第三話 見えるもの
襲撃は、思っていたよりあっさりと終わった。
逃げた者が四人。
フィオナの矢で負傷した者が二人。
そして、カイルの魔法を受けて気を失っている者が一人。
死人は出ていない。
フィオナは馬車の外へ降りると、周囲を見回した。
「……もう気配はありません」
「そっか。じゃあ、とりあえず安心かな」
カイルがのんびりと馬車から顔を出した。
「カイル様」
「ん?」
「もう少し警戒してください」
「してるよ?」
「している方は、そんなふうに馬車から顔だけ出しません」
「ああ……確かに」
素直に引っ込んだ。
フィオナは小さく息を吐く。
つい先ほど知り合ったばかりの主人に、なぜ自分がこんな注意をしているのか。
自分でも少し不思議だった。
だが護衛を任された以上、仕方がない。
少なくとも、そういうことにしておいた。
「こちらの二人はどうしますか」
フィオナが尋ねる。
矢を受けた二人は地面に転がったまま呻いている。
急所は外した。
しばらくまともには動けないだろうが、命に別状はない。
「うーん」
カイルも馬車を降り、男たちを眺めた。
「話、聞ける?」
「意識はあります」
「じゃあ聞いてみよう」
あまり緊張感のない声だった。
フィオナは少し離れた場所に落ちていた短剣を拾う。
念のため、男たちの武器もすべて遠ざけた。
「誰に頼まれた?」
カイルが一人の前にしゃがみ込む。
返事はない。
黒装束の男は唇を固く閉ざし、鋭い目でカイルを睨んでいた。
「答える気ない?」
「……」
「困ったな」
カイルが頬を掻く。
「こういう時って、拷問とかするものなのかな」
「カイル様」
「冗談だよ」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
男が僅かに眉を動かした。
今のやり取りに呆れたのかもしれない。
フィオナも同じ気持ちだった。
「まあ、別にいいか」
カイルが立ち上がる。
「どうせ兄上だし」
フィオナの耳が動いた。
「……分かるのですか?」
「うん」
「先ほどから気になっていました」
市場でもそうだった。
フィオナが弓を扱えることを、カイルは最初から知っていた。
そして今も、捕虜が何も答えていないのに送り主を断定している。
「カイル様」
「はい」
「あなたは一体、何を見ているのですか」
カイルの表情が少しだけ変わった。
「気づくよね、やっぱり」
彼は右目の辺りに指を当てた。
「これのこと?」
「……はい」
市場でも、僅かに光った。
さきほど魔法を放った時にも。
普通の目ではない。
「《心眼》って呼んでる」
「心眼……」
「僕の右目には、見たものの情報が入ってくるんだ」
「情報?」
「人なら名前とか種族とか。得意なこととか、魔力の傾向とか。その時の状態なんかも、ある程度」
フィオナは言葉を失った。
そんな能力は聞いたことがない。
「それで……私が弓を使えることも?」
「そう」
「精霊魔法も?」
「うん」
胸の奥が冷えた。
フィオナは無意識に一歩下がる。
「では……」
声が少し掠れた。
「私の過去も?」
カイルの表情から笑みが消えた。
「それは見えない」
即答だった。
「……本当に?」
「うん」
「記憶も?」
「見えない。少なくとも僕には」
フィオナは彼の顔を見つめた。
「今のフィオナが何を得意としているかとか、怪我しているかとか、そういうのは分かる。でも昔何があったのかまでは分からない」
「……」
「それに」
カイルは少し困ったように笑った。
「これ、僕自身にも止められないんだよ」
「止められない?」
「見たら勝手に入ってくる」
彼はため息をついた。
「便利ではあるんだけど、結構面倒なんだ」
「……」
「嫌だったなら、ごめん」
また。
謝った。
フィオナには、それが理解できなかった。
自分は奴隷だ。
カイルが主人である以上、どんな能力を使われようと文句を言える立場ではない。
少なくとも、これまでならそうだった。
「なぜ謝るのですか」
「嫌だったでしょ?」
「それは……」
「なら謝るよ」
カイルにとっては、それだけのことらしい。
フィオナは右手を胸元に当てた。
そこにはまだ奴隷紋がある。
主人の命令に逆らうことのできない証。
それなのに、今目の前にいる主人は。
自分が嫌だったかどうかを気にしている。
「……変な方ですね」
「今日二回目だ、それ」
「申し訳ありません」
「別にいいけど」
カイルが笑った。
その時だった。
「カイル様!」
フィオナが声を上げた。
捕らえていた男の顎が不自然に動いた。
口の中。
奥歯。
小さな黒い物が見える。
「毒です!」
フィオナが男の顎を掴もうとする。
だが、その前に。
「遅い」
カイルが右手を伸ばした。
「《拘束》」
淡い光が男の身体を包む。
顎の動きが止まった。
歯と歯の間には、小さな黒い粒が挟まっている。
「……自害用ですか」
「みたいだね」
フィオナは慎重にそれを取り出した。
指先ほどの小さな毒玉。
