第三十三話 町の守り手
自警団を作ることが決まってから、数日が経った。
町の広場には、新しい立て札が置かれている。
そこに書かれているのは、町の警備を担当する人員の募集についてだ。
仕事内容は、町の見回りや夜間の警戒、魔物の目撃情報の確認など。
もちろん、給金も出る。
今までのように、住民の善意だけに頼るわけにはいかないからね。
それに、毎日町を守ってくれるなら、それは立派な仕事だと思う。
「……結構集まったね」
僕は広場に並んだ人たちを見ながら呟いた。
目の前には、十二人の男女が集まっている。
元傭兵らしい男性。
弓を背負った狩人。
普段は農作業をしているという若者。
これまで町の夜番を手伝っていた人もいる。
年齢も経歴も、随分とばらばらだった。
「最初は十人くらいのつもりだったんだけど」
「希望者はもう少しいましたよ」
隣に立つグレンが答える。
「そうなの?」
「ええ。ただ、今回は人数を増やしすぎない方がいいと思いまして。本人たちと話をして、まずはこの人数にしました」
「なるほどね」
グレンは、募集を始めてから何人もの希望者と話をしていた。
経験者だからといって無条件に採用するわけではなく、仕事への考え方や、ほかの人と協力できるかどうかも確認したらしい。
「強ければいいって仕事じゃないですからね」
「うん。僕もそう思う」
さっそくグレンらしい判断だった。
集まった人たちをもう一度見る。
装備も統一されていない。
使い込まれた革鎧を着ている人もいれば、普段着に近い格好の人もいる。
武器だって剣や弓、槍とさまざまだ。
中には、まともな武器を持っていない人もいた。
「……騎士団って感じじゃないね」
「そりゃそうでしょう。まだ自警団ですから」
「あはは、確かに」
グレンが小さく笑う。
「ですが、最初はこれで十分だと思いますよ」
「うん。まずはできることから始めよう」
僕は集まった人たちの前に立った。
すると、何人かが慌てて姿勢を正す。
「ああ、そんなに緊張しなくていいよ」
そう言うと、少しだけ空気が和らいだ。
「えっと、今日は集まってくれてありがとう」
全員の顔を見渡す。
「最近、この町は前よりずっと賑やかになってきたよね。商人も増えたし、新しい仕事もできた」
何人かが頷く。
「それはすごく嬉しいことなんだけど、その分、今までになかった問題も増えてきてるんだよね」
市場での盗難。
夜間の騒ぎ。
商人同士の揉め事。
町の外に現れる魔物。
「だから、みんなには町を守る仕事をお願いしたいんだ」
僕は少し笑った。
「ただ、何かあったらすぐ剣を抜くような人にはなってほしくないかな」
集まった人たちが、少し真剣な表情になる。
「町の人たちが安心して暮らせるようにすること。それが一番大事だと思ってるからね」
そこまで話したところで、グレンが一歩前に出た。
「ここからは俺が説明します」
低く、よく通る声だった。
「まず、俺たちの仕事は喧嘩に勝つことじゃない。町を守ることだ」
グレンが団員たちを見渡す。
「相手が盗賊だろうが、酔っ払った町の住民だろうが、必要以上に傷つけるな。まして、俺たちが勝手に誰かを罰することは許されない」
何人かが頷いた。
「何かあれば状況を確認し、必要なら取り押さえて役所へ引き渡す。判断に迷ったら、必ず報告することだ」
「はい!」
「それから、覚えておいてほしいことがある」
グレンは少しだけ声を落とした。
「一人で何でも解決しようとするな。町を守るのは、お前たち一人ひとりじゃない。ここにいる全員の仕事だ」
……なるほど。
やっぱり、こういう説明は慣れてるなあ。
僕が感心していると、グレンはこちらへ振り返った。
「殿下。ひとまず、こんなところでしょうか」
「うん。すごくいいと思う」
「ありがとうございます」
そこで、僕は隣に立っていたフィオナを見る。
「じゃあ、フィオナにも紹介してもらおうかな」
「はい」
フィオナが一歩前へ出た。
銀色の髪が、風に揺れる。
「フィオナと申します。普段はカイル様の護衛を務めています」
丁寧に頭を下げる。
「今後、皆さんの訓練を一部お手伝いすることになりました。よろしくお願いいたします」
集まった人たちも頭を下げた。
その中の一人が、少し不思議そうに手を上げる。
「あの、フィオナ様」
「はい」
「普段は弓を使われると聞いたんですが、剣の訓練も見ていただけるんですか?」
「剣については、グレンさんの方が詳しいと思います」
フィオナは素直に答えた。
「私は主に、周囲の状況を確認する方法や、複数人での動き方、魔物への対処などをお伝えできればと思っています」
「なるほど……」
「ただ、近接戦闘の経験がないわけではありませんので、必要であればそちらもお手伝いします」
すると、グレンが少し笑った。
「でしたら、一度お手合わせ願えませんか?」
「……私と、ですか?」
「ええ。これから一緒に訓練を見るわけですから、互いの動き方を知っておきたいと思いまして」
フィオナが少し考える。
それから、静かに頷いた。
「分かりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
……お?
