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花咲く辺境の第六皇子  作者: じゃこー
第一章 辺境に根を下ろす
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第十話 フィオナのもの

 翌朝。


 フィオナは目を覚ますと、しばらく天井を見つめていた。


 見慣れ始めた自分の部屋。


 窓から差し込む朝日。


 昨日と何も変わっていない。


「……」


 ゆっくりと身体を起こす。


 そして、無意識に奴隷印のあった場所へ触れた。


 何もない。


 指先に触れるのは、自分の肌だけ。


「……本当に」


 消えた。


 昨日も何度確認したか分からない。


 それでも朝になれば元に戻っているような気がして、また触ってしまう。


「……」


 自由。


 言葉にすると、まだ少し落ち着かない。


 けれど昨日までと一つだけ違うことは分かる。


 今日ここにいるのは。


 自分がそう決めたからだ。


 フィオナはベッドから降りる。


「よし」


 いつも通り支度を始めようとして。


 扉が叩かれた。


「フィオナさん。起きていらっしゃいますか?」


「はい」


 声はアリアだった。


 扉を開ける。


「おはようございます」


「おはようございます」


 アリアはフィオナを上から下まで見る。


「……」


「どうかなさいましたか?」


「本日は少し、お時間をいただきますね」


「時間?」


「はい」


 嫌な予感がした。


     ◇


「動かないでくださいませ」


「……はい」


 フィオナは部屋の中央で両腕を広げていた。


 その周りをアリアが歩きながら、布製の紐で身体の寸法を測っている。


「肩幅は……こちらですね。腕はもう少し余裕を持たせた方が良さそうです」


「アリアさん」


「はい?」


「これは一体」


「お洋服を作るための採寸です」


「それは分かります」


「では何か?」


「なぜ私の服を?」


 アリアは手を止めた。


「必要だからですが」


「今着ているもので十分です」


 奴隷市場を出てから与えられた衣服。


 動きやすい。


 破れてもいない。


 護衛として困ることはない。


 フィオナとしては、それで十分だった。


「十分ではありません」


「ですが」


「一着しかまともな服をお持ちでない方を、十分とは申しません」


「洗えば使えます」


「そういう問題ではありません」


「……」


 この屋敷では、よくその言葉を聞く。


「それに」


 アリアはフィオナの服の裾を見る。


「こちら、あなたの身体に合っておりません」


「動けます」


「動けるかどうかだけで服を選ぶのはおやめなさい」


「私は護衛ですので」


「護衛であることと、フィオナさんであることは別でしょう?」


「……」


 返せなかった。


「さて」


 アリアは再び採寸を始める。


「どのようなお色がお好きですか?」


「色?」


「はい」


「……動きやすいもので」


「色に動きやすさは関係ございません」


「では、汚れが目立たない色を」


「そうではなく」


 アリアが少し困ったように笑った。


「フィオナさんがお好きな色です」


「……」


 好きな色。


 そんなことを聞かれたのは、いつ以来だろう。


「……分かりません」


「では嫌いな色は?」


「特には」


「なるほど」


 アリアはしばらく考えた。


「緑はいかがです?」


 フィオナは少し考える。


 森の色。


 精霊たちの気配。


 故郷を思い出さないわけではない。


 けれど、嫌ではなかった。


「……好き、だと思います」


「では緑を基調にしましょう」


「ですが、私に似合うかどうか」


「それはこちらで考えます」


 即答だった。


「あと、白もお似合いになるでしょうね」


「汚れます」


「護衛服とは別に普段着も必要です」


「普段着」


「はい」


「……そんなに必要でしょうか」


 アリアは深く息を吐いた。


「これは時間がかかりそうですね」


「何がです?」


「いえ。こちらの話です」


 フィオナには分からなかった。


     ◇


「おお」


 廊下へ出たところで、カイルと鉢合わせた。


「何してるの?」


「採寸です」


「へえ」


 カイルはフィオナを見る。


