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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第二章 辺境に芽吹く
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第三十八話 畑の工夫

 最近、町を歩いていると、以前とは違う景色を見ることが増えた。


 町の入口に近い通りには、新しい宿屋ができた。


 その周辺では、馬を預かる場所や倉庫の整備も進んでいる。


 市場では、見慣れない商人たちが商品を眺めていることも珍しくなくなった。


 ……うん。


 順調だね。


 僕としては、実に喜ばしいことだ。


 特に、町の人たちが自分で新しい商売を始めてくれるようになったのは嬉しい。


 だって、僕が全部考えなくても町が発展していくんだよ?


 ……素晴らしいじゃないか。


「……カイル様」


「ん?」


「何だか、嬉しそうですね」


 隣を歩いていたフィオナが、こちらを見た。


「うん。最近、町がいい感じに発展してるなって」


「そうですね。新しい宿屋も、順調にお客様がいらしているようです」


「へえ、そうなんだ」


「はい。昨日も、何人かの商人の方が利用されていたそうですよ」


「おお、それはよかった!」


 僕は笑った。


 せっかく始めた商売なのだから、うまくいってほしい。


 もちろん、これから色々と大変なこともあるだろう。


 でも、少なくとも最初の一歩は踏み出せたわけだ。


「……いやあ、この調子で僕の仕事も減ってくれないかなあ」


「……それは、どうでしょうか」


「え?」


「町が大きくなれば、確認しなければならないことも増えると思いますので」


「…………」


 ……確かに。


 いや、でも。


 人が増えれば、仕事を任せられる人も増えるわけだし。


 ……うん。


 まだ希望はある。


「まあ、その辺りは今後に期待ということで」


「そうですね」


 フィオナが、少しだけ口元を緩めた。


 そんな話をしながら屋敷へ戻ると、ちょうどセバスチャンが玄関の前に立っていた。


「お帰りなさいませ、殿下」


「ただいま。何かあった?」


「はい。先ほど、マルク殿がお見えになりまして」


「マルクが?」


 珍しいな。


 普段、農地のことはマルクたちに任せている。


 もちろん、必要な時には相談に来てくれるけれど、最近は大きな問題も起きていなかったはずだ。


「何か困ったことでもあったのかな?」


「どうやら、畑のことでご相談があるようです」


「畑のこと?」


「はい。最近、食堂や宿屋との取引で、少々困っていることがあるそうでして」


 ……ほう。


 それは、ちょっと気になるね。


「じゃあ、話を聞いてみようか」


「はい」


 フィオナも頷いた。


 どうやら、今日も新しい話が始まりそうだった。


     ◇


「殿下、フィオナさん。お忙しいところ申し訳ありません」


 応接室へ入ると、マルクが立ち上がった。


「ううん。大丈夫だよ」


 僕は椅子を勧める。


「それで、畑のことで困ってるんだって?」


「はい。実は、最近少し悩んでいることがありまして……」


 マルクは持ってきた帳面を机の上に置いた。


 そこには、作物の名前や収穫量などが細かく書き込まれている。


「……おお、結構ちゃんと記録してるんだね」


「ええ。以前、茶畑のことで色々と調べた時から、ほかの畑でも記録をつけるようにしているんです」


「へえ。それはいいね」


 僕が感心していると、マルクは少し照れくさそうに笑った。


「ありがとうございます。それで、こちらを見ていただきたいのですが」


 マルクが、帳面の一部を指差す。


「これは、最近の野菜の収穫量です」


「うん」


「こちらの日は、かなり多く採れています」


「……おお、本当だ」


「ですが、その数日後には、ほとんど収穫できていないんです」


 言われた部分を見る。


 確かに、同じ野菜なのに収穫量が大きく違っていた。


「……あれ? 何かあったの?」


「いえ。病気が広がったわけでも、畑が荒れたわけでもありません」


「……じゃあ、どうして?」


「単純な話なんですが、同じ頃に種をまいているからです」


 ……ん?


