第十二話 冬を越すために
昨日、道を直した。
市場を少し広げた。
家を直すための木材も用意した。
なので。
「今日は休みでもいいと思うんだけど」
「駄目です」
朝食の席で、僕の提案は一秒で却下された。
「なんで?」
「昨日、仰っていたでしょう。次は農地を見ると」
「昨日の僕と今日の僕は別人だから」
「同一人物です」
「フィオナ、最近厳しくない?」
「カイル様が甘すぎるのです」
隣でアリアが静かに頷いている。
味方はいなかった。
「農地は大事だよ。分かってる。でもさ」
「はい」
「畑って広いじゃん」
「広いですね」
「疲れそう」
「行きますよ」
「……はい」
どうやら、領主というのは思ったより自由がないらしい。
◇
町の外れ。
水路の先に広がっている農地へ着いた時、僕は少し首を傾げた。
「前よりは元気になってる?」
「水が戻りましたから」
フィオナが畑へ入っていく。
作物の葉。
土。
水路。
一つずつ確認している。
「でも、全部同じようには育ってないね」
「ええ」
確かに水が戻ってから、枯れかけていた作物は少し持ち直している。
ただ。
同じ畑の中でも、妙に元気な場所と弱っている場所がある。
「じゃあ、とりあえず《成長》で――」
「お待ちください」
魔力を流そうとした手を止める。
「……はい」
「先に状態を見ます」
「フィオナ先生」
「何ですか、その呼び方は」
「いや、なんとなく」
フィオナは気にせず、畑の中央へしゃがみ込んだ。
目を閉じる。
銀色の髪が風に揺れる。
しばらくすると、彼女の周囲に小さな光が集まり始めた。
精霊。
僕には姿までははっきり見えない。
でも、心眼を使わなくても何かがそこにいるのは分かる。
フィオナは静かに耳を澄ませていた。
「……こちらは水が多すぎます」
「多すぎ?」
「水路に近い場所へ偏っています。逆に、奥まで十分に届いていません」
「なるほど」
「それから」
少し移動する。
今度は土を指先ですくった。
「この辺りは、長く同じものを育て続けたのでしょうね」
「分かるの?」
「精霊たちが疲れています」
「精霊も疲れるんだ」
「正確には、土地の状態をそう伝えてくれているのだと思います」
「へえ」
僕も土へ触れてみる。
確かに。
《花》の魔力を通してみると、育ちにくい場所がなんとなく分かる。
でも。
フィオナほど細かくは分からない。
「僕、雑に元気にしようとしてた」
「それをされると、一時的には良くなってもまた同じことになります」
「……怒ってる?」
「少し」
「ごめんなさい」
「分かればよろしいです」
最近、本当にアリアに似てきた気がする。
◇
「殿下!」
畑の向こうから一人の農夫が歩いてきた。
その後ろには、何人かの住民もいる。
「昨日は材木ありがとうございました」
「ちゃんと使えそう?」
「ええ。今朝から屋根の修理を始めてます」
「それならよかった」
農夫は畑を見る。
「こっちも何とかなるでしょうか」
「たぶん。でも僕よりフィオナに聞いた方がいいよ」
「私ですか?」
フィオナがこちらを見る。
「うん」
「ですが」
「僕より詳しいでしょ」
「……それは」
「じゃあお願い」
農夫もフィオナへ向き直った。
「フィオナさん、見てもらっていいですか?」
「……はい」
一瞬だけ戸惑ったあと、フィオナは頷いた。
「こちらは水の通り道を少し変えた方がよいと思います」
「水路を増やすんですか?」
「増やすより、分けた方が良いかと」
地面にしゃがみ込み、木の枝で線を引く。
「ここで二つに分けて、片方を奥へ流します」
「なるほど……」
「それと、この辺りは今年は同じ作物を植えない方がいいです」
「じゃあ何を?」
「豆類なら比較的育つと思います」
「豆か」
「土も少し戻りやすくなります」
農夫は何度も頷いている。
「助かります」
「いえ」
「うちの畑も見てもらえませんか?」
別の女性が声をかけてくる。
フィオナが振り返った。
「私でよろしいのですか?」
「もちろん」
「森のことも詳しいって聞きましたし」
「うちも頼みたいな」
「こっちは水が溜まりやすくて」
気づけばフィオナの周りに人が増えていた。
「……」
僕は少し離れたところから眺める。
奴隷市場で見た時。
弓が使える。
精霊魔法も使える。
森での適性も高い。
だから護衛に向いている。
そう思って選んだ。
正直、ここまで領地のことで頼ることになるとは思っていなかった。
「殿下」
「ん?」
農夫が僕を見る。
「あの人、すごいですね」
「でしょ?」
「……なぜ殿下が得意そうなんです?」
「僕の護衛だから?」
「なるほど」
本当に納得された。
まあいいか。
◇
フィオナの指示をもとに、水路を少し変えることにした。
「ここ?」
「もう少し右です」
「この辺?」
「はい」
「《根走り》」
土の下へ根を伸ばす。
崩れやすい場所だけを補強する。
「その先は?」
「触らないでください」
「なんで?」
「精霊たちが嫌がっています」
「了解」
言われた場所から少し外す。
住民たちは、僕たちのやり取りを不思議そうに見ていた。
「……殿下」
「なに?」
「フィオナさんの言うこと、ずいぶん素直に聞くんですね」
「僕より詳しいからね」
「……なるほど」
少し離れたところで、フィオナがこちらを見た。
目が合う。
「何?」
「いえ」
「?」
フィオナはすぐに視線を戻した。
心眼には、少しだけ嬉しそうな感情が見えている。
……これは。
言わない方がいいやつだな。
たぶん。
僕も少しは学習している。
◇
昼を過ぎる頃には、いくつかの畑の水の流れが改善された。
