第二十六話 町の外へ
翌日。
作業小屋の棚には、朝から茶葉が並んでいた。
昨日までとは違って、机の上に置かれている紙も随分増えている。
摘んだ葉の大きさ。
最初に置いておく時間。
揉み方。
揉んだ後に置く時間。
乾かす時の火加減。
最初は思いつくたびに適当に書いていただけだったのに、今ではちゃんと見比べられるくらいの記録になっていた。
「なんか研究室みたいになってきたね」
「けんきゅうしつ、ですか?」
「ああ……こういう、色々試したり調べたりする場所っていうか」
「なるほど」
フィオナは机いっぱいに広がった紙を見る。
「確かに、最初の日とは随分変わりましたね」
「最初なんて、葉っぱにお湯入れて『草だ』って言ってたもんね」
「言っていましたね」
「そこから考えると結構進んだなあ……」
たった数日前のことなのに、かなり昔に感じる。
あの時は本当に、どうしたらこれが茶になるのかすら分かっていなかった。
今では二種類。
渋みを少し残した、すっきりしたもの。
香りを強くして、柔らかな味にしたもの。
どちらも昨日の時点ではかなりおいしくできていた。
問題は、それを偶然ではなく毎回作れるかどうかだった。
「じゃあ今日は、昨日のやつをもう一回作ってみようか」
「はい」
「できれば何回か」
「何回か、ですか」
「一回だけ同じ味になっても、たまたまかもしれないでしょ?」
「それはそうですね」
「だからちゃんと確認したいんだよね」
そう言うと、フィオナが少しだけこちらを見る。
「カイル様、意外と慎重なのですね」
「意外って何」
「いえ」
「今ちょっと失礼だったよね?」
「気のせいではありませんか?」
「絶対違うと思うんだけどなあ」
フィオナは答えず、棚に広げた葉の方へ視線を戻した。
少しだけ口元が緩んでいた気がしたけれど、たぶん追及しても認めないだろう。
◇
昨日までに分かったことを、一つずつ確かめていく。
まずは葉。
大きさをできるだけ揃える。
傷んだものは避ける。
広げる時は重ならないようにする。
そこから、一晩置く。
問題はその後だった。
「昨日と同じくらいなら、この辺かな」
僕が葉を持ち上げる。
摘んだばかりの時より柔らかく、指で曲げても簡単には折れない。
青い匂いも随分弱くなっている。
「時間は昨日とほぼ同じです」
「じゃあ今のところ合ってそうだね」
「ですが、今日は昨日より少し乾いています」
「天気のせいかな」
窓の外を見る。
昨日より雲は薄い。
風も少し強かった。
同じ時間置いたからといって、まったく同じ状態になるとは限らないらしい。
「やっぱり、時間だけ決めても駄目かもね」
「私もそう思います」
フィオナが葉を一枚手に取る。
「柔らかさや香りも見た方がよいのではないでしょうか」
「色もだね」
「はい」
薬草を扱っている女性も頷いた。
「乾かす時もそうですけど、日によって結構変わりますからねえ」
「じゃあ、『何刻置く』だけじゃなくて、『こういう状態になるまで』って覚えた方がいいか」
「その方がよいでしょうね」
「なんか急に職人っぽくなってきたなあ」
「実際、そういうものなのでは?」
「そうなのかも」
同じ物を作る。
言葉にすると簡単なのに、実際にやってみると細かい違いがいくらでも出てくる。
魔法なら、同じだけ魔力を込めれば大体同じ結果になる。
でも、人が手で作るものはそうじゃない。
気温も。
湿気も。
葉の状態も。
少しずつ違う。
だからこそ、決めた時間だけではなく、葉そのものを見る必要があるらしい。
◇
最初に作るのは、渋みを少し残す方だった。
葉を軽く揉む。
香りが出たところで、あまり長く置かずに乾燥へ回す。
火加減は昨日と同じ。
料理人が網の位置を調整しながら、ゆっくり水分を抜いていく。
「昨日より少し火から遠くありません?」
