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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第二章 辺境に芽吹く
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第三十五話 広がる評判

 人間というのは、不思議なものだと思う。


 少し前までは、仕事が多すぎると文句を言っていた。


 それが、たった一日ゆっくり休んだだけで、意外とまた頑張れるようになるのだから。


 ……いや。


 もちろん、仕事が好きになったわけじゃないよ?


 できることなら、毎日あんなふうに過ごしたい。


 朝はゆっくり起きて、気の向くままに町を歩いて、美味しいものを食べる。


 夕方になったら、風の気持ちいい場所でのんびりする。


 ……うん。


 やっぱり、ああいう生活が理想だなあ。


「カイル様」


「ん?」


「そちらの書類、もう確認されましたか?」


「……あ、うん。今見るよ」


 危ない。


 せっかく仕事を再開したのに、早速現実逃避するところだった。


 僕は机の上に置かれた書類を手に取った。


 最近の町の様子についてまとめられた報告書だ。


 茶畑の整備状況。


 加工場の稼働状況。


 市場での取引。


 それから、自警団の活動報告。


 どれも、今のところ大きな問題はなさそうだった。


 茶畑ではマルクたちが順調に作業を進めているし、加工場もミレアを中心に動いている。


 グレンたちの自警団も、少しずつ町の見回りに慣れてきたらしい。


「……うん。いい感じだね」


「そうですね。皆さん、それぞれの仕事を進めてくださっているようです」


「ありがたいなあ」


 僕は書類を机に戻した。


 最初の頃は、何か一つ進めるにも色々と確認する必要があった。


 でも最近は、僕が知らないうちに話が進んでいることも多い。


 もちろん、大きな方針を決めたり、予算を使ったりする時には相談が来る。


 ただ、それ以外の細かなことは、現場の人たちが自分で判断してくれるようになっていた。


 ……素晴らしい。


 僕の目指す生活に、着実に近づいている気がする。


「……あ」


 ふと、向かいにいるフィオナへ目が向いた。


 今日は、銀色の髪の片側に小さな飾りが留められている。


 淡い緑色の石をあしらった、葉の形の髪飾り。


 この前、一緒に市場へ行った時に買ったものだ。


「フィオナ、今日もそれつけてるんだね」


「……はい」


 フィオナが、そっと髪飾りに触れる。


「気に入っていますので」


「そっか。やっぱり似合ってるね」


「……ありがとうございます」


 彼女は少しだけ口元を緩めた。


 こうして見ると、あの日のことを思い出す。


 随分とのんびりした一日だった。


 ……また行きたいなあ。


「カイル様?」


「……あ、ごめんごめん」


 危ない。


 また仕事から意識が離れていた。


 僕は慌てて次の書類へ手を伸ばした。


 その時だった。


 コンコン、と扉を叩く音が響く。


「殿下。セバスチャンでございます」


「うん、入っていいよ」


「失礼いたします」


 扉が開き、セバスチャンが姿を見せた。


「お客様がお見えになっております」


「お客さん?」


「はい。以前より茶の取引をしていただいている商人の方です」


「ああ、あの人か!」


 最初に茶を買ってくれた行商人だ。


 試作品を買い取ってくれて、その後も何度か町を訪れている。


 つい先日も、まとまった量の茶を運んでいったばかりだった。


「また買い付けに来たのかな?」


「それが、少々お話があるとのことでして」


「話?」


「ええ。どうやら、茶の評判についてのようです」


 ……評判?