僕は土地そのものへ軽く魔力を流す。
「《芽吹き》」
派手にはやらない。
弱っていた根を少しだけ活性化する。
あとは農家の人たちに任せる。
「これでしばらく様子見かな」
「ええ」
「毎年僕がやるのは嫌だから、来年以降はちゃんと作物を変えてね」
「毎年?」
農夫が首を傾げる。
「同じ作物ばっかり育てると土地が疲れるんでしょ?」
「そうみたいですね」
「だから順番決めて変えていけばいいんじゃない?」
フィオナを見る。
「どう?」
「良いと思います」
「じゃあそうしよう」
「軽いなあ……」
誰かが呟いた。
聞こえてるよ。
◇
「それで、もう一つ問題がございます」
フィオナが言った。
「まだあるの?」
「収穫した後です」
「後?」
「保存です」
「ああ」
そういえば。
市場を見た時にも、干し肉や乾燥した野菜ばかりだった。
「冬は長いの?」
「この辺りなら、かなり」
「じゃあいっぱい作っても腐ったら意味ないか」
「そういうことです」
フィオナはしばらく畑を見ていた。
「……昔」
ぽつりと言う。
「私の……住んでいたところでは、冬が来る前に食料を一か所へ集めることがありました」
珍しかった。
フィオナが自分から昔の話をするのは。
「共同で?」
「はい。各家庭で保存する分とは別に、集落全体で使う分を蓄えていました」
「へえ」
「寒さの厳しい年や、不作の時に使います」
「それいいね」
フィオナが少し驚いたように僕を見る。
「作ろう」
「……今からですか?」
「場所あれば」
「カイル様」
「何?」
「昨日から何でも作ろうとなさいますね」
「木ならあるし」
「そういう問題では……」
途中でフィオナが言葉を止める。
「……いえ。もう結構です」
「諦めた?」
「慣れました」
それはそれで少し寂しい。
◇
町の中央。
市場から少し離れた場所に、使われていない古い建物があった。
「これ何?」
「昔の倉庫だったそうです」
住民の一人が答える。
壁は傷んでいる。
屋根も一部落ちている。
でも土台はまだ使えそうだ。
「じゃあこれ直そっか」
「またですか」
「フィオナ?」
「何でもありません」
木材を用意する。
根で基礎を補強する。
蔦で仮止めする。
あとの細かい作業は住民たち。
もう慣れたものだった。
「ここに穀物とか保存食入れて」
「誰が管理するんです?」
住民の一人が聞く。
「あ」
「カイル様」
「今考えてた」
「本当ですか?」
「半分くらい」
フィオナがため息をつく。
「管理する人は必要ですね」
「じゃあ町から何人か決めてもらおう」
「それだけでいいんですか?」
別の男が少し不安そうな顔をした。
「誰かが勝手に持っていったら?」
「じゃあ帳簿つけよう」
「帳簿?」
「入れた量と出した量を記録する。それで、勝手には持ち出せないようにする」
「でも管理してる奴がごまかしたら?」
「一人に任せなきゃいいんじゃない?」
男が黙る。
「二人か三人で確認する。それでも駄目ならまた考える」
「……信用なさらないのですか?」
フィオナが聞いた。
「するよ」
「ですが今のは」
「全部信用して何も確認しないのとは違うでしょ」
「……」
「信じるけど、間違えたり悪いことしたりしにくい仕組みにしておく。その方がみんな楽じゃない?」
フィオナはしばらく僕を見る。
「……なるほど」
「何?」
「いえ」
また何か考えているらしい。
◇
夕方。
直したばかりの倉庫へ、最初の袋が運び込まれた。
今年取れた穀物。
量はまだ少ない。
倉庫の中はほとんど空っぽだ。
それでも。
「これで今年は少し安心できるな」
農夫が袋を置きながら笑った。
「フィオナさんもありがとう」
「私は、少し助言しただけです」
「その少しが助かったんだよ」
「……」
「畑も見てもらったしな」
別の女性も笑う。
「また分からないことあったら聞いてもいいかい?」
「……はい」
一瞬だけ間があった。
でも。
「私でよろしければ」
今度はさっきより自然だった。
その表情を見て。
僕は少し嬉しくなった。
◇
屋敷への帰り道。
「今日は疲れた」
「ほとんど魔法を使っていただけでは?」
「魔法も疲れるんだよ」
「そうでしたね」
「フィオナも人気者になってたね」
「……人気者ではありません」
「結構頼られてたじゃん」
「それは」
フィオナが少しだけ歩みを遅くした。
「嫌だった?」
「……いいえ」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
少し歩く。
夕暮れの町。
水路には水が流れている。
家の修理をしている音。
市場では片付けをしている人たち。
そして、今日できたばかりの倉庫。
「カイル様」
「ん?」
「……少し」
フィオナが前を見たまま言う。
「嬉しかったです」
「……」
「頼っていただけたことが」
僕はフィオナを見る。
彼女はこっちを見ない。
「そっか」
「はい」
「よかったね」
「……はい」
それだけでいい気がした。
少し前なら。
役に立たなければ。
必要とされなければ。
そんなことばかり考えていた。
今も、たぶん完全には変わっていない。
でも。
誰かに頼られることを。
怖がるだけじゃなく。
嬉しいと思えるようになったなら。
それは、悪くない。
「じゃあ明日も頑張ろう」
「はい」
「……あ」
「どうしました?」
「僕、自分で明日も働くって言った」
「成長なさいましたね」
「子供扱いしてない?」
「気のせいです」
フィオナが笑った。
今日もまた。
町に一つ。
新しいものが増えた。
僕たちにも。
たぶん、一つ。