これは、ちょっと面白そうだ。
「模擬戦するの?」
「ええ。よろしいでしょうか、殿下」
「もちろん!」
僕は思わず笑った。
「グレンの戦い方も気になってたんだよね」
そう言うと、グレンが肩をすくめた。
「期待されるほど大したものではありませんよ」
「またまた。あの時の動き、かなりすごかったじゃん」
「さて、どうでしょうな」
グレンはそう言って、訓練用の木剣を手に取った。
フィオナも、同じように木剣を受け取る。
広場の端にある訓練用の空き地。
そこで二人が向かい合った。
周囲の団員たちも、興味深そうに集まってくる。
僕は少し離れたところへ移動した。
……さて。
どんな戦いになるんだろう。
◇
グレンさんが木剣を構える。
私はその姿を見て、少しだけ意識を引き締めた。
特別な構えではない。
剣先は自然にこちらを向き、膝はわずかに曲げられている。
肩に力が入っている様子もなく、呼吸も落ち着いていた。
けれど。
……隙がない。
正面から踏み込めば、間違いなく迎撃される。
かといって、横へ回り込もうとしても、それを簡単に許してくれそうにはなかった。
試しに、右へ一歩動く。
グレンさんも、わずかに足の位置を変えた。
ただ、それだけ。
こちらの動きを追いながらも、構えはほとんど崩れていない。
……なるほど。
この方は、戦い慣れている。
それも、単に多くの相手を倒してきたというだけではない。
自分が不利にならない位置を、よく理解しているのだ。
「準備はよろしいですか?」
グレンさんが尋ねる。
「はい」
私は木剣を握り直した。
普段使っているのは弓だ。
近接戦闘では短剣を扱うことも多いため、こうした長さの武器はそれほど得意ではない。
それでも、戦い方そのものが変わるわけではない。
間合いを測り。
相手の動きを読み。
必要な時に動く。
基本は同じだ。
「では、始めましょう」
グレンさんの声に合わせて、互いに構えを取る。
周囲のざわめきが、少し遠くなった。
風が草を揺らす。
足元の乾いた土が、わずかに舞い上がった。
……まずは、様子を見ましょう。
私はゆっくりと距離を詰めた。
一歩。
もう一歩。
木剣の先が届くか届かないか、その境目で足を止める。
グレンさんは動かない。
正確には、まったく動いていないわけではなかった。
こちらの重心に合わせて、ほんの少しだけ体の向きを変えている。
しかし、それ以上は動かない。
……誘いには乗りませんか。
私は軽く剣先を動かした。
右肩への牽制。
反応があれば、その動きに合わせて踏み込むつもりだった。
けれど。
グレンさんの木剣は、必要な分だけ動いた。
こちらの剣先を受けられる位置へ、わずかに傾けただけ。
大きく払うことも、反撃に出ることもない。
……やはり。
無駄がない。
今度は、少しだけ踏み込む。
右から左へ。
肩を狙うように木剣を振った。
カンッ!
乾いた音が響く。
グレンさんの剣が、こちらの剣を受け止めた。
その瞬間。
私は手首を返し、剣筋を変えた。
今度は脇腹へ。
しかし。
カッ!
再び木剣がぶつかる。
……速い。
いや。
ただ速いわけではない。
最初から、次の攻撃を想定していたのだ。
受け止める位置がいい。
剣を大きく動かす必要がないから、次の防御にもすぐ移れる。
私は一度距離を取った。
「……なるほど」
思わず、小さく呟く。
「何か?」
グレンさんが尋ねる。
「いえ。とても綺麗な剣の使い方をされると思いまして」
「それはどうも」
グレンさんが少し笑った。
「ですが、まだ何もしておりませんよ」
「そうですね」
……だからこそ、厄介なのです。
強引に踏み込まない。
無理な攻撃をしない。
こちらの動きを見てから、必要な分だけ対応する。
戦い慣れていない相手なら、どこかで大きな動きをしてしまう。
だが、この方にはそれがない。
私は木剣を構え直した。
……では、こちらから少し変えてみましょう。
再び距離を詰める。
今度は、先ほどよりも速く。
足を踏み込み、正面から剣を振る。
カンッ!
