第二十七話 嬉しい誤算
あの行商人が町を出てから、数日が経った。
茶を渡したその日は、売れるかどうかが気になって仕方なかった。
次の日も少し気になった。
その次の日になると、さすがに考えても仕方ないと思うようになった。
だから今は、なるべく考えないようにしている。
「カイル様」
「うん?」
「先ほどから同じ場所を三度見ていますが」
「……何のこと?」
「街道です」
フィオナが僕の視線の先を見る。
屋敷へ続く道の向こう。
そこからさらに町を抜ければ、行商人が出ていった街道へ続いている。
「別に商人が帰ってこないかなって見てたわけじゃないよ?」
「まだ何も言っていません」
「あ」
「やはり気になっていたのですね」
「そりゃ気になるよ。初めて売ったんだし」
誤魔化すのを諦めて、椅子の背にもたれる。
今日は朝から屋敷の執務室にいた。
机の上には町から上がってきた書類が何枚か置かれているけれど、正直さっきからあまり頭に入っていない。
「全部売れてたらいいんだけどなあ」
「そうですね」
「でも、売れなかったら売れなかったで改善できるしね」
「ええ」
「どこが駄目だったか聞いて、また作り直せばいいし」
「はい」
「だから別に、売れなくてもそんなに落ち込まないと思う」
「そうですか」
「……たぶん」
フィオナがこちらを見る。
「何?」
「いえ」
「今ちょっと呆れた?」
「少しだけ」
「正直だなあ」
とはいえ、僕だって分かっている。
町の人たちには好評だった。
行商人本人もおいしいと言ってくれた。
でも、それと商品として売れるかどうかは別だ。
知らない土地の、知らない茶。
しかも、まだ名前すら決まっていない。
買ってくれる人が一人もいなくたって不思議ではない。
そう思っていた、その時だった。
窓の外から、馬車の車輪が石を踏む音が聞こえた。
「……来た?」
「まだ分かりませんよ」
「ちょっと見てくる」
「カイル様、書類は」
「あとでやるから!」
椅子を立つ。
「やはり、かなり気になっていたのではありませんか」
後ろからそんな声が聞こえたけれど、聞かなかったことにした。
◇
屋敷を出ると、町の方から一台の荷馬車が上がってきていた。
見覚えがある。
「あ」
「先日の方ですね」
「帰ってきた」
馬車の御者台に座っていた男もこちらに気づいたらしく、手綱を引いて速度を落とした。
「殿下!」
「おかえり」
「ただいま戻りました」
行商人が馬車から降りる。
前に会った時より、どことなく機嫌がいい。
それだけで少し期待してしまう。
「それで……」
「はい?」
「あの茶なんだけど」
「ええ」
聞きたい。
でも、聞くのがちょっと怖い。
「……やっぱり売れなかった?」
商人が一瞬、きょとんとする。
「逆です」
「え?」
「全部売れました」
「……全部?」
「はい」
「二種類とも?」
「綺麗に全部です」
思わずフィオナを見る。
フィオナも少し目を見開いていた。
「本当に?」
「ええ。わざわざ嘘をつく理由もありませんよ」
「いや、そうなんだけど……」
もう一度、商人を見る。
「全部売れたんだ」
「全部売れました」
「……そっか」
じわじわと実感が湧いてくる。
数日前。
僕らが作業小屋で何度も失敗しながら作った茶が、知らない町へ運ばれて。
そこで、僕らのことを知らない人たちがお金を払って買った。
「よかった……」
気づけば、自然とそんな言葉が出ていた。
「よかったですね、カイル様」
「うん。なんか思ってたより嬉しい」
売れればいいなとは思っていた。
でも実際に売れたと聞くと、全然違う。
「それで、どんな感じだった?」
「どんな感じ、と申しますと?」
「誰が買ったとか、どっちが人気だったとか。何か言われなかった?」
「ああ。その話でしたら色々ありますよ」
「色々?」
「立ち話も何ですから、中でお話ししましょうか」
「うん。聞きたい」
◇
