第十八話 花
お待たせしました。
第2章です。
「起きてください、坊ちゃん」
聞き慣れた声が、遠くから聞こえた。
まだ眠い。というか、起きたくない。
「坊ちゃん」
「……起きてる」
「目を閉じたままでございますが」
「起きてはいるよ」
「では、起き上がってください」
「それはまた別の話じゃない?」
「同じ話です」
容赦がない。
仕方なく目を開けると、ベッドの横にセバスチャンが立っていた。
窓の向こうはすっかり明るく、もう朝というより、かなり朝だ。
「……何時?」
「お支度を始めなければ、陛下をお待たせする程度の時刻でございます」
「先に言ってよ」
「三度ほど申し上げました」
「聞いてない」
「返事はございました」
「じゃあ寝言だね」
「左様でございますか」
この世界に転生してから十二年。
そろそろセバスチャンの無表情にも慣れたつもりだったけれど、こういう時だけは何を考えているのか分からない。
僕は諦めて布団から身体を起こした。
「今日だっけ」
「本日でございます」
「明日じゃ駄目?」
「陛下に直接お願いなさってください」
「やめとく」
今日は僕の属性判別の日だった。
◇
この世界には魔法がある。
物心がつく頃には周囲で当たり前のように使われていたから、今では特別なものだという感覚もあまりない。
暖炉に火をつける程度の魔法なら使用人だって使うし、僕も子供の頃から簡単な魔法は教わってきた。
小さな灯りを作ったり、少量の水を出したり、身体を少し強くしたりするものは一般魔法と呼ばれていて、程度の差こそあれ、魔力さえあれば多くの人が扱える。
けれど、本格的な属性魔法となると話は別だった。
火、水、風、雷、地。
この五つが、一般に五大属性と呼ばれている。
十二歳前後になると魔力の性質がある程度安定するため、帝国ではこの時期に属性判別を受ける者が多い。
ただ、全員が五大属性のどれか一つだけに適性を持つわけではなく、複数の属性に適性を示す者もいれば、五大属性には当てはまらない特殊な性質を持つ者もいる。
有名なのは《治癒》だろう。
傷を塞ぎ、身体そのものへ働きかける魔法は一般魔法の範囲を大きく超えているため、独立した特殊属性として扱われている。
とはいえ、僕は自分が何属性なのかをそこまで気にしていなかった。
皇族なら強い属性を持っていて当然、みたいな空気は多少あるけれど、別に属性だけで人生が決まるわけでもない。
何が出ても、それなりに使えればいい。そのくらいに考えていた。
「カイル様」
「ん?」
「前を」
「あ」
危うく柱にぶつかるところだった。
隣を歩いていたアリアが呆れた顔をしている。
「まだ寝ているのですか?」
「半分くらい」
「陛下の御前で眠らないでくださいね」
「それは頑張る」
「頑張ることではありません」
そんな会話をしながら城の奥へ向かう。
属性判別自体は珍しいものではないが、僕は一応皇子なので、街の神殿に並んで受けるというわけにもいかない。
向かうのは城内にある儀式室。
そこには父上――皇帝アルベルトが待っている。
面倒だなあ、なんて思いながら扉の前まで来ると、さすがに眠気も少し飛んだ。
◇
儀式室は、思っていたより狭かった。
広い大広間で大勢に見守られながらやるものだと勝手に想像していたけれど、部屋にいたのは父上と宰相、それから儀式を担当する神官が三人だけだった。
アリアとセバスチャンも外で待つらしい。
「第六皇子カイル殿下。こちらへ」
「はい」
部屋の中央には、腰ほどの高さがある台座に大きな透明の石が収められていて、その内部では薄い光が揺れていた。
何度か見たことはある。属性を判別するための魔導具だ。
「緊張しているか?」
父上に聞かれた。
「少しだけ」
「そうは見えんな」
「朝なので」
「関係あるのか?」
「あります」
宰相が小さく咳払いした。たぶん笑うのを我慢したんだと思う。
父上は僕をしばらく見たあと、
「まあよい。始めろ」
と神官へ命じた。
僕は言われた通り、透明な石へ右手を置く。
表面はひんやりとしていた。
「そのまま、普段魔法を使う時と同じように魔力を流してください」
「どれくらい?」
「僅かで結構です」
「うん」
手のひらから、ゆっくりと魔力を流す。
透明だった石の内部に、まず白い光が灯った。
そこから属性に応じた色へ変わる。
火なら赤、水なら青、風なら緑、雷なら黄、地なら茶。
そう聞いていた。
やがて白かった光に、ほんの少し色が混じる。
「……ん?」
赤でも青でもない。
柔らかな、淡いピンク色。
石の内部を満たした光を見て、一人の神官が眉を寄せた。
「……この色は」
誰に聞くでもなく呟いている。
僕にも分からない。
「もう少し魔力をお願いいたします」
「はい」
少しだけ強くすると、淡いピンク色の光が石いっぱいに広がった。
五大属性のどの色とも違う。
故障かな。
そう思った直後だった。
石の中心に、小さな文字が浮かび上がった。