 僕は首を傾げた。


「同じ頃に種をまくと、駄目なの?」


「駄目というわけではありません。ただ、同じ頃に育った作物は、収穫できる時期も重なりやすいんです」


「……ああ、なるほど!」


 言われてみれば、当たり前の話だった。


 同じ日に種をまけば、同じ頃に芽が出る。


 同じように育てば、収穫する時期も近くなるだろう。


「今までは、それでよかったんです」


 マルクが続ける。


「収穫の時期になれば、まとめて採って市場へ運ぶ。保存できるものは蓄えて、そうでないものは早めに売る。それで何とかなっていました」


「うん」


「ですが、最近は少し事情が変わってきまして……」


 マルクは、帳面の別のページを開いた。


 そこには、食堂や宿屋からの注文が記されていた。


「新しい宿屋ができたこともあって、野菜を買ってくださる方が増えたんです」


「おお、それはいいことだね」


「ええ。ありがたいことです。ただ……」


 マルクは、少し困ったように笑った。


「皆さん、できれば毎日ある程度の量が欲しいと仰るんですよ」


「……毎日?」


「はい。食堂や宿屋では、毎日食事を出しますから」


「……ああ!」


 なるほど。


 そういうことか。


 収穫した野菜を一度に売るだけなら、今までの方法で問題なかった。


 でも、毎日食事を作る店にとっては、特定の日だけ大量に届いても困るのだろう。


「それで、どうしようか考えていたんですが……」


 マルクが腕を組んだ。


「畑を増やすことも考えました。ただ、それだけでは収穫の時期が重なる問題は解決しませんし、保存にも限界があります」


「……確かに」


「それに、今ある畑も十分に使えているとは言い切れませんからね」


 マルクは小さく息を吐いた。


「何か良い方法はないかと思いまして……」


 ……なるほどねえ。


 僕は、帳面をもう一度見た。


 収穫量そのものが極端に少ないわけではない。


 ただ、採れる時期が偏っている。


 それが、今の町の商売と合わなくなってきているらしい。


「……うーん」


 僕は腕を組んだ。


「これ、結構難しいね」


「ええ。農家の間でも話してみたんですが、なかなか良い方法が見つからなくて」


 マルクは苦笑した。


「作物によっては保存もできますが、葉物の野菜などは、やはり新鮮なうちに食べていただきたいですからね」


「だよねえ……」


 ……どうしたものかな。


 僕が考え込んでいると、隣から声が聞こえた。


「……マルクさん」


「はい?」


 フィオナが、帳面を見つめながら口を開いた。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「もちろんです。何でしょう?」