噛み砕けば、おそらく数秒で死ぬ。
「訓練されています」
「だろうね」
カイルが男を見る。
右目が淡く光った。
「第一皇子直属の第三暗殺部隊……」
その言葉を聞いた瞬間、男の顔色が変わった。
「……やっぱり兄上か」
「貴様……!」
初めて男が声を発した。
「お前、その目……!」
「それ以上喋ると情報増えるから、黙ってた方がいいよ」
「……っ!」
男は口を閉じた。
カイルは肩をすくめる。
「分かりやすいなぁ」
「カイル様」
「何?」
「……本当に命を狙われているのですね」
「言ったでしょ?」
「言われましたが」
フィオナは少し言葉に詰まった。
あまりにも本人が軽く話すものだから、どこか現実感がなかったのだ。
「これで何度目なのですか」
「襲撃?」
「はい」
「んー……」
カイルが指を折り始める。
「ちゃんと数えてないな」
「数えていない?」
「十回を超えた辺りから面倒になって」
「十……」
フィオナは頭が痛くなってきた。
「それで、護衛がいなかったのですか?」
「一応いたよ」
「一応?」
「父上から付けられた人とか」
「その方々は?」
「帝都に置いてきた」
「なぜですか!」
思わず大きな声が出た。
カイルが目を丸くする。
フィオナ自身も驚いた。
「……失礼しました」
「いや」
「ですが、命を狙われていると分かっていて、なぜ護衛を置いてくるのです」
「僕が行くの、辺境だからさ」
カイルが捕虜の縄を確認しながら答える。
「父上直属の護衛を連れていったら、兄上たちを余計に刺激するかなと思って」
「だから奴隷市場で護衛を?」
「そういうこと」
「……」
「あと」
カイルがフィオナを見る。
「自分で選んだ相手の方が、気を遣わなくて済むんじゃない?」
「その理由は理解できません」
「えー」
フィオナはため息をついた。
どうやら、この主人は思っていた以上に手がかかる。
「ですが」
「ん?」
「事情は分かりました」
フィオナはヘラクレスを握り直した。
「今後は、このようなことが起きる前提で行動してください」
「はい」
「宿泊する場所も、食事も、移動経路も確認が必要です」
「そこまで?」
「当然です」
「僕、そんな生活したくないなぁ」
「死ぬよりは良いでしょう」
「それはそう」
素直に納得した。
「では、任せるよ」
「……何をですか?」
「僕の護衛」
当たり前のようにカイルが言った。
「頼りにしてる」
フィオナは一瞬、何も言えなかった。
また、その言葉だ。
頼りにしている。
必要としている。
胸の奥が僅かに温かくなる。
同時に、昔から染みついた考えが浮かぶ。
役に立たなければ。
必要とされなくなれば。
また――。
「……必ず」
フィオナは視線を伏せた。
「必ず、お守りいたします」
「うん。でも」
カイルが続ける。
「命に代えて、とかはやめてね」
フィオナが顔を上げた。
「……何を?」
「僕を守ってフィオナが死んだら、護衛を雇った意味ないじゃん」
「ですが、主人を守ることが護衛の――」
「二人とも生き残る方法を考えて」
軽い口調だった。
だが、その言葉だけは妙にはっきりしていた。
「僕の命も大事。フィオナの命も大事。それでいいでしょ」
「……」
「駄目?」
答えが出てこなかった。
そんなふうに言われたことがなかったから。
自分の命は、いつだって誰かのものだった。
使われるため。
売られるため。
命令に従うため。
それが当然になっていた。
「……分かりません」
正直に答えた。
「そっか」
カイルは笑った。
「じゃあ、そのうち分かればいいよ」
それ以上は何も言わなかった。
◇
捕らえた男たちは、近くの街の衛兵へ引き渡すことになった。
壊れた馬車の窓には、とりあえず厚手の布が張られた。
幸い車輪に損傷はない。
再び馬車が走り始める。
「……」
フィオナは向かいに座るカイルを見る。
本人はすでに先ほどの襲撃など忘れたかのように欠伸をしていた。
「眠い」
「寝ないでください」
「なんで?」
「また襲撃されたらどうするのです」
「フィオナがいるじゃん」
「……」
「駄目?」
屈託のない顔で聞いてくる。
フィオナはしばらく黙っていた。
「……少しだけなら」
「やった」
カイルはすぐに目を閉じた。
「本当に寝るのですか……」
返事はない。
早い。
あまりにも無防備だった。
フィオナは呆れながら窓の外を見る。
馬車は帝都を離れ、街道を進んでいる。
遠くには山が見え始めていた。
あの向こうに、カイルの領地がある。
自分がこれから暮らす場所。
そう考えた瞬間、胸の中に小さな違和感が生まれた。
暮らす。
いつまで?
役に立つ間だけだろうか。
それとも――。
「……」
フィオナは考えるのをやめた。
今はまだ、分からない。
ただ。
眠っているカイルを見る。
こんなにも無防備に眠るということは。
少なくとも彼は、自分が寝ている間にこちらから襲われるとは考えていないのだろう。
「……変な人」
三度目だった。
今度は、不思議と悪い意味ではなかった。