受け止められる。
そのまま剣を引き、続けて反対側へ。
カッ!
また防がれた。
だが、今度はそこで止めない。
剣を戻す途中で、さらに一歩踏み込む。
グレンさんの右側へ回り込むように体を動かし、斜め下から切り上げる。
しかし。
「……っ」
グレンさんが半歩、後ろへ下がった。
こちらの剣先が、わずかに届かない。
そのまま、今度はグレンさんの木剣が動く。
上段からの一撃。
私は剣を持ち上げて受けた。
カァンッ!
先ほどよりも強い音が響く。
腕に、ずしりと衝撃が伝わった。
……重い。
筋力だけではない。
体重を乗せる位置が正確なのだ。
無理に振り下ろしているわけではないのに、十分な威力がある。
私は剣を斜めに傾け、力を逃がした。
木剣同士が擦れ合う。
そのまま横へ抜けようとする。
けれど、グレンさんは追ってこなかった。
こちらが距離を取ると、自然に構えへ戻る。
……深追いもしない。
普通なら、相手が下がったところを追撃することもある。
だが、追いかければ自分の間合いが崩れる。
その危険を、よく理解しているのだろう。
私はゆっくりと息を吐いた。
……これは、簡単にはいきませんね。
もちろん、負けるつもりはない。
ただ、正面から何度も攻撃を繰り返したところで、突破できる相手ではなさそうだった。
少し離れたところから、カイル様の声が聞こえる。
「……すごいなあ」
何に対しての感想なのかは分からない。
けれど、今はそちらを見る余裕はなかった。
グレンさんの剣先が、ゆっくりと動く。
今度は、向こうから来る。
私は重心を落とした。
次の瞬間。
グレンさんが踏み込んだ。
速い。
大きく振りかぶることなく、最短の動きで木剣が迫る。
私は体をずらし、剣を受け流した。
しかし、相手の動きは止まらない。
流された剣を無理に戻すのではなく、そのまま一歩踏み込み、次の攻撃へ繋げてくる。
カンッ!
カッ!
短い間隔で、木剣がぶつかる。
私は一歩下がる。
グレンさんが一歩進む。
さらに攻撃。
今度は左肩。
防ぐ。
続けて右側。
受け流す。
そして、正面からの突き。
……っ!
私は体を半身にし、木剣の横を抜けた。
頬のすぐ横を、木の先端が通り過ぎる。
もちろん、相手も寸前で力を抑えている。
だが、狙いは正確だった。
私は反撃に移ろうとして――やめた。
グレンさんの剣は、すでに戻り始めていた。
ここで踏み込めば、迎撃される。
……本当に、隙を残しませんね。
強い。
そう思った。
派手な技はない。
目を見張るような速度でもない。
それでも、一つひとつの動作が正確だった。
剣を振る時も。
防ぐ時も。
距離を取る時も。
必ず、次の動きへ繋がる位置に戻っている。
……長く生き残ってきた方の剣です。
私は、かつて見てきた戦士たちを思い出した。
力任せに武器を振るう者もいた。
自分の腕に絶対の自信を持ち、危険な距離へ飛び込む者もいた。
そうした戦い方が、通用することもある。
けれど。
長く戦場に立ち続けられるかどうかは、また別の話だった。
グレンさんの剣には、無理がない。
倒すことよりも、まず自分が崩れないことを大切にしている。
……なるほど。
私は少しだけ口元を緩めた。
こういう方と戦うのは、久しぶりかもしれない。
「……どうされました?」
グレンさんが尋ねる。
「いえ」
私は木剣を構え直した。
「とても勉強になります」
「それはこちらの台詞ですよ」
グレンさんも構えを整える。
「弓が専門と聞いていましたが、ここまで動かれるとは思いませんでした」
「近づかれた時に、何もできないわけにはいきませんので」
「なるほど。ごもっともです」
短いやり取り。
その間も、互いの視線は外れない。
……さて。
このままでは、決着がつかない。
グレンさんは、こちらが大きな隙を見せない限り、無理に攻めてこないだろう。
ならば。
その隙を、こちらから作るしかない。
私は一度、深く息を吸った。
そして、ゆっくりと吐く。
まずは右側へ踏み込む。
剣を振る。
カンッ!
防がれる。
そのまま一歩引く。
グレンさんも、わずかに距離を調整した。
もう一度。
今度は左から。
カッ!