「収穫する時期を、ずらすことはできないのでしょうか?」


「……収穫する時期、ですか?」


 マルクが首を傾げる。


 僕も、思わずフィオナを見た。


「どういうこと?」


「はい。森では、同じ種類の植物でも、育つ時期が少しずつ違うことがあるんです」


「……へえ」


「日当たりや水の状態によって、成長する速さが変わることもありますし、芽を出す時期が違えば、育ち方にも差が生まれます」


 フィオナは、少し考えるように言葉を続けた。


「ですから……最初から、育ち始める時期を変えることはできないのでしょうか?」


「……育ち始める時期?」


「はい」


 フィオナが頷く。


「例えば、種をまく日を少しずつ変えてみるのはいかがでしょうか?」


「……種をまく日を?」


「はい。そうすれば、すべての作物が同じ時期に育つのではなく、順番に収穫できるかもしれません」


「…………」


 マルクが、帳面へ視線を落とした。


 しばらく何も言わず、収穫量の記録を見つめる。


 それから、ゆっくりと顔を上げた。


「……なるほど」


 もう一度、帳面を見る。


「……ああ、なるほど!」


 今度は、少し声が大きくなった。


「そういうことですか!」


「……え?」


 僕は思わず声を漏らした。


 マルクは、少し興奮した様子で帳面を開き直した。


「確かに、種をまく時期を変えれば、収穫の時期も変わるはずです!」


「……できそう?」


 僕が尋ねると、マルクが頷いた。


「作物によりますが、試す価値はあると思います」


 そう言って、帳面の余白に簡単な図を描き始める。


「例えば、一つの畑をいくつかに分けて……」


「うん」


「最初の区画に種をまいて、その数日後に次の区画へまくんです」


「……おお」


「さらに、その次も少し間を空けます」


 マルクは、区画ごとに違う印をつけていく。


「そうすれば、育つ時期がずれるので、収穫する時期も分けられるかもしれません」


「……なるほど!」


 僕も、ようやく理解した。


 一度に全部育てるのではなく、少しずつ順番に育てていく。


 そうすれば、同じ畑でも長い期間収穫できるというわけだ。


「……いいね、それ!」


 僕が言うと、マルクは嬉しそうに笑った。


「ええ。ただ、気をつけなければならないこともあります」


「……気をつけること?」


「はい。種をまく時期を遅らせすぎると、季節が変わって育ちにくくなる作物もありますから」


「ああ、そっか」


「それに、何度も種をまいたり収穫したりすることになるので、作業の手間も増えるでしょうね」


 ……なるほど。


 やっぱり、何でも簡単にいくわけじゃないらしい。


 すると、フィオナが口を開いた。


「それでしたら、まずは育つまでの期間が短い作物で試してみるのはいかがでしょうか?」


「ええ。そうですね」


 マルクが頷く。


「葉物の野菜なら、比較的試しやすいと思います」


「……なるほどねえ」


 僕は、二人の話を聞きながら頷いた。


 フィオナが新しい考え方を示して、マルクが実際にできそうな方法を考えている。


 ……うん。


 いい感じだ。


「じゃあさ、最初は小さい畑だけで試してみたら?」


 僕が言うと、マルクがこちらを見る。


「小さい畑、ですか?」


「うん。最初から全部変えちゃうと、うまくいかなかった時に困るでしょ?」


「……確かに」


「だから、今までの畑はそのままにして、一部だけ新しい方法を試してみるのはどうかな」


 マルクは、少し考えてから頷いた。


「……それがよさそうですね」


「うん。うまくいったら、少しずつ広げればいいし」


「ええ!」


 マルクが、嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます。少し、考えがまとまってきました!」


「それならよかった!」


 僕も笑った。


 ……なるほどなあ。


 こうして話しているだけでも、新しい方法が見つかることがあるんだね。


「じゃあ、ちょっと畑を見に行こうか」


「……え?」


「実際に試す場所を見てみたいんだよね」


 僕は立ち上がった。


「フィオナも一緒に行こうよ」


「はい。私も拝見したいです」


 フィオナが頷く。


 マルクも嬉しそうに立ち上がった。


「ありがとうございます、殿下!」


「ううん。僕も気になるからね」


 こうして、僕らは町の農地へ向かうことになった。


     ◇


 町の外れに広がる畑は、今日も穏やかな日差しを浴びていた。


 茶畑のある斜面とは違い、こちらには野菜や穀物を育てる畑が広がっている。


 背の低い作物が整然と並ぶ場所もあれば、風に揺れる穀物の穂が見える場所もあった。


 畑の間には細い道が続き、農作業をしている人たちが行き来している。


「……いい景色だね」


 僕が呟くと、マルクが頷いた。


「ええ。この辺りは、昔から町の食べ物を支えてきた場所ですから」


「そっか」


 考えてみれば、茶畑を作る前から、ここには農家の人たちがいた。


 食べ物を育てて、町へ運んで。


 そうして、ずっと暮らしを支えてきたのだ。


 最近は茶のことばかり考えていたけれど、こちらも大切な仕事だよね。


「それで、試してみたい場所はどこ?」


「こちらです」


 マルクが案内してくれたのは、比較的小さな畑だった。


 そこには、何本かの畝が並んでいる。


 まだ何も植えられていない場所もあれば、若い葉が育っている場所もあった。


