第二十九話 茶を作る場所
すいません。投稿時間間違えてました^^;
新しい茶畑の候補地を決めてから、数日が経った。
マルクたち農家は、すでに斜面の整備を始めている。
試しに植えた茶の株も今のところ順調らしく、本格的に植える場所を少しずつ広げているそうだ。
もっとも、斜面には石や木の根も多い。
全部を畑に変えるには、まだ時間がかかるらしい。
僕も何度か手伝いに行ったけれど、最近はマルクたちだけでも作業が進むようになってきた。
おかげで、少しは暇になるかと思ったんだけど。
「……狭い」
屋敷裏の作業小屋に入った僕は、思わずそう呟いた。
目の前には乾燥棚。
その隣にも乾燥棚。
壁際には茶葉を入れた籠が積まれ、作業台の上には木箱や道具が所狭しと並んでいる。
奥では料理人が火の様子を見ていて、木工職人が新しい棚を運び込もうとしていた。
「殿下、ちょっと横に寄ってもらえますか」
「あ、ごめん」
慌てて道を空ける。
大きな棚を抱えた職人が、僕の横を通り抜けようとする。
……が。
「……入らないな」
「入らないね」
棚が作業台に引っかかっていた。
「これ、どこに置くつもりだったの?」
「奥の壁際です」
「無理じゃない?」
「無理そうですね」
「作る前に気づかなかったの?」
「置けると思ったんですがねえ」
職人が困ったように頭を掻く。
その向こうから声がした。
「ちょっと待ってくださいね。その籠を先に動かしますから」
声の主は、薬草を扱っている女性、ミレアだった。
白いものが混じった髪を後ろでまとめ、袖をまくって作業をしている。
年齢は五十歳前後だろうか。
普段は穏やかな人だけど、茶を作っている時は誰よりも細かいところに気づく。
最初に茶葉の乾燥方法を考えた時も、薬草を扱ってきた経験から色々と助言してくれた。
「あら、殿下。いらしていたんですね」
「うん。ちょっと様子を見に来たんだけど……」
周囲を見回す。
「これ、そろそろ限界じゃない?」
「そうですねえ。私もちょうど、そのお話をしようと思っていたところです」
「やっぱり?」
「今はまだ何とかなっていますけど、畑が増えたら大変なことになりますよ」
「だよねえ……」
今でさえ、人が二人すれ違うのも難しい。
ここに今の五倍の茶葉が運び込まれたら、作業するどころではなくなる。
「カイル様」
後ろから入ってきたフィオナが、小屋の中を見て足を止めた。
「……また棚が増えましたか?」
「増えたというか、増やそうとして入らなくなったところ」
「なるほど」
「もう笑うしかないよね」
フィオナは周囲を見回した。
「ですが、確かにこのままでは難しそうですね」
「でしょ?」
「特に、茶葉を寝かせる場所と火を使う場所が近すぎます」
「ああ、それもあるのか」
小屋の奥では、茶葉を仕上げるために火を使っている。
その熱が、近くに置いた茶葉にも伝わってしまうらしい。
「実は、それだけじゃないんですよ」
ミレアが一つの籠を持ってきた。
「これ、見てもらえますか?」
「ん?」
中には、薄く広げられた茶葉が入っていた。
見た目は、いつもの茶葉とあまり変わらない。
「どうしたの?」
「少し触ってみてください」
言われた通りに葉を一枚つまむ。
「……なんか湿ってる?」
「そうなんです」
ミレアが頷く。
「昨日から置いていたものなんですが、下の方だけ乾き方が悪くて」
「同じ棚に置いてたんじゃないの?」
「ええ。でも、棚の位置によって風の通り方が違うんです。特に奥の方は湿気が残りやすくて」
「なるほど……」
そういえば、前にも似たようなことがあった。
同じ時間だけ置いた茶葉でも、その日の天気によって状態が変わる。
だから時間だけで決めず、葉の柔らかさや香りで判断するようにしたんだった。
「これからもっと大量に作るとなると、全部を一つずつ確認するのも大変になりますね」
フィオナが言う。
「そうなんですよ」
ミレアが少し困ったように笑う。
「今は私たちが見て回れますけど、この小屋いっぱいに葉を置くようになったら、とても追いつきません」
「じゃあ、やっぱりちゃんとした場所が必要だね」
「ええ。できれば、風通しも考えて作りたいところです」
僕はもう一度、小屋の中を見る。