 僕はフィオナと顔を見合わせた。


「……何だろうね」


「気になりますね」


「うん。とりあえず聞いてみようか」


 僕らは応接室へ向かうことにした。


     ◇


「殿下! お久しぶりでございます!」


 応接室に入ると、見覚えのある商人が立ち上がった。


 相変わらず元気そうだ。


 以前より少し日焼けしたようにも見える。


「久しぶり。元気そうだね」


「ええ、おかげさまで!」


「それならよかった。今日はどうしたの?」


 椅子を勧めると、商人は嬉しそうに腰を下ろした。


 フィオナも僕の隣に座る。


 ほどなくして、使用人がお茶を運んできた。


 もちろん、この町で作った茶だ。


 商人はその香りを確かめるように、ゆっくりと息を吸った。


「……いやあ、やはり良い香りですな」


「気に入ってもらえてるみたいで嬉しいよ」


「それはもう。最近では、私もすっかりこちらの茶を飲むようになりまして」


「へえ!」


 それは嬉しい。


 商売として扱っているだけではなく、自分でも飲んでくれているらしい。


「それで、今日は何かあったの?」


「はい。実は、先日仕入れたお茶のことでして」


 商人が少し身を乗り出す。


「殿下、あのお茶ですが、思っていた以上に評判が広がっております」


「……へえ、そんなに?」


「ええ。最初は珍しがって買う方が多かったのですが、最近は以前買われた方が、もう一度欲しいと訪ねてこられるようになりまして」


「おお……!」


 僕は思わず声を上げた。


 一度買って終わりではなく、また飲みたいと思ってくれている。


 それは、かなり嬉しい話だ。


「特に、渋みのある方のお茶は、食事と一緒に飲むのに良いと評判でしてね」


「そうなんだ」


「ええ。食堂を営んでいる方からも、まとまった量を買いたいという話が出ております」


「食堂かあ……」


 なるほど。


 確かに、毎日飲むものなら、そういう使われ方もあるのかもしれない。


「じゃあ、香りのいい方は?」


「もちろん、そちらも好評ですよ」


 商人は笑った。


「特に、客人をもてなす時に出すのが良いと評判です。少々珍しい品として扱えるのも、商人としてはありがたいところでして」


「へえ。同じお茶でも、随分違うんだね」


「ええ。どちらにも、それぞれの良さがありますから」


 ……よかった。


 最初に二種類作ると決めた時は、両方とも売れるか少し不安だった。


 でも、こうして違う使われ方をしていると聞くと、あの時の判断は間違っていなかったらしい。


 隣を見ると、フィオナも嬉しそうに話を聞いていた。


「……皆さんが試行錯誤して作ったものですから、そうして飲んでいただけるのは嬉しいですね」


「うん。本当にね」


 僕も頷く。


 茶葉を育てるところから始めて、加工方法を何度も試して。


 思うような味にならなくて、色々な人に手伝ってもらった。


 それが今では、遠くの町の食卓に並んでいる。


 ……何だか、不思議な感じだ。


「それで、殿下」


「うん?」


「実は、今日お伝えしたかったのは、それだけではないのです」


 商人が少し声を落とした。


「先日、私が茶を売っていたところ、別の商人から仕入れ先を尋ねられまして」


「……仕入れ先?」


「ええ。どうやら、その者も茶を扱いたいと考えたようなのです」


「へえ……」


「しかも、一人ではありません」


「……え?」


 商人は楽しそうに笑った。


「私の知る限りでも、何人かがこちらへ買い付けに来ることを考えているようです」


「……ここに?」


「はい。この町へ、です」


 ……おお。


 何だか、思っていたより話が大きくなっている。


「すごいね。そんなに広まってるんだ」


「まだ近隣の町が中心ですが、それでも以前とは随分違いますな」


「そうだよねえ……」


 僕は湯気の立つ茶を見つめた。


 最初は、ちゃんと商品になるかどうかも分からなかった。


 それが今では、知らない商人まで興味を持ってくれているらしい。


 ……うん。


 嬉しいなあ。


 ただ。


「……あれ?」


 少し気になることがあった。


「それって、もし本当にみんな買いに来たら、どうなるんだろう?」


「と、申しますと?」


「いや、お茶ってそんなにたくさん作れてたっけ?」


 商人が少し考える。


「……なるほど。確かに、そこは気になりますな」


 隣でフィオナも頷いた。