「ここなら、ちょうど空いている区画がありますから」


「へえ。いいね」


「はい。何か試す時にも使っている場所なんです」


 僕は畑を眺めた。


 確かに、大きな畑全部で試すより、これくらいの方が様子を見やすそうだ。


「ただ……」


 マルクが、少し困ったように笑う。


「ほかの農家にも話してみないといけませんね」


「……どうして?」


「今までと違うやり方ですから。心配する人もいると思います」


 そう言ったところで、近くにいた年配の男性がこちらへ歩いてきた。


「おや、殿下じゃありませんか」


「こんにちは!」


「こんなところまで、どうされたんです?」


「マルクと、新しい育て方を試してみようって話してたんだ」


「……新しい育て方?」


 男性は、少し不思議そうな顔をした。


 マルクが、先ほど決めたことを説明する。


 すると、男性は腕を組んだ。


「……なるほどな。種をまく日をずらすのか」


「ええ。少しずつ収穫できれば、食堂や宿屋へ届けやすくなると思いまして」


「うーん……」


 男性は、少し考え込んだ。


「考え方は分かるが、手間が増えるぞ?」


「……手間?」


 僕が尋ねると、男性が頷いた。


「今までは、種をまく時にまとめてまいて、収穫する時もまとめて採っていました」


「うん」


「でも、少しずつ時期をずらしたら、何度も種をまかなきゃいけないでしょう?」


「……ああ、確かに」


「収穫だって同じです。何度も畑を見て、育ち具合を確かめて、少しずつ採らなきゃならない」


 なるほど。


 確かに、作業の回数は増えそうだ。


「それに、遅くまいたものがちゃんと育つとは限りませんからな」


「……そっか」


 僕は頷いた。


 それも、もっともな話だった。


 新しいやり方を試すのはいいけれど、失敗すれば農家の人たちが困ってしまう。


 すると、マルクが口を開いた。


「ええ。ですから、最初から全部を変えるつもりはありません」


「……ほう?」


「今まで通りの方法で育てる畑は残します。そのうえで、一部だけ試してみたいんです」


 マルクは、畑の端にある小さな区画を指差した。


「うまくいけば、次から少しずつ増やせばいいですし、駄目なら元に戻せますから」


 男性は、少し考え込んだ。


「……なるほどな」


「それに、今のままでは毎日欲しいという注文に応えられないこともあります」


 マルクが続ける。


「せっかく町に新しいお店ができているんです。できるだけ、安定して野菜を届けられるようにしたいんですよ」


 その言葉に、男性はしばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと頷く。


「……まあ、試すだけなら悪くないかもしれんな」


「ありがとうございます!」


「ただし、駄目そうだったら無理はするなよ」


「もちろんです」


 マルクが笑った。


 ……うん。


 いいね。


 新しい方法を試したい人。


 それを心配する人。


 どちらにも、ちゃんと理由がある。


 大切なのは、どちらかが間違っていると決めつけないことなのかもしれない。


「……じゃあ、まずは試してみようか」


 僕が言うと、マルクが頷いた。


「はい!」


 こうして、小さな実験が始まることになった。


     ◇


「……さて」


 僕は、畑の端に置かれていた道具を手に取った。


 木製の柄がついた、土をならすための道具だ。


「何か手伝えることある?」


「……殿下が、ですか?」


 マルクが少し驚いたような顔をした。


「うん。せっかく来たんだし」


「いえ、そんな。殿下に畑仕事をしていただくわけには……」


「別にいいよ。ちょっとくらいなら」


 僕は笑った。


「それに、どんなことするのか気になるしね」


 すると、マルクは少し考えてから頷いた。


「……それでしたら、こちらの畝を整えるのを手伝っていただけますか?」


「うん。任せて!」


 僕は道具を持ち直した。


 ……よし。


 こう見えて、力仕事ができないわけじゃないんだからね。


 皇子だからって、ずっと机に向かっているわけでもないし。


 ……まあ、できれば座っていたいけど。


「まずは、こちらの土を少し寄せてください」


「こう?」


「ええ。もう少しだけ高くしていただけると」


「なるほど」


 言われた通りに土を寄せる。


 最初は少しぎこちなかったけれど、何度か繰り返すうちに、何となく要領が分かってきた。


 畝の形が少しずつ整っていく。


「……おお、できてきた!」


「ええ。いい感じですよ、殿下」


「本当?」


「はい。ただ、あまり高くしすぎないようにしてくださいね」


「……あ」


 見ると、一か所だけ少し盛り上がっていた。


 ……やりすぎた。


「……これ、ちょっと戻した方がいい?」


「そうですね。少しだけならしていただければ」


「了解」


 僕は苦笑しながら、土を戻した。


 すると、隣から小さな声が聞こえてきた。


「……カイル様」


「ん?」


 フィオナが、こちらを見ていた。


「楽しそうですね」


「うん。結構面白いよ」


「そうですか」


 彼女は、少しだけ口元を緩めた。


「私も、少し手伝ってみてもよろしいでしょうか?」


「もちろん!」


 僕が答えるより早く、マルクが頷いた。


「それでしたら、フィオナさんはこちらをお願いできますか?」