最初はぼやけていて読めなかった線が、ゆっくりと形を作っていく。
そして浮かび上がったのは、たった一文字だった。
僕はそれを見た。
父上も、宰相も、三人の神官も同じものを見ている。
なのに、誰も喋らなかった。
「……花?」
結局、最初に声を出したのは僕だった。
淡いピンク色に輝く石の中には、確かにそう書かれている。
《花》。
「花……で、ございますか?」
一番年長らしい神官が、僕より困惑していた。
「そう見えるけど」
「し、しばらくそのままでお願い致します」
「はい」
神官たちが慌ただしく確認を始める。
一度魔力を止めて石を調べ、別の補助魔導具まで持ち出したあと、もう一度試すことになった。
「殿下、再度お願い致します」
「壊れてる?」
「現時点では何とも……」
もう一度手を置き、魔力を流す。
白い光が灯り、すぐに淡いピンク色へ変わった。
そして浮かび上がる《花》の文字。
結果は変わらない。
三度目も同じだった。
「……記録は?」
父上が尋ねる。
先ほどまでとは違い、少し低い声だった。
「確認いたします」
神官の一人が分厚い資料を開き始め、宰相も別の記録へ目を通す。
僕だけがすることもなく立っていた。
「父上」
「何だ」
「花って、なんですか?」
「余も知らん」
「そうですか」
「不満そうだな」
「火とか雷の方が分かりやすかったなって」
「まだ何ができるかも分からんだろう」
「花を咲かせるとか?」
「ならば城の庭師が喜ぶな」
「仕事増えそうだから嫌だなあ」
「お前は十二歳にして仕事の心配ばかりだな」
そんな話をしているうちに、神官たちの確認が終わった。
「陛下」
「どうだ」
「少なくとも、当神殿に保管されている記録にはございません」
「帝国の記録にも見当たりません」
宰相も続ける。
「《花》という名の属性そのものが、確認された例はないかと」
「特殊属性と考えるべきか」
「五大属性のいずれとも反応が異なります。おそらくは」
父上が腕を組み、僕はもう一度魔導具へ目を向けた。
何度見ても、そこに浮かんでいるのは《花》だ。
「……地属性じゃないんだ」
植物なら地だと思っていた。
「地属性の反応は確認されておりません」
「じゃあ、本当に花だけ?」
「現状では、そうとしか」
「微妙だなあ」
「カイル」
「はい」
「前例のない属性を微妙の一言で済ませるな」
「だって、何ができるか分からないし」
強いのか弱いのか、便利なのか、それとも何の役にも立たないのか。
今の僕には何一つ分からない。
父上は少し考えたあと、神官を見る。
「危険性は?」
「判定のみでは判断できません。ただ、魔力そのものに異常はございません」
「ならば、簡単に試させろ」
「陛下?」
「何ができるのか分からんのなら、試せばよい」
それはそうだ。
◇
場所を移して、城の中庭へ出た。
儀式室にいた全員がついてきている。さすがに父上まで来るとは思わなかった。
「それで」
僕は目の前の花壇を見る。
「どうすればいいんですか?」
「こちらが聞きたい」
神官に言われた。
「判別された属性の魔法は、本人が感覚的に扱える場合もございます」
「感覚的に」
「はい。火属性の者であれば、火を生み出すことを想像するだけで初歩魔法を発現させることも珍しくありません」
「じゃあ、花を想像すればいい?」
「おそらくは」
「曖昧だなあ」
「前例がございませんので」
それを言われると何も返せない。
花壇には、まだ花をつけていない小さな苗がいくつか植えられている。
これを咲かせればいいのだろうか。
「……育て」
なんとなく口にしてみたが、何も起こらない。
「違うか」
今度は苗そのものへ意識を向ける。
植物を育てて、花を咲かせる。
少しだけ大きくする。
そんなイメージを持ちながら魔力を流した、その瞬間だった。
目の前の土が大きく持ち上がった。
「え?」
苗が一気に伸びる。
僕の膝ほどしかなかった茎があっという間に腰を越え、葉が次々と広がっていく。
しかも一本だけではない。隣の苗も、その隣も、花壇全体が同時に成長していた。
「ちょ、待って」
慌てて魔力を止める。
けれど、止めた時にはもう遅かった。
さっきまで小さな苗しかなかった場所には僕の背丈近くまで伸びた植物が密集し、枝の先には色とりどりの花が咲いている。
さらに地中で急激に伸びた根が土を押し上げ、花壇を囲っていた石の一部までずれていた。
誰も何も言わない。
静かな中庭に、鳥の声だけが聞こえた。
「……育ちましたね」
僕が言った。
「そのようだな」
父上が答えた。
「怒られます?」
「庭師には謝っておけ」
「はい」
神官たちは黙ったまま花壇を見ていて、宰相に至っては額へ手を当てている。
「殿下」
「はい」
「今、何をなさいました?」
「育てようとしました」
「どの程度?」
「ちょっとだけ」
全員の視線が花壇へ向いた。
「……ちょっと?」
「僕の予定では」
父上が大きく息を吐く。