「今の生産量では、急に注文が増えると対応が難しいかもしれませんね」


「だよね」


 ……うーん。


 売れるのは嬉しい。


 でも、作れないものは売れない。


「まあ、とりあえずマルクやミレアに聞いてみないとね」


「そうですね」


 すると、商人が少しだけ姿勢を正した。


「殿下。一つ、お願いがございます」


「うん?」


「私も、今後引き続きこちらのお茶を扱わせていただきたいのです」


 その声には、少しだけ真剣な響きがあった。


「新しく買い付けに来る商人が増えるのは良いことですが、これまでお願いしていた分までなくなってしまうと、こちらも困ってしまいまして」


「……ああ、そっか」


 それはそうだ。


 新しい商人が来たからといって、今まで買ってくれていた人に売らなくなるのは違う。


「大丈夫だよ。前から約束してる分は、ちゃんと確保できるように確認するから」


「……ありがとうございます!」


「こちらこそ、最初に買ってくれたのはあなたなんだしね」


 商人は、少し驚いたような顔をした。


 それから、嬉しそうに笑った。


「いやあ……そう言っていただけるとは、ありがたいですな」


「でも、無理な量を約束することはできないから、その辺りは相談させてね」


「もちろんです!」


 そうして、商人は次の取引について少し話をした後、屋敷を後にした。


 ……さて。


 どうなるんだろうね、これ。


     ◇


 商人の言葉が本当だったと分かったのは、その日の午後だった。


「……殿下」


 再び執務室へやってきたセバスチャンが、少し困ったような顔をしていた。


「今度はどうしたの?」


「茶の買い付けを希望する商人が、二名お見えになっております」


「…………」


 僕は、ゆっくりとフィオナを見る。


 フィオナもこちらを見た。


「……本当に来たね」


「そうですね」


「思ってたより早くない?」


「……確かに、少し驚きました」


 いや、早いって。


 さっき話を聞いたばかりなんだけど。


「……まあ、来てくれたなら話を聞こうか」


「はい」


 こうして僕らは、再び応接室へ向かうことになった。


 ……今日、応接室にいる時間長いなあ。


     ◇


 やってきたのは、二人の商人だった。


 一人は、きちんとした上着を着た細身の男性。


 もう一人は、少しがっしりとした体格の、落ち着いた雰囲気の男性だ。


 どうやら、それぞれ別の町で商売をしているらしい。


「本日は突然の訪問にもかかわらず、お時間をいただきありがとうございます」


「ううん。わざわざ遠くから来てくれたんでしょ? ありがとう」


 僕がそう言うと、二人は少し驚いたような顔をした。


「それで、お茶のことを聞いて来たんだよね?」


「はい。以前、取引先の町で飲む機会がありまして」


 細身の商人が答える。


「今まであまり口にしたことのない香りでしたので、ぜひ仕入れてみたいと思ったのです」


「へえ。どっちのお茶?」


「香りの高い方です」


 なるほど。


 この人は、そちらが気に入ったらしい。


「私の取引先には、珍しい品を好む方が多くおりまして。あのお茶なら、十分に扱えると思いました」


「そっか」


 僕が頷くと、今度はもう一人の商人が口を開いた。


「私は、むしろもう一方に興味があります」


「もう一方?」


「はい。渋みのある方です」


「へえ!」


「食事と一緒に飲むなら、あちらの方が向いていると感じました。それに、毎日飲むものとして扱えるなら、長く商売ができるでしょう」


 ……なるほど。


 商人によって、目をつけるところが違うんだなあ。


 僕にとっては、どちらも同じ町で作った茶だ。


 でも、売る場所や相手が違えば、求められるものも変わってくる。


 隣のフィオナが、少し考えるように口を開いた。


「皆さん、それぞれ違うお客様を相手に商売をされているのですね」


「ええ。まさにその通りです」


 商人が頷く。


「だからこそ、できれば継続して仕入れたいと考えております」


「なるほどねえ……」


 僕は腕を組んだ。


 ここまでは、嬉しい話だ。


 問題は、ここからだった。


「それで、どのくらい欲しいの?」


 そう尋ねると、細身の商人が希望する量を伝えた。


 続いて、もう一人も注文したい量を話す。


「…………」


 ……ちょっと待って。


 多くない?