「はい」


 フィオナは、マルクから渡された道具を手に取った。


 そして、僕の隣で畝を整え始める。


 ……おお。


 何だか、結構手際がいい。


「……フィオナ、慣れてる?」


「いえ。それほどでもありません」


「でも、僕より綺麗にできてない?」


「……そうでしょうか?」


 フィオナが、少し不思議そうに首を傾げる。


 マルクが、僕らの作業を見比べた。


「……そうですね。フィオナさんの方が、少し均等かもしれません」


「…………」


 ……え。


「僕、結構頑張ったんだけどなあ」


 思わず呟くと、フィオナが少しだけ笑った。


「カイル様の方も、十分整っていると思いますよ」


「……なんか慰められてる気がする」


「そんなことはありません」


 フィオナは、穏やかに答えた。


 ……うん。


 まあ、いいか。


 こういうのは慣れだよね。


 僕は気を取り直して、再び道具を動かした。


     ◇


 畝を整える作業が一段落すると、マルクは種の入った小さな袋を持ってきた。


「では、こちらから始めましょうか」


「うん」


 マルクは、いくつかに分けた区画を順番に示した。


「最初の場所には、今日種をまきます」


「うん」


「次の場所は、数日後。その次も、少し間を空けてまく予定です」


「なるほどね」


 僕は、畑の区画を見比べた。


 どれも、今のところは同じように見える。


 でも、種をまく日を変えれば、少しずつ育ち方が違ってくるはずだ。


「……そういえばさ」


「はい?」


「ちゃんと違いが分かるようにしないといけないよね」


「ええ。そのために、記録もつけるつもりです」


「おお、準備いいね」


 マルクが笑った。


「以前、茶を育てた時に学びましたから」


「……そっか」


 僕も笑う。


 確かに、あの時も色々と試した。


 どの場所が育ちやすいのか。


 どのくらい水が必要なのか。


 実際に育ててみないと分からないことが多かった。


 その経験が、今度は別の畑でも役立っているらしい。


 そこで、フィオナが口を開いた。


「マルクさん、一つよろしいでしょうか?」


「はい。何でしょう?」


「種をまく日をずらすのであれば、日当たりや土の状態が似ている場所で比べた方がよいかもしれません」


 マルクが少し考える。


「……なるほど」


 フィオナは、畑の端を指差した。


「こちらの一角は、午後になると近くの木の影がかかりますよね」


「ええ。確かに」


「そうなると、種をまく日だけでなく、日当たりの違いでも育ち方が変わってしまうと思います」


「……ああ、そうか!」


 マルクが頷いた。


「それでは、どちらの影響なのか分からなくなりますね」


「はい。ですから、まずは条件が近い場所で試してみてはいかがでしょうか」


「……なるほどなあ」


 僕も感心してしまった。


 確かに、種をまく日を変える効果を調べたいのに、土地の条件まで大きく違ったら比較しにくい。


「フィオナ、よく気づいたね」


「いえ。森でも、同じ種類の植物が場所によって違う育ち方をすることがありますので」


「……なるほど」


 僕は頷いた。


 フィオナは、植物のことをよく観察している。


 もちろん、農家の人たちほど作物の育て方に詳しいわけではない。


 でも、森で暮らしてきた経験から分かることも多いんだろう。


 マルクは、もう一度畑を見渡した。


「……では、試す場所を少し変えましょうか」


「うん。それがいいと思う」


 僕も頷いた。


 こうして、区画の場所を少し調整することになった。


 準備が整うと、マルクが種をまき始める。


 小さな種が、丁寧に土へ落とされていく。


 その上に薄く土をかぶせ、軽く押さえる。


 何でもない作業に見えるけれど、手つきには迷いがなかった。


「……さすがだね」


「何がです?」


「種をまくの、すごく慣れてるなって」


 マルクは少し照れくさそうに笑った。


「こればかりは、長年やっていますからね」


「うん。僕がやったら、間隔がばらばらになりそう」


「ははっ。最初は誰でもそんなものですよ」


 ……そういうものなのかな。


 僕は、土の中へ隠れていく種を眺めた。


 今はまだ、何も見えない。


 でも、しばらくすれば芽が出る。


 その芽が育って、やがて収穫できるようになる。


 ……うん。


 楽しみだなあ。


     ◇


 それから、何日かが過ぎた。


 マルクたちは、予定通り少しずつ種をまいていった。


 最初の区画。


 数日後の区画。


 さらにその次の区画。


 それぞれに、種をまいた日を記した木札が立てられた。


 僕とフィオナも、時折様子を見に行くことにした。


 最初の頃は、どの区画もあまり変わらなかった。


 けれど、しばらくすると少しずつ違いが見え始めた。


「……おお!」


 ある日のこと。


 僕は、畑の前で思わず声を上げた。


 最初に種をまいた場所には、小さな緑色の芽が並んでいた。


 その隣の区画には、まだ芽が出始めたばかりのものが多い。


 さらに隣は、ようやく土が少し盛り上がり始めたところだった。


「……ちゃんと違うね!」


「ええ。今のところ、予定通りです」


 マルクが嬉しそうに頷いた。


「ただ、ここからが大切ですね」


「……ここから?」


「はい。芽が出ても、ちゃんと育たなければ意味がありませんから」


