 そうなれば、町の発展そのものが止まってしまう。


 しかも、忙しい仕事場ほど人が辞めて、さらに人手が足りなくなる可能性だってある。


 ……うわあ。


 想像しただけで嫌だなあ。


「……セバス」


「はい」


「これ、町の中だけで何とかするのは難しいよね?」


「そうでしょうな。新たに働ける年齢になる者を待つにしても、時間が掛かります」


「だよね。だったら、外から人を呼んだ方が早いんじゃない?」


 セバスチャンが、少しだけ目を細めた。


「移住者を募集する、ということでしょうか」


「うん。仕事を探してる人って、他の町や村にもいるでしょ? だったら、そういう人たちに来てもらえればいいかなって」


 もちろん、そんなに簡単な話ではないと思う。


 住み慣れた土地を離れるのは、大きな決断だ。


 ましてや、ここは帝国の辺境。


 少し前まで寂れていた町に、わざわざ移り住もうと思う人がどれほどいるのか。


 ……でも。


「少なくとも、今の町には仕事があるんだよね」


「はい。働き手を必要としている場所は、複数ございます」


「だったら、それをちゃんと伝えればいいと思うんだ」


 僕は机に並んだ書類を指した。


「建築の仕事もあるし、農業もある。工房だって人を探してるし、商店や宿屋でも働ける。こういう情報って、外の人たちは知らないんじゃない?」


「おそらく、ほとんど知られていないでしょう」


「じゃあ、まずは知らせてみようよ」


 そう言うと、フィオナが顔を上げた。


「よい考えだと思います。町へ来る理由があれば、移住を考える方も増えるかもしれません」


「でしょ? 茶の商売だって、知られてから少しずつ広がったわけだしね」


 僕は頷いた。


 何も、最初から大勢を集める必要はない。


 一人でも二人でも、新しく働いてくれる人が増えれば、それだけ町に余裕が生まれる。


 そして、仕事が増えれば、さらに人を呼べるようになるかもしれない。


「……うん。悪くない気がしてきた」


 僕がそう呟くと、セバスチャンが書類を整えながら口を開いた。


「でしたら、まずは各仕事場に必要な人員と、募集条件を確認いたしましょう」


「そうだね。何人必要なのかも分からないまま募集しても困るし」


「そのうえで、近隣の町や村へ知らせを出すのがよろしいかと」


「うん。商人さんたちにも協力してもらえそうだね」


 そこまで話したところで、僕は少しだけ考えた。


 ……あれ?


