第十三話 帝城にて
帝都。
その中心にそびえる帝城の一室に、帝国の皇族たちが集まっていた。
月に一度。
皇帝とその子供たちだけで行われる、小さな会議。
大臣も、宰相もいない。
ここで何かを正式に決定するわけではない。
帝国各地から上がってきた報告を読み、皇族同士で情報を共有し、それぞれの意見を交わす。
そして何より。
皇帝アルベルトにとっては、子供たちが何を見て、何を考えているのかを知るための場でもあった。
「では、次だ」
長机の上に置かれた書類を、アルベルトが一枚めくる。
その声に、それまで別の報告書へ目を通していた皇子皇女たちが顔を上げた。
「帝国北東部。カイルの領地から報告が届いている」
「カイル?」
真っ先に反応したのは第五皇子ルークだった。
「もう?」
「赴任してから、まだそれほど経っていないはずですが」
第一皇女エレノアが手元の書類へ視線を落とす。
「定期報告だ。特別なものではない」
アルベルトが答えた。
「ただし、内容は多少興味深い」
「多少、ですか」
第一皇子レオンハルトが静かに言った。
長机の一番皇帝に近い位置。
姿勢を崩すことなく座る彼の表情に、特別な変化はない。
アルベルトは報告書を読み上げた。
「上流部の閉塞を取り除き、水路を復旧。これにより農地への給水が改善」
「ふむ」
第二皇子ヴァルターが腕を組む。
「街道及び町内道路の補修を開始。市場となる中央広場を拡張し、一時的に出店料を免除」
「出店料を?」
エレノアが僅かに眉を上げた。
「家屋修繕用の建材を確保。傷んだ家屋から順に補修を開始」
アルベルトは続ける。
「農地では水の分配を見直し、作付けの変更を指導。また、冬季に備えた共同倉庫を設置した、とある」
「……結構やってるじゃないか」
ルークが笑った。
「さすがカイル」
「何が、さすがだ」
ヴァルターが鼻を鳴らす。
「水路を直し、道を整え、食料を蓄える。領主ならば当然のことだろう」
「その当然ができていなかった領地だから、あそこまで寂れたんじゃないの?」
「だからといって評価するほどのことでもない」
「兄上、厳しいなあ」
「お前が甘いだけだ」
ルークは肩をすくめた。
その隣で、第三皇子ルシアンが報告書を眺めている。
「建材を確保、とありますが」
口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「植物を魔法で成長させて、その場で木材にした?」
「そのようだ」
「相変わらずですね」
「何がだ?」
ルークが聞く。
「皇族がわざわざ木を育て、泥道を直し、畑の世話ですか」
ルシアンは書類を机へ置いた。
「園芸師にでもなるつもりなのでしょうか」
「便利ならいいじゃん」
「皇族に求められるものは便利さではありませんよ、ルーク」
「じゃあ何?」
「格です」
「格で水路は直らないと思うけど」
「お前たち」
エレノアの一言で、二人が黙る。
「話を進めましょう」
「姉上はどっちの味方?」
「少なくとも、今の会話にはどちらの味方をする価値もありません」
「ひどいなあ」
ルークが椅子へ背を預ける。
少し離れた場所では、第四皇子エリオットが先ほどから報告書の一部分を凝視していた。
「父上」
「なんだ」
「この木材について、もう少し詳しい報告はありませんか?」
「そこにあるものが全てだ」
「そうですか……」
「気になるの?」
第二皇女リリアが尋ねる。
「当然だよ」
エリオットは紙面を指で叩いた。
「通常、魔法で植物の成長を急激に促進した場合、内部構造にどの程度影響が出るのか。もし建材として問題なく使える強度を維持できているなら――」
「始まった」
ルークが小さく呟く。
「何か言った?」
「何も」
エリオットは気にせず続ける。
「大量生産が可能なら、建築だけではありません。橋梁、仮設防壁、災害時の復旧にも応用できる可能性があります」