 僕は、思わずフィオナを見た。


 フィオナも、少しだけ目を丸くしている。


「……えっと」


 僕は商人たちへ向き直った。


「それって、すぐに欲しい量?」


「できれば、そうしていただけるとありがたいのですが」


「私は、多少時間がかかっても構いません。ただ、定期的に仕入れられると嬉しいですね」


「……なるほど」


 うん。


 これは、ちゃんと確認した方がよさそうだ。


「ごめんね。少し待ってもらってもいい?」


「……と、申しますと?」


「今の生産量で、どこまで用意できるか分からないんだよね」


 二人の商人が顔を見合わせる。


「もちろん、できるだけ売りたいとは思ってるよ。でも、作れない量まで約束するわけにはいかないからさ」


「……なるほど」


「明日までに確認するから、それから改めて相談させてもらってもいいかな?」


 細身の商人は、少し考えてから頷いた。


「承知いたしました」


「ありがとうございます」


 もう一人も同意してくれた。


 ひとまず、それで話はまとまった。


 ……さて。


 今度こそ、現場に確認しに行かないとね。


     ◇


 翌朝。


 僕とフィオナは、町外れの加工場を訪れていた。


 建物の中からは、茶葉の香りが漂ってくる。


 少し前までは、屋外で試行錯誤しながら加工していたのに。


 今では、専用の建物があって、働いている人たちもいる。


 ……本当に、随分変わったなあ。


「殿下、フィオナさん!」


 中へ入ると、ミレアがこちらに気づいた。


「おはよう、ミレア。忙しいところごめんね」


「いえいえ。どうされました?」


「ちょっと相談したいことがあってさ」


 僕は、昨日の商人たちの話を伝えた。


 新しく買い付けに来た人がいること。


 それぞれ、まとまった量を希望していること。


 今後も継続して仕入れたいと考えていること。


 ミレアは、途中で何度か頷きながら話を聞いていた。


「……なるほど。そういうことでしたか」


「うん。それで、今の加工場って、どのくらい余裕があるのかな?」


「少しお待ちくださいね」


 ミレアは作業台の横から、一冊の帳面を取り出した。


 そこには、最近加工した茶葉の量や、出荷した量が記録されているらしい。


「こちらが、今の在庫です」


「へえ……」


「それから、こちらが今後の加工予定になります」


 僕は帳面を覗き込んだ。


 ……うん。


 数字がいっぱいだ。


 でも、ちゃんと整理されているのは分かる。


「以前よりは、随分作れるようになったんですよ」


「そうなんだ」


「ええ。作業に慣れた方も増えましたし、道具も少しずつ使いやすくなっていますから」


 そう言って、ミレアは加工場の奥へ視線を向けた。


 そこでは、数人の女性たちが茶葉を広げていた。


 別の場所では、火加減を確かめながら作業している人もいる。


 皆、自分の仕事を理解しているようだった。


「でも……」


 ミレアが帳面へ視線を戻す。


「昨日お聞きになった量を、すべてすぐに用意するのは難しいですね」


「……やっぱり?」


「はい。今ある茶葉の中にも、まだ仕上がっていないものがありますから」


「そっか」


「それに、加工を急げばいいというわけでもありません」


 ミレアが少し真剣な表情になる。


「茶葉の状態を見ながら作業しないと、香りや味が変わってしまうんです」


「……なるほど」


「たくさん作ることはできます。でも、同じ味に仕上げられるかどうかは、別の話なんですよ」


 その言葉に、僕は頷いた。


 確かに。


 せっかく評判になったのに、味が変わってしまったら意味がない。


「……うん。じゃあ、無理に増やすのはやめよう」


「よろしいのですか?」


「もちろん。ミレアたちがちゃんと作れる量でいいよ」


 僕は帳面を見る。


「今まで買ってくれてた商人への分もあるし、町の食堂とかでも使ってるでしょ?」


「ええ。最近は、町のお店からも定期的に注文をいただいています」


「ああ、やっぱり」


 ナディアが考えた焼き菓子を出している食堂でも、茶を扱うようになっていた。


 ほかの店でも、少しずつ飲まれるようになっているらしい。


 外へ売るのも大切だけど、町の人たちが飲む分までなくなってしまうのは困る。


「フィオナはどう思う?」


 そう尋ねると、彼女は帳面を見ながら答えた。


「そうですね……。まず、すでに約束している分と、町で使う分を分けて考えた方がよいと思います」


「うん」


「そのうえで、余裕がある量を新しい商人の方々に買っていただくのはいかがでしょうか」


「……ああ、なるほど!」


 僕は頷いた。


「そうすれば、今までの取引も続けられるし、町の人たちも困らないもんね」


「はい。それに、新しい商人の方々も、最初は少量から試していただく形であれば、無理がないと思います」


「うん。いいね、それ」


 ミレアも、嬉しそうに頷いた。


「それでしたら、こちらでも対応できそうです」


「本当?」


「はい。今あるものの中から、少しずつでしたら用意できると思います」


「よかった!」


 ……いやあ。


