魔術学院一コマ目
フラグレア王立魔術学院。フラグレア王国の首都……その郊外に存在する、一大建築物である。
魔術の研究に熱心な現国王の肝いりで作られた校舎は、山岳部の斜面に建築された塔だ。アルトエレガンに上空から運んでもらった時に見た綾の印象は、山から生えた筍、もしくは天に向かって突き立った象牙、といった所か。
中央の研究等に付随する形で、研究施設や学生寮、講義用の講堂などが点在しているが、そのどれもが自然に溶け込み、山の豊かな自然との一体感を醸し出している。
綾は今、その建築物の一つ……第一キャンパスの廊下を、教師に付き添われて歩いていた。追随しているのは、闘とアイの二人。
――アルトエレガンは、綾達をここに送り届けるなり、『ちょっと坊主とお話してくる』と言って王城の方角に飛んでいった。荒っぽい事にならない事を、祈るばかりである。
「王立魔術学院のキャンパスは3種類……魔術の実技を主に指導する第一キャンパス、魔術の知識を教導する第二キャンパス、魔術を応用した各種技術を教える第三キャンパスに別れます」
綾にキャンパスの説明をする教師は、年のころは50過ぎ。ゆったりとしたローブで全身を包み込み、髪型は白髪と金髪が半々の角刈り。
ラグルド・レグン。医療魔術の分野では名の知られた男らしい。特に医療用魔方陣に関しては右に出る者がおらず、彼が開発した出産用魔方陣に関して、王家から褒章として爵位を与えられるほどだったとか……学内でもその名声は轟いていて、学院長の右腕的な立場にいるみたいだ。
さっきから、らしい、とかみたい、とか、あいまいな表現が多いのはしょうがない。だって、彼に関する情報の全てが、彼自身の自己申告……自己陶酔にまみれた非常に聞き苦しいものが情報源なのだから。
聞かれてもいない自己紹介をしてきた教師は、綾とそのお供二人を伴いながら、誇るように言葉を並べる。
実際、誇らしいのだろう。自分ではなく、自分の勤める職場が……先ほど行われた講堂での演説と言い、綾の案内を任された事と言い、魔術学院でも結構上の方の立場なのはわかるのだが……
「ミス寺門は、魔術の実技を主に学びたい、との事なので、第一キャンパスが主な学び舎となるでしょう」
「はい! 主に身体強化と治癒力の向上を学びたいです! 乙種超人志望ですので!」
「……それはいけません。いいですか? ミス寺門。あなたの才能は、もっと有意義に役立てられるべきです。
超人、などという可能性の閉じた職業に自信を当てはめるべきではない」
嘆息と共に、ラグルドは綾の意志を全否定してきた。綾の才能……無限動力云々を知っているのだろう。その才能と乙種超人に対する偏見を隠そうともしていない……まあ、乙種超人がろくでもないブラック職業だというのは誰もが認めるところではあるのだが。
中身のない長い演説といい、自己紹介の時の自己陶酔といい、あまり親しくしたくないタイプの人間だと、綾に確信させる。そういう感想を抱いてしまうには、十分な材料がそろっていた。出会って一日も経ってないというのに。
(魔術学院入り、早まったかなあ……)
内心で呟くが、もう入ってしまったものはしょうがない。
貴族への応対マナーを含めて、常識の範囲内で当たって砕けろ、の精神で行くしかない。
「こちらが、これから貴女が魔術の研鑽を積んでいく教室になります」
ラグルドが立ち止まり、廊下に等間隔で並ぶ扉の一つを掌で示した。綾達の暮らす地球系列世界の学校で見られるような、一般的な教室の引き戸ではなく、巨大な両開きの扉であった。しかも、やたらと飾り付けがごてごてしていて高価そうであった。
そもそも、この第一キャンパス、という建物、やたらとスケールが大きいというか、外観からは三階建てくらいかというほどに高さがあるのに、実際に入ってみると吹き抜けの平屋建て。天井は高く、それを支える柱は太く……ディンブルゲンの自警団詰め所および、自警団員寮を思い出させる作りであった。
亜人都市ディンブルゲンのそれらの施設は、大柄な亜人である大鬼のサイズに合わせてある為、全てのスケールが大きいのだ。
そのビッグスケールな廊下の壁沿いに、ずらりと人が並んでいる。服装は、武装した兵士やメイド、執事服姿とバラエティ豊かだ。