「ただ木を生やしているだけでしょう」
ルシアンが言う。
「だから、その『ただ木を生やす』ことが普通ではないんだよ」
エリオットは珍しく即座に返した。
「成長速度を上げるだけなら、植物魔法を扱う者の中にもできる人間はいる。けれど、あの報告通りならカイルは種類や形まである程度調整している」
「それが?」
「だから面白いんじゃないか」
「分かりませんね」
「僕も兄上の価値観はよく分からないよ」
「喧嘩は後にしろ」
ヴァルターが呆れたように言った。
アルベルトは黙って子供たちを眺めていた。
いつものことだった。
同じものを見せても、見る場所が違う。
ヴァルターは成果の大きさを見る。
ルシアンは皇族としての価値を見る。
エリオットは技術を見る。
エレノアは政策を見る。
そして。
「出店料を免除したのは、悪くないと思います」
ちょうどそのエレノアが口を開いた。
「最初から徴収しては、そもそも商人が寄りつきません。まず市場を成立させることを優先したのでしょう」
「カイルがそこまで考えてるかな?」
リリアが首を傾げる。
「失礼ですよ、リリア」
「エレノア姉様だってちょっと思ってるでしょう?」
「……否定はしません」
「ひどくない?」
ルークが笑う。
アルベルトも僅かに口元を緩めた。
「余も、そこまで考えているかは怪しいと思うがな」
「父上まで」
「おそらく本人は『店が増えた方が便利だから』程度だろう」
「……ありそう」
リリアが笑った。
「果物とか甘いものが増えてほしい、とか言ってそう」
「それもありそうだな」
ルークまで頷く。
「ですが」
エレノアが報告書を見る。
「動機が何であれ、結果としては間違っていません」
「そこだ」
アルベルトが言った。
室内が少し静かになる。
「余は、あれに能力がないと思ったことはない」
レオンハルトの目が、僅かに動いた。
「幼い頃から、必要なことは大抵こなした。剣も、魔法も、学問もな」
「本人は全部面倒そうにやってましたけどね」
ルークが付け足す。
「ああ」
アルベルトも否定しない。
「問題は、やろうとしないことだった」
必要以上に前へ出ない。
成果を競おうともしない。
皇位にも興味を示さない。
能力を隠しているというより、使う理由そのものを欲しがらない。
それが、アルベルトの見てきた第六皇子カイルだった。
「だから余が興味深いと思ったのは、水路でも市場でもない」
報告書を机へ置く。
「あれが、自分から領地に手を入れていることだ」
誰もすぐには答えなかった。
やがてルークが小さく笑う。
「いいことじゃないですか」
「そうだな」
アルベルトは頷く。
「少なくとも、今のところは」
「大げさではありませんか」
ヴァルターが言う。
「多少の環境改善をしただけです。領地として結果を出したと言うには早すぎる」
「その通りだ」
意外にも、アルベルトはあっさり認めた。
「まだ何も成し遂げてはいない」
ヴァルターが黙る。
「だが、止まっていた土地が動き始めた。それも事実だ」
アルベルトは再び報告書を取った。
「今後を見ればよい」
「はい」
そこで。
「あ」
リリアが何かに気づいた。
「どうした?」
「この人」
報告書の下部を指差す。
「フィオナって、前にカイル兄様が手紙に書いてた人?」
「フィオナ?」
エレノアも該当箇所を見る。
『護衛フィオナの助言により、農地の水利及び作付け方法の見直しを実施』
そう記されている。
「エルフの女性だったかな」
ルークが思い出したように言う。
「カイルから来た手紙には、『護衛としてエルフの奴隷を一人買った。弓がすごく上手い』だったと思う」
「それだけ?」
「それだけ」
「……カイル兄様らしい」
リリアが苦笑する。
「奴隷を領政に関わらせているのですか?」
ルシアンが眉を寄せた。
「護衛でしょう?」