 こういう時、ちゃんと現場を任せられる人がいるのはありがたいなあ。


 僕一人だったら、在庫がどのくらいあるのかも分からなかったと思う。


「じゃあ、詳しい量はミレアに任せてもいい?」


「ええ。帳面を確認して、無理のない量をまとめておきますね」


「ありがとう。助かるよ」


 ミレアは笑った。


「こちらこそ。作ったお茶を、そんなに欲しがってくださる方がいるなんて嬉しいですから」


「そうだよね」


「ええ。最初は、ちゃんと飲めるものになるかどうかも分からなかったのに」


 ミレアが、作業中の人たちへ目を向ける。


 その表情は、どこか感慨深そうだった。


 ……うん。


 僕も同じ気持ちだ。


     ◇


 加工場を出た後、僕らは茶畑へ向かった。


 緩やかな斜面には、若い茶の木が並んでいる。


 少し離れた場所では、マルクたちが土の状態を確かめながら作業をしていた。


「おーい、マルク!」


 声を掛けると、マルクがこちらを振り返った。


「殿下! 今日はどうされました?」


「ちょっと茶畑のことを聞きたくてさ」


「茶畑ですか?」


「うん。実は、買い付けに来る商人が増えそうなんだよね」


 僕が説明すると、マルクは驚いたように目を丸くした。


「……そんなに評判になっているんですか?」


「らしいよ。僕もびっくりしてる」


「それは……ありがたい話ですね」


 マルクは、茶畑を見渡した。


 その表情は嬉しそうだったけれど、すぐに少し考え込む。


「ただ、そうなると収穫量の方も考えないといけませんね」


「そうなんだよね。今って、どんな感じ?」


「少しずつ増やしてはいますが、まだ育てている途中の場所も多いんです」


 マルクが斜面の一角を指差す。


「あちらは新しく植えたばかりですから、まとまった収穫ができるようになるには、もう少しかかると思います」


「なるほど……」


 確かに、茶畑を広げたからといって、すぐに茶葉が採れるわけではない。


 植物には、ちゃんと育つ時間が必要だ。


「今ある茶畑を、もっと広げることはできそう?」


「場所はあります。ただ、急いで広げすぎるのはどうかと思っていまして」


「……どうして?」


「世話をする人手も必要ですし、まだ土の状態を確かめている斜面もありますから」


「ああ、そっか」


 マルクが頷く。


「それに、茶ばかり増やして食べ物を作る畑が減ってしまっても困ります」


「……確かに!」


 それは大事だ。


 茶が売れるのは嬉しいけど、お腹が空いた時に茶葉を食べるわけにはいかない。


 ……いや、食べられなくはないのかもしれないけど。


 少なくとも、主食にはならないよね。


「今のところ、食料を作っている畑には手をつけずに済んでいます」


 マルクが続ける。


「以前は使いにくかった斜面を中心に茶を植えているので、そこは問題ありません」


「うん。それならよかった」


「ただ、今後もっと増やすのであれば、作業する人も増やさないといけませんね」


「なるほどなあ……」


 畑を広げる。


 茶葉を育てる。


 収穫する。


 加工場へ運ぶ。


 それぞれに人手が必要になる。


 ……いや、本当に。


 何か一つ増やすだけでも、色々な仕事があるんだね。


 僕が感心していると、フィオナが茶の木の方へ歩いていった。


 葉の様子を確かめながら、マルクに尋ねる。


「こちらの斜面は、以前より土が乾きやすくなっているようですね」


「ええ。水が溜まりすぎないように、少し手を入れたんです」


「なるほど。葉の状態も良さそうです」


「ありがとうございます」


 マルクが嬉しそうに笑う。


「フィオナさんに最初に土地を見てもらったおかげで、どんな場所を選べばいいか少し分かってきまして」


「いえ。実際に育てて、確かめてくださったのは皆さんですから」


 フィオナが首を横に振る。


「それに、私もまだ知らないことが多いです。これからも色々教えていただければと思います」


「もちろんです!」


 ……うん。


 いい感じだね。


 最初はフィオナが土地の状態を調べて、みんなで試していた。


 でも今では、マルクたちが自分で考えて畑を整えている。


 それを見て、フィオナも新しいことを知っている。


 こういう関係は、すごくいいと思う。


「じゃあ、今は焦らずに育てていこうか」


 僕が言うと、マルクが頷いた。


「ええ。その方が、きっと長く続けられます」


「うん。よろしくね」


「お任せください!」


 僕らは茶畑を後にした。


 振り返ると、マルクはもう仲間たちと作業の相談を始めている。


 その姿を見ながら、僕は少し笑った。


「……頼もしくなったね」


「そうですね」


 フィオナも頷く。


「皆さん、ご自分たちで色々と考えていらっしゃいます」


「うん。僕らがいなくても、ちゃんと進んでる」


 それは、何だか嬉しいことだった。


     ◇


 その日の午後。


 僕らは再び、新しく訪れた商人たちと話をすることになった。


 今回は、ミレアがまとめてくれた加工場の記録も手元にある。


 今すぐ売れる量。


 今後の加工予定。


 これまでの取引先へ渡す分。


