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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第二章 辺境に芽吹く
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第三十二話 守るという仕事

 最近、町から届く報告書の内容が少し変わってきた。


 以前は、壊れた家の修繕や農地の問題、道路の整備なんかが多かった。


 もちろん、今でもそういう報告はある。


 ただ、それとは別に、少し気になるものが増えている。


「……また喧嘩?」


 机の上に置かれた書類を見ながら、思わず呟いた。


 市場での口論。


 夜間の騒ぎ。


 荷物の盗難。


 商人の馬車が道を塞いでしまったという苦情まである。


 どれも大きな事件ではない。


 でも、こう何枚も続くと、さすがに気になってくる。


「最近、こういう報告増えてない?」


 向かいで別の書類を確認していたフィオナが顔を上げた。


「そうですね。特に市場の周辺で増えているようです」


「この前も荷馬車が道を塞いで、言い合いになってたよね」


「ええ。あの時は近くの店主の方が間に入ってくださいましたが」


「毎回誰かが止めてくれるとは限らないもんね」


 僕は書類を机に戻した。


 少し前まで、この町はとても静かだった。


 そもそも人が少なかったし、外から来る商人も限られていた。


 住民同士なら大抵顔見知りだから、何か問題が起きても、近所の人たちが間に入って解決することが多かったらしい。


 もちろん、最低限の見回りはある。


 町の人たちが交代で夜番をしたり、魔物が近づいていないか確認したり。


 第一章で魔物が襲ってきた時にも、そうした人たちが住民の避難を手伝ってくれた。


 ただ、あれから町は随分と変わった。


 茶が売れるようになって。


 商人が増えて。


 新しい仕事まで生まれ始めている。


 その結果、今までのやり方では対応しきれないことも出てきたらしい。


「……人が増えるのって、いいことばっかりじゃないんだなあ」


「人が増えれば、それだけ考え方や事情の違う方も集まりますから」


「だよね。それ自体は悪いことじゃないんだけどさ」


 知らない人が来るから危険、という話ではない。


 ただ、人が増えれば、それだけ揉め事が起きる機会も増える。


 今まで十人で使っていた道を百人で使えば、当然混雑する。


 商売だって同じだろう。


「そういえば、夜番の人たちは大丈夫なの?」


「最近は回数を増やしているそうですが、負担も大きくなっているようです」


「そっか……」


 昼間は普通に働いて、夜は見回り。


 それが何度も続けば、さすがに疲れる。


 しかも、今後さらに人が増える可能性もある。


「そろそろ、ちゃんと考えないと駄目かもしれないね」


「私もそう思います」


 フィオナが頷く。


「今の町には、以前とは違う備えが必要になっているのでしょう」


「うん。でも、何から始めたらいいんだろうね」


 僕は椅子の背にもたれた。


 町を守る。


 言葉にするのは簡単だけど、考えてみれば随分と範囲が広い。


 魔物への対処もあれば、盗難や喧嘩もある。


 夜の見回りだって必要だ。


 その全部を僕とフィオナでやるわけにはいかない。


「……とりあえず、町の様子を見に行こうか」


「そうですね。実際に見てみた方が分かることもあると思います」


「じゃあ、書類は帰ってきてからでいい?」


「急ぎのものだけは確認してからにしましょう」


「……はーい」


 どうやら、そこは譲ってもらえないらしい。


