3 森
リリアを救うための解毒薬――その主成分となる特殊な薬草を手に入れる必要があった。
その薬草が生息しているのは、近くの森の中だ。
だが、森に行く途中で会った居住区の老婆は、エルフィの行く手を遮るように、怯えた顔で激しく首を振った。
「あそこへ行ってはならん、エルフィ。あそこは、エーテの民の立ち入りを許されていないんじゃよ。1年前に、お上が禁足地としたんじゃ」
「禁足地……?」
お上が定めた掟を破れば、自分や家族がどうなるかなど、考えるまでもなかった。
けれど、リリアの症状を治すためには、どうしても今日中にあの薬草が必要なのだ。
今日手に入らなかったら、リリアに重い後遺症が残るだろう。
(掟なんて、知ったことか――!)
エルフィは老婆の制止を振り切り、禁足地の森の中へ、迷うことなくその一歩を踏み込んだ。
ーー
森の中で薬草を探していた時だった。
「あ!不法侵入、発見!そこ、一歩も動かないで!」
静かな森に、鋭い声が頭の上から聞こえてきた。
ハッと息をのんだ、その瞬間。
頭上の大きな木から、何かが飛び降りてきた。
体を深く包み込む黒いローブに、大きな水色のフード。
そこから現れたのは小柄な少年だった。
エルフィは、その少年からどうしても視線を外すことができなかった。
森の光を浴びてきらめくのは、銀色に近い灰色の髪。
明るい金色の瞳が美しく、思わず見入ってしまった。
「妹が毒で苦しんでいるんです。ここに生えている薬草が必要なんです。お願いします」
必死に訴えかけるエルフィに対し、少年は困ったように眉を下げた。
しかし、鋭い目つきでエルフィを見て、シッシと追い払うようにに手を振った。
「ダメダメ。事情は気の毒だけど、ここは禁足地だよ。エーテの民を立ち入らせたってバレたら、僕が上からめちゃくちゃ怒られるじゃん。まあ、どうしてもっていうなら、僕に勝ってからにして。……まぁ、僕に勝つなんて、無理だけどね?」
少年は肩をすくめ、愉快そうにエルフィを挑発した。
「僕もさ、女の子に攻撃なんてしたくないしさ。諦めて帰りな。ほら、ねっ?」
その時、エルフィの中に、女王の戦術知識が流れ込んでくる。
(ーーよし、これだ!)
「……分かりました。帰ります。入ってきちゃって、ごめんなさい」
エルフィが力なくうつむいたのを見て、少年の口元が緩む。
「お、やけに素直だな。気をつけて帰るんだぞ!」
エルフィは帰るフリをして、踵を返そうと一歩踏み出す。
そして、あえて無防備に、足元の泥に滑ったフリをして、前方へ激しくつんのめった。
「おっと、あぶなーー」
少年が親切心から、反射的に手を伸ばした。
その瞬間、エルフィはシュッ、っと鋭く体を反転させた。
反動を利用して距離を詰め、手にした薬草採取用の小さなナイフの背を、少年の無防備な首筋に突きつけた。
「え……っ?」
少年の金色の目が、丸く大きくなった。
「私の勝ち。これで、どうですか?……ねえ、お願いします。薬草がないと、妹の毒が中和できないの。お願いします!」
ナイフを静かにおろしながら必死で告げるエルフィを見て、少年の顔から笑顔がスンっと消えた。
「参ったな。今の動き、一体どこで覚えたの?君、一体何者?」
少年は降参だというように両手をあげ、鋭い目でエルフィを見つめた。
しかし、彼は一息つくと、すぐにまたニヤリと笑った。
「さっきのはちょっとズルだから、これで決めようか」
ポケットから一枚のコインを取り出すと、親指でピンと弾く。
大きな木の切り株の上で、コインがくるくると回っていた。
「さあ、どっちだと思う?表か、裏か、君が決めて」
少年は楽しげに目を細めた。
エルフィは木漏れ日を浴びて回る銀のコインをじっとみて、短く告げた。
「表」
その言葉と同時に、回転が止まり、コインがパタリと倒れた。
上を向いたのは、表の紋章だった。
「しょうがないな。よし、神の思し召しだ。表だったから、薬草を取るの手伝ってあげるよ」
「で、症状は?どんな感じなの?」
「手足の激しい痺れ。動かしにくさもあるみたい。……薄紫色の花を、部屋に飾っていたみたいなの」
「わかった。案内する。――追加で薬草が必要になった時は、正面から入ってきていいよ」
クロは切り株の上のコインをつまんで、ポケットへとしまいながら言った。
「あなたの名前を聞いてもいい?」
「クロだよ。君は?」
「エルフィよ」
「エルフィちゃんね。よし、目的のものはこっちにあるよ」
鬱蒼とした森の奥で、手際よく薬草を採取しながら、クロが静かに声を潜めた。
「――エーテの民の子どもを狙って、あの毒の花を配って回っている人間がいるって聞いたことがあるんだよね」
「え? クロは、そのことについて……何か知っているの?」
「今はまだ、詳しいことは言えない。でも――とにかく気をつけて」
クロから薬草を受け取りながら、エルフィは彼の横顔を見つめた。
(この人は、一体何者なんだろう)
ーー
必要な薬草をしっかり抱え、エルフィは家へ急いでいた。
ふと、エルフィは見覚えのある背中を見つけ、条件反射で身を潜めた。
人目につきにくい木陰で、アルドが居住区の長老のフォルデ翁と向かい合って話をしていた。
アルドは周囲を警戒しながら、長老に何かを渡しているようだった。
カサリ、と紙の擦れる音が聞こえた気がした。
書類、だろうか。
(何の書類だろう……?どうしてこんなところで?)
胸の奥からじわじわと、嫌な予感が膨れ上がる。
でも、今は一刻を争う。
不安を振り払い、エルフィは妹の待つ我が家へと再び走り出した。
ーー
夕暮れのオレンジ色の光が入るベッドで、リリアはエルフィの差し出した緑の汁をなんとか飲み干した。
その解毒薬は――ものすごく、不味かった。
リリアは苦そうな表情をしていたが、黙って飲み干した。
エルフィは、すーっと眠りについていくリリアの頭を撫でた。
「よく頑張ったわ、リリア。もう大丈夫だからね」
ホッと安心するエルフィを、マーサがそっと抱き寄せた。
「ありがとう、エルフィ。リリアを助けてくれて、本当にありがとう」
母親の優しくて柔らかな温もりが伝わってくる。
その心地よさを感じながら、エルフィはマーサに身を委ねて目を閉じた。
「そうそう、紫の花のことなんだけどね……」
「花をもらった子全員に、すぐ花を捨ててもらったわ。リリアの花だけが咲いていて、他の子のは蕾だったみたい。だから、他の子は、毒による被害はなかったの。被害が最小限に抑えられたのは、エルフィのおかげよ。ありがとねぇ」
エルフィをぎゅっと抱きしめて、マーサは言った。
エルフィはうん、と頷いて、母親の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。