 人が増えるのはいいけど。


「……そういえば、住む場所はどうするの?」


 セバスチャンが、静かにこちらを見る。


「それも、今後考える必要がございますな」


「……だよねえ」


 また一つ、仕事が増えた。


     ◇


「カイル様、一つよろしいでしょうか」


 フィオナが口を開いたのは、移住者の募集方法について話し合っていた時だった。


「どうしたの?」


「募集する際には、働く場所についても、もう少し詳しく案内した方がよいと思います」


「詳しく?」


「はい。例えば、同じ工房で働くにしても、経験のある方と、初めて仕事を覚える方とでは、希望する条件が違うはずです」


「ああ、なるほどね」


 僕は頷いた。


 確かに、働き手が欲しいからといって、誰でもいいわけではない。


 大工の仕事ができる人を探しているところへ、全く経験のない人が来ても、すぐには働けないだろう。


 もちろん、見習いとして育ててもらうことはできるかもしれない。


 でも、それなら最初から、見習いを受け入れられる仕事場を探した方がいい。


「それに、移住を希望する方にも、それぞれ事情があると思います」


「うん。家族がいる人もいるだろうしね」


「ええ。住居のこともありますし、今までと同じ仕事を続けたい方もいれば、新しい仕事を覚えたい方もいるでしょう」


 フィオナは少し考えてから、言葉を続けた。


「ですから、町へ来た方の希望を聞いて、条件の合う仕事場を紹介できるようにしておくのはいかがでしょうか」


「……それ、いいね」


 僕は思わず身を乗り出した。


 ただ人を呼ぶだけでは、どこに誰を配置すればいいのか分からなくなる。


 でも、最初から仕事の希望を聞いておけば、必要としている場所へ紹介しやすい。


 仕事場の方も、どんな人が来るのか分かった方が安心だろう。


「例えば、農業をやりたい人なら畑の仕事を紹介して、職人さんなら工房を紹介する。経験がなくても、見習いを募集してるところがあれば、そこで働けるかもしれないしね」


「はい。ご本人と雇う側の方が、納得して決められるようにできればと思います」


「うん、それが一番だよね」


 僕はセバスチャンへ顔を向けた。


「そういうのって、できそう?」


「最初は小規模なものになるでしょうが、十分に可能かと存じます」


「じゃあ、お願いしてもいいかな。まずは各仕事場から、どんな人を募集してるのか聞いてみよう」


「承知しました」


 話がまとまったところで、フィオナがもう一度書類へ視線を落とした。


「それと、住居についてですが……」


「……うん」


「仕事が見つかったとしても、すぐに住む場所を用意できるとは限りませんよね」


「そこなんだよねえ」


 宿屋ならある。


 でも、移住者がいつまでも宿屋で暮らすわけにはいかない。


 家族で来る人もいるだろうし、そもそも部屋が足りなくなるかもしれない。


「最初は空いてる家とか、宿屋を利用してもらうしかないかな」


「ただ、それも人数が増えれば難しくなると思います」


「うん。だから、家も増やさないとね」


 ……ああ。


 結局、そこに戻ってくるのか。


 人を呼びたい。


 でも、家を建てる人が足りない。


 だから人を呼ぶ。


 ……何だか、ぐるぐる回ってる気がする。


「……これ、最初のうちは少しずつ進めるしかなさそうだね」


「そうですね。受け入れられる人数を確認しながら進めるのがよいと思います」


「うん。無理して一気に増やしても、後で困るだけだし」


 僕は頷いた。


 急いで人を増やした結果、住む場所も仕事も足りなくなるなんてことになったら、それこそ本末転倒だ。


 ……よし。


 最初から大きくやろうとするのはやめよう。


 少しずつ人を集めながら、町の方も整えていく。


 その方が、きっと長く続く。


     ◇


「ただし、殿下」


 ここまで黙って話を聞いていたグレンが、口を開いた。


「人口が増えるのであれば、治安についても考えておく必要がありますな」


「……治安?」


「はい。今後、町を訪れる人間も、住む人間も増えていくでしょう。そうなれば、今までになかった問題が起きることも考えられます」


 なるほど。


 確かに、人が増えれば、その分だけ色々なことが起きる。


 商売上の揉め事。


 金銭の貸し借り。


 盗難や暴力。


 今の町でも絶対に起きないわけではないけれど、人口が増えれば対応する機会も増えるだろう。