 町の店で使う分。


 それらを確認したうえで、どのくらいなら新しい商人に売れるか整理してもらった。


「お待たせしてごめんね」


「いえ、とんでもございません」


「昨日の話なんだけど、加工場の人たちと相談してきたよ」


 二人の商人が姿勢を正した。


「それで、申し訳ないんだけど……希望してもらった量を、全部すぐに用意するのは難しそうなんだ」


 細身の商人が少し眉を寄せた。


「……そうですか」


「うん。まだ作れる量が限られてるからね」


 僕は、ミレアから預かった帳面を開く。


「今まで約束してた分もあるし、町で飲む分も必要なんだ。だから、作れない量まで約束したくなくてさ」


「……なるほど」


「せっかく遠くから来てもらったのに、ごめんね」


 すると、もう一人の商人が口を開いた。


「殿下。少量であれば、買い付けは可能なのでしょうか?」


「うん。それなら大丈夫そうだよ」


 僕は、用意できる量を伝えた。


 希望していた量よりは随分少ない。


 でも、何も売れないわけではない。


「……なるほど」


 商人が考え込む。


「でしたら、私はそれで構いません」


「本当?」


「ええ。まずは自分の町で売ってみたいと思っておりましたので、最初はそのくらいでも十分です」


「そっか。ありがとう!」


 僕は嬉しくなった。


 すると、細身の商人も口を開く。


「……私も、少量で構いませんので仕入れさせていただきたいです」


「いいの?」


「はい。ただ、今後の生産量が増えた時には、ぜひまた相談させていただければと」


「もちろん!」


 僕は頷く。


「どのくらい作れるようになるかは、まだ分からないけどね。その時は、またみんなで相談しよう」


「ありがとうございます」


 こうして、二人の商人との取引がまとまった。


 ただし、今後の大量注文まで約束したわけではない。


 まずは、今ある分を少しずつ買ってもらう。


 そして、実際に売ってみてどうだったか、また話を聞かせてもらうことにした。


 ……うん。


 このくらいなら、無理もなさそうだ。


「それにしても、殿下」


 細身の商人が、少し笑った。


「ここまで慎重に販売量を決められるとは思いませんでした」


「……そう?」


「ええ。これほど評判になっているのであれば、もっと大量に売ろうとされるものかと」


「ああ……」


 僕は少し考える。


「でもさ、せっかく買ってもらったのに、前と味が違ったら困るでしょ?」


「……確かに」


「それに、町の人たちが頑張って作ってるものだからね。無理に増やして失敗するのも嫌なんだよね」


 商人は少し驚いたような顔をした。


 それから、ゆっくりと頷いた。


「……なるほど。よく分かりました」


 フィオナも、隣で静かに頷いていた。


 そうして、初めての商人たちとの取引が無事に決まった。


     ◇


 数日後。


 市場の一角では、茶を積み込む準備が進められていた。


 バルトたちが作った木箱が、荷馬車の荷台へ運ばれていく。


 箱の側面には、小さな丘と二枚の葉を組み合わせた印が刻まれていた。


 以前、バルトが考えたものだ。


 中身が分かるように、茶の種類ごとに目印もつけられている。


「……おお、こうして並ぶと結構いい感じだね」


「そうですね」


 フィオナが頷く。


「箱も、以前よりしっかりした作りになっているようです」


「うん。バルトたちも色々工夫してるんだろうね」


 積み込みをしている人たちは、手際よく荷物を運んでいる。


 商人たちも、中身や数量を確認していた。


 最初の頃は、茶を売れるかどうかだけで大騒ぎしていたのに。


 今では、こうして何台もの荷馬車が茶を運んでいく。


 ……すごいなあ。


「……あれ?」


 ふと、別の荷馬車が目に入った。


 そこには、茶とは違う荷物が積まれている。


 束ねられた薬草。


 丁寧に包まれた毛皮。


 それから、加工された木材もあった。


「あれって、うちの町の商品だよね?」


「はい。以前から取引されていたものだと思います」


「……あの商人、お茶だけ買いに来たんじゃなかったっけ?」


 僕が首を傾げると、近くにいた商人が声を掛けてきた。


「殿下、何かございましたか?」


「ああ、いや。茶以外のものも買っていくんだなって思って」


「ええ。せっかくこちらまで来ましたからね」


 商人が笑う。


「良い品があれば、ほかのものも仕入れたいと思いまして」


「へえ……」


「こちらの薬草は、以前から品質が良いと聞いておりましたし、毛皮も悪くありません」


「そうなんだ」


「ええ。茶を買い付けるついでに、ほかの商品も見て回らせていただきました」


 ……なるほど。


 僕は、もう一度荷馬車を見る。


 茶を買うために町へ来た。


 せっかくだから、ほかの店も覗いてみた。


 そして、気に入った商品があれば買っていく。


 ……ああ。


 そういうことか。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「なんか、お茶以外のものまで売れるようになってない?」