「今日は葉が昨日より乾いていますから」
「ああ、そこも変えるんだ」
「同じ位置では、乾きすぎるかもしれません」
「なるほどなあ」
今度は僕が紙に書き込む。
火の位置まで毎回同じにするんじゃなく、その日の葉に合わせる。
「こういうの覚えること多いね」
「嫌になりましたか?」
「いや、僕が全部覚えなくてもみんなが覚えてくれそうだから大丈夫」
「そういうところは変わりませんね」
「大事なところだからね」
フィオナが少し呆れたように息を吐いた。
でも、もうそのくらいでは何も言わない。
やがて乾燥が終わる。
少し冷ました後、いつも通り湯を注いだ。
立ち上る香りを確かめてから、一口。
「……うん」
「どうですか?」
「昨日とかなり近いと思う」
フィオナも飲む。
「ええ。少し渋みがあって、後味がすっきりしています」
「一個目成功かな」
「まだ一回ですよ」
「分かってるって」
◇
同じものを、もう一度。
今度は僕とフィオナがなるべく口を出さず、昨日から手伝ってくれている人たちに任せてみることにした。
「じゃあ、僕ら見てるだけでいい?」
「それは少し緊張しますな」
農家の男性が苦笑する。
「失敗しても大丈夫だよ。むしろ今失敗した方が、何が足りないか分かるし」
「そう言われると気が楽ですけどね」
葉を選び。
広げ。
状態を確認し。
揉み。
乾かす。
僕は横で見ていたけれど、特に何も言うことはなかった。
薬草を扱う女性が葉の柔らかさを見て。
農家の男性が大きさを揃え。
料理人が火を調整する。
木工職人は棚の位置を変え、風が抜けやすいようにしていた。
昨日までは、僕かフィオナが中心にいた。
今日は違う。
僕らが何も言わなくても、ちゃんと進んでいく。
湯を注ぐ。
出来上がった茶を口にする。
「……同じだ」
思わず言葉が漏れた。
「はい」
フィオナも、もう一度味を確かめる。
「ほとんど同じだと思います」
「ちゃんと同じ味になってるよね?」
「なっています」
僕は器を置いた。
「じゃあ、これなら僕がいなくてもちゃんと作れるよね?」
「ええ」
フィオナが頷く。
「これなら、町の方々だけでも作れると思います」
「よし」
思っていたより嬉しかった。
別に僕自身が茶を作れるようになりたかったわけじゃない。
むしろ毎日ずっと茶葉を揉む生活になったら困る。
でも。
僕がいなくても作れるものが、この町に一つできた。
それは、なんとなく。
最初に自分で作った時よりも嬉しい気がした。
「これで毎日僕が葉っぱ揉まなくても済むね」
「やはり、そこも大事なのですね」
「大事だよ。でも、ちゃんと完成したのも普通に嬉しいからね?」
「分かっています」
「ならよかった」
フィオナの返事も、少しだけ柔らかかった。
◇
香りを強くした方も、同じように確認した。
こちらは揉んだ後に少し時間を置く。
ただし、長すぎると香りが鈍る。
昨日の記録と葉の変化を見比べながら、ちょうどいいところで乾燥へ回した。
一回目。
成功。
二回目。
ほとんど同じ味。
三回目。
少しだけ香りに差はあったけれど、十分同じものと言える範囲だった。
「これで二種類とも大丈夫そうだね」
「はい」
「結局、どっちを売る?」
僕が二つの器を見比べる。
フィオナも少し考えた。
「両方ではいけないのですか?」
「……あ」
言われてから気づいた。
「別に一個に決めなくてもいいのか」
「昨日も、好みが分かれていましたから」
「そうだった」
料理人は渋みがある方を好んでいた。
薬草を扱う女性は香りが強い方。
僕とフィオナは、どちらかと言えば香りの方が好きだった。
「じゃあ両方作ろうか」
「よいと思います」
「名前は?」
「今決めるのですか?」
「いや、まだいいかな」
「では、しばらくは区別できれば十分ですね」
「渋い方と、香り強い方」