「それも自警団の仕事になるんだよね?」


「そうなります。もっとも、我々だけで解決できない問題も出てくるでしょうが」


「……やっぱり、人手が必要かあ」


 僕は小さく息を吐いた。


 街道を守るためにも人が必要。


 町の治安を守るためにも人が必要。


 ……もう、本当に人が足りないんだね。


「ただ、移住してきた人を最初から疑うようなことはしたくないかな」


 僕がそう言うと、グレンが頷いた。


「もちろんです。新しく来た者というだけで、危険だと決めつけるつもりはありません」


「うん。でも、犯罪が起きたらちゃんと対応する。そこは徹底したいね」


「承知しております」


「昔から住んでる人でも、新しく来た人でも、そこは同じでいいと思うんだ」


 町に住む以上、守るべき決まりはある。


 でも、その決まりが人によって変わるのはおかしい。


 新しく来た人だから厳しくするのも違うし、昔からいる人だから見逃すのも違う。


 少なくとも、僕はそんな町にはしたくなかった。


「何かあった時に、ちゃんと話を聞いて、事実を確認できるようにしておきたいね」


「ええ。巡回だけでなく、住民からの相談を受けることも必要になるでしょう」


「その辺りも、団員さんを増やしながら考えていこうか」


 グレンが頷く。


 それから、少しだけ表情を引き締めた。


「新たな団員を迎える際には、私の方で訓練を担当いたしましょう。腕だけでなく、住民への接し方についても教えるつもりです」


「うん、お願い。強ければ何をしてもいいってわけじゃないからね」


「心得ております」


 その返事を聞いて、僕は安心した。


 グレンなら、きっと上手くやってくれるだろう。


 何より、僕が全部教えなくて済む。


 ……いや、本当にありがたい話である。


「それでは、殿下」


 セバスチャンが、机の上の書類をまとめた。


「移住希望者の募集については、こちらで準備を進めます。自警団の増員はグレン殿と相談し、募集条件を整えることにいたしましょう」


「うん、よろしく」


「街道の危険情報につきましても、本日中に町の商人たちへ伝えるよう手配いたします」


「ありがとう。助かるよ」


 僕は椅子から立ち上がった。


 ……さて。


 ひとまず、今日決めたかったことは全部決まったかな。


 こうしてみると、思ったより話が進んだ気がする。


 まだ何も完成していないけれど、少なくとも何をするべきかは見えてきた。


「……よし。じゃあ、次は町の様子を見に行こうか」


 そう言うと、フィオナが少しだけ目を丸くした。


「カイル様、まだお仕事をなさるのですか?」


「……そんなに意外?」


「いえ。もうお休みになるのかと思っていましたので」


「僕もそのつもりだったんだけどね。でも、せっかくだし、少し見ておこうかなって」


 フィオナの口元が、わずかに緩んだ。


「では、ご一緒します」


「うん、お願い」


 僕らはセバスチャンたちに後を任せ、屋敷を出た。


     ◇


 午後の町は、思っていた以上に賑やかだった。


 中央広場にはいくつもの店が並び、野菜や干し肉、布などが売られている。


 以前よりも商品が増えたせいか、店先で足を止める人の姿も多い。


 少し離れたところでは、商人らしい男性が住民と何かを話していた。


 近くに置かれた木箱には、茶葉が詰められているようだった。


「……本当に、商人さんが増えたね」


「はい。最近は以前より頻繁に見かけるようになりました」


「最初は、こんなに来てくれると思ってなかったんだけどなあ」


 僕は広場を見回した。


 茶の生産が始まる前は、ここに来る商人も限られていた。


 それが今では、茶を買い付けに来る人がいる。


 町で作られたものを買い、代わりに別の土地の商品を運んできてくれる。


 そのおかげで、市場に並ぶものも少しずつ増えていた。


 ……うん。


 こういう変化を見るのは、結構楽しい。


「おや、殿下!」


 声を掛けられ、振り返る。


 広場の端に店を構えている男性だった。


「こんにちは。今日は何かいいものある?」


「ええ、もちろん! ……と言いたいところですが、今日はちょっと品薄でしてね」


「品薄?」


「最近、買っていく人が増えたんですよ。ありがたいことなんですが、仕入れが追いつかないこともありまして」


「へえ、そんなに?」


