第十七話 根を下ろす
1章ラストです
最後までお付き合いください
屋敷へ戻った僕たちは、当然のようにアリアに怒られた。
特に、僕が着ていたローブを見た瞬間の顔はなかなか怖かった。
脇腹のあたりは大きく裂け、泥と血で汚れている。朝に渡された時とは比べものにならない有様だ。
「……お役に立ったようで何よりでございます」
隣では、セバスチャンがそんなことを言っていた。
たぶん半分くらい嫌味だと思う。
フィオナも無傷ではなかったし、僕なんて歩き方を見ただけで怪我を隠せる状態じゃなかったので、帰って早々二人そろって手当てを受けることになった。
その間に、森であったことも簡単に話した。
魔物や動物が森の浅い方へ逃げていたこと。
奥で、見たことのない竜のような魔物と戦ったこと。
そのさらに先では、魔物だけでなく普通の動物までほとんど姿を消していたこと。
苔に埋もれた石畳。
古い遺跡。
そして、その最深部に描かれていた巨大な木。
桜。
夢の中で何度も見てきたものと、まったく同じ木だった。
もちろん、アリアもセバスチャンも心当たりはなかった。
あれだけ大きな遺跡が領地の中に存在していたこと自体、二人とも初耳だったらしい。
結局、分かったことよりも分からないことの方が増えた。
◇
その日の夜。
僕は自室の机に向かっていた。
机の上には森の地図と、帰ってから思い出せる範囲で書いた簡単なメモが並んでいる。
竜と遭遇した場所。
そこから石畳を見つけた場所。
遺跡までの大体の距離。
正確とは言えないけれど、次に向かう時の参考くらいにはなるだろう。
「……ここ、か」
地図の上に指を置く。
何度見ても、そこには森しか描かれていない。
遺跡どころか、古い道があった形跡すらない。
知られていなかった。
ただそれだけなら、まだ分かる。
この辺境は広いし、人がほとんど入らない森も多い。
でも。
「それだけじゃないよなあ」
椅子の背にもたれる。
引っかかっていることは、一つや二つじゃない。
精霊たちは森の奥を嫌がっていた。
なのに、あの竜を越えた先では、その精霊たちすらほとんどいなくなった。
魔物もいない。
鳥もいない。
小さな動物の気配すらなかった。
そして。
フィオナは、あの場所を懐かしいと言った。
初めて来たはずなのに。
見たこともない石畳や遺跡を前にして、なぜか落ち着くと。
僕の方は少し違う。
懐かしいというより、呼ばれているような感覚だった。
森へ入った時からずっとあった胸のざわつきは、遺跡へ近づくほど強くなった。
その先にあったのが、夢の中の桜。
「……意味分かんないな」
口に出してみても、当然答えは返ってこない。
それに。
フィオナには言わなかったことが、もう一つあった。
右目に意識を向ける。
――心眼。
普段なら、意識して使わなくても勝手に情報が入ってくる。
相手の名前。
種族。
身体の状態。
得意なこと。
その時抱いている大まかな感情。
見ようとしなくても見えてしまうから、昔は随分困った。
でも、今日。
あの森の奥では、それが妙だった。
正確には、心眼そのものが使えなくなったわけじゃない。
自分の状態は分かった。
フィオナを見れば、疲労や怪我の程度もいつも通り読み取れた。
そこまでは何も変わらなかった。
なのに。
あの一帯にいたものへ目を向けても、何も見えなかった。
森の浅い方へ逃げていった魔物も。
そして、あの竜も。
名前も。
種族も。
身体の状態すら。
何一つ、心眼には映らなかった。
「……あれ、結構困ったんだよな」
戦っている最中は、そんなことを考えている余裕もなかったけれど。
普段なら、少なくとも相手がどの程度傷ついているのかくらいは分かる。
今回はそれすらなかった。
フィオナが何度も矢を当てて。
僕が動きを止めて。
外殻が割れた場所や、動きが鈍った場所を二人で一つずつ確かめるしかなかった。