「……確かに」


 僕は頷いた。


 植物を育てるというのは、種をまいて終わりではない。


 そこから、毎日少しずつ世話をしていく必要がある。


「それに、最近は晴れる日が続いていますから」


 マルクが畑の土を確かめる。


「少し乾きやすくなっている場所もあるんです」


「……ああ、そうなんだ」


「ええ。特に、こちらの区画ですね」


 マルクが指差した場所では、土の表面が少し白っぽくなっていた。


 フィオナもしゃがみ込み、指先で土に触れる。


「……確かに、表面が乾いていますね」


「ええ。ただ、少し掘るとまだ湿り気はあるんです」


 マルクが土を少し掘り返す。


 確かに、表面とは違って内側は少し暗い色をしていた。


「……へえ」


 僕は感心した。


「見た目だけじゃ分からないんだね」


「そうですね。水をやりすぎても、作物によくないことがありますから」


「……なるほど」


 そういえば、茶畑でも似たようなことがあった。


 水が必要だからといって、何でもたくさん与えればいいわけではない。


 ……難しいなあ。


 すると、マルクが近くに積んであった麦わらを持ってきた。


「こちらも、少し試してみようと思っていまして」


「……麦わら?」


「はい。土の表面を覆っておくと、乾燥を抑えられることがあるんです」


「へえ!」


 マルクは、若い芽を埋めないように気をつけながら、畝の一部へ薄く麦わらを敷いていった。


「ただ、こちらも全部に使うわけではありません」


「……どうして?」


「湿り気が多い場所では、かえって乾きにくくなることもありますから」


「……なるほど」


 僕は頷いた。


 同じ方法でも、使う場所によって良かったり悪かったりする。


 ……なんか、奥が深いなあ。


「じゃあ、これも試してみるんだね」


「はい。何も敷いていない場所と比べて、違いを見てみようと思います」


「いいね!」


 僕は笑った。


 こうして、畑ではまた一つ、小さな試みが始まった。


     ◇


 それから、さらに何週間かが過ぎた。


 町では、新しい宿屋を利用する商人が少しずつ増えていた。


 厩舎や倉庫の整備も進み、以前より荷馬車を停めやすくなったらしい。


 市場では、見慣れない商品が並ぶ日も増えている。


 そんな中でも、マルクたちの畑では地道な作業が続いていた。


 種をまく。


 芽の様子を確かめる。


 水を与える。


 雑草を取り除く。


 そして、育ち具合を記録する。


 毎日同じように見える作業だけれど、少しずつ変化があった。


 最初に種をまいた区画では、葉が随分と大きくなっている。


 その隣では、まだ少し小さな葉が並んでいた。


 さらにその隣は、もう少し時間がかかりそうだった。


 ……うん。


 ちゃんと、育つ時期がずれている。


「……すごいね」


 僕が呟くと、マルクが頷いた。


「ええ。今のところは、うまくいっていると思います」


「じゃあ、もうすぐ収穫できる?」


「はい。最初の区画は、そろそろ採ってもよさそうです」


「おお!」


 僕は思わず笑った。


 ……楽しみだなあ。


 ただ、マルクは少し考えるように帳面を見ていた。


「……どうしたの?」


「いえ、少し気になることがありまして」


「ん?」


 マルクは、区画ごとの記録を見比べた。


「種をまく時期をずらすこと自体は、うまくいきそうなんです」


「うん」


「ただ、作業の回数が増えた分、思っていたより手間がかかっています」


 ……ああ。


 そういえば、最初に年配の農家の人が言っていた。


 種をまく時期を分ければ、その分だけ何度も作業する必要がある。


 収穫する時も同じだ。


「……なるほどね」


 僕は頷いた。


「じゃあ、やっぱり難しい?」


「いえ。そういうわけではありません」


 マルクは首を横に振った。


「ただ、全部の畑で同じことをするのは無理がありそうだと思いまして」


「……ああ、そっか」


「ええ。ですから、今まで通りまとめて育てる畑と、時期をずらして育てる畑を分けた方がいいかもしれません」


「……なるほど!」


 僕は頷いた。


 確かに、何でも新しい方法に変える必要はない。


 今までのやり方には、今までのやり方の良さがある。


 それなら、両方を使い分ければいい。


「いいね、それ!」


「ありがとうございます」


 マルクは少し笑った。


「まだ、どのくらい分けるのがよいかは分かりませんけどね」


「うん。そこは少しずつ試していけばいいんじゃない?」


「そうですね」


 そこで、フィオナが口を開いた。


「マルクさん。作業する日も、まとめて記録してみてはいかがでしょうか?」


「……作業する日、ですか?」


「はい。収穫量だけでなく、どの作業にどのくらい時間がかかったかも分かれば、続けやすい方法を考えられると思います」


 マルクが少し考える。


「……なるほど。確かに、そうですね」


「例えば、種をまく日を分けたことで、ほかの畑の作業に影響が出ていないかも確認できますから」


「……ああ、そうか!」


 マルクが頷いた。


「そういうところまで記録しておけば、来年の予定も立てやすくなりますね」


「はい」


 フィオナが微笑む。


 僕も、感心してしまった。


 ……うん。


 フィオナも、随分と色々なことを考えるようになったなあ。


 以前は、僕から何かを尋ねることが多かった。