「報告を見る限り、農地について住民へ助言しているようですよ」
「だから何だ」
ヴァルターが言う。
「知識があるなら使えばいい」
ルシアンが隣を見る。
「兄上がそう仰るとは意外ですね」
「出自と能力は別だ」
「なるほど」
「もっとも、護衛として役に立つかどうかは知らんがな」
「弓が上手いって書いてあるじゃない」
リリアが言った。
「カイル兄様がわざわざ『すごく上手い』って書くくらいなんだから、相当なんじゃない?」
「基準がカイルでは分からん」
「でも魔物の被害も減ってるみたいですよ」
エレノアが別の項目を読む。
「森の魔物への対応にも、このフィオナという方が参加していますね」
「へえ」
ルークが少し楽しそうに笑う。
「相性良さそうじゃん」
「何のです?」
「護衛としてだよ」
エレノアの冷たい視線を受け、ルークはすぐに付け足した。
「本当に?」
リリアが笑う。
「本当に」
「お前たち」
アルベルトの声で、また静かになる。
「今はカイルの護衛について話す場ではない」
「はい」
リリアが素直に返事をした。
アルベルトは一度だけ報告書のフィオナという名へ視線を落とした。
エルフ。
元奴隷。
そして、カイルが自分で選んだ護衛。
あの息子が、皇城から連れて行った護衛たちを置いていき、現地でわざわざ選んだ人間――いや、エルフ。
少しだけ興味はあった。
だが。
それも今はまだ、報告書に記された一つの名に過ぎない。
「では、この件はここまでだ」
アルベルトが書類を閉じる。
「次へ移る」
そこで終わるはずだった。
「父上」
レオンハルトが初めて口を開いた。
「一つよろしいでしょうか」
「言え」
「この領地をカイルへ与えたのは、私の進言によるものです」
「ああ」
「ゆえに、今後についても私の方で注視しておきます」
声は穏やかだった。
何の感情も見せない。
アルベルトはそんな長男をしばらく見た。
「そうしろ」
「承知しました」
レオンハルトが頭を下げる。
「ただし」
アルベルトが続ける。
「結果だけを見ろ」
「……はい」
ほんの一瞬。
二人の視線が交わった。
それ以上、アルベルトは何も言わなかった。
◇
会議を終えたレオンハルトは、自室へ戻る廊下を歩いていた。
「殿下」
途中で待っていた側近が頭を下げる。
「終わりましたか」
「ああ」
「北東部の件も?」
「話に出た」
歩みを止めないまま答える。
「第六皇子殿下の領地で、多少の改善が進んでいると聞いております」
「耳が早いな」
「それが仕事ですので」
「多少、か」
レオンハルトの表情は変わらない。
暗殺部隊は戻らなかった。
失敗したこと自体は、すでに把握している。
それだけならまだいい。
問題は。
カイルが辺境へ着いて間もなく、水路を直し、町へ手を入れ、領民を動かし始めていることだった。
あの弟が皇位を欲していないことなど、レオンハルトも知っている。
だが。
本人が欲するかどうかと。
周囲が担ぎ上げるかどうかは、別の話だ。
「ご懸念には及ばないかと」
側近が言った。
「あの土地には、元より大した価値はございません」
「……そうだな」
「森林と山地ばかり。人口も少なく、主要街道からも外れております。多少立て直したところで、帝国全体に影響を与えるほどにはならないでしょう」
レオンハルトは答えなかった。
少し歩いたところで、不意に口を開く。
「そういえば」
「はい」
「あの土地を勧めたのは、お前だったな」
「……ええ」
側近は僅かに目を瞬いた。
「殿下が第六皇子を帝都から遠ざけたいと仰いましたので。条件に合う土地を挙げただけでございます」
「そうだったな」
それだけ。
レオンハルトは再び歩き出した。
側近もその後ろへ続く。
辺境の小さな町。
帝都から遠く離れた、誰も価値を見出さなかった土地。
今はまだ。
帝城に届いた一枚の報告書に過ぎなかった。