 まだ何も変わっていない。


「服作るの?」


「はい」


「いいじゃん」


「カイル様まで」


「何が?」


「私は今のままでも」


「アリアにそれ言った?」


「言いました」


「じゃあ諦めた方がいいよ」


「なぜです?」


「服のことに関してアリアに勝てる人、僕知らないから」


 少し離れたところから声が飛んできた。


「聞こえておりますよ、カイル様」


「悪口じゃないよ?」


「存じております」


 フィオナはカイルを見る。


「カイル様は、服にこだわりはないのですか?」


「着られればいい」


「……」


「何その顔」


「少し安心しました」


「なんで?」


「私だけではないのだと」


「いや、カイル様を基準になさらないでください」


 アリアの声がまた飛んでくる。


「僕なんか言われてない?」


「事実では?」


「フィオナまで」


 フィオナは少しだけ笑った。


 今度は隠さなかった。


「……笑ったね」


「はい?」


「今、普通に笑った」


「気のせいでは?」


「いや今回は絶対――」


「カイル様」


 アリアの声。


「はい」


「お仕事が残っております」


「……」


「逃げないでくださいませ」


「フィオナ、助けて」


「私は護衛ですので」


「こういう時こそ護衛でしょ」


「違うと思います」


「最近みんな冷たくない?」


 カイルは連れていかれた。


 フィオナはその後ろ姿を見ながら、もう一度小さく笑った。


     ◇


 昼過ぎ。


 今度はセバスチャンに呼ばれた。


 屋敷の一室。


 机の上にはヘラクレスが置かれている。


 フィオナは少し緊張しながら、その前へ座った。


「お待たせいたしました」


「いえ」


 セバスチャンは弓を丁寧に持ち上げる。


 弦。


 握り。


 弓身。


 一つ一つを確認していく。


「状態は良好でございます」


「そうですか」


「ええ。ただ」


「何か?」


「フィオナさんに合わせた装備が足りませんね」


「私に?」


「はい」


 セバスチャンはフィオナの腕を見る。


「腕当て、手袋、矢筒。足回りももう少し動きやすくした方がよろしいでしょう」


「今のままでも戦えます」


「戦えることと、万全であることは別です」


「……」


 ここでも同じだった。


「カイル様にも言われました」


「何をでしょう」


「安物の武器で護衛が死んだら意味がない、と」


「カイル様らしいお言葉でございます」


「そうなのですか?」


「ええ」


 セバスチャンは僅かに笑う。


 そしてヘラクレスを軽く撫でた。


「こちらは大変珍しい素材で作られております」


「何の木なのです?」


「正確な種類までは、私も存じません」


「セバスチャンさんでも?」


「ええ」


 フィオナは少し意外に思った。


「現在では手に入らないものだと聞いております」


「……やはり、とんでもないものなのですね」


「そうですね」


「カイル様は『いい弓』としか」


「それも間違いではございません」


「説明としては足りません」


「同感でございます」


 初めて、味方を得た気がした。


「それと」


 セバスチャンが続ける。


「この弓、フィオナさんとの相性が非常によろしいようです」


「相性?」


「扱い方に無理がありません」


「弓術は幼い頃から」


「なるほど」


 セバスチャンはそれ以上何も言わなかった。


「後日、装備はこちらで整えましょう」


「ですが、そこまでしていただく必要は」


「ございます」


 また即答だった。


「カイル様の護衛なのでしょう?」


「はい」


「でしたら必要経費でございます」


「必要経費……」


 それなら。


 少しだけ納得できる。


「分かりました」


「よろしい」


 セバスチャンは満足そうに頷いた。


     ◇


 その日の夕方。


 食堂へ向かう途中、カイルに呼び止められた。


「フィオナ」


「はい」


「ちょうどよかった」


 カイルの手には小さな革袋。


「これ」


 渡された。


「……?」


 受け取る。


 少し重い。


 中で金属が触れ合う音がした。


「何でしょうか」


「給料」


「……」


「昨日言ったでしょ」


「本当に?」


「嘘だと思ってたの?」


「そういうわけでは」


 革袋を開く。


 硬貨が入っている。