「御付の方々の立ち入りは、禁止されていますが……」
ちらりと、教室の前に居並ぶ人々を見る。なるほど、と綾は思った。何故こんな風に人が並んでいるのか疑問だったが……彼らは、この教室にいる貴族たちの御付なのだろう。
話の流れからして、アイと闘にもこの中に加わってほしいらしいが……
「冗談でしょう?」
ラグルドの言葉に、アイは肩をすくめて、
「綾はイザーク・ラムダ団長の推薦を受けたVIP……多少の例外は、目をつぶってもらわにゃいと」
「……授業の邪魔だけはしないように願いますよ! 全く……今回の講義は、結界の展開とその応用……それらの実践を行います」
不快感を隠そうとすらせず、ラグルドは付き人である二人の入室を認めた。そして、ゆっくりと扉を押し開ける。そうして広がる教室内の光景に、綾は目を見開いた。
「ミス・寺門。そう毛嫌いせずに、授業を受けてみてください。
きっと、楽しめると保証しますよ」
一見して異様とわかる形の教室だったのだ。生徒――座席側が、階段状になって椅子と机が添えつけられている点は、一般の階段教室とそう変わらない。
目につくのは、教師側、教壇のあるべき場所だった。そこには教壇がなく、バスケットボールコートがすっぽり収まりそうな広さの広場が広がっていた。床面には綿密かつ巨大な魔方陣が書き加えられており、人目を引く存在感を放っている。
そう、一目で……見る目が吸い込まれそうな、数学的な美すら感じさせる線の組み合わせ……
「魔術で爵位を得て、世界でも知られたこの私が、指導してあげましょう」
幾何学的な、数学的な、前衛芸術的な……様々な陳腐な表現が、綾の脳裏に浮かんでは消えていく。そうして浮き彫りになった、綾の最終的な結論は―、
(綺麗――)
巨大な魔方陣に見とれていた綾の耳元で、パチンと音がした。ハッとして振り返ると、闘が片手を綾にかざしている。
どうやら、耳元で指パッチン、という奴をされたようなのだが……
「と、闘さん……!?」
「ボーっとすんな。見惚れるほどのもんじゃない」
言われて、ハッとなる。確かに、改めて見直せば、先ほどまで感じていたような怪しい魅力は一切ない、ただ複雑で丁寧に書かれただけの魔方陣だ。
「……!?」
「変わった手品、ご苦労さん」
あからさまに狼狽した様子のラグルドに、闘は簡潔に、これ以上ない程的確な嫌味を返した。
「後、世界で知られて、って言ってるが……オープンワールドじゃあ無名だぜ。お前さん」
……ここに至ってようやく、綾は自分が、何らかの魔術を仕掛けられていた事に気が付いた。それも、様子からして他ならぬラグルドの手で……!
そうだ、ここは、言ってみれば極まった魔術馬鹿の巣窟で、綾はそのテリトリーに飛び込んだのだ。
綾の才能を、大きなお世話で何とか魔術に費やさせようと、あの手この手を弄してくるのは当然ではないか。
何より、綾の肉体は、地球人類特有の現象により、この世界の魔術が使用可能な状態になっているが……それは、綾の精神に対してこの世界の洗脳の類の魔術が通じる、という事でもあったのだ。
綾の中のラグルドという人間のカテゴリが、苦手な先生、から明確な敵へと切り替わった瞬間であった。
「……それじゃあ、私達は適当に座りますね」
嫌味の一つでも返してやろうか、と思ったが、その衝動を何とか抑え込んで、綾は二人を伴って階段状の座席の一つに着席した。教師に伴われてきた新入生に、先着の生徒達がざわめくが、無視だ。
そして、バックの中から取り出したのは……
「……綾、結構いい性格してるわね」
「いえいえ、そんな事はありませんよ」
呆れるアイに、綾は手にした参考書をパタパタと振った。その背表紙に書かれているのは日本語。『入門! オープンワールドの常識非常識!』と記されていた。
日本語がわからずとも、明らかに授業と無関係とわかるテキストである。魔方陣中央に立つラグルドの頬が、目に見えてこわばるのが、席からでもわかった。
「流石に、普通の相手ならこんな子供みたいな当てつけ、しませんよ。出会い頭に変な催眠してくるような人の授業なんて、受けたくないですし……なんか、視線送ったらまたなんかされそうで怖いです」
「なんかあったら、引き戻してやるから安心しろ」
指を鳴らすしぐさをして、闘がお墨付きを与える。