「ええ。以前は何日も残っていたものが、今じゃ昼過ぎには売り切れることもあります」


 男性は嬉しそうに笑った。


 ただ、その表情には少しだけ困ったような色も混じっていた。


「店を手伝ってくれる者がもう一人いれば、もう少し何とかなるんですがねえ」


「……ああ、ここでも人手不足なんだ」


「ここでも?」


「いや、ちょうどそういう話をしてたんだよ」


 僕は、先ほど屋敷で決めたことを簡単に説明した。


 今後、町で働きたい人を積極的に募集すること。


 仕事場からも、必要な人数や条件を聞いていくこと。


 そして、希望に合った仕事を紹介できるようにしたいこと。


 男性は驚いたように目を見開いた。


「そりゃありがたい話ですな。うちみたいな小さな店でも、お願いできるんですか?」


「もちろん。どんな仕事を手伝ってほしいのか、セバスたちに伝えてもらえればいいよ」


「ありがとうございます!」


 男性は深く頭を下げた。


 僕は軽く手を振り、店を後にする。


「……思ったより需要ありそうだね」


「そうですね。大きな仕事場だけでなく、個人で商売をされている方々も、人を必要としているようです」


「うん。そういうところも忘れないようにしないと」


 それからしばらく、僕らは町の中を歩いて回った。


 建築途中の家。


 新しく看板が掛けられた商店。


 以前は使われていなかった建物を修繕し、仕事場として利用している場所もあった。


 少し前まで閑散としていた通りに、今では人の声が響いている。


 ……本当に変わったなあ。


 そう思いながら歩いていると、通りの先で人の流れが少し滞っていた。


「……ん?」


 近づいてみると、荷車を引く男性が、向かいから来た別の荷車とすれ違おうとしているところだった。


 ただ、道幅が少し足りない。


 片方が端へ寄ろうにも、そこには排水用の溝がある。


 結局、後から来た荷車が少し引き返し、道幅の広い場所で先に通してもらうことになった。


「……ああ、なるほど」


 僕は、その様子を見ながら呟いた。


「どうかされましたか?」


「いや、あの道って前からあんなに狭かったっけ?」


「道幅は変わっていないと思います」


「だよね。でも、前はあんなに困ってなかった気がするんだよなあ」


 フィオナが通りへ視線を向けた。


「荷車が増えたからではないでしょうか」


「……ああ、そっか」


 言われてみれば、その通りだった。


 道自体は、以前とほとんど変わっていない。


 排水溝を作り、傷んだ場所を補修したことで、昔よりは歩きやすくなっている。


 でも、だからといって道幅が広くなったわけではない。


 通る荷車が少なかった頃は、それでも問題なかった。


 それが今では、商人も住民も増えている。


 当然、荷物を運ぶ機会だって多くなる。


 ……なるほどねえ。


「今までは、通れるようになれば十分だったんだけど……」


 僕は通りの先へ目を向けた。


 広場へ続く道。


 その脇に並ぶ家々。


 店先へ積まれた木箱。


 行き交う人々。


 よく見れば、道の端にはまだぬかるみやすそうな場所も残っている。


 先ほどのように、荷車同士がすれ違うだけでも苦労する区間がある。


 もし、今後もっと商人が増えたら。


 移住者がやってきて、さらに家や店が建ったら。


 ……うん。


 今のままじゃ、さすがに厳しいかもしれない。


「フィオナ」


「はい」


「そういえば、前に道を直した時って、通れるようにすることばっかり考えてたよね」


「そうですね。当時は、雨が降った後に荷車が動けなくなることもありましたから」


「うん。あの頃はそれでよかったんだけど、今はちょっと違うのかも」


 僕は広場へ振り返った。


 商人たちの呼び込み。


 荷物を運ぶ男たちの声。


 店先で立ち話をする住民たち。


 以前より、ずっと賑やかになった町。


 でも、その賑わいを支える道は、昔のままだ。


「……これから人を増やすなら、町の道もちゃんと考えた方がよさそうだね」


 フィオナが頷いた。


「私もそう思います。建物がさらに増えてからでは、道幅を広げることも難しくなるかもしれません」


「……ああ、それもあるのか」


 確かに。


 今なら、まだ空いている土地がある。


 でも、家や店が建ち並んでしまったら、後から道を広げようとしても簡単にはいかない。


 ……それ、かなり面倒じゃない?


