第二十話 土地を見る
翌朝、僕とフィオナは町を抜けて、そのまま山の方へ向かった。
昨日までなら畑の状態を確認する時は作物そのものを見ていたけれど、今日は少し違うらしい。
「今日は畑を見ないの?」
「畑も見ますが、それだけではありません」
「じゃあ何を?」
「土地を見ます」
「昨日も見てた気がするけど」
「今日はもう少し細かく見ます」
「違うんだ」
「違います」
即答だった。
フィオナはいつもより荷物が多く、小さな布袋のほかに短剣と紐、それから木の棒のようなものまで持っている。
「それ何に使うの?」
「いろいろです」
「雑だなあ」
「見ていれば分かります」
そう言われ、そのまま後ろをついていく。
最初に向かったのは、町の北側にある緩やかな斜面だった。
平地と森の境目に近く、ところどころ低い草や背の小さな木が生えている。
朝方に出ていた霧がまだ完全には晴れておらず、斜面の上の方には薄く白いものが残っていた。
「ここです」
「ここ?」
「はい」
フィオナはしゃがみ込み、短剣の先で地面を掘り始めた。
「何してるの?」
「土を見ています」
「表面じゃ駄目?」
「表面だけでは分からないこともあります」
数センチほど掘ると、色の少し違う土が出てきた。
フィオナはそれを指で摘まみ、手のひらの上で軽く握る。
「……なるほど」
「何が?」
「少し粘りがあります」
「粘ると駄目なの?」
「それだけでは何とも言えません」
「またそれだ」
「何を育てるかによりますから」
「便利な言葉だなあ」
「大事なことです」
握った土を指先で崩すと、大きな塊にはならず、ぽろぽろと落ちていった。
「水分はありますが、固まりすぎませんね」
「それは?」
「少なくとも、ずっと水が溜まっている土ではありません」
「昨日雨降ったのに?」
「ええ」
フィオナが斜面の下を指差す。
「ここは傾斜がありますから、表面の水は下へ流れます」
「じゃあ乾きやすい?」
「そこまででもありません」
今度は少し深いところの土を取って、僕に見せる。
「中はまだ湿っています」
「上は水が抜けるけど、中は乾きすぎない」
「そういうことです」
「へえ」
言われてみると、確かに悪くなさそうに聞こえる。
けれど、フィオナはそれだけでは判断しないらしい。
さらに少し離れた場所まで歩き、また土を掘る。
今度は森に近い場所だった。
「色が違うね」
「落ち葉が長い時間をかけて混ざっているのでしょう」
指で土を崩すと、細かい植物の欠片のようなものが混ざっている。
「腐葉土?」
「そうですね」
「こっちの方が良さそう?」
「栄養は多そうですが、これも育てるもの次第です」
「はいはい」
「適当に返していませんか?」
「ちゃんと聞いてるよ」
少しだけ疑われた。
◇
そこから少し上へ登ると、今度は風が強くなった。
同じ斜面でも、木に囲まれていた場所とはかなり違う。
「さっきより寒い」
「風が抜けていますから」
「これも見るの?」
「もちろんです」
フィオナは持っていた細い紐の先に、小さな布切れを結んだ。
風を受けて布が横へ流れる。
「なるほど、風向き見るのか」
「それだけではありません」
「他にも?」
「どの程度強く吹くか、どちらから吹く時間が長いかも重要です」
「そんなの今日だけじゃ分からなくない?」
「ですから、町の方にも後で聞きます」
「なるほど」
フィオナは何かを覚えるように周囲を見る。
僕には同じような斜面にしか見えないけれど、彼女の目には違って見えているらしい。
「カイル様」
「ん?」
「こちらと、あちらで草の高さが違うのは分かりますか?」
指差された先を見る。
言われてみると、風の当たりやすそうな場所の草は少し低い。
「風?」
「半分は」
「半分?」
「日当たりも違います」
空を見る。
雲が広がっているから分かりにくい。
「斜面の向き?」
「はい」
「同じ山なのに結構違うんだね」
「地面は平らではありませんから」
「それは見れば分かるけど」
「では、今まで気にしていましたか?」
「……してない」
「そういうものです」
ちょっと悔しい。
フィオナはそのまま斜面の向きを確認しながら歩いていく。
南側は比較的明るく、北側は森の影もあって湿り気が強い。
谷へ近づけば空気が冷たくなり、開けた場所では風が抜ける。
同じ町の周囲なのに、少し移動するだけで条件が変わっていく。
「何か面白いね」
「面白いですか?」
「うん」
「先ほどまで面倒そうにしていたのに」
「見て分かる違いが出てくると面白い」
「カイル様らしいですね」
「どういう意味?」
「興味があるかないかで、態度がかなり変わります」
「そんなに?」
「かなり」
最近よく言われる気がする。
◇