最初は、試しに茶を作れればそれでよかった。
だから屋敷の裏にある空き小屋を使った。
でも、今はもう試作品を作っているだけじゃない。
商人から注文まで来ている。
「……よし」
「どうされました?」
「新しく作ろうか。茶を加工する専用の建物」
ミレアが目を丸くした。
「専用の、ですか?」
「うん。畑を増やすなら、作る場所もちゃんと用意しないとね」
「それはありがたいですが……」
「何か問題ある?」
「いえ。ただ、そこまで大きな話になるとは思っていなかったので」
「僕も最初は思ってなかったよ」
ほんの少し前まで、みんなで茶葉を揉んでいただけなのに。
気づけば建物まで必要になっている。
「まあ、どうせ作るなら使いやすい方がいいよね」
「そうですね」
フィオナも頷く。
「今後さらに生産量が増えることを考えると、少し余裕を持たせた方がいいと思います」
「うん。あと、できれば僕らが毎日来なくても作れるようにしたい」
「それが一番大切ですね」
ミレアが、いつもより少し真剣な表情で言った。
◇
その日の午後。
屋敷の一室で、加工場について相談することになった。
集まったのは僕とフィオナ、それからミレアと木工職人。
料理人にも少しだけ顔を出してもらっている。
机の上には紙が広げられていた。
「とりあえず、何が必要か考えようか」
「まずは乾燥棚ですね」
木工職人が言う。
「今の棚と同じものを増やせばいいの?」
「基本はそれでいいと思いますが、もう少し使いやすくできそうです」
「というと?」
「棚の間隔を広げたり、葉を載せる部分を取り外せるようにしたりですね。今は上の棚の葉を取るだけでも一苦労ですから」
「ああ、確かに」
僕も何度かやったことがある。
高いところにある籠を取ろうとして、下の籠にぶつけそうになった。
「それから、茶葉を揉む台も欲しいですねえ」
ミレアが続ける。
「今は一つの台を何人かで使っていますけど、人数が増えたら足りなくなりますから」
「じゃあ作業台も増やそう」
「ただ、乾燥する場所とは少し分けていただきたいんです」
「何で?」
「人が何度も行き来すると、埃も立ちますし、せっかく広げた葉に触れてしまうこともありますから」
「なるほど」
そう考えると、ただ大きな小屋を作ればいいというわけでもなさそうだ。
ミレアが紙の上を指でなぞる。
「最初に摘んだ葉を置く場所があって、そこから状態を見ながら揉む場所へ運びます。それから、仕上げ方によってはもう一度寝かせるでしょう?」
「うん。香りの強い方だね」
「ええ。その後に火を使う場所へ運べるようにしたいんです」
「つまり、作る順番に場所を並べるってこと?」
「そうしていただけると、作業が楽になると思います」
「それいいね」
僕が頷くと、ミレアは少し嬉しそうに笑った。
「それに、二種類の茶が混ざらないようにする必要もありますからねえ」
「あ、それもあるか」
「途中までは似たような葉ですから。量が増えると、どちらを作っているのか分からなくなるかもしれません」
「それは困るなあ」
せっかく二種類作ったのに、混ざってしまったら意味がない。
「目印を付けるだけでも違うでしょうね」
木工職人が言った。
「籠や棚に印を付けておけば、誰が見ても分かります」
「じゃあ、それもお願いしていい?」
「もちろんです」
話しているうちに、紙の上に線が増えていく。
茶葉を置く場所。
揉む場所。
寝かせる場所。
火を使う場所。
完成した茶を保管する場所。
最初は一つの作業台でやっていたことが、いつの間にかいくつもの工程に分かれていた。
「……なんか、本格的になってきたね」
「商品として作るのですから、当然かもしれません」
フィオナが言う。
「そうなんだけどさ。最初は葉っぱをお湯に入れて、青臭いって言ってただけなのに」
「あの時とは随分変わりましたね」
「本当だよ」
思い出すと、少し笑ってしまう。
料理人まで苦笑していた。
「あの時は、台所を随分使われましたからね」
「その節はお世話になりました」
「今後は専用の場所でお願いしますよ」
「もちろん」
それが今日の目的だしね。
◇
次に考えるのは、加工場を建てる場所だった。
