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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第一章 辺境に根を下ろす
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第十四話 森の異変

 最近、朝が少しうるさい。


 窓の外から、木槌を叩く音が聞こえてくる。


 少し離れたところからは、人の話し声。


 荷車が道を通る音も、前より増えた。


「……静かな辺境生活はどこに行ったんだろう」


 窓辺で呟くと、後ろからフィオナの声が返ってきた。


「カイル様ご自身がこうされたのでは?」


「そうなんだけどさ」


 最初にこの町へ来た時は、静かだった。


 静かというより、人が少なすぎたと言った方が正しいかもしれない。


 屋敷はボロボロ。


 道は泥だらけ。


 市場には店がほとんどなくて、水路まで詰まっていた。


 それが今では、朝から家の修理をする音がする。


 市場には少しずつ露店が増えて、道端では住民たちが排水溝を掘っている。


 悪い変化ではない。


 むしろ、いい。


 ただ。


「もうちょっとゆっくりでもいいと思う」


「皆さんがやる気になっているのですから、よいことではありませんか」


「フィオナまでそっち側になっちゃった」


「どちら側ですか」


「僕を働かせる側」


「元からです」


 即答だった。


「ひどい」


「朝食が冷めますよ」


「はい」


 僕は窓から離れた。


     ◇


 朝食を終えた頃だった。


 屋敷へ一人の男が訪ねてきた。


 何度か町で見かけたことがある。


 森から木を切り出している木こりの一人だった。


「殿下、少しよろしいでしょうか」


「うん。どうしたの?」


「木材のことでして」


「足りない?」


「それもあるんですが……」


 男は少し言いづらそうに頭を掻いた。


「森へ入れないんです」


「入れない?」


「正確には、奥へ入るのが危なくなってまして」


 フィオナが反応した。


「魔物ですか?」


「ええ」


 男が頷く。


「前から出ないわけじゃなかったんです。森ですから。ただ、最近は妙に浅いところまで来るようになってる」


「数が増えた?」


「そう見えます」


 家の修繕が始まってから、木材の使用量は一気に増えた。


 僕が《成長》で用意した分もある。


 でも、町の家を全部直して、さらに今後建物が増えることを考えれば、それだけでは足りない。


「じゃあ僕がもう少し生やせば――」


「カイル様」


「……はい」


 フィオナを見る。


「先日、ご自分がいなくても維持できる町にしたいと仰っていませんでしたか?」


「言った」


「でしたら、カイル様の魔法だけに木材供給を依存するのはいかがなものかと」


「ごもっともです」


 ぐうの音も出ない。


 木こりが僕たちを見比べて、少し笑った。


「今まで通り森から取れるなら、それが一番なんです。切る場所も決めてますし、若い木は残してます」


「ちゃんとしてるんだ」


「昔から使ってる森ですからね」


「じゃあ、一回見に行こうか」


 僕が立ち上がると、フィオナも当然のように立った。


「私も参ります」


「うん。お願い」


     ◇


 町の北側には、広い森がある。


 初めてこの土地を見た時から、フィオナが何度も褒めていた森だ。


 古く、豊かで、精霊も多い。


 町から森の入口までは、それほど遠くない。


 普段なら木こりたちはさらに奥まで入り、決められた区域から木を切り出すらしい。


「この辺りまでは、まだ大丈夫なんです」


 男が先を歩きながら言う。


「問題はもう少し先です」


 森の中は涼しい。


 頭上を葉が覆っているせいで、昼前なのに少し薄暗かった。


 フィオナは歩きながら何度も周囲へ目を向けている。


「何かいる?」


「いえ」


「じゃあ普通?」


「……それが」


 フィオナが立ち止まった。


 道の脇へ寄り、地面を見る。


「カイル様、こちらを」


「ん?」


 近づく。


 土にいくつか足跡が残っていた。


「鹿?」


「似ています。ただ、こちらは魔物ですね」


 フィオナが少し離れたところを指す。