     ◇


 昼前の市場は、今日も賑わっていた。


 通りには野菜や果物を並べた露店が立ち、店先からは客を呼び込む声が聞こえてくる。


 少し離れたところでは、荷馬車から商品を降ろしている人たちがいた。


 以前よりも商品が増えた気がする。


 塩や布といった生活用品に加えて、見慣れない道具や装飾品を扱う商人もいるようだった。


「……本当に色々増えたね」


「そうですね。以前は見かけなかった品物もあります」


「商人が来てくれるようになったのは嬉しいなあ」


 店先を覗きながら歩く。


 見慣れた町の人たちが、僕らに気づいて挨拶してくれた。


「殿下、おはようございます!」


「おはよう。今日は忙しそうだね」


「ええ、おかげさまで!」


 野菜を売っている男性が嬉しそうに笑う。


 その隣では、知らない商人が店主と値段の交渉をしていた。


 こういう光景も、少しずつ当たり前になってきた。


「……あれ?」


 ふと、通りの先が気になった。


 何人かの人が、同じ方向を見ている。


 その向こうから、少し大きな声が聞こえてきた。


「おい! 待て!」


 男性の怒鳴り声。


 続いて、人混みの中から誰かが飛び出してきた。


「どいてくれ!」


 若い男だった。


 片手に布で包まれた荷物を抱え、周囲の人を押しのけるように走ってくる。


 その後ろでは、商人らしき男性が必死に追いかけていた。


「泥棒だ! そいつを捕まえてくれ!」


「……え?」


 一瞬、状況が分からなかった。


 でも、フィオナはすでに男の方を見ている。


「カイル様、下がっていてください」


「うん。でも、周りに人が多いから気をつけてね」


「はい」


 フィオナが動こうとした、その時だった。


「そっちの荷車、止めてくれ!」


 低く、よく通る声が響いた。


 見ると、通りの脇にいた一人の男が、荷車を引いていた男性へ声を掛けていた。


「道の真ん中じゃなくて、端へ寄せろ! 人を巻き込む!」


「お、おう!」


「そこの二人、子供たちを下がらせてくれ!」


 男の指示で、近くにいた人たちが動き始める。


 逃げている若者は、人混みを避けようとして脇の細い道へ向かった。


 けれど。


 その男は、すでにそちらへ回り込んでいた。


「……あ」


 次の瞬間。


 逃げていた若者が、男の姿に気づいて足を止めた。


「どけ!」


 若者が叫ぶ。


 しかし、男は動かない。


「荷物を置け」


「うるさい!」


 若者が無理やり横を抜けようとする。


 男は一歩だけ体をずらした。


 伸びてきた腕を受け流し、相手の勢いを利用するようにして体勢を崩す。


「うわっ!」


 若者が地面に倒れかける。


 けれど、男はそのまま突き飛ばしたりはしなかった。


 相手の腕を押さえながら、地面へゆっくりと膝をつかせる。


「暴れるな。怪我するぞ」


「離せ!」


「落ち着け。もう逃げられん」


 男の声は、驚くほど冷静だった。


 その頃には、追いかけていた商人も追いついていた。


「そいつだ! 俺の荷物を!」


「分かった。まずは落ち着いてくれ」


 男は商人にも声を掛ける。


「荷物はこれで間違いないか?」


「ああ! 間違いない!」


「中身は?」


「染めた布だ。店に並べようとしていたものなんだ!」


「そうか」


 男が頷く。


 そして、周囲を見回した。


「誰か、町の役所へ知らせてきてくれないか。こいつを引き渡したい」


「ああ、分かった!」


 近くにいた店主が走っていく。


 男は若者の腕を押さえたまま、それ以上何かをする様子はなかった。


 怒鳴りつけることもない。


 殴ることもない。