屋敷の一室へ移動する。
せっかくなので、茶作りを手伝ってくれていた人たちにも声を掛けた。
農家の男性。
薬草を扱う女性。
木工職人。
それから料理人。
「本当に全部売れたんですか?」
薬草を扱う女性が、まだ信じられないといった様子で聞く。
「ええ。私の手元には一つも残っていません」
「まあ……」
「すごいじゃん」
僕が言うと、女性は嬉しそうに笑った。
「私たちが作ったものを、知らない町の人が買ったんですねえ」
「そうみたい」
商人が机の上に二つの小箱を置く。
中身は空だった。
「まず、こちらの少し渋みが強い方ですが」
「うん」
「こちらは食事の後に飲むのが良いと言う方が多かったですね」
「やっぱり」
料理人が頷く。
「私も、あちらは食後に合うと思っていました」
「濃い味を好む方からも評判が良かったです。毎日飲むならこちらがいい、と仰った方もいました」
「へえ……」
やっぱり、作った時に感じた違いは外でも同じだったらしい。
「では、香りの強い方は?」
フィオナが尋ねる。
「こちらはかなり評判が良かったですよ」
「本当?」
「ええ。まず香りが珍しいと言われました。茶そのものを飲み慣れている方ほど、こちらを気にされていましたね」
「茶を飲み慣れてる人にも?」
「はい」
それはかなり嬉しい。
ただ珍しいから売れたというわけでもなさそうだ。
「少し値を上げても売れそうだと言う方もいました」
「高くしても?」
「香りを楽しむものとして売るのであれば、十分可能性はあると思います」
「そんなに違うんだなあ」
同じ茶葉なのに。
置く時間と仕上げ方を少し変えただけで、買う人まで変わる。
「それと、両方を買っていく方もいました」
「両方?」
「飲み比べたいそうです」
「ああ、それ僕らもやったよ」
「私たちの場合は試験でしたが」
「似たようなものでしょ」
「違うと思います」
「そう?」
フィオナは小さく息を吐いた。
でも、その表情は少し楽しそうだった。
「あとですね」
「まだあるの?」
「最後に買われた方から、『次はいつ入るのか』と聞かれました」
「……次?」
「はい」
一瞬、部屋の中が静かになる。
「次も欲しいってこと?」
「そういうことになります」
「すごいな……」
今度は、嬉しいより先に驚きが来た。
一度買って終わりじゃない。
もう一度欲しいと言ってくれた人がいる。
それは、かなり大きい。
「で、その話なんですが」
商人が鞄から一枚の紙を取り出した。
「ん?」
「次にこちらを仕入れたいと思っています」
机の上に紙が置かれる。
数量が書かれていた。
「…………」
見る。
もう一度見る。
「これ、間違ってない?」
「間違っていません」
「この前の何倍あるの?」
「五倍ほどですね」
「五倍?」
「本当はもう少し欲しいのですが、最初ですのでこの程度に抑えました」
「これで抑えてるの?」
「ええ」
僕はフィオナを見る。
「フィオナ」
「はい」
「これ、作れると思う?」
フィオナも紙を見る。
少し考えてから、首を横に振った。
「今のままでは難しいと思います」
「だよね」
今あるのは、試験用に植えた茶。
加工する場所も屋敷裏の小屋。
棚だって、木工職人が作ってくれたものが数台あるだけだ。
「葉が足りませんな」
農家の男性が言った。
「やっぱり?」
「今の畑だけでは、この量を続けて作るのは難しいでしょう」
「一回なら?」
「殿下の魔法を使えば、無理をすればできるかもしれませんが」
「それじゃ駄目だなあ」
僕が毎回魔法で無理やり増やさないと作れないなら、結局今までと同じだ。
「もっと植える場所が必要ですね」
「そうなるよね」
フィオナも頷いた。
「以前調べた条件に近い場所を探してみましょう」
「斜面だよね」
「はい。水はけと風、それから霧の出方も確認した方がよいと思います」
「じゃあ、また土地探しかあ」
「嫌ですか?」