 フィオナはそれを見つめた。


「これは……私が?」


「うん」


「持つのですか?」


「うん」


「全部?」


「全部」


「……」


 カイルが少し困った顔をした。


「なんでそんな怪しいもの見るみたいな顔してるの」


「いえ」


 フィオナは革袋を両手で持つ。


 自分の金。


 言われても、実感がない。


「何に使えばよいのでしょう」


「好きなもの買えば?」


「好きなもの」


「うん」


「必要なものではなく?」


「必要じゃなくてもいいよ」


「……」


 また難しいことを言う。


「例えば?」


「お菓子とか」


「お菓子」


「本とか」


「本」


「髪飾りとか」


 フィオナは自分の髪へ触れる。


「必要でしょうか」


「必要かどうかじゃなくて、欲しかったら買うの」


「……」


「難しい?」


「難しいです」


「そっか」


 カイルは笑う。


「じゃあそのうちでいいよ」


「そのうち」


「今すぐ使わなきゃいけないわけじゃないし」


「……はい」


 フィオナは革袋を見つめる。


 自分の金。


 自分で使い道を決める。


 昨日から、そういうものばかり増えていく。


     ◇


 数日後。


「いかがでしょう?」


 アリアが満足そうに言った。


 フィオナは鏡の前に立っている。


 深い緑を基調とした服。


 身体の動きを邪魔しないよう作られているが、以前のものよりずっと柔らかく、形も整っている。


 袖や裾には白が少しだけ入っていた。


「……」


 鏡に映る自分。


 見慣れない。


「変でしょうか」


「まさか」


 アリアが笑う。


「とてもよくお似合いです」


「そう、ですか」


「はい」


 そこへ扉が開いた。


「アリア、書類どこ――」


 カイルが入ってくる。


 フィオナと目が合った。


「……」


「……」


 一瞬だけ沈黙。


「似合ってる」


「……ありがとうございます」


 自然に答えたつもりだった。


 けれど、なぜか少しだけ顔が熱い。


「緑にしたんだ」


「アリアさんに勧めていただきました」


「いいじゃん。フィオナっぽい」


「私っぽい?」


「うん。森っぽいし」


「……褒めていますか?」


「褒めてるよ」


 アリアが横で小さく笑った。


「カイル様。書類でしたら机の上に置いてございます」


「あ、ありがとう」


「それと」


「何?」


「こちらをご覧になったのでしたら、もうお戻りくださいませ」


「なんで?」


「女性の着替え中に入室しないでください」


「もう着替え終わってるじゃん」


「カイル様」


「はい」


 また追い出された。


「……」


 フィオナは扉を見る。


 そして。


「ふふ」


 思わず笑った。


 アリアがこちらを見る。


「どうかなさいました?」


「いえ」


 フィオナは鏡へ向き直る。


「本当に、変わった方ですね」


「ええ」


 アリアは迷いなく頷いた。


「昔からでございます」


「そうなのですか」


「はい」


 少しだけ。


 カイルの昔の話を聞いてみたいと思った。


 口には出さなかったけれど。


     ◇


 夜。


 フィオナは自分の部屋にいた。


 机の上。


 畳まれた新しい服。


 整えてもらった装備。


 引き出しには、カイルから渡された給金。


 窓の横にはヘラクレス。


 ベッド。


 机。


 棚。


 部屋。


 昨日までは。


 どれも自分とは縁のないものだった。


「……私の」


 小さく口にする。


 自分の服。


 自分の部屋。


 自分のお金。


 自分の時間。


 そして。


 明日、何をするのかも。


 少しずつ。


 自分で決めていいものが増えている。


「……」


 難しい。


 今でもそう思う。


 でも。


「少しくらいなら」


 悪くない。


 フィオナは窓の外を見る。


 夜の森。


 精霊たちの気配。


 遠くから、屋敷の中を歩く誰かの足音が聞こえる。


 静かではない。


 けれど。


 不思議と落ち着いた。


「……おやすみなさい」


 誰に言うでもなく呟く。


 そして。


 フィオナは少しだけ笑って、灯りを消した。


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