 ただ、逃げないようにしているだけだ。


「……すごいね」


 思わず呟く。


 フィオナも、男の方をじっと見ていた。


「ええ。よく周囲を見ていらっしゃいます」


「フィオナから見ても?」


「はい。相手だけでなく、荷車や周囲の人の位置まで確認して動いていました」


「そうなんだ」


「それに、取り押さえる時も、必要以上の力を使っていません」


 確かに。


 あっという間の出来事だったけれど、若者は怪我をした様子もない。


「慣れてる人なのかな?」


「おそらく、戦闘経験がある方だと思います」


「へえ……」


 もう一度、男を見る。


 短く整えた黒髪。


 少し日に焼けた顔に、薄い無精髭。


 右の眉の近くには、古い傷跡があった。


 体格はしっかりしているけれど、特別大きいわけではない。


 服装も、ごく普通の町の人と変わらなかった。


 ただ、その立ち姿には不思議な安定感があった。


 騒ぎが落ち着いた後も、周囲を確認する視線が途切れない。


「……ちょっと話してみたいな」


「私も、そう思います」


     ◇


 しばらくして、役所の人たちがやってきた。


 商人と若者、それから騒ぎを見ていた人たちから事情を聞いている。


 若者は何か言い訳をしているようだったけれど、少なくとも荷物を持って走っていたところは何人も見ていたらしい。


 詳しい事情は、これから確認することになるだろう。


 男は役所の人へ若者を引き渡すと、ようやく腕を離した。


「それじゃ、あとは頼む」


「助かったよ、グレン」


「ああ。大したことはしてない」


 ……グレン。


 どうやら、あの人の名前らしい。


「ねえ、ちょっといい?」


 僕が声を掛けると、男が振り返った。


 こちらの顔を見るなり、少し驚いたように目を見開く。


「……殿下?」


「うん。さっきはありがとう」


「いえ、俺はたまたま通りかかっただけですので」


「それでも助かったよ。誰も怪我しなかったみたいだしね」


 男は少しだけ頭を下げた。


「そう言っていただけるなら」


「グレン、で合ってる?」


「はい。グレンと申します」


「僕はカイル。まあ、知ってると思うけど」


「もちろんです」


 グレンが少し笑った。


 堅苦しすぎる様子もない。


 でも、礼儀はきちんとしている。


「それで、さっきの動きなんだけどさ」


「はい」


「すごく慣れてたよね。何かそういう仕事してたの?」


 グレンは少し意外そうな顔をした。


「……分かりますか」


「いや、僕にはあんまり分かんなかったんだけど」


 隣のフィオナを見る。


「フィオナが、かなり経験のある人だと思うって」


「なるほど」


 グレンがフィオナへ視線を向ける。


「そちらが、殿下の護衛の方ですか」


「はい。フィオナと申します」


「グレンです。よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 二人が軽く頭を下げ合う。


「以前は傭兵をしていました」


「傭兵?」


「ええ。商隊の護衛や魔物の討伐などを、十年以上やっていました」


「へえ! じゃあ、結構長いんだね」


「そうですね。気づけば随分と長く続けていました」


「今はもう辞めたの?」


「はい。数年前に」


「そうなんだ。今は何してるの?」


「荷運びや、時々商人の手伝いなんかをしています。体を動かす仕事なら、それなりにできますので」


「ああ、なるほど」


 だから市場にいたのか。


「この町には長いの?」


「傭兵を辞めてからですから、三年ほどでしょうか」


「結構前からいるんだね」


「ええ。静かで、暮らしやすい町でしたから」