やはり防がれる。
再び下がる。
グレンさんは追ってこない。
……やはり、そうですね。
私は同じような攻撃を、もう一度繰り返した。
踏み込む。
剣を合わせる。
下がる。
相手は無理に追わない。
その動きが、少しずつ一定の形になっていく。
グレンさんは警戒を緩めていない。
むしろ、こちらが何を狙っているのか探っているのだろう。
それでも。
同じ動きが続けば、次に起こることを予測できる。
そして、経験豊富な人ほど、その予測は正確になる。
……あと一度。
私は再び踏み込んだ。
今度も、右側から。
グレンさんが剣を受ける。
カンッ!
その瞬間。
私は、これまでより少しだけ深く後ろへ引いた。
今までと同じように距離を取り直す動き。
ただし、今回は半歩だけ大きい。
グレンさんの目が、わずかに動いた。
こちらが間合いを外したと判断したのだろう。
ここまでの攻防で、私が何度も距離を取り直していることは分かっているはずだ。
そして、今の位置で完全に下がられてしまえば、また最初から探り合いになる。
だから。
グレンさんは、一歩だけ踏み込んだ。
追撃ではない。
こちらに自由な間合いを与えないための、正確な一歩。
その判断は、決して間違っていない。
……ですが。
私は、その一歩を待っていた。
後ろへ下げかけた足を止める。
同時に、左足を斜め前へ滑らせた。
グレンさんの正面ではなく、剣を持つ腕の外側へ。
こちらが退くと思っていた位置へ、逆に踏み込む。
「……!」
グレンさんが即座に反応した。
剣先がこちらを追う。
速い。
だが、私はすでに木剣を動かしていた。
相手の剣を、正面から受け止めるのではない。
斜めに触れさせ、その向きをわずかに外へ逸らす。
カッ!
短い音。
グレンさんの剣先が、ほんの少しだけ外側へ流れた。
しかし、それだけでは終わらない。
グレンさんはすぐに手首を返し、こちらの動きに合わせて剣を戻そうとした。
……さすがです。
普通なら、これだけで大きく体勢を崩していただろう。
だが、グレンさんは違う。
足の位置も、重心も。
まだ十分に立て直せる。
それでも。
ほんの一瞬だけ、剣を戻す時間が必要だった。
その一瞬。
私は体を低くし、さらに半歩踏み込んだ。
相手の腕の内側へ、木剣を滑り込ませる。
グレンさんも剣を引く。
こちらの動きを止めようとする。
だが。
……届く。
私は剣先を止めた。
木剣の先端が、グレンさんの左肩に軽く触れていた。
同時に、相手の剣も私のすぐ横で止まっていた。
あと少し動きが遅ければ、こちらも打たれていただろう。
ほんのわずかな差だった。
「……参りました」
グレンさんが、静かに息を吐く。
私は木剣を下ろした。
「ありがとうございました」
互いに一歩下がり、頭を下げる。
その瞬間。
周囲から大きな歓声が上がった。
「おおおっ!」
「すげえ……!」
「今の、どうなったんだ?」
「最後、一瞬で距離が詰まったぞ!」
団員たちが口々に声を上げる。
私は少し驚いてしまった。
そういえば、周りで見られていたのだった。
「いやあ……見事ですな」
グレンさんが、木剣を肩から下ろしながら言った。
「最後の動き、完全にしてやられました」
「いえ。こちらも簡単には踏み込めませんでした」
「そうでしょうか?」
「はい」
私は素直に答えた。
「グレンさんは、ほとんど隙を見せてくださいませんでしたから」
グレンさんが少し目を丸くする。
「……ほう」
「無理に攻めず、常に次の動きへ繋がる位置を保っていらっしゃいました。とても勉強になる戦い方でした」
それは本心だった。
特別な魔法を使わずとも。
圧倒的な力を持たずとも。
正しい判断を積み重ねることで、ここまで安定した戦いができる。
町を守る人たちにとって、これほど良い手本はないだろう。
「……そう言っていただけるとは、ありがたいですな」
グレンさんは少し照れたように笑った。
「ですが、最後は見事に崩されました」
「無理に崩しただけです。あの一歩がなければ、もう少し時間がかかっていたと思います」
「なるほど……」
グレンさんが考え込む。
それから、何かに気づいたように顔を上げた。
「……あの後退は、わざとですか?」
「はい」
「やはり」
グレンさんが苦笑する。
「何度も同じように下がられたので、次も間合いを取り直すものだと思っていました」
「そう思っていただければと」
「いやはや。見事に誘われましたな」
けれど、その表情に悔しさはあまり見えなかった。
むしろ、どこか楽しそうだった。
「しかし……」