「そうですね。新しく来た商人の方々が、ほかの商品にも興味を持たれたようです」


「へえ……」


 僕は、少し感心してしまった。


「お茶を買いに来たついでに、ほかのものも買っていくんだね」


「はい。一度の旅でいくつもの商品を運べた方が、商人の方々にも都合がよいのでしょう」


「なるほどなあ……」


 そう考えると、茶が売れるようになったことで、今までの商品まで売りやすくなっているのかもしれない。


 もちろん、薬草や毛皮、木材は以前から町の外へ運ばれていた。


 でも、取引する相手が増えれば、それだけ商売の機会も増える。


 茶が売れたから、茶だけが増える。


 そんな単純な話ではないらしい。


「……思ってたより、色々なところに繋がるんだね」


「そうですね」


 フィオナが頷く。


「一つの仕事が増えることで、ほかの方々の仕事も増えていくのでしょう」


「うん。面白いなあ」


 僕は市場を見渡した。


 薬草を束ねる人。


 毛皮を運ぶ人。


 荷車へ木箱を積み込む人たち。


 その横では、商人と町の人が何やら楽しそうに話している。


 皆、それぞれの仕事をしていた。


 でも、その仕事が少しずつ繋がっている。


 ……何だか、町が生きてるみたいだ。


     ◇


 荷馬車が出発する頃には、日が少し傾き始めていた。


 商人たちは、それぞれ別の町へ向かうらしい。


 荷台には、この町で作られた茶が積まれている。


 そのほかにも、薬草や毛皮、木材などが載せられていた。


「殿下。本当にありがとうございました!」


「ううん。こちらこそ、買ってくれてありがとう」


「また伺わせていただきます!」


「うん。気をつけてね」


 商人たちが頭を下げる。


 やがて、荷馬車がゆっくりと動き始めた。


 車輪が土の道を踏みしめる音。


 馬の蹄が響く音。


 それらが、少しずつ遠ざかっていく。


 僕は、その姿を見送った。


「……行っちゃったね」


「はい」


「今度は、どんな町で飲まれるんだろう」


「そうですね……」


 フィオナが少し考える。


「きっと、色々な方々の手に渡るのでしょうね」


「うん」


 僕は頷いた。


 ここで育った茶葉が。


 ミレアたちの手で加工されて。


 バルトたちの作った箱に詰められて。


 商人たちに運ばれていく。


 そして、知らない町の誰かが、それを飲む。


 ……不思議だなあ。


 最初は、本当に小さな試みだった。


 育つかどうかも分からない植物を植えて、色々な加工方法を試して。


 みんなで何度も味を確かめて。


 ようやく、商品として売れるようになった。


 それが今では。


 僕らの知らないところで、誰かの暮らしの一部になろうとしている。


「……なんか、嬉しいね」


「はい」


 フィオナが静かに頷く。


「私も、嬉しいです」


 そう言って、少しだけ微笑んだ。


 僕も、つられて笑ってしまった。


「……さて」


 僕は軽く背伸びをする。


「今日はこのくらいで帰ろっか」


「そうですね」


「いやあ、ちゃんと仕事した気がする」


「……今日は、お話を聞いている時間が多かったような気もしますが」


「それも立派な仕事だよ!」


 僕がそう言うと、フィオナは少しだけ口元を緩めた。


「……そうですね」


「今、ちょっと疑ったでしょ?」


「いえ。そんなことはありません」


「本当かなあ……」


 そんな話をしながら、僕らは市場を歩き始めた。


 夕方が近づいているとはいえ、通りにはまだ人が多い。


 店じまいを始める人もいれば、これから食事をしようと食堂へ向かう人もいる。