次に向かったのは、山から町へ流れ込む小さな沢だった。
水路へ流している水のさらに上流側で、人が頻繁に使っている場所ではない。
透明な水が石の間を流れている。
フィオナがしゃがみ込み、手ですくった。
「冷たいですね」
「山の水だからね」
「濁りもほとんどありません」
匂いも確認している。
「そこまで見る?」
「水は重要ですから」
「飲んでみる?」
「カイル様が先にどうぞ」
「なんで僕?」
「万が一がありますので」
「護衛としてそれ逆じゃない?」
「冗談です」
「フィオナが冗談言った」
「失礼ですね」
結局、二人とも少しだけ口にした。
冷たい。
それ以外は、特に変わったところはない。
「普通の水だね」
「それでよいのです」
「そうなの?」
「変な味や匂いがしないことの方が大切です」
「確かに」
沢の周囲には苔が多い。
フィオナは今度、それを見ていた。
「この辺、ずっと湿ってるんだね」
「ええ」
「苔で分かる?」
「ある程度は」
近くに生えている別の草も確認する。
「この植物は水分の多い場所を好みます」
「こっちは?」
「こちらは日陰でも育ちやすいですね」
「植物で土地を見るんだ」
「植物はそこに生えている理由がありますから」
その言葉を聞いて、少しだけ納得する。
土を全部掘らなくても、そこに何が生えているかを見れば環境の一部は分かる。
「故郷でもこういうことしてたの?」
「似たことは」
フィオナが答える。
「森で暮らす以上、どこに何が生えるか、水がどこを通るかくらいは知っていないと困りますから」
「エルフって皆そんな感じ?」
「皆ではありません」
「違うんだ」
「得意なことは人それぞれです」
少し考えてから、続ける。
「私は弓を教わっていましたから、森の中を歩くことも多かったのです」
「ああ、なるほど」
「獲物がどこを通るかを知るには、水や植物を見る必要があります」
「全部繋がってるんだね」
「森では、そういうものです」
それならフィオナが詳しいのも納得できる。
何でも知っているわけではない。
今まで積み重ねてきたものがあるだけだ。
◇
昼近くになると、朝の霧はほとんど消えていた。
それでも空は完全には晴れず、雲の切れ間から時々日が差す程度だった。
「ほんと晴れないね」
「そうですね」
「これだけ曇ってると、日照足りない作物も多そう」
「多いでしょうね」
「やっぱり欠点じゃん」
「すべての作物にとっては、です」
「ん?」
フィオナは答えず、空を見ていた。
「どうしたの?」
「いえ」
「また何か思いついた?」
「少しだけ」
「最近その言い方多いなあ」
「まだ確かめている途中ですから」
そこからさらに山の斜面を回る。
陽が差す場所。
ほとんど日陰になる場所。
風の強い場所。
霧が残りやすい窪地。
水の流れやすい斜面。
水が溜まりやすい平地。
一つ一つ見ていく。
途中、フィオナが窪地で立ち止まった。
「ここはあまり良くありませんね」
「なんで?」
「冷たい空気が溜まりやすいです」
「空気って溜まるの?」
「暖かい空気より冷たい空気の方が低い方へ集まりやすいですから」
「へえ」
「霜が降りる時期は、周囲より被害が出るかもしれません」
「じゃあ避けた方がいい?」
「ものによりますが、候補地にはしない方がよいでしょう」
「土地選びだけで結構大変だな」
「だから見るのです」
フィオナは当たり前のように答える。
◇
昼を少し過ぎた頃、僕たちは一度休憩を取った。
山の斜面にある大きな木の下へ座る。
「疲れた」
「まだ午前から少し過ぎただけです」
「ずっと歩いてるじゃん」
「昨日、ご自分から一緒に行くと仰ったでしょう」
「言ったけど」
持ってきた水を飲む。
フィオナは休みながらも、遠くの山を見ていた。
「まだ見る?」
「もう少しだけ」
「元気だなあ」
「カイル様も、戦う時はもっと動いていますよ」
「それとこれは違う」
「どう違うのですか?」
「分かんない」
「では同じですね」
「強引だなあ」
しばらく休んでから、最後に町の反対側も確認した。
そちらは山から少し離れていて、比較的平らな土地が多い。
日当たりは良いけれど、風も強く、土は斜面より乾きやすかった。
同じ種類の草でも、育ち方が少し違う。
「本当に全然違うね」
「ええ」
「昨日まで全部まとめて『この町の土地』って考えてた」
「それでは少し大雑把ですね」
「領主なのに?」
「領主だからといって、最初から何でも知っている必要はないと思います」
「珍しく優しい」
「その代わり、知らないままにしない方がよいでしょう」
「厳しかった」
いつものフィオナだった。
◇
屋敷へ戻った頃には、空が少し暗くなり始めていた。