グレンさんが、もう一度こちらを見る。
「殿下があなたに訓練を任せようとされた理由が、よく分かりました」
「……そうでしょうか」
「ええ。こちらも、色々教わることになりそうです」
そう言って、手を差し出してくる。
私は一瞬だけ、その手を見た。
剣を握ってきた、硬い手。
けれど、そこにあるのは命令でも、強制でもない。
対等な立場で、互いの経験を認め合おうとする意思だった。
……不思議ですね。
ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
私は、その手を握り返した。
◇
「いやあ、すごかった!」
模擬戦が終わると、カイル様が嬉しそうに近づいてきた。
「フィオナもグレンも、めちゃくちゃ強いじゃん!」
「ありがとうございます」
「特に最後! あれ、どうやったの?」
「相手の動きを誘ったんです」
「誘った?」
「はい。何度か同じ動きを繰り返して、次も同じように動くと思っていただきました」
「へえ……」
カイル様が感心したように頷く。
「僕だったら、絶対引っかかるなあ」
「殿下の場合は、最初から別の戦い方をされるでしょう」
グレンさんが言う。
「え、そう?」
「魔法がお得意だと伺っていますから」
「ああ、まあね。でも今日は二人とも魔法なしだったでしょ?」
「ええ」
「それであんなに動けるの、やっぱりすごいと思うよ」
カイル様はそう言って、笑った。
その言葉に、少しだけ嬉しくなる。
けれど。
今はまだ、これからだった。
「カイル様」
「うん?」
「そろそろ、皆さんの訓練を始めてもよろしいでしょうか」
「あ、そうだった!」
カイル様が団員たちを見る。
「みんな、すっかり見入ってたもんね」
確かに、団員たちはまだ先ほどの模擬戦について話していた。
中には、木剣を持って動きを真似している人もいる。
……少しだけ、責任を感じますね。
これから、あの方たちに教えるのだ。
私はもう一度、気持ちを引き締めた。
◇
最初に行ったのは、二人一組での移動だった。
グレンさんが団員たちを二人ずつに分け、簡単な説明をする。
「まず、相手の位置を確認しながら動いてみろ」
指示に従い、団員たちが歩き始める。
しかし。
すぐに問題が見つかった。
「おい、離れすぎだ!」
「あ、すみません!」
「前ばかり見るな。後ろも確認しろ!」
前に進むことに集中しすぎて、相手との距離が開いてしまう。
片方が止まっても、もう片方が気づかずに歩き続けてしまう。
狩人や元傭兵の方は比較的落ち着いているけれど、経験のない方はなかなか難しそうだった。
「……なるほど」
私は少し考える。
こうして見ていると、普段は意識せずにやっていることも、言葉で説明するのは難しい。
「皆さん、一度止まっていただけますか」
声を掛けると、団員たちがこちらを見る。
「今の動きで、一つ気になったことがあります」
私は、前に立っていた若い男性に尋ねた。
「先ほど、隣の方が止まったことには気づいていましたか?」
「……いえ」
「そうですよね」
私は頷いた。
「ですが、相手の方も前を見ていたので、声を掛けられませんでした」
「……あ」
「二人で動く時は、自分が何を見ているかだけでなく、相手が何を見ているかも考えてみてください」
若者が少し考える。
「……じゃあ、片方が前を見て、もう片方が周りを見る感じですか?」
「はい。もちろん、状況によって変わりますが、その考え方で良いと思います」
「分かりました!」
若者が頷く。
私は少しだけ安心した。
……伝わったようですね。
それから、もう一度同じ訓練を行う。
今度は、少しだけ動きが良くなっていた。
◇
次に行ったのは、町の中で騒ぎが起きた時の対応だった。
訓練場に荷車や木箱を並べ、簡単な市場を再現する。
数人には住民役をお願いし、別の一人には荷物を盗んで逃げる役をしてもらった。
もちろん、本物の武器は使わない。
グレンさんが説明する。
「状況は、商人の荷物を盗んだ男が逃げようとしているところだ。お前たちは、できるだけ安全に対応してみろ」
団員たちが頷いた。
「では、始め!」
合図とともに、犯人役の男性が走り出す。
「待て!」
若い団員が追いかけた。
もう一人も、それに続く。
しかし。
「……そこまでです」
私は声を掛けた。
二人が足を止める。
「何か問題がありましたか?」
一人が尋ねた。
「はい」
私は、犯人役が向かっていた方向を指差した。
「あちらには、何がありましたか?」
「……荷車です」
「その隣には?」
若者が振り返る。