 グレンが周囲を見回す。


 市場では、さっきまでの騒ぎが嘘のように商売が再開されていた。


「もっとも、最近は随分と賑やかになりましたが」


「あはは……」


 それは否定できない。


「迷惑だった?」


「いえ、そんなことはありませんよ」


 グレンが首を横に振る。


「仕事も増えましたし、町の連中も前より明るくなりました。良いことだと思います」


「そっか。それならよかった」


「ただ……」


「ん?」


「こういう揉め事も、少し増えましたね」


 グレンは、先ほど若者が逃げていった道へ視線を向けた。


「以前なら、あそこまで人が集まることもありませんでしたから」


「やっぱりそうなんだ」


「ええ。夜番をしている連中も、最近は忙しそうですよ」


「ああ、その話も聞いてる」


 グレンが少し驚いたようにこちらを見る。


「殿下のところにも?」


「うん。最近、そういう報告が増えてきたからさ。ちょうどフィオナと町の様子を見に来たところだったんだよね」


「なるほど」


 グレンが頷く。


 それから、少し考えるように口を閉じた。


「……一つ、よろしいでしょうか」


「うん。何?」


「今の町は、以前より人が増えています」


「そうだね」


「商人も来るようになりましたし、知らない人間同士が顔を合わせる機会も増えました」


「うん」


「それ自体は良いことです。ただ、これまでのやり方では、いずれ対応できなくなると思います」


 僕はグレンを見る。


「……やっぱり?」


「はい」


 グレンは落ち着いた声で続けた。


「今は、何かあれば近くの住民が間に入っています。ですが、それだけでは限界があります」


「だよね」


「今回も、たまたま俺が近くにいたから対応できました。でも、いつも経験のある人間が居合わせるとは限りません」


「確かに」


 もし、さっきの若者が人混みの中で誰かを突き飛ばしていたら。


 あるいは、荷車とぶつかっていたら。


 誰かが怪我をしていたかもしれない。


「町が大きくなるなら、守る側も変わらないといけません」


 グレンはそう言った。


 僕は、少しだけ考える。


 ……守る側も変わる、か。


「ありがとう、グレン」


「いえ」


「ちょっと考えてみるよ」


「ええ。俺にできることがあれば、声を掛けてください」


「うん。その時はよろしくね」


 グレンはもう一度頭を下げると、仕事へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、僕はフィオナへ声を掛ける。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「あの人、どう思う?」


 フィオナは少し考えてから答えた。


「経験もありますし、落ち着いた方だと思います」


「うん」


「特に、先ほどの対応は良かったと思います。相手を捕まえることより、周囲の安全を優先していましたから」


「やっぱりそうなんだ」


「ええ」


「……そっか」


 僕は、グレンが歩いていった方を見る。


 何となく。


 さっきまで考えていたことに、少し答えが見えた気がした。


     ◇


 屋敷へ戻った後。


 僕はもう一度、机の上に置かれた報告書を眺めていた。


 市場での盗難。


 夜間の騒ぎ。


 商人同士の揉め事。


 それから、町の外で目撃された魔物の報告。


 今までは、何か問題が起きるたびに対処してきた。


 でも、それだといつまで経っても同じことの繰り返しだ。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「町を守る人たち、ちゃんと集めてみない?」