心眼がいつも通り働いていれば、もう少し楽に戦えたかもしれない。
「竜がおかしかった……だけじゃないよね」
小型の魔物にも反応しなかった。
ということは、少なくともあいつ一体だけの問題じゃない。
あの場所に元からいた生き物が原因なのか。
森そのものが原因なのか。
遺跡が関係しているのか。
それとも、全部別々の話なのか。
「……分かんないこと増えただけじゃん」
机へ突っ伏したくなる。
せっかく都から離れたんだから、面倒なこととは無縁に暮らせると思っていたのに。
暗殺者。
水路。
農地。
森の異変。
謎の竜。
古代遺跡。
夢に出てくる桜。
「僕、辺境に来てから働きすぎじゃない?」
誰もいない部屋で言ってみる。
当然、誰も同意してくれない。
まあ。
頼まれて全部やっているわけでもないんだけど。
◇
窓の外へ目を向ける。
夜の町に、ぽつぽつと明かりが灯っていた。
初めて丘の上から見た時より、その数は少し増えた気がする。
最初にこの町を見た時は、正直かなりひどいと思った。
道は泥だらけ。
屋敷は壊れかけ。
水路は詰まり。
畑の状態も良くない。
領主として何をすればいいのかなんて、まともに考えてもいなかった。
静かに暮らせれば、それでいいと思っていた。
領主らしい仕事なんて最低限にして。
面倒なことには、なるべく関わらず。
「……まあ、全然そうなってないけど」
屋敷の床を直した。
水を通した。
道を直した。
町を歩いて、住民の話を聞いた。
冬を越すための準備まで始めている。
何もしないつもりだったはずなのに、気づけばやることが増えていた。
でも。
嫌だったかと言われると。
そうでもない。
水が戻った時に喜んでいた人たちの顔を覚えている。
道で荷車が動けるようになった時の声も。
フィオナが町の人から頼られて、少し嬉しそうにしていたことも。
この土地へ来たばかりの頃なら、町を歩いても知らない人しかいなかった。
今なら。
市場へ行けば、何度か話した店主がいる。
畑へ行けば、誰がどの辺りを使っているのか少し分かる。
森の入口へ行けば、木こりたちに声を掛けられる。
ほんの短い間なのに。
知っている顔が、随分増えた。
そして。
フィオナ。
奴隷市場で見つけて。
護衛になってもらって。
自由になってもらって。
それでも、ここに残ると彼女自身が決めた。
アリアとセバスチャンも来た。
最初はほとんど空っぽだった屋敷にも、今は人の気配がある。
静かに暮らすつもりだった。
今だって、そのつもりがなくなったわけじゃない。
できれば面倒な仕事は少ない方がいいし、朝はゆっくり寝たい。
でも。
この町が少し暮らしやすくなるのは、悪くないと思う。
困っている人がいるなら、できることくらいはしてもいい。
そんなことを考えていると、扉が軽く叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのはフィオナだった。
「どうしたの?」
「明日の予定を確認しておこうと思いまして」
「明日?」
「はい」
フィオナは僕の机に広げられた地図へちらりと目を向けた。
「まさか、明日も森へ行くおつもりではありませんよね?」
「……」
「カイル様?」
「行かないよ」
「今の間は何ですか」
「ちょっと考えただけ」
「考えないでください」
「厳しいなあ」
さすがに僕だって、明日もう一度あそこへ行こうとは思っていない。
身体もまだ痛いし、準備なしで何度も突っ込むほど命知らずでもない。
「明日は町の方を見るくらいかな」
「でしたら、私も同行します」
「フィオナも怪我してるんだから、休んでもいいよ?」
「それはカイル様も同じでしょう」
「……朝の仕返し?」
「何のことでしょうか」
真顔で返された。
たぶん覚えている。
絶対覚えている。
「じゃあ、一緒に行こっか」
「はい」