荷車の陰には、住民役の女性が立っていた。
「……人がいました」
「はい」
私は頷く。
「皆さん、逃げる相手ばかり見ていました」
団員たちが静かになる。
「もし、あの方が慌てて逃げようとしていたらどうなっていたでしょうか」
「……ぶつかったかもしれません」
「そうですね」
私は少しだけ考えてから続けた。
「犯人を捕まえることは大切です。ですが、それだけが目的ではありません」
全員の顔を見る。
「敵を倒すことと、町を守ることは同じではありません」
静かな風が吹いた。
団員たちは、真剣な表情で話を聞いている。
「皆さんが守ろうとしているのは、ここで暮らしている人たちです。ですから、相手を追いかける前に、周囲の安全も確認してください」
「……でも」
若者が少し困ったように口を開いた。
「それだと、逃げられてしまいませんか?」
「そうかもしれません」
私は答える。
「ですが、無理に追いかけて誰かが怪我をしてしまったら、どうでしょうか」
「……」
「必ず、その場で捕まえなければならないわけではありません。相手の特徴や逃げた方向を確認して、仲間へ知らせる方法もあります」
グレンさんが頷いた。
「その通りだ。だからこそ、一人で動くなと言ったんだ」
若者が、少し考え込む。
そして。
「……分かりました」
ゆっくりと頷いた。
「次は、周りの人の安全も確認してから動いてみます」
その言葉を聞いた時。
私は、少しだけ不思議な気持ちになった。
……そうですか。
伝わったのですね。
自分にとっては、当たり前に考えていたことだった。
けれど、それを言葉にして伝えれば、誰かが理解してくれる。
そして、その人が次に動く時の判断に繋がっていく。
……何だか、嬉しいですね。
私は自然と、口元を緩めていた。
「では、もう一度やってみましょう」
「はい!」
返事が揃う。
今度は、最初から周囲を確認して動く人が増えていた。
犯人役が走り出すと、一人が住民役の前へ移動する。
別の団員は、逃げた方向を確認してグレンさんへ報告した。
まだ動きはぎこちない。
連携も、決して完璧ではない。
それでも。
最初より、確実に良くなっていた。
◇
訓練は、それから何日か続いた。
グレンさんは、剣や盾の扱い方と集団行動を中心に教えている。
私は、森での警戒や、周囲の変化に気づくための訓練を担当した。
森の中では、相手の姿が見えなくても、音や足跡から気づけることがある。
ただし、それだけに頼ってはいけない。
風向きが変われば音の届き方も変わるし、雨が降れば足跡も分かりにくくなる。
そうしたことを、実際に森の近くを歩きながら説明した。
最初は戸惑っていた団員たちも、少しずつ慣れていった。
「……あ、あそこに何かいます!」
狩人の男性が、木々の間を指差す。
「よく気づきましたね」
「ありがとうございます!」
「ですが、まだ近づかないでください。何がいるか分かりませんから」
「はい!」
別の日には、複数人で警戒する時の合図を考えた。
大きな声を出すと相手に気づかれることもある。
だから、手の動きや簡単な合図で意思を伝える練習もした。
もちろん、すべてをすぐに覚えられるわけではない。
間違えることもある。
同じ説明を何度もしなければならないこともあった。
それでも。
不思議と、嫌ではなかった。
むしろ。
昨日できなかったことが、今日はできるようになっている。
最初は何も分からなかった人が、自分で考えて動けるようになっている。
その姿を見るたびに、少し嬉しくなる。
……人に教えるというのは、こういうことなのですね。
自分にとっては当たり前だったことも、言葉にして伝えるのは難しい。
相手が理解できなければ、別の説明を考えなければならない。
時には、自分自身も考え直す必要がある。
けれど。
そうして伝えたことが、誰かの中に残っていく。
それは、今まであまり感じたことのない喜びだった。
私は自分の手を見る。
長い間、戦うために使ってきた手。
生き残るために弓を引き、武器を握ってきた。
けれど、今は。
その経験を、誰かに伝えている。
命じられたからではない。
ただ、自分がそうしたいと思ったから。
……少し、不思議ですね。
私は静かに息を吐いた。
そして、訓練を続ける団員たちへ視線を戻した。
「では、次は少し難しくしてみましょうか」
「はい!」
元気な返事が返ってくる。
その声を聞いて、私はまた少しだけ口元を緩めた。
◇
自警団が最初の見回りを始めたのは、それから数日後のことだった。
もっとも、まだ全員が十分に訓練を終えたわけではない。