 フィオナが顔を上げた。


「……警備を専門にする方々、ということでしょうか」


「うん。最初はそこまで大きな組織じゃなくてもいいと思うんだよね」


 僕は書類を机に置く。


「今までは町の人たちが交代で見回りしてくれてたけど、そろそろそれだけじゃ厳しいでしょ?」


「そうですね。今後さらに人が増えるのであれば、必要になると思います」


「じゃあ、自警団みたいなのを作ろうか」


「自警団、ですか」


「うん。最初は町の有志を集めて、見回りとか、何かあった時の対応をしてもらう感じ」


 もちろん、それだけではない。


 魔物が近づいていないか確認したり、夜間に町の周囲を巡回したり。


 商人が増えれば、街道の警戒も必要になるかもしれない。


「でも、毎日やってもらうなら給金も必要だよね」


「ええ。今までのように、皆さんの善意だけに頼るわけにはいかないと思います」


「だよね」


 町を守るのだって、立派な仕事だ。


 それなら、働いてくれる人にはちゃんとお金を払いたい。


「人数は……最初は十人くらいかな?」


「今の町の規模であれば、まずはそのくらいから始めても良いと思います」


「うん。足りなかったら増やせばいいしね」


 ただ。


 一つ、気になることがある。


「……でもさ」


「はい」


「戦える人を集めればいいってわけでもないよね?」


 フィオナが少しだけ目を細めた。


「そうですね」


「さっきのグレンみたいに、ちゃんと周りを見て動ける人じゃないと困るし」


「ええ。町の中で剣を振るうことになれば、関係のない人を巻き込む危険もあります」


「そうなんだよね」


 いくら強くても、喧嘩を見つけるたびに剣を抜くような人間では困る。


 むしろ、そんな人が警備をしていたら、町の人たちの方が怖がってしまう。


「じゃあ、やっぱり訓練も必要か」


「はい。戦闘技術だけでなく、複数人での動き方や、危険を避ける判断も教えた方がよいと思います」


「なるほどねえ……」


 僕は椅子の背にもたれた。


 自警団を作ろう。


 そう思ったのはいいけれど、考え始めるとやることが随分と多い。


 人を集めて。


 給金を決めて。


 装備を用意して。


 見回りの場所を決めて。


 訓練までしないといけない。


「……また仕事増えたなあ」


 思わず呟く。


 フィオナがこちらを見る。


「ですが、必要なことだと思います」


「うん。それは分かってるよ」


 僕は小さく笑った。


「せっかく町が賑やかになってきたんだし、みんなが安心して暮らせるようにしたいからね」


「……はい」


 フィオナも、静かに頷いた。


「私も、そう思います」


「じゃあ、やってみようか」


「ええ」


 そうと決まれば、次は人選だ。


 そこで、ふと思い出す。


「……あ」


「どうされました?」


「ちょうどいい人、いるじゃん」


「……グレンさん、ですか?」


「うん!」


 フィオナも同じことを考えていたらしい。


「さっき、自分にできることがあれば声を掛けてって言ってくれたでしょ?」


「そうですね」


「だったら、一度お願いしてみようよ」


「私も、良いと思います」


 よし。


 まずはそこからだ。


     ◇


 翌日。


 僕らはグレンを訪ねることにした。


 昨日聞いた話を頼りに、市場の近くにある荷運びの仕事場へ向かう。


 ちょうど昼前だったらしく、何人かの男性が荷物を運んでいた。


「あ、いた」


 その中に、見覚えのある黒髪の男がいた。


「グレン!」


 声を掛けると、グレンが振り返る。


「……殿下?」


「昨日ぶり」


「ええ。まさか、わざわざこちらまでいらっしゃるとは」


「ちょっと相談したいことがあってさ」


「相談、ですか?」


「うん。時間ある?」


 グレンは少し考えてから頷いた。


「今の荷を運び終えれば大丈夫です。少しお待ちいただけますか」


「もちろん。仕事中にごめんね」


「いえ、お気になさらず」


 そう言って、グレンは残っていた荷物を運び始めた。


 僕らは邪魔にならない場所で待つ。


 少しして仕事が一段落すると、グレンがこちらへ戻ってきた。


「お待たせしました」


「ううん、大丈夫。それで、昨日の話なんだけど」


「昨日の?」


「町を守る人たちのこと」


 グレンの表情が少し変わった。


「……何かお考えになったのですか?」


「うん。自警団を作ってみようと思うんだよね」


「自警団……」


「今の夜番とは別に、町の警備を仕事にする人たちを集めたいんだ」


 グレンは黙って話を聞いていた。


「もちろん、最初から立派な騎士団みたいなものを作るつもりはないよ」


「ええ」


「まずは十人くらい集めて、市場の見回りとか、夜の警備とか。町の外の様子も確認できるようにしたいんだよね」


