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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第二章 辺境に芽吹く
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第二十五話 香りが変わる

 翌朝。


 昨日と同じ作業小屋へ向かうと、扉はすでに開いていた。


 中からは木を削る音が聞こえてくる。


「もう来てるね」


「昨日、棚をもう一つ作ると仰っていましたから」


「僕らより早いじゃん」


「カイル様が遅いのではありませんか?」


「今日はちゃんと朝ご飯の時間には起きたよ?」


「それは存じています」


「じゃあ褒めてもよくない?」


「普段通りに起きただけですよ」


「厳しいなあ……」


 そんなことを言いながら小屋へ入る。


「おはようございます、殿下」


「おはよう。朝からありがとう」


「いえいえ。昨日の続きが気になりましてね」


 木工職人は、昨日作ったものと同じような棚をもう一つ組み立てている途中だった。


 料理人と農家の男性も少し遅れてやってきた。


 薬草を扱っている女性は、すでに机の上に布を広げている。


「昨日の葉はどうだった?」


「それがですねえ」


「ん?」


 女性が少し不思議そうな顔をして、机の端に置かれた籠を指した。


「朝来て見たら、昨日とは随分匂いが変わってまして」


「匂い?」


 昨日使い切らず、そのまま残した茶葉だ。


 布を掛けて置いていたものを、女性が広げていた。


 見た目からして、昨日とは少し違う。


 摘みたての時のような張りはなく、葉全体が柔らかくしんなりしている。


 でも、弱っているわけではない。


 少なくとも、悪くなったようには見えなかった。


「カイル様」


「うん」


 フィオナが一枚手に取り、鼻先へ近づける。


「昨日より、青い匂いが弱くなっています」


「僕も嗅いでみる」


 一枚受け取る。


「……あ、本当だ」


 昨日までは、揉んだ時に強く感じていた青臭さがあった。


 草を折った時のような、まだ生の植物らしい匂い。


 それが随分薄い。


 代わりに、少し甘いような香りが混じっていた。


「昨日こんな匂いしなかったよね?」


「ええ。少なくとも、ここまではっきりとは」


「傷んだんですかねえ?」


 農家の男性が覗き込む。


 薬草を扱う女性が首を横に振った。


「腐った匂いとは違いますね。葉も悪くなっているようには見えません」


「じゃあ、昨日よりいい方向に変わったのかな?」


「どうでしょう。飲んでみるまでは分かりません」


 フィオナが葉を指先で軽く揉む。


 その瞬間。


「……あ」


 香りが強くなった。


 昨日、斜面で葉を揉んだ時に感じたものに少し近い。


 でも、それよりも青臭さが少ない。


「今の、いい匂いしなかった?」


「しました」


 フィオナも、もう一度葉を揉む。


「昨日より香りが柔らかいですね」


「これ、普通に昨日と同じように作ってみない?」


「私も試してみたいです」


「じゃあ決まりだね」


     ◇


 昨日一番良かった作り方を、そのまま使うことにした。


 葉を揃え。


 軽く揉み。


 弱い火でゆっくり乾かす。


 昨日との違いは一つ。


 一晩置いていた。


 それだけだった。


「火加減は昨日と同じでお願いします」


「承知しました」


 料理人が網を火から少し離して置く。


 しばらくすると、茶葉から少しずつ香りが立ち始めた。


「……昨日より匂い強くない?」


「ええ」


 フィオナが近づく。


「青臭さもかなり少ないです」


「やっぱり気のせいじゃないよね」


 昨日は乾かしている途中でも、まだ葉の青い匂いが残っていた。


 でも今日は違う。


 小屋の中に広がるのは、もっと柔らかい香りだった。


 何の匂いなのかと聞かれると、うまく答えられない。


 花とも違う。


 果物とも違う。


 ただ、もう一度嗅ぎたくなるような匂いだった。


「これ、ちょっと期待していいかも」


「昨日も同じことを仰っていましたよ」


「昨日は実際結構おいしかったでしょ?」


「ええ。それは否定していません」


「じゃあ今日はもっと期待してもいいじゃん」