 でも最近は、彼女の方から意見を出してくれる。


 ……嬉しいね。


「じゃあ、その辺りも試してみようか」


 僕が言うと、マルクが大きく頷いた。


「はい!」


 こうして、畑での新しい試みは、少しずつ形を変えながら続いていった。


     ◇


 最初の収穫が行われたのは、それから数日後のことだった。


 朝早くから、畑には何人かの農家が集まっていた。


 籠を持った人たちが、育った葉物野菜を丁寧に収穫していく。


 まだ若い葉が多い区画には手をつけず、十分育ったものだけを選んでいた。


「……おお!」


 僕は、籠の中を覗き込んだ。


 鮮やかな緑色の葉が、綺麗に並んでいる。


「ちゃんと収穫できたんだね!」


「ええ。今のところは、予定通りです」


 マルクが嬉しそうに答えた。


「ただ、収穫量はそれほど多くありませんよ」


「……そうなの?」


「はい。今回は試しに育てた分だけですから」


「……ああ、そっか」


 そうだった。


 最初から大量に作ろうとしていたわけじゃない。


 ちゃんと育つかどうか、時期をずらして収穫できるかどうかを確かめるための畑だ。


「でも、これで最初の分は採れたんだね」


「はい。そして、次の区画ももう少しすれば収穫できると思います」


 マルクが、隣の畑を指差した。


 そこには、まだ少し小さな葉が並んでいる。


 でも、最初に芽が出た頃と比べれば、随分大きくなっていた。


「……なるほど」


 僕は頷いた。


「本当に、順番に収穫できそうなんだ」


「ええ。もちろん、天候によって多少ずれることはあるでしょうが」


「うん」


「それでも、今までより長い期間、少しずつ出荷できるようになるかもしれません」


 ……すごいなあ。


 同じ畑でも、種をまく日を変えるだけで、こんな違いが生まれるのか。


 僕が感心していると、少し離れたところから声が聞こえてきた。


「おーい、マルク!」


 振り返ると、以前話をした年配の農家が歩いてきた。


 手には、小さな籠を持っている。


「おお、ちゃんと採れたのか」


「ええ。最初の分は、無事に収穫できました」


「そうかそうか」


 男性は、籠の中を覗き込んだ。


 それから、隣の区画へ視線を向ける。


「……あっちは、まだ採らないのか?」


「はい。もう少し待つつもりです」


「なるほどなあ……」


 男性は、しばらく畑を眺めていた。


 そして、少しだけ笑った。


「……悪くないかもしれんな」


「本当ですか?」


「ああ。まあ、まだ一回目だ。これだけで全部うまくいくとは言えんがな」


「ええ。もちろんです」


 マルクが頷く。


「ですが、これから色々と試す価値はありそうです」


「そうだな」


 男性は、隣の区画を指差した。


「それなら、今度はうちの畑でも少し試してみるか」


「……いいんですか?」


「ああ。全部変えるつもりはないが、一部だけならな」


 マルクが嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます!」


「ただし、手間が増えすぎるようなら考え直すぞ」


「もちろんです!」


 ……うん。


 いい感じだね。


 最初は心配していた人も、実際に試した結果を見て、少し興味を持ってくれたらしい。


 もちろん、まだ成功と決まったわけではない。


 これからも、色々なことを試していく必要があるだろう。


 でも。


 少なくとも、新しいやり方を考えるきっかけにはなったはずだ。


     ◇


 収穫された野菜の一部は、その日のうちに町へ運ばれることになった。


 僕とフィオナも、ちょうど市場へ戻るところだったので、少し一緒に歩くことにする。


 荷車には、朝採れたばかりの野菜が積まれていた。


 葉の表面には、まだ少しだけ水滴が残っている。


「……新鮮だねえ」


「そうですね」


 フィオナが頷く。


「今朝採れたばかりですから、葉もしっかりしています」


「うん。美味しそう」


 僕がそう言うと、マルクが笑った。


「でしたら、殿下もいかがですか?」


「え?」


「少しお持ち帰りになりますか?」


「……いいの?」


「ええ。ぜひ食べてみてください」


「じゃあ、ちょっとだけもらおうかな」


 僕がそう言うと、マルクは嬉しそうに頷いた。


「もちろんです!」


 ……うん。


 今日の夕食が楽しみになってきた。


 そんな話をしながら歩いていると、町の入口に近い通りが見えてきた。


 少し前まで静かだった場所。


 今では、新しい宿屋の看板が通りから見える。


 近くには、荷馬車を停めるための場所も整えられ始めていた。


「……あ、そうだ」


 僕は、宿屋の方へ視線を向けた。


「この野菜って、あそこの宿屋でも使われるのかな?」


 マルクが頷く。


「ええ。最近、朝食用に少しずつ野菜を買っていただいているんです」


「へえ!」


「宿屋の方も、できるだけ町で採れたものを使いたいと仰っていまして」


「……なるほど」


 僕は、宿屋を見つめた。


 少し前にできたばかりの、小さな宿。


 そこで、今日採れた野菜が料理に使われる。


 そして、その料理を、遠くから来た旅人が食べる。


 ……うん。


 何だか、いいなあ。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「こうして考えると、畑の仕事って町の色々なところに繋がってるんだね」