だから当面は、グレンが経験者を中心に組を作り、少しずつ巡回へ出ることになった。
危険な場所へ無理に踏み込むことはしない。
何か問題があれば、まず報告する。
町の見回りも、今まで夜番を担当していた人たちと協力しながら進めていく。
僕も、領地の予算から必要な給金や装備を用意することにした。
といっても、最初から立派な鎧や武器を全員分揃えるのは難しい。
だから、まずは最低限のものから。
訓練用の木剣。
簡単な防具。
夜間の見回りに使う灯り。
それから、何かあった時に連絡するための笛。
詰所も、今は町の空き家を一つ借りただけだ。
……うん。
まだまだ騎士団って感じじゃない。
「……なんか、思ってたより地味だね」
「そうでしょうか?」
隣のフィオナが尋ねる。
「いや、悪い意味じゃないんだけどさ」
僕は、通りの向こうを見る。
グレンを先頭に、三人の団員が歩いていた。
装備はまだ統一されていない。
立派な鎧もないし、剣だって使い込まれたものだ。
でも。
彼らは周囲を確認しながら、落ち着いた足取りで歩いている。
「もっとこう、騎士団っていうと格好いい鎧とか、揃った隊列とかを想像してたんだよね」
「まだ始まったばかりですから」
「そうだね」
その時。
通りの先で、一台の荷馬車が立ち止まった。
どうやら、荷物を降ろそうとしているらしい。
しかし、その場所では通行の邪魔になってしまう。
「あ」
僕が声を出すより早く、グレンたちが動いた。
近くへ歩いていき、商人へ何かを説明している。
商人は少し困ったような顔をしたけれど、すぐに頷いた。
団員の一人が、荷車を止められる場所まで案内する。
別の団員は、周囲の人たちが通れるように道を空けていた。
「……あれ」
「どうされました?」
「この前の荷馬車の騒ぎ、覚えてる?」
「はい」
「なんか、同じようなことになりそうだったのに」
今回は、誰も怒鳴っていない。
喧嘩にもなっていない。
ただ、グレンたちが間に入って、荷馬車を移動させただけだ。
「……こういうのが仕事なんだね」
「そうですね」
フィオナが頷く。
「大きな事件が起きる前に、問題を解決することも大切ですから」
「うん。確かにそうだ」
少しして、グレンたちがこちらへ戻ってきた。
「殿下」
「お疲れさま、グレン」
「ありがとうございます」
「さっきの対応、よかったね」
「大したことではありませんよ」
グレンが笑う。
「荷物を降ろす場所が分からなかっただけのようですから、案内しただけです」
「でも、前はああいうので喧嘩になってたんだよね」
「そうでしたな」
「だから、ちゃんと意味があると思うよ」
グレンは少しだけ目を細めた。
「……そう言っていただけるなら、ありがたいです」
その時、近くの店主が声を掛けてきた。
「おう、グレン! 今日から見回りか?」
「ああ。まだ始まったばかりだがな」
「頼りにしてるぞ!」
「何かあったら知らせてくれ」
「おう!」
店主が笑って手を振る。
グレンも軽く手を上げて応えた。
その様子を見て、僕は少し嬉しくなった。
……いいなあ、こういうの。
立派な騎士団じゃなくても。
町の人たちが、安心して声を掛けられる相手がいる。
それだけでも、随分と違う気がする。
◇
夕方。
僕とフィオナは、市場を抜けて屋敷へ戻る途中だった。
空には薄い雲が広がり、その隙間から差し込む夕陽が町の屋根を柔らかく照らしていた。
市場では店じまいを始める人もいるけれど、食堂の方からはまだ人の声が聞こえてくる。
遠くでは、加工場から帰る人たちが連れ立って歩いていた。
「……なんか、少しずつ変わってきたね」
「そうですね」
「最初は茶を売りたいってだけだったのにさ」
僕は通りを見渡す。
茶を育てる畑ができて。
加工場ができて。
木工職人たちの仕事が増えて。
食堂では、新しい茶や菓子を出すようになった。
そして今度は。
町を守る人たちまで生まれた。
「……本当に、色々増えたなあ」
「はい」
フィオナが静かに頷く。
その横顔は、どこか穏やかだった。
「そういえば、フィオナ」
「はい」
「訓練の方はどうだった?」
フィオナがこちらを見る。
「どう、とは?」
「いや、教えるの初めてだったでしょ? 結構大変だったんじゃないかなって」
「ああ……」
フィオナが少し考える。
「そうですね。人に教えるというのは、思っていたより難しいものでした」
「やっぱり?」
「はい。自分では自然にできることでも、言葉にして伝えようとすると、なかなかうまく説明できなくて」
「なるほどねえ」