「屋敷の近くじゃ駄目なの?」
僕が聞くと、木工職人が少し考えた。
「建てられないことはありませんが、今後も茶畑を増やすなら、町の外れの方が便利かもしれません」
「外れ?」
「ええ。茶葉を運ぶ馬車が増えますからね。屋敷まで上がってくる必要がなくなります」
「ああ、なるほど」
確かに。
今は籠を抱えて運べる程度の量だけど、これからはそうもいかなくなる。
「水も使いますし、荷物を積み込む場所も必要です」
ミレアが言う。
「それから、あまり家が密集している場所は避けたいですね」
「火を使うから?」
「それもあります。茶の香りに、周りの煙や強い匂いが移るのも避けたいですから」
「じゃあ、工房の近くも微妙なのかな」
「風向きによると思います」
フィオナが答えた。
「煙が流れてくる場所は避けた方がよいでしょうね」
「なるほどねえ……」
僕は町の地図を広げた。
北東側には、新しく茶畑にする予定の斜面がある。
そこから町へ戻る道。
途中には、まだほとんど建物がない土地もあった。
「ここは?」
地図の一角を指す。
「茶畑からもそんなに遠くないし、町にも近いよね」
木工職人が身を乗り出した。
「ああ、あそこですか。確かに悪くありませんね」
「馬車は通れる?」
「道を少し整えれば大丈夫でしょう」
「水は?」
「近くに小さな水路があります」
フィオナも地図を見る。
「風の通り方も悪くなさそうです。一度、現地で確認してみましょう」
「うん、そうしよう」
僕が地図を畳もうとした時だった。
「あの、殿下」
「ん?」
ミレアが少し遠慮がちに声を掛けてきた。
「もし、そこに建てるのでしたら……」
「うん」
「最初から、建物の周りにも少し余裕を残していただけませんか?」
「周り?」
「はい。もし茶がもっと売れるようになったら、今度はこの加工場も手狭になるかもしれませんから」
「……ああ」
なるほど。
「最初から増やせるようにしておくってこと?」
「ええ。まだどうなるか分かりませんけどね」
「いや、それいいと思う」
僕は地図をもう一度広げた。
今まで、町の建物は必要になった時に空いている場所へ作ってきた。
でも、これから人が増えていくなら。
最初から少し先のことも考えておいた方がいいのかもしれない。
「じゃあ、ここは周りも空けておこうか」
「ありがとうございます」
「他にも加工するものが増えるかもしれないしね」
何となく口にした言葉だった。
けれど、考えてみれば茶だけとは限らない。
この土地で作ったものを、加工して売る。
そんな仕事が今後増えていくなら、近くに建物をまとめた方が便利かもしれない。
もっとも。
今はまだ、茶の加工場が一つできるだけだ。
「……また考えること増えそうだなあ」
「何か仰いましたか?」
「ううん。こっちの話」
◇
加工場の建設が始まったのは、それから二日後のことだった。
場所を確認し、必要な木材や道具を揃えて、町の職人たちが作業を進めていく。
もちろん、費用は領地の予算から出す。
最初の茶の売上だけで建物を作れるわけではないから、今後の収入を見込んだ投資ということになる。
商人には生産体制を整えるまで少し時間をもらうことにした。
幸い、急ぎの注文ではなかったらしい。
それでも、あまり待たせるわけにはいかない。
「僕も何か手伝おうか?」
建設現場でそう聞いてみた。
「殿下ですか?」
「うん。ずっと見てるだけっていうのも悪いし」
木工職人が周囲を見回す。
「それでしたら、あちらの木材を運んでいただけますか?」
「お、任せて」
指差された先には、何本もの木材が積まれていた。
……結構重そうだ。
「……あれ全部?」
「いえ、まずは三本ほど」
「そっか。三本ね」
持ち上げてみる。
重い。
当然だけど、重い。
「……これ、魔法でどうにかならないかな」
「木を生やす方ならできるのでは?」
フィオナが言う。
「できるけど、木材として使える形にするのとは別なんだよね」
「なるほど」
「しかも、乾燥させたり加工したりする必要もあるし」
僕の魔法は、植物を育てたり動かしたりするのは得意だ。
でも、建物をそのまま生やせるわけじゃない。
結局、使える材料に仕上げるのは職人の仕事になる。