「なるほど」


「で、そのまとめ役をグレンにお願いできないかなって」


 グレンが目を見開いた。


「……俺に、ですか?」


「うん」


「ですが、俺はもう傭兵を辞めた身ですよ」


「それは聞いたよ。でも、経験はあるんでしょ?」


「それなりには」


「さっきも話したけど、昨日の対応がすごく良かったんだよね」


 僕はグレンを見る。


「ただ捕まえるだけじゃなくて、周りの人たちにも気を配ってたでしょ?」


「……ええ」


「そういう人に任せたいんだ」


 グレンは少しだけ視線を落とした。


 すぐには答えない。


 しばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「殿下。一つ、確認してもよろしいでしょうか」


「うん。何?」


「その自警団は、何のために作るんです?」


「何のため?」


「はい」


 グレンは真剣な表情だった。


「町を守る、と仰いましたが、それにも色々あります」


「うん」


「領主の財産を守るための兵なのか。それとも、町の中で問題を起こす者を取り締まるための組織なのか」


 なるほど。


 確かに、何をする組織なのかによって役割は変わる。


「……そうだね」


 僕は少し考えた。


「一番は、町の人たちが安心して暮らせるようにすることかな」


「安心して、ですか」


「うん」


 昨日の市場を思い出す。


 逃げる若者。


 追いかける商人。


 慌てて道を空ける人たち。


 もしグレンがいなかったら、誰かが怪我をしていたかもしれない。


「町の人たちが安心して買い物したり、仕事したりできるようにしたいんだよね」


「……」


「もちろん、商人や旅人もだよ。せっかくこの町まで来てくれたんだから、安心して過ごしてほしいし」


 グレンは静かに頷いた。


「なるほど」


「あと、魔物への対処も必要になると思う。でも、町の中で起きる揉め事まで、全部剣で解決するわけにはいかないでしょ?」


「……ええ。その通りです」


「だから、ただ強い人じゃなくて、ちゃんと考えて動ける人たちを集めたいんだ」


 僕は少し笑った。


「もちろん、最初から全部できる人ばっかり集まるとは思ってないけどね」


「それはそうでしょうな」


 グレンの表情が、ほんの少し和らいだ。


「殿下」


「うん?」


「俺は、長いこと傭兵をやっていました」


「うん」


「商隊を護衛したこともあれば、魔物と戦ったこともあります。何人かの仲間を率いたこともありました」


「じゃあ、やっぱり経験はあるんだね」


「ですが……」


 グレンが少しだけ言葉を切る。


「傭兵というのは、案外守れないものが多いんですよ」


 その声は、それまでより少しだけ低かった。


「……そうなの?」


「ええ」


 グレンは遠くを見るように目を細めた。


「仕事を受けて、危険な場所へ向かって、無事に帰ってくる。それができればいいんですが、いつもそうとは限りません」


「……うん」


「仲間が帰ってこなかったこともあります」


 僕は何も言わなかった。


 グレンも、それ以上詳しく話そうとはしなかった。


 しばらくして、彼は小さく息を吐いた。


「だから、傭兵を辞めた後は、もう剣を持つ仕事はしないつもりだったんです」


「……そっか」


「ですが」


 グレンがこちらを見る。


「昨日のようなことがあると、放っておくわけにもいきませんな」


 そう言って、少し苦笑した。


「せっかく落ち着いた町が、また物騒になるのも困りますから」


「うん。僕もそう思う」


 グレンは少し考えてから、もう一度口を開いた。


「……もう一つ、お願いしてもよろしいですか」


「もちろん」


「集める人間については、俺にも意見を言わせてください」


「ああ、それはぜひお願いしたい」


 僕が即答すると、グレンは少し驚いたようだった。


「よろしいのですか?」


「だって、実際に一緒に働くのはグレンでしょ?」


「それは、そうですが」


「だったら、どんな人が向いてるかもグレンの方が分かると思うんだよね」


 僕は肩をすくめる。


「僕が勝手に集めて、あとはよろしくって言われても困るでしょ?」


「……はは」


 グレンが小さく笑った。


「確かに、その通りですな」


「でしょ?」


「分かりました」


 グレンは姿勢を正す。


「俺でよろしければ、お引き受けしましょう」


「本当?」


「ええ。ただし、最初からうまくいくとは限りませんよ」


「それは分かってるよ。僕もこういうの初めてだしね」


「でしたら、一つずつ整えていきましょう」


「うん。よろしくね、グレン」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 差し出した手を、グレンが握る。