「少なくとも、役に立たん属性ではなさそうだな」
「庭師には?」
「非常に役立つだろう」
「やっぱりそこなんだ」
目の前で咲いている花を見ながら、自分の中に残った感覚を確かめる。
確かに僕の魔力がやったことだ。
けれど、地面を操った感覚はないし、土へ魔力を流したわけでもない。
働きかけたのは、植物そのものだった。
「《成長》……とか?」
なんとなく、その言葉が一番しっくりきた。
そう口にした瞬間、不思議なことに、さっきまで曖昧だった魔法の形が頭の中で少しだけ整った気がする。
「《成長》」
もう一度、今度は端に生えていた小さな草へ使ってみる。
草は先ほどのように暴れることなく、すっと伸びた。
「できた」
「……随分簡単に扱うな」
「なんとなく分かる」
父上は少しだけ目を細める。
「記録を取れ。ただし、この件を不用意に広めるな」
「承知いたしました」
「カイル」
「はい」
「今後、勝手に城の植物へ使うなよ」
「なんで僕だけそんな注意を」
「お前だからだ」
ひどい。
そう思ったけれど、数日後に試しで自室の鉢植えへ《成長》を使い、天井まで蔓を伸ばしてアリアに怒られたので、父上の判断は正しかったのかもしれない。
◇
「……懐かしいな」
いつの間にか閉じていた目を開けると、窓の外に広がっていたのは帝城ではなく辺境の森だった。
十二歳の属性判別から、もう六年。
あの日からずっと《花》を使い続け、植物を育てたり、根や蔓を伸ばしたり、植え替えたり、時には地面ごと持ち上げたりと、できることは随分増えた。
それでも。
「結局、何なんだろうね。花って」
机の上に置いた紙へ視線を落とす。
そこには、森の奥で見つけた遺跡について、覚えている範囲で書き出してあった。
苔に埋もれた石畳、読めない古い文字、根や枝を模した彫刻。
そして、最深部の壁一面に描かれていた巨大な桜。
十二歳の時にも記録になかった《花》と、この世界には存在しないはずの桜。
それなのに、その木は子供の頃から何度も夢に現れている。
何か関係がある。
そう考えるのは簡単だけれど、何がどう繋がっているのかはまるで分からない。
「……まあ、考えて分かるなら、とっくに分かってるか」
椅子の背にもたれる。
遺跡にはまた行くつもりだが、次はきちんと準備をしてからだ。
拓本を取るための紙も必要だし、できれば古い文字に詳しい人にも見せたい。
ただ、そればかり考えているわけにもいかない。
窓の向こうには、ここへ来たばかりの頃より少しだけ暮らしやすくなった町が見えている。
道を直して、水を通して、冬を越す準備も始めた。
とはいえ、まだ胸を張って「暮らしやすい町だ」と言えるほどじゃない。
それに、僕が魔法で直した道や水路も、何かあるたびに僕が出ていかなければ維持できないのなら、僕がいなくなった瞬間に止まってしまう。
「それじゃ駄目なんだよなあ」
僕がずっとここにいる保証なんてない。
皇族である以上、いつ帝都から呼び戻されるかも分からないし、何より毎回僕が全部やるのは面倒だ。
これはかなり大事だった。
そんなことを考えていると、扉が軽く叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのはフィオナだった。
「町へ行く時間ですが」
「あ、もうそんな時間?」
「はい」
慌てて机の紙をまとめると、フィオナがその一枚へちらりと視線を向けた。
「遺跡のことを?」
「ちょっとね」
「何か分かりましたか?」
「全然」
「そうですか」
「だから、とりあえず分かることからやろうと思って」
「分かること?」
立ち上がり、窓の外を指す。
「町」
フィオナもそちらを見る。
「まだ問題は多いですからね」
「うん。でもさ」
水もあるし、道も少しずつ直っている。
冬を越す準備だって始めた。
ひとまず、ここで暮らしていくために必要なものは少しずつ揃ってきた。
だから次は、その先だ。
「僕がいなくても、ちゃんと回る町にしたいんだよね」
フィオナがこちらを見る。
「カイル様が、いなくても?」
「そう」
僕が植物を育てなくても、道を直さなくても、一つ一つ問題を見つけて回らなくても、この町に暮らす人たち自身で続けていけるようにする。
簡単ではないだろうし、何から始めればいいのかも、まだほとんど分かっていない。
「まあ、その方が僕も楽できるし」
「最後の一言で台無しです」
「大事な理由だよ?」
フィオナが呆れたように息を吐いたが、その口元は少しだけ笑っていた。
「では、まず何から始めるのですか?」
「それを今から探しに行く」
「決まっていないのですね」
「決まってたら苦労しないよ」
「そうですか」
フィオナが扉を開ける。
「では、行きましょう」
「うん」
《花》が何なのかも、桜や遺跡が何を意味しているのかも、今はまだ分からない。
なら、今できることからやればいい。
そうして僕たちは、もう一度町へ向かった。