「じゃあ、地道に運ぶかあ」
「私も手伝います」
「ありがとう。助かる」
フィオナが隣の木材を持ち上げる。
……僕よりずっと軽そうに。
「フィオナって本当に力あるよね」
「身体強化も使っていますから」
「あ、そっか。僕も使えばいいのか」
「忘れていたのですか?」
「普通に忘れてた」
近くで作業していた職人たちが笑っていた。
◇
建設が進む間も、ミレアは何度も現場へ足を運んでいた。
棚を置く位置。
窓の向き。
茶葉を運ぶ通路。
道具を置く場所。
職人たちと相談しながら、一つずつ確認している。
ある日の午後。
僕が様子を見に行くと、ミレアが若い女性二人に何かを説明していた。
「こちらは風が通りやすい場所ですから、最初に葉を広げる棚を置く予定なんですよ」
「じゃあ、こっちは?」
「そちらは揉んだ後の葉を置くところですね。香りを強くする茶は、そこで少し寝かせるんです」
「へえ……」
二人は感心した様子で頷いている。
「あれ、何してるの?」
僕が聞くと、ミレアがこちらを振り返った。
「あら、殿下」
「その二人は?」
「加工場で働いてみたいという方たちです」
「もう?」
「ええ。町で募集の話をしたら、興味を持ってくれまして」
「そうなんだ」
二人が慌てて頭を下げる。
「殿下、よろしくお願いします!」
「うん。こちらこそよろしくね」
僕が笑うと、二人も少し安心したようだった。
「でも、茶を作ったことはないんでしょう?」
「はい……」
一人が申し訳なさそうに答える。
「それなら、覚えてもらえばいいよ」
「え?」
「最初は僕らだって何も知らなかったんだし」
むしろ、あの頃の僕らよりは恵まれていると思う。
教えてくれる人がいるから。
「ミレア、教えるのはお願いしてもいい?」
「もちろんです」
ミレアが頷く。
「ただ、茶葉の扱いは少しずつ覚えてもらわないといけませんね」
「そんなに難しいんですか?」
若い女性の一人が尋ねた。
「難しいというより、慣れが必要なんですよ」
ミレアは傍らにあった籠から、茶葉を一枚取り出した。
「同じように見える葉でも、乾き方が違ったり、柔らかさが違ったりしますからね」
「見分けられるようになりますか?」
「毎日触っていれば、だんだん分かるようになりますよ」
そう言って、二人にも葉を渡す。
「ほら、まずは触ってみてください」
二人が恐る恐る茶葉をつまんだ。
「……あ、柔らかい」
「そうでしょう? では、こちらはどうです?」
別の葉を渡す。
「あれ、こっちは少し硬い?」
「そうなんです」
ミレアが嬉しそうに頷いた。
「いいですね。ちゃんと違いが分かっていますよ」
その様子を、僕は少し離れたところから眺めていた。
最初に茶を作り始めた頃。
ミレアは、薬草を扱ってきた経験を生かして手伝ってくれていた。
でも今は。
自分が覚えたことを、別の人に教えている。
「……なんか先生みたいだね」
「そんな大したものではありませんよ」
ミレアが少し照れたように笑う。
「私だって、まだまだ分からないことばかりですから」
「それでも、僕よりずっと詳しいと思うよ」
「そうでしょうか」
「うん。少なくとも僕、今の葉の違いはよく分かんなかった」
「殿下には殿下のできることがあるでしょう?」
「まあ、そうなんだけどね」
ミレアが手元の茶葉を見る。
「私、ずっと薬草を扱ってきたでしょう?」
「うん」
「葉を乾かしたり、保存したりすることには慣れていましたけど、それがこんな形で役に立つとは思いませんでした」
「茶作りのこと?」
「ええ」
少しだけ、懐かしむような表情になる。
「最初に殿下たちが茶を作ると聞いた時は、正直、何を始めるのかと思いましたよ」
「あはは……」
「でも、やってみると面白いものですねえ。同じ葉なのに、扱い方一つで全然違うものになるんですから」
「僕もそう思う」
「それに、こうして新しい仕事までできるなんて」
ミレアは建設途中の加工場を見上げた。
まだ壁の一部ができただけの建物。
木材の匂いがして、職人たちが槌を打つ音が響いている。
「この歳になって、また新しいことを覚えるとは思いませんでした」
その声は、どこか楽しそうだった。
「……ミレア」