「もう少し考えてください」
「駄目?」
「売り物にするのであれば、もう少し」
「じゃあ名前は後でみんなで考えよう」
「それがよいと思います」
茶そのものは、これで形になった。
あとは。
これを誰かが欲しいと思ってくれるかどうか。
◇
ちょうどその日の午後。
町の市場へ出ると、見覚えのある荷馬車が一台停まっていた。
塩や布、砂糖、乾燥させた肉なんかを積んだ馬車の横で、一人の男が店主と話している。
「あ」
「どうされました?」
「あの人、前にも来てた商人じゃない?」
フィオナが視線を向ける。
「そうですね。何度か見かけています」
「ちょうどいい人いるじゃん」
「……何か思いつきましたか?」
「あの人に飲んでもらおうよ」
「茶をですか?」
「うん。町の人たちにはおいしいって言ってもらえたけど、外の人にも聞いた方がいいでしょ?」
「それは確かにそうですね」
「じゃあ決まり」
僕らは作業小屋へ戻り、出来上がった茶を少しずつ持ってきた。
簡単な木箱も一緒に。
昨日の話を聞いた木工職人が、試しに作ってくれていたものだ。
まだ売り物らしい装飾はない。
でも、乾燥した葉を運ぶには十分だった。
◇
「殿下?」
「急に呼び止めてごめんね」
「い、いえ。それは構いませんが……」
商人は、さすがに町の人たちより少し緊張している。
何度かこの町へ来ているとはいえ、領主本人に呼び止められることなんて普通はないだろう。
「ちょっと飲んでほしいものがあるんだ」
「飲み物、ですか?」
「うん。この町で作ってみたんだけど、外の人から見てどうなのか気になってさ」
「なるほど」
市場の端にある小さな休憩所を借りる。
湯を用意してもらい、まず渋みを残した方を淹れた。
「これが一つ目」
「いただきます」
商人が一口飲む。
すぐには何も言わない。
もう一口。
口の中で味を確かめているらしい。
「どう?」
「……失礼ですが、これは本当にこの町で作ったものですか?」
「うん」
「茶葉から?」
「そうだけど」
「この辺りで茶が採れるとは知りませんでした」
「僕らも数日前まで知らなかったよ」
商人が少し困った顔をする。
「どういうことです?」
「まあ、色々あって試してみたら育ったんだよね」
「はあ……」
明らかに納得していない。
でも説明すると長くなるので、そのまま二つ目を淹れる。
「こっちは作り方が少し違うんだ」
香りを強くした方。
湯を注いだ時点で、商人の表情が少し変わった。
「香りがかなり違いますね」
「分かる?」
「ええ」
一口。
「……これは」
「どう?」
「かなり面白いですね」
「おいしい?」
「おいしいです」
「よかった」
思わず安心する。
町の人たちが身内だから褒めていたとは思っていなかったけれど、やっぱり外の人に言われると違う。
「こちらの方が飲みやすいですが、最初の方も悪くありません」
「やっぱり好み分かれる?」
「そうですね。最初の方は渋みが残っていて、食事の後や日常的に飲むなら好む人もいるでしょう」
「こっちは?」
「香りが強い分、こちらの方が珍しさはありますね」
商人は器を置き、茶葉そのものを見る。
「毎回、この味で作れるのですか?」
「今日確認したところ」
「どれくらい作れます?」
「今はまだそんなに多くないかな。試しに育ててる段階だから」
「保存は?」
「乾かしてるから、生の葉よりはかなり持つと思う。そこもこれからちゃんと確認するつもり」
「量を増やすことは?」
「畑を増やせばできると思う」
次々と質問が飛んでくる。
「……なんか急に話が具体的になったね」
「商品として見るなら、そこが重要ですから」
「ああ、そっか」
僕としては、単純に味の感想を聞きたかっただけだった。
でも商人にとっては、それだけじゃないらしい。
おいしい。
珍しい。