「そうですね」


 フィオナが頷く。


「農家の方々が作ったものが、食堂や宿屋で使われているのですから」


「うん」


 僕は、荷車の中に並ぶ野菜を眺めた。


 茶畑を作ったことで、商人が増えた。


 商人が増えたことで、宿屋ができた。


 そして、宿屋ができたことで、野菜を買ってくれる人も増えた。


 ……なるほど。


 こうして、色々な仕事が繋がっていくんだなあ。


「……そうだ、マルク」


「はい?」


「今回みたいに、少しずつ収穫できるようになったら、食堂とか宿屋にも予定を伝えられるといいかもね」


「……予定、ですか?」


「うん。何日頃にどのくらい採れそうか分かれば、お店の人たちも準備しやすいんじゃない?」


 マルクが、少し考える。


「……なるほど。確かにそうですね」


「もちろん、天気によって変わるだろうけどさ」


「ええ。でも、大まかな見込みが分かるだけでも、助かるかもしれません」


 マルクが頷いた。


「それなら、今度お店の方々にも話を聞いてみます」


「うん。お願いできる?」


「もちろんです!」


 ……よし。


 これで、作る方と使う方が、もう少し上手く繋がるかもしれない。


「それにしても……」


 マルクが、少し感慨深そうに畑の方を振り返った。


「フィオナさんに相談してよかったです」


「……私に、ですか?」


 フィオナが、少し驚いたように目を丸くした。


「ええ。種をまく時期を変えるという発想は、考えてみれば難しいことではないんですが……」


 マルクは苦笑した。


「今までは、まとめて作るのが当たり前でしたからね。なかなか、そこから考えが離れなかったんです」


「……そうでしたか」


「おかげで、新しい方法を試すきっかけができました」


 そう言って、マルクは頭を下げた。


「ありがとうございます」


「……いえ」


 フィオナは、少しだけ戸惑ったように首を横に振った。


「私は、思いついたことをお伝えしただけですから」


「それが助かったんですよ」


 マルクが笑う。


「それに、実際に試してみて、色々と分かったこともありますしね」


「……はい」


 フィオナは、静かに頷いた。


「私も、勉強になりました」


 その表情は、どこか嬉しそうだった。


 ……うん。


 いいね。


 こうして、互いに知らなかったことを教え合える。


 それも、町の人たちが増えたからこそできることなのかもしれない。


     ◇


 夕方。


 僕とフィオナは、再び町の外れにある畑を眺めていた。


 昼間の賑わいが少し落ち着き、農家の人たちも作業を終え始めている。


 遠くでは、荷車を引く人の姿が見えた。


 畑の間を抜ける風が、葉を静かに揺らしている。


「……今日は、色々勉強になったね」


 僕が呟くと、フィオナが頷いた。


「そうですね。私も、知らないことがたくさんありました」


「うん。種をまく日をずらすだけでも、結構変わるんだね」


「はい。ただ、それだけで収穫量が増えるわけではないようですが」


「……ああ、確かに」


 僕は頷いた。


 今回の工夫は、野菜を突然たくさん作れるようにするものではない。


 同じ畑を使いながら、少しずつ長い期間収穫できるようにするためのものだ。


 それに、作業の手間が増えるという問題もある。


 だから、これからも色々と調整していかなければならない。


「……でも、いいよね」


「何がでしょうか?」


「こういうのってさ、魔法がなくてもできることでしょ?」


 フィオナが、こちらを見る。


「はい」


「もちろん、僕の魔法を使えば、植物を早く育てることもできるけど……」


 僕は、畑を眺めた。


「それだと、僕がいないと困ることもあると思うんだよね」


 フィオナは、静かに頷いた。


「そうですね。今回の方法なら、ほかの農家の方々も試すことができます」


「うん。そういうのがいいなって」


 僕は笑った。


「僕がいなくても、みんなが自分で考えて、もっと良くしていけるようになったらさ」


 フィオナが、少しだけ目を細める。


「……カイル様らしいお考えですね」


「え、そう?」


「はい」


 彼女は、穏やかに微笑んだ。


「皆さんが、ご自分たちの力で暮らしていけることを大切にされているのだと思います」


「……そっか」


 僕は、少し照れくさくなった。


 ……いや、まあ。


 正直に言えば、僕が楽をしたいというのもあるんだけどね。


 でも。


 そのために、町の人たちが困るようでは意味がない。


 僕が何もしなくても、ちゃんと暮らしていける町。


 みんなが自分の仕事を持って、好きなことをして、安心して過ごせる場所。


 ……うん。


 やっぱり、そういう町がいい。


「……それにしてもさ」


「はい?」


「今日のフィオナ、すごかったね」


「……私が、ですか?」


「うん。マルクも、すごく助かったって言ってたでしょ?」


 フィオナは、少しだけ視線を落とした。


「……そうですね」


「何か、嬉しそうだったね」


「……はい」


 少し間を置いて、彼女は静かに答えた。


「私も、嬉しかったです」


 僕は、隣を見る。


 フィオナは、夕陽に照らされた畑を眺めていた。


「森で暮らしていた頃は、植物の育ち方を見て、食べられるものを探したりしていました」


「うん」


「ですが、その知識が、こうして町の方々のお役に立つとは思っていませんでした」


「……そっか」


 フィオナは、小さく微笑んだ。


「私にとっては当たり前だったことでも、誰かにとっては違うのですね」


「うん。そういうことって、結構あるんだろうね」


 僕も笑った。


「僕だって、フィオナやマルクから色々教えてもらってるし」


「……そうでしょうか?」


「そうだよ。今日だって、畑のこと全然知らなかったしね」


 僕がそう言うと、フィオナは少しだけ笑った。


「……確かに、畝を整えるのには少し苦労されていましたね」


「……そこは覚えてなくていいんだけどなあ」


 思わず苦笑する。


 フィオナの口元が、また少しだけ緩んだ。


 ……うん。


 こういう何気ない会話も、何だか楽しい。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「また、こういうことがあったら一緒に考えてみようよ」


 そう言うと、フィオナがこちらを見た。


「……よろしいのですか?」


「もちろん」


 僕は笑った。


「フィオナが気づくこともあるだろうし、僕が思いつくこともあるかもしれないしね」


「……はい」


 彼女は、静かに頷いた。


「私も、そうしてみたいです」


 その返事を聞いて、僕も嬉しくなった。


 僕らは、もう一度畑を見渡した。


 夕陽に照らされた畝。


 風に揺れる緑の葉。


 その向こうには、長い間この町の食べ物を支えてきた農地が広がっている。


 今はまだ、小さな試みが始まったばかりだ。


 でも。


 少しずつ種をまく日を変えてみる。


 土の状態を確かめてみる。


 育ち方の違いを記録してみる。


 そんな小さな工夫が積み重なれば、きっと今よりもっと良い畑になっていくのだろう。


 そして、ここで育った作物が、町の食堂や宿屋へ運ばれていく。


 そこでは、今日も誰かが食事をしている。


 遠くから来た商人も。


 この町で暮らす人たちも。


 みんな、誰かが育てたものを食べている。


 ……うん。


 大切な仕事だね。


「……さて」


 僕は、軽く背伸びをした。


「そろそろ帰ろっか」


「はい」


 フィオナが頷く。


 僕らは、畑の間を抜ける道を歩き始めた。


 背後では、農家の人たちが道具を片づけている。


 誰かが明日の作業について話し、別の人がそれに答えていた。


 その声を聞きながら、僕は少し笑った。


 町を大きくする方法は、建物を増やすことだけじゃない。


 畑を広げることだけでもない。


 今あるものを、もっと上手に使う。


 そのために、色々なことを試してみる。


 それだって、立派な町づくりなんだと思う。


 そして何より。


 誰か一人が、全部の答えを持っている必要なんてない。


 マルクが見つけた問題を、フィオナが違う視点から考える。


 それをマルクたちが、自分たちの経験を生かして形にしていく。


 ……うん。


 そうやって、みんなで町を良くしていけたらいいな。


「……明日もいい天気だといいね」


 僕が言うと、フィオナが夕暮れの空を見上げた。


「そうですね」


 彼女は、穏やかに微笑んだ。


「きっと、畑の皆さんも喜ばれると思います」


「うん」


 僕も、空を見上げた。


 薄い雲が、ゆっくりと流れている。


 その下では、今日も町の人たちが、自分たちの暮らしを少しずつ良くしようとしていた。


 そして、畑にまかれた小さな種も。


 それぞれの速さで、静かに育ち続けていた。

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