「それはそうですね」


 乾燥を終えた茶葉を冷ます。


 湯を沸かし、器へ注ぐ。


 色は昨日より少し濃い。


 湯気に混じって香りが立ち上る。


「……いい匂い」


 思わず口に出た。


「昨日とは明らかに違いますね」


「だよね」


 一口飲む。


「……あ」


 思わず、器を見た。


「どうですか?」


「いや、これ……昨日のより全然おいしいよ」


 もう一口。


 青臭さがほとんどない。


 渋みはある。


 でも、昨日より角が取れている。


 そして一番違うのは、飲み込んだ後だった。


 香りが口の中に残る。


「昨日のやつも普通に好きだったけど、これ飲んだあとだと結構違うなあ」


 フィオナも一口飲む。


 少し目を見開いた。


「ええ。私もこちらの方が好きです」


「だよね?」


「香りも強くなっていますし、渋みも昨日より気になりません」


「一晩置いただけなのに?」


「少なくとも、それ以外の条件はほとんど同じですよね」


「うん」


 なんだろう。


 葉は、置いておいた方がいいのか。


 だったら昨日までは、少し急いで作りすぎていたのかもしれない。


「少し置くって、結構大事なのかも」


 僕がそう言うと、フィオナは器ではなく机の上に残った葉を見た。


「カイル様」


「ん?」


「この葉を揉んだ時、香りがさらに強くなりましたよね」


「ああ」


「では、揉んだ後も少し置いてみてはどうでしょう」


「揉んだ後?」


「はい。今までは揉んだあと、すぐ火に掛けていました」


「……確かに」


 葉を置く。


 揉む。


 乾かす。


 昨日までは、その三つを一続きでやっていた。


「最初に置いたら変わったんだから、揉んだあとも何か変わるかもしれないってこと?」


「試してみなければ分かりませんが」


「いや、それ面白そう。やってみよう」


     ◇


 茶葉をいくつかに分けた。


 揉んだらすぐ乾かすもの。


 少しだけ置くもの。


 もう少し長く置くもの。


 さらに長く置くもの。


 昨日までなら、ここからすぐ試飲だった。


 今日は待つ。


「……暇だね」


「待つと決めたのはカイル様でしょう」


「そうなんだけどさ」


「別の作業をすればよいのでは?」


「正論だなあ」


 僕は隣を見る。


 フィオナはすでに昨日までの記録を整理していた。


 僕も仕方なく、茶葉の条件を書いた紙をまとめることにする。


 時々、棚の葉を確認する。


 最初は特に変わらなかった。


 けれど、少し時間が経った頃だった。


「カイル様」


「うん?」


 フィオナに呼ばれて近づく。


「こちらを」


 少し置いていた葉。


 色がわずかに変わっている。


 緑が消えたわけではない。


 でも、摘んだばかりの鮮やかさとは違っていた。


 そして。


「匂い、変わってる」


「はい」


 揉んだ直後よりも、香りが強い。


 しかも、青い匂いがさらに弱くなっている。


「なんでだろう」


「分かりません」


「でも、いい変化っぽいよね」


「私もそう思います」


 もう少し時間を置いた葉も確認する。


「こっちは、もっと強い」


「ええ。ただ少し匂いが重くなったような気もします」


「じゃあ長ければ長いほどいいって感じでもないのか」


「その可能性はありそうですね」


 さらに一番長く置いたもの。


「……これはちょっと違うなあ」


「香りが鈍くなっています」


「なんかせっかく出てきた匂いが、また弱くなった感じする」


「では、この手前くらいがよいのかもしれません」


「うん。飲んで比べてみよう」


     ◇


 それぞれを同じ火加減で乾かす。


 その途中だった。


「……これ」


 木工職人が手を止めた。


「どうしたの?」


「随分いい匂いになりましたね」


 言われるまでもなく、僕も気づいていた。


 小屋の中の空気が、昨日までとはまるで違う。


 開け放した窓から湿った風が入り込み、そのたびに茶葉の香りが室内を流れていく。


 料理人も、火のそばで少しだけ顔を上げた。


「確かに。昨日よりかなり香りが強いですね」


「これなら期待してもいいよね?」


「飲んでみるまでは分かりません」


「フィオナって、こういう時ちゃんと慎重だよね」


「カイル様がすぐ期待するので」