用件は済んだはずなのに、フィオナはすぐには部屋を出なかった。
僕の視線を追うように、窓の外を見る。
夜の町。
大きいとは言えない。
立派とも言えない。
でも、前よりは少し明るい。
「なんだかんだ、結構変わったね」
「町ですか?」
「うん」
フィオナも窓の向こうを見る。
「そうですね。初めて来た時とは、随分」
「まだ全然だけどね」
「それでも、前より暮らしやすくなったと皆さん仰っています」
「ならいいか」
少しだけ黙る。
ふと思って、聞いてみた。
「フィオナはさ」
「はい」
「ここ、どう?」
「ここ?」
「この町。住む場所として」
フィオナが瞬きをした。
予想していなかった質問だったらしい。
「嫌じゃない?」
「……」
彼女はすぐには答えなかった。
窓の向こうを見ながら、少し考えている。
僕も急かさなかった。
やがて、フィオナが静かに口を開いた。
「……好きですよ。私は」
「そっか」
「はい」
それだけだった。
でも。
なんとなく、嬉しかった。
ここに残りたい。
そう言ってくれた時とは、少し違う。
残ることを選んで。
実際にここで暮らして。
町の人たちと話して。
その上で、好きだと言ってくれた。
「カイル様は?」
「僕?」
「はい。カイル様は、この町をどう思っているのですか?」
「うーん」
今度は僕が考える番だった。
来た時は、静かに暮らせればそれでよかった。
別にこの土地に思い入れなんてなかった。
都から離れられるなら、むしろ都合がいい。
それくらいだった。
でも今は。
「悪くないかな」
「……それだけですか?」
「十分褒めてるよ?」
「そうでしょうか」
「僕基準ではかなり」
フィオナが少しだけ笑った。
「では、そういうことにしておきます」
「うん」
彼女は扉の方へ向かう。
「それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみ」
扉が閉じる。
再び一人になる。
窓の外には、辺境の小さな町。
分からないことは増えた。
森の奥に何があるのか。
あの遺跡は誰が作ったのか。
どうして夢の桜があそこに描かれていたのか。
僕にも。
フィオナにも。
まだ何も分からない。
きっと、いつか調べることになる。
面倒だけど。
放っておくこともできないんだろう。
たぶん僕は、そういう性格だ。
この土地へ来たばかりの頃は、静かに暮らせればそれでいいと思っていた。
今だって、のんびり暮らしたい気持ちは変わっていない。
ただ。
ここはもう、最初に見た時の「知らない辺境」じゃない。
知っている人がいる。
帰れば迎えてくれる人がいる。
明日になれば、また町を歩く。
何か問題があれば、たぶん文句を言いながら手を出す。
そうやって過ごす日々を、少しだけ想像できるようになった。
ここへ来た時は、ただ住む場所が変わっただけだった。
でも今は、もう少し違う。
フィオナも。
アリアも。
セバスチャンも。
僕も。
この土地で暮らし始めている。
たぶん。
こういうことを言うんだろう。
僕たちは、この辺境の地に根を下ろしたんだ。
これにて第一章完結です
ここまでご愛読いただき、本当にありがとうございます!
カイルとフィオナの旅はいかがでしたか?
辺境へやって来て、二人が出会い、少しずつ町や人々と関わりながら、それぞれの居場所を見つけていく第一章となりました。
この物語は今のところ6章構成にする予定なのでここで完結するつもりはないのですけど、夏休みが終わるので2章が始まるまで少し期間が空くと思います。スミマセン。
第二章では、カイルたちの辺境での暮らしや町づくりがさらに進んでいきます。
引き続き、カイルとフィオナの物語を楽しんでいただけましたら嬉しいです!
遅くとも10月に入る前には更新できると思うので、しばしお待ちくださいね。
ばいば~い。