食堂の大きな机を借り、今日見たことを書き出していく。
「まず、雨が多い」
「はい」
「湿度も高い」
「ええ」
「霧も多い」
書いていて、改めて嫌な土地に見えてきた。
「日照は少なめ」
「ただし、全く日が当たらないわけではありません」
「朝晩は冷える」
「昼との温度差がありますね」
「山の水は多くて綺麗」
「斜面は水捌けも悪くありません」
「森に近いところは土も結構良い」
「腐植が多い場所があります」
紙に並べていく。
雨。
湿度。
霧。
弱めの日差し。
昼夜の気温差。
綺麗な水。
斜面。
腐植の多い土。
「こうやって並べると……」
「はい」
「悪いことばっかりでもない?」
「私はそう思います」
フィオナが紙を見る。
「今まで育てていたものと相性が悪かっただけかもしれません」
「土地そのものが悪いわけじゃなくて?」
「ええ」
その言葉は、昨日聞いた時よりもはっきり理解できた。
寒い。
湿っている。
霧が多い。
それだけ見れば欠点に見える。
でも。
その条件を好む植物なら、話は逆になる。
「じゃあ候補探す?」
「その前に、もう一つ考えた方がよいと思います」
「何?」
「育つだけでは足りません」
「ああ」
昨日の市場を思い出す。
「売れないと意味ない」
「はい」
せっかく育っても、町の中だけで消費するものでは産業にはなりにくい。
「たくさん採れるか」
「できれば」
「保存できるか」
「重要ですね」
「遠くまで運べるか」
「この土地では特に」
「加工できれば、もっと高く売れる」
「ええ」
条件が増えていく。
「結構厳しいなあ」
「産業にするのであれば、このくらいは考えた方がよいかと」
「フィオナ、商人にも向いてるんじゃない?」
「全く経験がありません」
「僕もないよ」
「それは少し不安ですね」
「一緒に不安にならないで」
紙の端に、今度は別の条件を書き足す。
育つこと。
安定して収穫できること。
保存できること。
運びやすいこと。
加工できること。
できれば、この土地だからこそ価値が出ること。
「最後が一番難しくない?」
「そうですね」
「でも、できたら強い」
「ええ」
フィオナは少し考え込む。
「何かある?」
「いくつか」
「お」
僕が身を乗り出すと、フィオナが新しい紙を取り出した。
「例えば、薬草です」
「薬草」
「湿った環境を好む種類もありますし、乾燥させれば運びやすくなります」
「いいじゃん」
「ただし、すでに他の地域でも作られているものが多いので、価格では負けるかもしれません」
「なるほど」
「香草も候補になると思います」
「料理に使うやつ?」
「それだけではありません。香りを利用するものもあります」
「軽そうだし、運びやすいね」
「ええ」
フィオナが次を書く。
「小型の果実類」
「さっき市場にあったみたいな?」
「もっと栽培に向くものです」
「これは?」
「そのままでは傷みやすいので、加工が必要ですね」
「干すとか煮るとか?」
「はい」
さらに一つ。
「菌類」
「きのこ?」
「湿度の高い場所を利用できます」
「保存は?」
「乾燥させれば」
「意外とあるね」
「まだ候補です」
そして最後に、フィオナが少し迷ってから一つの名前を書いた。
「茶」
「お茶?」
「はい」
「この辺で育つの?」
「可能性はあります」
「へえ」
特別気になる名前ではなかった。
薬草も、香草も、果実も、菌類も、茶も。
今の段階では全部同じ候補に見える。
「これくらい?」
「今思いつくものでは」
「全部試す?」
「少量ずつであれば」
フィオナが僕を見る。
「カイル様なら、普通より早く結果を見られますよね」
「ああ」
《成長》。
普通なら何か月も、ものによっては何年も掛かる。
でも僕なら、その時間をかなり縮められる。
「そういう使われ方するんだ、僕」
「便利ですので」
「否定できないなあ」
僕も紙を覗き込む。
どれが一番いいのかは、まだ分からない。
なら。
「試してみよっか」
「はい」
「全部?」
「全部です」
「結構あるよ?」
「カイル様なら大丈夫でしょう」
「急に雑じゃない?」
「期待しております」
「そう言われると断りづらいなあ」
フィオナが少し笑う。
「では、明日から準備しましょう」
「また忙しくなりそう」
「町を良くしたいと仰ったのはカイル様です」
「そうなんだけどね」
机の上には、今日一日かけて見つけたこの土地の特徴と、いくつかの候補が並んでいる。
どれが正解なのかは、まだ分からない。
でも。
今まで欠点だと思っていたものの中に、この町の強みがあるのかもしれない。
「じゃあ、確かめてみようか」
「はい」
フィオナが頷く。
明日からは、この土地に何が芽吹くのかを試すことになりそうだった。