「はい?」
「加工場ができたらさ」
「ええ」
「ここのまとめ役、お願いしてもいい?」
ミレアが目を瞬いた。
「……私が、ですか?」
「うん」
「ですが、私は薬草を扱っていただけですし……」
「それは分かってるよ。でも、茶作りもずっと手伝ってくれてたでしょ?」
「それは、そうですが」
「それに、さっきもみんなに教えてたし」
僕は建設途中の加工場を見回した。
「ここで働く人が増えたら、誰かが全体を見てないといけないと思うんだよね」
「……」
「僕もフィオナも、毎日ここに来られるわけじゃないからさ」
ミレアは少し考え込んだ。
「もちろん、一人で全部やってもらうつもりはないよ。人手も増やすし、必要なことがあれば相談してほしい」
「殿下」
「うん?」
「……私に、できるでしょうか」
いつもの穏やかな声だった。
でも、少しだけ不安そうにも聞こえた。
「できると思うよ」
僕は答える。
「だって、もうやってるじゃん」
「え?」
「棚の場所も、茶葉の管理も、新しく入る人への説明も。僕が頼む前からミレアが考えてくれてたでしょ?」
「それは、必要だと思ったので……」
「うん。だからお願いしたいんだよ」
ミレアが黙る。
少しの間、建設現場に響く槌の音だけが聞こえた。
やがて。
「……分かりました」
ミレアがゆっくりと頷いた。
「私でよろしければ、やらせていただきます」
「本当?」
「ええ。ただし、一つお願いがございます」
「何?」
「茶の品質については、私の意見もきちんと聞いていただきたいんです」
「もちろん」
即答すると、ミレアは少し驚いたようだった。
「……よろしいのですか?」
「そのためにお願いするんだし」
僕が全部決めていたら、まとめ役を作る意味がない。
「むしろ、変なものができそうだったら止めてほしいくらいだよ」
「それでしたら、遠慮なく申し上げますね」
「うん。お願い」
ミレアは、いつもより少しだけ背筋を伸ばした。
「では、しっかりやらせていただきます」
◇
さらに数日が過ぎた。
新しい加工場は、ようやく使える形になった。
大きな建物ではない。
木造の、少し広めの作業場だ。
それでも、屋敷裏の小屋とは比べものにならなかった。
天井は高く、窓から風が抜ける。
茶葉を広げる棚が並び、中央には大きな作業台が置かれている。
火を使う場所は壁で区切られ、煙や熱が他の作業場所に流れにくいよう工夫されていた。
完成した茶を保管する部屋もある。
外には荷馬車を止められる場所があり、今後、茶畑から葉を運び込む時にも困らない。
「……おお」
中に入った僕は、思わず声を漏らした。
「すごいね」
「これなら、前よりずっと作業しやすいと思います」
フィオナも周囲を見回している。
「本当に仕事場って感じだ」
「仕事場ですからねえ」
後ろからミレアが笑う。
「あ、確かに」
「それに、まだこれで終わりではありませんよ」
「え?」
「使ってみて、直したいところがあれば職人さんにお願いするつもりです」
「もう次のこと考えてるの?」
「もちろんです。実際に使わないと分からないこともありますから」
「……頼もしいなあ」
ミレアは少し照れたように笑った。
その後、さっそく少量の茶葉を使って作業を始めた。
まずは新しい棚の使い心地を確かめる。
葉を広げる。
状態を確認する。
作業台へ運ぶ。
揉んだ葉を、それぞれの仕上げ方に合わせて分ける。
まだ慣れていない人もいるけれど、ミレアが一つずつ説明していた。
「こちらはもう少し広げましょう。葉が重ならないように」
「はい!」
「そちらは香りの強い方ですね。印のある棚に置いてください」
「分かりました!」
「火を使う前には、一度私に見せてくださいね」
返事が続く。
誰かが葉を運び、別の誰かが棚を整える。
その横では、茶葉を揉む作業が始まっていた。
最初は少しぎこちなかった動きも、ミレアが見本を見せると次第に揃っていく。
僕とフィオナは、作業場の端に立ってその様子を眺めていた。
「……僕ら、何もしてないね」
「そうですね」
「手伝った方がいいかな?」
「今は皆さんに任せてみませんか?」
「うん。そうだね」
少し不思議な気分だった。