「別にいいじゃん。楽しみにするくらい」


「悪いとは言っていません」


「じゃあ僕は期待しとく」


 そう言いながら、乾いた葉を見る。


 僕だけじゃない。


 小屋にいる全員が、さっきから何度もそちらへ目を向けていた。


     ◇


 器を並べる。


 最初は、揉んですぐ乾かしたもの。


 昨日よりおいしい。


 ただ、朝飲んだものと大きな違いはない。


 次は、少しだけ置いたもの。


「こっちは香り強いね」


「渋みも少し柔らかくなっています」


「私はこっちの方が好きですねえ」


 薬草を扱っている女性が言った。


「さっきの方は、もう少し渋みが残ってるでしょう?」


「うん。こっちの方が飲みやすいかも」


「私は、先ほどのものも嫌いではありませんよ」


 今度は料理人だった。


「本当?」


「ええ。少し渋みがありますが、食事の後ならあちらの方が口の中がさっぱりするかもしれません」


「ああ、そういうのもあるのか」


 僕は二つの器を見比べる。


 どちらかが失敗というわけではない。


 同じ葉なのに、作り方が少し違うだけで味の方向まで変わっている。


「これ、好みで結構分かれそうだね」


「そうですね」


 フィオナも二つを飲み比べる。


「渋みを好む方なら、最初の方を選ぶかもしれません」


「逆に、香りとか飲みやすさが好きならこっちか」


「ええ」


「じゃあ、全部同じ味にする必要もないのかな」


 昨日までは、一番おいしい作り方を一つ探しているつもりだった。


 でも。


 一つだけが正解とは限らないのかもしれない。


「作り方を変えれば、別の茶として出せるかもしれませんねえ」


「別の茶か」


 その考えはなかった。


 同じ植物。


 同じ土地。


 それでも加工次第で味が変わるなら、飲む人の好みに合わせることだってできる。


「それ、面白いなあ」


「まだ売る前から種類を増やすのですか?」


「いや、今すぐ増やすってわけじゃないけどさ。後々そういうのもできそうじゃん」


「それは確かにそうですね」


「でしょ?」


 少し先の話。


 でも、昨日までは存在すらしていなかった先の話だ。


 三つ目。


 もう少し長く置いたもの。


 器を口元へ運んだ瞬間、香りがはっきりと分かった。


 一口。


「……え」


 もう一口。


「カイル様?」


「ちょっと待って。これ、めちゃくちゃおいしくない?」


 自分でも少し声が大きくなった。


 でも、それくらい違った。


 まず香りが強い。


 口へ含んだ瞬間に広がって、飲み込んだ後にも残る。


 昨日まで気になっていた青臭さは、ほとんど感じない。


 渋みは残っている。


 けれど、それも随分と柔らかくなっていた。


 口の中に残る香りの方が、ずっと強い。


「昨日のと全然違うよ、これ」


 フィオナも器に口をつける。


 少しの間、何も言わなかった。


 そして、もう一口。


「……はい。これはかなりおいしいと思います」


「だよね?」


「ええ。昨日のものより、私はずっと好きです」


「僕も。これなら普通に何杯でも飲めそう」


 薬草を扱っている女性も口にする。


「本当に香りが違いますねえ」


「これ、売ってたら買う?」


「値段にもよりますけど、私は欲しいですよ」


「本当?」


「ええ。少なくとも、町の外から持ってくる飲み物に負けているとは思いません」


「それ、かなり嬉しいな」


 料理人も頷いている。


「食後に出すなら、私は最初の少し渋い方も面白いと思いますが、こちらはそのまま飲んでも十分楽しめますね」


「やっぱり用途でも変わるんだ」


「飲む人の好みもあるでしょう」


「なるほどなあ」


 同じ茶葉なのに。


 一晩置いて、そのまま仕上げたもの。


 さらに揉んでから寝かせたもの。


 味も、香りも、かなり違う。


 どちらが上かというより、方向そのものが違っていた。


「これ、一種類に決めない方が面白いかもね」


「まだ製法も安定していませんよ」


「分かってるって。今すぐ何種類も売ろうって話じゃないよ」


「でしたらよいのですが」


「でも、いつかやってみたいな」


「その時は、それぞれ分かりやすいように名前も必要になるでしょうね」


「名前かあ。それも考えないといけないのか」


 やることが増えた。


 なのに、不思議と嫌ではなかった。