 その手は大きく、硬かった。


 長い間、剣を握ってきた人の手なのだろう。


 今はもう傭兵ではない。


 でも、その経験がこの町を守るために生かされる。


 そう考えると、何だか嬉しかった。


     ◇


 グレンとの話がまとまった後、僕らは屋敷へ戻ることにした。


 市場を抜ける頃には、午後の日差しが少し傾き始めていた。


 通りには相変わらず人が多い。


 荷物を運ぶ人。


 買い物をする人。


 店先で世間話をしている人たち。


 その中を歩きながら、僕は隣のフィオナへ声を掛けた。


「……決まったね」


「はい」


「グレンが引き受けてくれてよかった」


「そうですね。経験のある方が協力してくださるのは心強いと思います」


「うん。しかも、ちゃんと町のこと考えてくれてたしね」


 フィオナも頷く。


「それに、あの方なら周囲の人たちからも信頼されそうです」


「確かに」


 昨日の事件でも、グレンの指示に従って動いてくれる人がいた。


 元々、町の人たちとの繋がりもあるのだろう。


「じゃあ、次は人を集めないとね」


「そうですね」


「元傭兵とか、狩人とか、そういう経験のある人が来てくれたら嬉しいんだけど」


「経験のない方もいらっしゃるかもしれません」


「うん。その場合はちゃんと教えないとね」


 僕は少し考える。


 グレンは集団での戦い方や剣の扱いに詳しい。


 でも、警備に必要なのはそれだけじゃない。


 森での索敵。


 魔物への対処。


 周囲の安全を確認しながら動くこと。


 そういうことなら。


「……ねえ、フィオナ」


「はい」


「一つお願いしてもいい?」


「何でしょう?」


「今度作る自警団の訓練、フィオナにも手伝ってもらえないかな?」


「……私が、ですか?」


「うん」


 フィオナが少し驚いたようにこちらを見る。


「グレンには剣術とか集団行動を教えてもらおうと思うんだけど、フィオナには索敵とか、魔物への対応とかをお願いしたいんだよね」


「なるほど……」


「もちろん、毎日じゃなくてもいいよ。フィオナにも他の仕事があるし、無理のない範囲で」


 僕は少し笑った。


「どうかな?」


 フィオナはしばらく考えていた。


 自分の手元を見るように、わずかに視線を落とす。


 それから、ゆっくりと顔を上げた。


「……私に、教えられるでしょうか」


「うん?」


「戦うことはできます。ですが、人に教えた経験は、あまりありませんので」


「ああ、そっか」


 考えてみれば、そうかもしれない。


 フィオナは戦闘経験が豊富だ。


 弓も得意だし、森での動き方にも詳しい。


 でも、それを誰かに教えるとなると話は別なのだろう。


「最初からうまく教えられなくてもいいんじゃない?」


「……そうでしょうか」


「うん。グレンもいるし、分からないことがあったら相談すればいいと思うよ」


 僕はフィオナを見る。


「それに、僕はフィオナが知ってることって、すごく役に立つと思うんだよね」


「……ありがとうございます」


「でも、嫌だったら別の方法を考えるからさ。無理にお願いするつもりはないよ」


 フィオナは首を横に振った。


「いえ」


 その声は、さっきより少しだけはっきりしていた。


「……やってみたいと思います」


「本当?」


「はい。私にできることがあるのでしたら、協力したいです」


「そっか!」


 思わず笑う。


「じゃあ、よろしくね」


「はい」


 フィオナも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 それを見て、何となく嬉しくなる。


 以前なら、フィオナは僕に何かを頼まれると、できるかどうかに関係なく引き受けようとしていた気がする。


 でも、今は少し違う。


 自分にできることを考えて。


 分からないことがあると伝えて。


 それでも、やってみたいと言ってくれた。


 たぶん、それは良い変化なんだと思う。


「……さて」


「どうされました?」


「人集めと、装備と、給金と、訓練場所と……」


 指を折りながら数える。


 思っていたより、やることが多い。


「……やっぱり大変そうだなあ」


「そうですね」


「でも、まあ」


 僕は市場の方を振り返った。


 夕方が近づいても、通りにはまだ人が行き交っている。


 少し前まで、日が傾けば静かになっていた町。


 今では、商売を続ける人たちの声があちこちから聞こえてくる。


 こうして賑やかになったのは、嬉しい。


 だったら、その賑わいを安心して続けられるようにしたい。


「……ちゃんと作ってみようか」


「はい」


 フィオナが頷く。


「私も、お手伝いします」


「うん。頼りにしてるよ」


 僕らは再び歩き出した。


 市場の向こうでは、荷馬車がゆっくりと通りを進んでいる。


 店先では子供が母親の手を引き、仕事を終えた人たちが連れ立って帰っていく。


 何でもない、いつもの町の風景。


 でも、その当たり前を守るためには、きっと誰かの力が必要なんだろう。


 今までは、住民たちが互いに助け合いながら守ってきた。


 これからは、そこに新しい人たちが加わる。


 まだ名前も決まっていない、小さな自警団。


 騎士団なんて呼べるような立派なものではない。


 それでも。


 この町を守るための、新しい仕事が始まろうとしていた。

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