「ですが、皆さん真剣に取り組んでくださいました」
「うん。見てても分かったよ」
僕は笑う。
「最初より、みんなかなり動けるようになってたよね」
「そうですね」
「フィオナの教え方、分かりやすかったんじゃない?」
「……そうでしょうか」
「うん。少なくとも、僕は聞いてて結構勉強になったよ」
「ありがとうございます」
フィオナが少しだけ口元を緩めた。
「それでさ」
「はい」
「フィオナ自身はどうだった? 教えるの」
そう尋ねると、フィオナは少し驚いたような顔をした。
「……私、ですか?」
「うん」
僕は頷く。
「みんなの役に立ったのは分かってるけど、フィオナがどう感じたのかなって」
フィオナは、しばらく考えていた。
少しだけ視線を落とし、それから通りの向こうを見る。
仕事を終えた人たちが、笑いながら歩いている。
その中には、今日訓練に参加していた若い団員の姿もあった。
フィオナは、その姿を少しの間眺めていた。
そして。
「……そうですね」
ゆっくりと口を開く。
「思っていたより、楽しかったです」
「そっか」
「はい」
その声は、少しだけ嬉しそうだった。
「最初は、うまく教えられるか不安だったのですが……」
「うん」
「皆さんが少しずつできるようになっていくのを見ると、私も嬉しくなりました」
「いいね、それ」
僕がそう言うと、フィオナはこちらを見る。
「それに……」
「ん?」
フィオナは少しだけ言葉を探すように間を置いた。
そして、静かに続けた。
「また、教えてみたいと思います」
……あ。
なんだか、嬉しくなった。
「うん!」
僕は笑う。
「それなら、またお願いしようかな」
「はい」
「でも、無理はしないでね。グレンもいるんだし、全部フィオナがやらなくても大丈夫だから」
「分かっています」
フィオナが頷く。
「私も、できる範囲で続けていきたいと思います」
「そっか。それならよかった」
以前のフィオナなら、どう答えていただろう。
きっと、頼まれたからには頑張らなければと思っていた気がする。
でも、今は。
自分が楽しかったから。
またやってみたいと思ったから。
そう言ってくれた。
たぶん、それは小さな違いなんだろう。
でも、僕にはとても大きなことのように感じられた。
「……ねえ、フィオナ」
「はい」
「こういうの、もっと増えるといいね」
「……こういうの、ですか?」
「うん。フィオナが自分からやってみたいって思えること」
フィオナが少し目を見開く。
それから、ゆっくりと表情を和らげた。
「……そうですね」
その返事は、とても静かだった。
でも。
どこか、以前よりも柔らかく聞こえた。
◇
屋敷へ続く坂道を上がりながら、僕はもう一度町を振り返った。
夕暮れの通りには、まだ多くの人が行き交っている。
市場からは商人たちの声。
食堂からは、楽しそうな笑い声。
工房からは、木材を叩く槌の音。
そして。
その中を、グレンたちが歩いていた。
まだ制服もない。
装備も揃っていない。
人数だって、たった十二人だ。
立派な騎士団には、ほど遠い。
それでも。
彼らは町の様子を確認しながら、ゆっくりと通りを進んでいる。
近くの店主が声を掛け、団員の一人が笑って応えた。
その光景を見ていると、何だか安心する。
今までは、何か問題が起きた時に誰かが動いていた。
でも、これからは。
問題が起きる前に、町を見守る人たちがいる。
誰かが安心して買い物をして。
仕事を終えて、家へ帰って。
家族と食事をして。
また明日を迎える。
そんな、当たり前の毎日を守るための仕事だ。
「……いい町になってきたね」
思わず呟く。
隣のフィオナが、町を見下ろした。
「はい」
夕陽が、彼女の銀色の髪を淡く照らす。
「私も、そう思います」
その声を聞きながら、僕はもう一度町を眺めた。
新しい仕事が生まれれば、そこに人が集まる。
人が集まれば、町は賑やかになる。
そして、その賑わいを守るために、また新しい仕事が生まれる。
ほんの少し前まで、静かだった辺境の町。
今では、そこに色々な人たちの暮らしがある。
それぞれが、自分の仕事を見つけて。
自分の役割を持って。
少しずつ、町を支えるようになっている。
その中に。
今日、新しい守り手たちが加わった。
まだ小さな自警団。
けれど、その一歩は。
きっと、この町にとって大きな意味を持つものになるんだろう。
ここまで、2章の上編(とでも言うのかな)です。
ここら辺で1/3の想定です。
次話から2章の中編(勝手に呼んでるだけ)です。
長くなってしまいそうですが、お付き合いください。