それだけでは売れない。
同じものが作れるか。
運べるか。
量を用意できるか。
そこまで含めて商品になる。
「なるほどなあ」
「何がです?」
「いや、売るって大変なんだなって」
商人が少し笑う。
「作るだけでは商売になりませんからね」
「勉強になるよ」
商人はもう一度、香りの強い方を飲んだ。
それから、机の上の二つの箱を見る。
「殿下」
「ん?」
「これ、少し売っていただけませんか?」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「茶葉をです」
「買うの?」
「ええ」
「今?」
「はい」
僕はフィオナを見る。
フィオナも少し驚いているようだった。
「いや、今日は感想聞こうと思っただけだったんだけど」
「でしたら、私の感想は『買ってみたい』です」
「……それは、かなり嬉しいな」
「次にいくつか町を回りますので、そこで少量ずつ売ってみたいと思います」
「売れると思う?」
「それを確かめるために買うんですよ」
「ああ」
なるほど。
この人も試すのか。
「じゃあ、どれくらい?」
「ある分を全部、とは言いません。まずは両方を少量ずつ」
「それなら用意できるよ」
「値段ですが――」
そこからは、正直ほとんど商人任せだった。
僕はまだ茶葉の相場なんて知らない。
フィオナも同じ。
だから、普段この辺りへ運ばれてくる茶や乾燥薬草の値段を基準にして、少しずつ話を詰めた。
珍しいものではある。
でも、まだ誰も知らない。
最初から高くしすぎても売れない。
今回は試し。
互いにそれを分かった上で、小さな木箱をいくつか買ってもらうことになった。
「この値段で本当にいいの?」
「私も売れなければ困りますから」
「それもそうか」
「売れれば、次はもう少し多く仕入れたいですね」
「……次がある前提なんだ」
「そのつもりで買っていますよ」
商人が差し出した硬貨を受け取る。
掌の上に乗ったそれを、しばらく眺めた。
「カイル様?」
「いや」
なんだか変な感じだった。
魔物を倒して得たものでもない。
皇族として渡された金でもない。
この土地で育てて。
みんなで考えて。
失敗して。
ようやく作ったものが。
初めて、お金に変わった。
「……売れたね」
「ええ」
フィオナの表情が、少しだけ和らいだ。
「売れましたね」
◇
夕方。
行商人の馬車が、町を出ていく。
僕とフィオナは、町の入口からそれを見送っていた。
荷台には、この町へ運んできた塩や布の残りが積まれている。
そして、その隅。
小さな木箱がいくつか。
今日買ってもらった茶だ。
「……行っちゃったね」
「ええ」
「売れるかな」
「どうでしょう」
「そこは『売れます』って言ってくれてもよくない?」
「まだ分かりませんから」
「こういう時ほんと慎重だよね」
「ですが」
「うん?」
フィオナは、遠ざかっていく馬車を見る。
「売れるといいですね」
「……うん。僕もそう思う」
車輪が道を踏む音が、少しずつ小さくなっていく。
これまでも、町から外へ出ていくものはあった。
森で採れた薬草。
獣の毛皮。
木材なんかも、少ないながら商人へ渡していた。
けれど、それだけでは町を支えられなかった。
どれも、この土地にもともとあったものを採って、そのまま外へ出していただけだ。
今日の荷台に載っているものは、少し違う。
この土地の気候を調べて。
茶を育てて。
町のみんなで何度も失敗して。
作り方まで考えた。
そうして、新しく生まれたものだ。
たった数箱。
本当に、小さな始まりだ。
売れるかどうかも分からない。
もしかしたら全部持って帰ってくるかもしれない。
それでも。
遠ざかる馬車が、昨日までとは少し違って見えた。
この町で作った新しいものが、初めて町の外へ向かっていった。