 農家の男性は茶を飲みながら、少し考えるように言った。


「これだけ味が違うなら、本当に商品になるんじゃないですか?」


「商品かあ……」


 数日前まで、ただ候補として試していただけの植物だ。


 それが今、机の上に茶として並んでいる。


「……うん。これなら、一回売ってみたいかも」


「でしたら、入れ物も考えないといけませんね」


 木工職人が言う。


「入れ物?」


「葉のまま売るなら、湿気ないようにしないといけないでしょう。箱でも作れますよ」


「もうそこまで考えてるの?」


「売るんでしょう?」


「いや、まあ……売ってみたいとは言ったけど」


「なら必要になりますからね」


「早いなあ」


 思わず笑ってしまった。


 昨日、乾燥用の棚を作った。


 今日は茶を入れる箱の話が出ている。


 僕が思っていたより、ずっと早く先へ進んでいる。


「でも、その前に毎回同じ味で作れるようにしないとね」


 フィオナが言う。


「そうだね。今日たまたまおいしくできただけじゃ、売るには困るし」


「置く時間も、もう少し細かく確認した方がよいと思います」


「あと揉み方もね。昨日結構変わったし」


「葉の大きさも揃えた方がいいでしょう」


 農家の男性が続ける。


「乾かし方もですねえ」


 薬草を扱う女性も加わる。


 まただ。


 気づけば、僕が何かを言う前に次の話が始まっている。


 昨日の続きみたいに。


「なんか嬉しいな」


 思わず口にすると、フィオナがこちらを見る。


「茶がおいしくなったことがですか?」


「それもあるけどさ」


 僕は机の周りを見る。


 誰かが茶葉を手に取って。


 誰かが昨日の記録を確認して。


 誰かが次の棚の話をしている。


「昨日まで誰も作り方知らなかったのに、みんなで考えたらちゃんとここまで来たじゃん」


「……ええ」


「こういうの、結構好きかも」


 フィオナは少しだけ目を細めた。


「私もです」


     ◇


 最後に、一番長く置いた茶も飲んでみた。


「……うん。やっぱりこっちは微妙だね」


「先ほどのものより香りが弱いですね」


「味も少し重い気がする」


「では、長く置きすぎても良くないということですね」


「そうみたい」


 また紙に書き込む。


 一晩置く。


 揉む。


 さらに少し置く。


 そして、香りが一番強くなったところで乾かす。


 あるいは、揉んだあとすぐに仕上げて、少し渋みを残す。


 まだ正確な時間までは決まっていない。


 でも、昨日まで見えていなかったものが、はっきり見え始めている。


「明日は、この辺をもう少し細かく試そうか」


「はい」


「同じ味が何回か作れたら、今度は少し多めに作ってみたいね」


「それがよいと思います」


「じゃあ、明日もよろしく」


「もちろんです」


 そこでふと気づく。


「……明日もやるのか」


 フィオナがこちらを見る。


「今、ご自分で仰ったではありませんか」


「言ったけどさ。三日くらいずっと茶作ってる気がして」


「まだ三日です」


「もう三日だよ」


「では、お休みになりますか?」


 机の上を見る。


 さっき一番おいしかった茶が、器に少しだけ残っていた。


 手に取って飲む。


 冷めている。


 それでも、香りはちゃんと残っていた。


「……いや、やる」


「そうですか」


「ここまで来たら、ちゃんと完成させたいしね」


 フィオナはほんの少しだけ口元を緩めた。


「では、明日も頑張りましょう」


「うん。でも終わったら一日は休もうね」


「完成しましたら考えます」


「そこは約束してくれてもいいと思うんだけどなあ」


 そんな話をしながら、小屋を出る。


 外には、朝より明るい空が広がっていた。


 雲の切れ間から差した光が、濡れた屋根や道を照らしている。


 振り返れば、開いた窓からまだ茶の香りが流れていた。


 昨日までは、ただの葉だった。


 僕らも、どうすればいいのか分からなかった。


 それが今は。


 作り方を少し変えるだけで、違う味まで生まれ始めている。


 まだ名前もない。


 売り物になるかも分からない。


 それでも。


 ようやく、この町にしかないものが芽を出し始めた気がした。


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