 以前より、町が賑やかな時間が長くなった気がする。


 ……まあ、それ自体はいいことなんだけど。


「……あれ?」


 ふと、通りの先から困ったような声が聞こえてきた。


「すみません。この町に、ほかの宿はありませんか?」


 見ると、旅装の男性が店主らしき人に話しかけていた。


 そばには荷物を積んだ小さな荷車がある。


「いやあ、悪いね。今夜はもう、どこもいっぱいみたいなんだよ」


「……そうですか」


 男性が肩を落とす。


「明日までに荷物を受け取りに来る者がいるので、できれば町に泊まりたいんですが……」


「うーん。そう言われてもなあ……」


 店主も困ったように腕を組んだ。


 ……宿?


 僕は、思わず足を止めた。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「この町って、宿いくつあったっけ?」


 フィオナが少し考える。


「それほど多くはなかったと思います。以前は、旅人や商人の方もあまり訪れませんでしたから」


「……だよね」


 考えてみれば、当たり前だった。


 今までは、町を訪れる人が少なかった。


 だから、宿もそれほど必要なかった。


 でも、最近は違う。


 茶を買いに来る商人。


 ほかの商品を仕入れに来る商人。


 それから、仕事を探しに来る人もいるかもしれない。


 そういう人たちが増えれば、当然泊まる場所も必要になる。


「……あれ?」


 僕は、もう一度男性の荷車を見る。


 荷物が積まれている。


 馬も連れている。


 ……そういえば。


 人が泊まる場所だけじゃない。


 馬を休ませる場所も必要だし、荷物を預ける場所だっている。


「……フィオナ」


「はい」


「もしかしてさ」


 僕は、ゆっくりと市場を見渡した。


 新しく増えた店。


 行き交う商人たち。


 荷物を運ぶ人々。


 町の外へ続く道。


「……お茶が売れるようになっただけじゃ、終わらないのかもね」


 フィオナも、同じように周囲を見渡した。


「……そうですね」


 そして、少し考えてから続ける。


「商品を求めて人が集まるのであれば、その方々を迎える準備も必要になるのでしょう」


「……だよねえ」


 僕は小さく息を吐いた。


 ……いやあ。


 本当に、次から次へと色々出てくるなあ。


 でも。


 困っている商人を見ていると、放っておくわけにもいかない。


 せっかく遠くから、この町まで来てくれたのだ。


 できれば、安心して泊まっていってほしい。


「……ちょっと話を聞いてみようか」


「はい」


 フィオナが頷く。


 僕らは、宿を探している男性の方へ歩き出した。


 夕暮れの市場には、まだ多くの人が行き交っている。


 少し前まで、この町にはほとんど来なかった旅人たち。


 今では、その人たちが当たり前のように店を覗き、商品を買い、宿を探している。


 町で作ったものが、外へ広がっていく。


 そして今度は、外から人がやってくる。


 どうやら、町の成長というのは、一方通行ではないらしい。


 僕はもう一度、賑やかな市場を見渡した。


 ……うん。


 また、考えることが増えそうだ。


 けれど。


 少し前まで静かだったこの町に、こうして人が集まってくれる。


 それは、やっぱり嬉しいことだった。


 茶を作るために始めた小さな試みは、いつの間にか、町の外まで広がっていた。


 そして、その評判に引き寄せられるように。


 この辺境の町には、少しずつ新しい人の流れが生まれ始めていた。

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