 せっかく新しい家を建てたのに、道を広げるために壊さなきゃいけないなんてことになったら。


 住んでいる人も困るし、僕だって困る。


 ……いや、絶対に嫌だなあ。


「……よし。だったら、今のうちに考えておこうか」


「町の道路について、ですか?」


「うん。まずは、どこをどう直したらいいのか調べてみたいんだよね」


 もちろん、いきなり町中の道を造り直すつもりはない。


 そんなことをしたら、人手も資材もいくらあっても足りないだろう。


 でも、これからの町の形を考えるくらいなら、今からでもできるはずだ。


「それに、せっかく人を呼ぶんだからさ。住みやすい町にしておきたいじゃん?」


「はい。私も、その方がよいと思います」


 フィオナは、もう一度通りを見渡した。


「でしたら、現在の道の状態だけでなく、どこに人が集まっているのかも確認しておくとよいかもしれません」


「……人が集まってる場所?」


「はい。市場や工房、それから宿屋などです。荷物を運ぶ道と、普段の生活で使う道では、必要な広さも違うと思いますので」


「なるほど。それは確かにそうだね」


 僕は頷いた。


 同じ道でも、使い方は場所によって違う。


 人が歩くだけの道もあれば、荷車が頻繁に通る道もある。


 そこを考えずに、全部同じように整備しても仕方がない。


「……じゃあ、明日あたり町を一通り見て回ろうか」


「私もご一緒します」


「うん、お願い。せっかくだし、バルトたちにも相談してみたいな」


「そうですね。実際に工事をされる方々の意見も必要でしょうから」


「だよね。僕、道の造り方なんて詳しくないし」


 ……いや。


 正直、何となくなら想像できるけど。


 石を敷けば歩きやすくなる。


 水が溜まらないようにすれば、雨の日も困らない。


 でも、それだけで長く使える道になるとは限らない。


 ちゃんと造るなら、専門の人に聞いた方がいいだろう。


「……なんか、また仕事増えちゃったね」


 僕がそう言うと、フィオナが少しだけ笑った。


「ですが、今回はカイル様から始めようとされたことです」


「……そうなんだよねえ」


 自分でも、少し不思議だった。


 今までなら、誰かに言われてから考えていたかもしれない。


 でも、今回は違う。


 放っておけば、きっと後からもっと困る。


 それが分かっているから、今のうちに何とかしておきたい。


 ……まあ。


 結局、将来楽をしたいだけなんだけどね。


 僕は、もう一度町を見渡した。


 まだまだ整っていない道。


 新しく建てられた家。


 働く人々の姿。


 そして、広場を行き交う商人たち。


 少し前までは、こんな景色を想像することすら難しかった。


 それが今では、当たり前のように広がっている。


 ……だったら。


 もう少し先の景色も、考えてみてもいいのかもしれない。


「……さて、そろそろ帰ろうか」


「はい。今日はもうお休みになりますか?」


「うん。さすがに今日はね。明日も歩き回ることになりそうだし」


「では、今夜はゆっくりお休みください」


「そうさせてもらうよ」


 僕らは並んで歩き始めた。


 夕方の町には、まだ人々の声が響いている。


 荷車が石の敷かれた道を通り、広場では店じまいの準備が始まっていた。


 以前より確実に賑やかになった町。


 けれど、ここはまだ発展の途中だ。


 これから新しい人がやってきて、新しい仕事が増えて。


 きっと、今よりもずっと大きな町になっていくのだろう。


 ……そうなったら。


 僕がいちいち全部の仕事をしなくても、町がちゃんと回るようになってくれると嬉しいんだけどなあ。


 いや、むしろ。


 そのために、今から準備しておくべきなんだろうね。


「……よし」


 僕は、小さく頷いた。


 まずは、道から。


 人が安心して歩けて、荷物を運べて、暮らしていける。


 そんな町を、少しずつ造っていこう。


 ……もちろん。


 できるだけ、僕がのんびりできるようにね。

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