 大きな爪の跡。


 さらに、その向こう。


 折れた低木。


 踏み荒らされた草。


「結構通ってる?」


「ええ」


「やっぱり増えてるのかな」


「……」


 フィオナは答えず、足跡を辿った。


「どうしたの?」


「向きが気になります」


「向き?」


「こちらの跡も、先ほどの跡も」


 フィオナが森の奥を見る。


「奥から、こちらへ向かっています」


「町側に?」


「はい」


 さらに進む。


 兎のような小さな動物の跡。


 鹿。


 魔物らしい大型の足跡。


 種類は違う。


 それなのに。


「みんな同じ方向?」


「そのように見えます」


 フィオナの表情が少し険しくなった。


「増えているというより……」


 その続きは聞かなくてもなんとなく分かった。


「奥から出てきてる?」


「ええ」


 男も不安そうに森の奥を見る。


「何かいるんですかね」


「確認してみます」


 フィオナが一歩前へ出た。


 目を閉じる。


 森の中を風が抜ける。


 葉が擦れ合う音。


 しばらくすると、フィオナの周囲へ淡い光が集まり始めた。


 精霊たちだ。


 町の畑で見た時より数が多い。


 やっぱり、この森には精霊が多いらしい。


 フィオナは声を出さずにじっとしている。


 精霊たちも彼女の周りを漂っていた。


 やがて。


「……そう」


 小さく呟いた。


 目を開く。


「何か分かった?」


「奥に、嫌な感じがするそうです」


「嫌な感じ?」


「上手く伝えられないようですが……皆、あちらへ行きたがりません」


 フィオナが指した。


 森のさらに奥。


「魔物の気配?」


「……おそらく」


「おそらく?」


「強い魔物を嫌がることはあります。ただ、今回は少し曖昧で」


 フィオナ自身も腑に落ちていないようだった。


「何がいるかは分からない?」


「はい。尋ねても、はっきりとは」


「そっか」


 僕も森の奥を見る。


 木。


 木。


 その向こうにも木。


 当然ながら、何も見えない。


 なのに。


「……?」


 胸の奥が、少しだけざわついた。


 痛いわけじゃない。


 怖いわけでもない。


 嫌な感じ、ともちょっと違う。


 なんだろう。


 妙に気になる。


 もっと奥へ行けば、何か分かるような。


 そんな感覚。


「カイル様?」


「ん?」


「どうかなさいましたか?」


「いや……」


 もう一度奥を見る。


 気のせい。


 そう言ってしまえば、それで済む程度のものだった。


 それでも。


 なぜか。


 行かなきゃいけないような気がした。


「なんでもない」


 とりあえず今は、それだけ答えた。


 その時だった。


「……!」


 フィオナが振り向く。


 ほぼ同時に、茂みが大きく揺れた。


「下がって!」


 男を後ろへ押す。


 次の瞬間。


 木々の間から、大きな獣が飛び出した。


「うわっ!」


 茶色い毛。


 太い牙。


 猪に似ているけれど、普通の猪より一回り以上大きい。


 額には短い角まである。


「魔物です!」


 フィオナがヘラクレスを構える。


 矢をつがえる。


 でも。


「……待って」


 獣はこちらを見ていなかった。


 目を血走らせ、荒い息を吐いている。


 僕たちを襲うどころか、こちらの存在にもほとんど気づいていない。


「フィオナ」


「はい」


 フィオナも気づいたらしい。


 弓を少し下げる。


 ただ、そのままだと町の方向へ走っていく。


 フィオナが弦を引いた。


 矢が放たれる。


 獣ではなく。


 その進行方向。


 地面へ。


 矢が深々と突き刺さった。


 驚いた魔物が急激に向きを変える。


 僕たちの横を駆け抜け、そのまま別の方向へ消えていった。


 しばらくして。


「……逃げてた?」


「はい」


 フィオナが弓を下ろす。


「少なくとも、私たちを襲うために出てきたようには見えませんでした」


 木こりの男が青い顔をしている。


「最近見かける奴らも、もしかして……」


「可能性はあります」


 フィオナが答える。


 僕は魔物が消えていった方向を見る。


 あれだけ大きな魔物が。


 何から逃げている?