最初に茶を作った時は、何をするにも僕らが中心だった。
葉を摘むのも。
加工方法を考えるのも。
味を確かめるのも。
失敗して、またやり直すのも。
全部、みんなで一緒にやっていた。
でも今は。
僕らが手を出さなくても、作業が進んでいる。
「カイル様」
「ん?」
「嬉しそうですね」
「……そう見える?」
「はい」
「まあ、嬉しいよ」
僕は作業場を見回した。
「だって、ちゃんと仕事になってるじゃん」
誰かに言われたから手伝っているんじゃない。
ここで働く人たちが、自分たちで茶を作っている。
そして、それを売ればお金になる。
町で暮らすための、新しい仕事だ。
「これなら、本当に僕がいなくても作れそうだね」
「ええ」
フィオナが頷く。
「ミレアさんたちなら、大丈夫だと思います」
「うん。僕もそう思う」
少しして、作業場の奥から声がした。
「殿下!」
「ん?」
ミレアがこちらに手を振っている。
「よろしければ、こちらを見ていただけますか?」
「何?」
「最初の茶が仕上がりましたので」
「お、もう?」
近づくと、作業台の上に小さな器が置かれていた。
湯気が立っている。
ふわりと、あの香りが漂ってきた。
「……いい匂い」
「ありがとうございます」
「飲んでもいい?」
「もちろんです」
器を持ち上げる。
少し冷ましてから、一口。
「……うん」
香りが広がる。
渋みは強すぎず、後味も柔らかい。
何度も試作して、ようやく完成させた味だった。
「おいしい」
僕がそう言うと、ミレアの表情がぱっと明るくなった。
「本当ですか?」
「うん。ちゃんといつもの味になってる」
「よかった……」
ミレアが胸を撫で下ろす。
「新しい場所になって、少し心配だったんですよ」
「でも、ちゃんと作れたね」
「ええ」
周りにいた人たちも、嬉しそうに顔を見合わせていた。
フィオナも茶を一口飲む。
「私も、良い仕上がりだと思います」
「ありがとうございます」
ミレアは深く頭を下げた。
それから、顔を上げる。
「殿下」
「うん?」
「これからも、良い茶を作っていきたいと思います」
その声には、もう先ほどの不安はなかった。
「うん。期待してるよ」
◇
加工場を出た頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
新しい建物の窓からは、まだ灯りが漏れている。
中ではミレアたちが、今日の作業について話し合っているらしい。
風に乗って、ほのかな茶の香りが漂ってきた。
「……なんか、いいね」
「何がですか?」
「新しい建物ができたのもそうなんだけどさ」
僕は振り返る。
まだ新しい木材の色をした加工場。
その周りには、将来建物を増やせるよう、少し広めに土地が残してある。
「最初はみんな、僕らの茶作りを手伝ってくれてただけだったでしょ?」
「はい」
「でも、今はもう違うんだなって」
僕がいなくても。
フィオナがいなくても。
ここでは茶が作られていく。
その中心には、ミレアがいる。
「カイル様が望んでいたことですね」
「うん」
町が、自分で動くようになること。
僕が全部やらなくても、ちゃんと暮らしていける場所になること。
まだまだ、その途中だけど。
少なくとも、今日は一つ進んだ気がする。
「……これなら少しは楽できそうだね」
「そうですね」
「え、否定しないの?」
「皆さんが自分たちで仕事を進められるようになるのは、良いことですから」
「おお……」
珍しく、ちゃんと賛成してもらえた。
「ただし」
「……ただし?」
「殿下には、まだ他にもお仕事がありますよ」
「だよねえ……」
フィオナが少しだけ口元を緩めた。
僕もつられて笑う。
夕暮れの町に、槌の音が響いていた。
加工場の隣では、木工職人が新しい木箱を作っている。
次の出荷に向けて、準備を進めているらしい。
茶を作る人がいて。
そのための道具を作る人がいて。
茶葉を育てる人がいる。
一つの仕事が、別の仕事へと繋がっていく。
まだ小さな加工場だけど。
きっと、ここから色々なものが生まれていくんだろう。
町の外れにできたその建物は、夕陽を受けて柔らかな色に染まっていた。
今日、この町に。
新しい仕事の場所が一つ、生まれた。