「嫌っていうか、茶が売れたらちょっと休めると思ってた」
「なぜそう思ったのですか?」
「一段落した感じあったじゃん」
「今、次の注文が来たところです」
「そうなんだよねえ……」
売れた。
嬉しい。
でも売れたら売れたで、次があるらしい。
「あと、加工する場所もですねえ」
薬草を扱う女性が言う。
「この量だと、あの小屋じゃ狭いですよ」
「ああ……」
忘れていた。
「棚も足りませんね」
木工職人まで続く。
「今の数では到底足りません」
「……ちょっと待って」
みんなを見る。
「茶葉を増やして」
「はい」
「加工する場所を広げて」
「そうですね」
「棚も増やして」
「必要でしょうな」
「それで、箱も増やすんだよね?」
「もちろんです」
「やること増えすぎじゃない?」
商人が笑った。
「売れるというのは、そういうことですよ」
「売れたら楽になるんじゃないの?」
「普通は忙しくなると思います」
「聞いてないなあ……」
「ですが、カイル様」
フィオナが僕を見る。
「嬉しくないのですか?」
「それは嬉しいよ」
即答だった。
さすがに、そこは否定できない。
「僕らが作ったものを欲しいって言ってくれる人がいるんでしょ? それは普通に嬉しい」
「でしたら」
「分かってるって」
注文の紙を持ち上げる。
「やるよ。ここまで来て『作れません』って言うのも嫌だしね」
「では、まず畑からでしょうか」
「うん。どれくらい増やせるか見てみよう」
「棚の方は任せてください」
木工職人が言う。
「加工する場所も、どれくらい必要か考えてみますよ」
薬草を扱う女性も続く。
「苗を植えるなら、何人か農家にも声を掛けましょう」
「俺から話しておきます」
「……みんな早いなあ」
さっきまで僕が「どうしよう」と考えていた問題が、もう勝手に分かれていく。
畑。
加工。
棚。
人手。
箱。
誰かが一つを引き受けるたびに、やることが少しずつ形になっていった。
「殿下」
「ん?」
商人がこちらを見る。
「では、注文をお願いしても?」
机の上の紙を見る。
前回とは比べものにならない量。
その数字を見て、少しだけ息を吐いた。
「うん。やってみるよ」
◇
話が終わった頃には、もう夕方になっていた。
僕とフィオナは屋敷へ戻る前に、茶を植えた斜面へ寄ることにした。
空は薄い雲に覆われている。
風は弱く、斜面の下にはうっすらと霧が残っていた。
数日前。
ここで初めて茶の株を育てた。
その時は、ただこの土地に向いている植物の一つかもしれないと思っただけだった。
今では、整然と並んだ株の間に新しい葉が増えている。
「ここだけじゃ足りないんだね」
「そうですね」
「結構あるように見えるのに」
「試験用に作った畑ですから」
「それもそうか」
斜面の向こうを見る。
似たような土地なら、まだいくつもある。
全部を茶畑にする必要はない。
でも、今より少し広げるくらいなら十分できそうだった。
「売れるものが欲しいとは思ってたけどさ」
「はい」
「こんなすぐ『足りない』って言われるとは思ってなかったんだよね」
「良いことではありませんか?」
「もちろん嬉しいよ。でも、畑も増やして、作る場所も作って、人も集めて……」
「忙しくなりますね」
「……また仕事増えたなあ」
「カイル様」
「分かってるって。やるよ」
フィオナが少しだけ口元を緩めた。
「では、明日からですね」
「明日から?」
「まずは候補地を見に行かなければ」
「今日じゃ駄目?」
「もう夕方です」
「ああ、そっか」
もう一度、茶畑を見る。
風が吹き、若い葉が一斉に揺れた。
ほんの数日前まで。
ここは、いくつかの植物を試していただけの斜面だった。
今はもう違う。
この小さな畑では足りないくらい、外から欲しがってくれる人がいる。
そのことが、なんだか不思議だった。
そしてたぶん。
これはまだ、始まったばかりなんだと思う。