「今日はここまでにしよっか」


「よろしいのですか?」


 フィオナが聞く。


「何も準備してないし、普通に森見に来ただけだからね」


 僕が持っているのは、普段使っている剣くらい。


 食料もない。


 道具もない。


 このまま奥まで行くのはさすがに雑すぎる。


「一回戻ろう。分かってること整理したい」


「賛成です」


 フィオナが頷く。


 帰ろうとして。


 もう一度だけ。


 森の奥を振り返った。


 胸のざわつきは、まだ消えていなかった。


     ◇


 午後。


 屋敷の食堂に、森周辺の簡単な地図を広げた。


「では、整理いたしましょう」


 セバスチャンが言う。


 テーブルを囲んでいるのは、僕、フィオナ、アリア、セバスチャン。


 それから、さっき森へ案内してくれた木こりと、別の木こりが一人。


「まず、最近魔物を見かけた場所を教えて」


「この辺りです」


 男が地図を指す。


「ここもですね」


 別の男が少し北側へ印を付けた。


「三日前はこの辺で、大きな鹿みたいな魔物を見ました」


「それまでは?」


「もっと奥じゃないと見ない奴です」


 印を増やしていく。


「動物が増えた場所は?」


「町の北側です。畑の近くまで鹿が来たって話も」


「兎も増えてますね」


 フィオナが地図を見つめる。


「精霊たちが嫌がっていたのは、この方向です」


 指を置く。


 地図の奥。


 森しか描かれていない場所。


「……だいたい同じところだね」


 いくつかの印。


 魔物。


 動物。


 精霊。


 全部を逆に辿っていくと、一つの方向に集まる。


「この辺って何かある?」


 僕が聞く。


 木こり二人が顔を見合わせた。


「いや……」


「特には」


「木を切りに行く?」


「そこまでは行きませんね」


「何で?」


「遠いんです。わざわざそこまで行かなくても手前に木がありますし」


「なるほど」


 セバスチャンが別の資料を取り出した。


「屋敷に残されていた古い領地図も確認いたしましたが、この先に集落や施設があったという記録はございません」


「本当に森だけか」


「少なくとも、記録上は」


 僕は椅子へ背を預けた。


「強い魔物が住み着いた、と考えるのが普通かな」


「現状では、それが最も可能性が高いかと」


 フィオナが答える。


「強い個体が縄張りを広げたために、他の魔物や動物が押し出されている」


「精霊が嫌がってるのもそれ?」


「説明はつきます」


「でも?」


 フィオナが少し黙る。


「……いえ」


「何?」


「上手く言えません。精霊たちの反応が、少し普段と違う気がするだけです」


「普段と?」


「強い魔物であれば、もう少し分かりやすく教えてくれるのですが」


「今回は『嫌な感じ』だけ」


「はい」


「なんか曖昧だね」


「精霊との意思疎通は、元々人間同士の会話ほど明確ではありませんから」


「そっか」


 僕は地図へ視線を戻す。


 森の奥。


 今日、妙に気になった方向と同じだ。


「明日、確認しましょう」


 フィオナが言った。


「そうだね」


「私が行ってまいります」


「うん。僕も行く」


「……カイル様は残ってください」


「なんで?」


「原因が不明です。今日の魔物より強い個体がいる可能性もあります」


「だったらフィオナ一人の方が危ないでしょ」


「私は森での移動に慣れています」


「でも僕の方が植物魔法使えるよ?」


「それは存じていますが」


「それに」


 言いかけて、少し迷った。


「僕も行った方がいい気がする」


 フィオナが黙った。


 アリアまでこちらを見る。


「……気がする、ですか?」


「うん」


「何か根拠が?」


「ない」


「カイル様」


「本当にないんだって」


 困る。


 僕だって説明できない。


「今日、森の奥見た時から、なんか気になるんだよね」


「心眼では?」


「何も」


「魔力を感じる?」


「それもない」


「では、本当に勘だけなのですね」


「そうなる」


 フィオナは少し考えたあと、息を吐いた。


「分かりました」


「いいの?」


「止めても来られるのでしょう?」


「たぶん」


「でしたら、最初から一緒に行った方が安全です」


「分かってるね」


「付き合いも長くなってきましたので」


 まだそこまで長くない気もする。


「護衛を追加いたしますか?」


 セバスチャンが尋ねる。


 フィオナは首を横に振った。


「森の中、それも原因不明の場所へ向かうのであれば、人数は少ない方がよいでしょう」


「僕とフィオナだけ?」


「その方が動きやすいです」


「承知いたしました」


 アリアは納得していない顔をしていた。


「お二人とも、怪我をして帰ってくるのだけはおやめくださいね」


「努力します」


「努力ではなく」


「気をつけます」


「よろしい」


 怖い。


「食料、縄、灯り、薬品類はこちらで用意しておきましょう」


 セバスチャンが淡々と予定を書き始める。


「森の中で一泊する可能性はございますか?」


「できれば日帰りで」


 フィオナが答える。


「ですが念のため、最低限の野営道具は持っていきます」


「では、そのように」


「お菓子も」


 僕が言う。


「必要ですか?」


「長時間歩くんだから必要でしょ」


「携帯食は用意いたします」


「それとは別」


「カイル様」


「はい」


 諦めた。


     ◇


 話し合いが終わる頃には、外はもう夕方だった。


 木こりたちも帰り。


 セバスチャンは明日の準備へ。


 アリアは夕食の支度を確認しに行った。


 食堂には僕とフィオナだけが残った。


 テーブルには、まだ地図が広がっている。


「カイル様」


「ん?」


「本当に、何も感じなかったのですか?」


「感じたよ」


 フィオナが僕を見る。


「さっきは何も、と」


「心眼とか魔力とか、そういうのは何も」


「では?」


「だから……なんて言えばいいんだろ」


 自分でもよく分からない。


 怖くはない。


 でも落ち着かない。


「行った方がいい、って感じ」


「危険なのに?」


「うん」


「……不思議ですね」


「僕もそう思う」


 フィオナが地図を見る。


「私は、嫌な予感がします」


「精霊が?」


「それもあります」


 少しだけ間を置く。


「ですが、明日は行きます」


「僕が行くって言ったから?」


「それもあります」


「他は?」


「私も、確かめたいので」


「そっか」


 僕たちは同じ場所を見る。


 紙の上には、ただ森が描かれているだけ。


 何もない。


 少なくとも、地図の上では。


「じゃあ明日だね」


「はい」


「朝は?」


「日の出前に出発しましょう」


「……早くない?」


「奥まで行くのでしょう?」


「そうだけど」


「早く休んでください」


「まだ夕食前だよ」


「夜更かしをなさらないように、という意味です」


「分かってるって」


「本当ですか?」


「たぶん」


「カイル様」


「分かりました」


 フィオナが小さく息を吐いた。


 その顔を見て、僕は地図を畳む。


 明日。


 森の奥へ行く。


 それだけの話だ。


 魔物が増えた原因を調べて。


 危険なら対処して。


 また木を切れるようにする。


 たぶん、それだけ。


 なのに。


 胸の奥に残ったざわつきは。


 屋敷へ戻ってからも、消えなかった。


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