8 待望
ある夕方のことだった。
カフェの仕事を終えた帰り道。
エルフィは人通りの少ない裏路地で、ふと足を止めた。
そこには、街の外れにある古びた宿屋があった。
その中へ入っていったのは、一組の男女だった。
一人はアルド。そしてもう一人は、マーガレットだった。
二人は肩が触れ合うほど近くに並び、宿の中へ消えていく。
エルフィは動けなかった。
夕暮れの路地裏に、ただ一人立ち尽くす。
やがて、
張り詰めていた何かが切れたように、その場へしゃがみ込んだ。
視界が滲む。
ぽろり、と涙が零れた。
次の瞬間には、もう止まらなかった。
涙が次々と頬を伝い落ちる。
肩が震え、呼吸が苦しくなっていく。
両手で顔を覆いながら、エルフィは声もなく泣き続けた。
泣いて、泣いて、泣いて。
それでも涙は止まらない。
(――やった)
ふいに、そんな言葉が頭に浮かんだ。
(やった……)
震える唇を押さえる。
(これで終わる)
涙が止まらなかった。
悲しいからではない、嬉しかったからだ。
ずっと待っていた。ずっと、この日を。
アルドに恋をしたことは一度もない。
むしろ苦手だった。
優しい顔で笑いながら、自分の思い通りにならないことを許さない。
そんなところが、ずっと怖かった。
だからずっとこの日を待っていた。
アルドが、自分以外の誰かを好きになる日を。
マーガレットがアルドを見つめる視線に気づいた時。
少しだけ申し訳なく思った。けれど同時に、希望も見えた。
だから止めなかった。
二人が近づいていくのを、気づかないふりをした。
アルドの前では、従順な婚約者でい続けた。
好きなふりもした。心配しているふりもした。
そうしていれば、アルドは何も疑わなかった。
これで、婚約は終わる。
エーテの民から婚約を解消することはできなかった。
でも、アルドからなら……。
涙で滲む視界の向こうで、夕空が赤く染まっている。
(おめでとう、マーガ)
エルフィは心の中でそっと呟いた。
(おめでとう、アルド)
これでいい。これで二人とも幸せになれる。
いや、三人ともが幸せになれる。
しばらくして涙が落ち着くと、エルフィはゆっくり立ち上がった。
居住区へ続く道を、エルフィは鼻歌を歌いながら歩き出した。