「ちなみに、その、何かしてくるってのは……」
「勘だ。さっきのも、な」
「勘ですか」
「勘かぁ」
この男が、勘と言ったらそれはもう絶対である。
その事を知悉していた二人は、苦笑してそれぞれの作業に集中した。アイは、周囲に座っている生徒達への、無礼にならない範囲での警戒。綾は、テキストの内容を読み込んで、オープンワールドの常識を一刻も早く体得しようとした。
当然、ラグルドはいい顔をしなかったが、彼女一人にかまっているわけにもいかずに、口元に一メートル大の魔方陣を展開して、
「ええー……それでは本日は、魔法陣を用いた結界と、それがもたらす様々な副次的効果について、講義していきたいと思います。
それでは、各自、テキストの125ページを……」
一応、言う事だけは聞いてあげようかな、と仏心が働き、綾はテキストの125ページを広げた……事前に渡された結界に関するものではなく、持参した『入門! オープンワールドの常識非常識!』の125ページだったが。
125ページが章の半ばだったので、遡って章の初めまでページをめくる。
(……超次元国家連合の加盟条件について……ふむふむ)
超次元国家連合の加盟条件はいくつかあるが、異世界の存在を知覚し、そこへの移動手段を保有している事は大前提である。その上で、何らかの形で超次元国家連盟加入世界に渡航を行った世界に、連合加入を打診し、受諾された時に初めて、その世界は超次元国家連合に名を連ねる事が出来る。
「結界と一口にっても、効果は様々なものがあり、今回皆さんにお教えするのは、その中でも精神に影響する結界術式で……」
(『科学という切り口から冷静なやり取りで異世界を認識するのは極めて稀なケースであり、その多くは痛ましい違法な異世界召喚及び、異世界転生によって一方的に異世界を認識する事になる。そしてさらに痛ましい事に、それらの世界の多くが、超人組合によってオープンワールドの常識を……』……これは、アハトベルンがそうでしたよね)
以前の事件で知己を得たイザベルというエルフ曰く……この世界には、大昔から勇者を呼ぶための儀式と言われるものが存在したのだという。複雑に描かれた魔方陣で妊婦を祝福し、生まれた子は優れた英知をもって世界を富ますのだという……今冷静に考えたら、赤子の中に死んだ人間の魂を突っ込む、典型的な異世界転生の儀式である。しかもその術式の正体は、『呪い殺した相手を転生させる』という真っ黒もいいところな代物だった。
魔術の知識があればそれらの構造、背景はおのずとわかる、にも拘らず、この世界の人々はこの術式を使い続けた。古代の人々は、自分の世界を救うための必要悪と、割り切っていたのかもしれない。
「この魔方陣に、言い知れぬ魅力を感じたものも多いでしょう。それこそが、この結界の持つ効果であり、柱となる部分であります……
この魔方陣は、各種結界との応用も容易である為、様々な効果……例えば、一定のリラクゼーション効果を持たせることで……」
しかし、この術式はある時期を境に一切使えなくなってしまったのだという。
オープンワールドに加盟してから周知された事だが……アハトベルン側が転生元の魂の確保先としてピントを合わせていた地球系列世界。その世界の『神』が、超次元国家連合への加盟をきっかけに、今まで見過ごしてきた異世界転生を取り締まるようになったからだ。これは、今まで召喚されていた事実に気付かなかった神側にも責任があると、地球系列側の神はアハトベルン側に責任を問う事はなかった。
かくして、異世界転生は不可能になり、術式の発動は、感知されれば即座に呪い返しの対象となり、術者の死を招いた。
これにより、異世界転生は自然と廃れていった……筈だった。放っておけばいいのに掘り起こして改造して、わざわざ使う奴が現れたのだ。40年前の、ディンブルゲンの反人類過激派である。
彼等は術式の内容を解明すると、改造――自分の手で殺した人間を転生させる術式に作り替えた。古来より培われてきた、いけにえを用いた単身での異世界転移を行った。
そう、昔のアハトベルンでは、いけにえさえ用意できれば気軽に異世界転移が可能だったのだ。それも、人ではなく獣などで代用可能な範囲で。
それを用いて偵察を繰り返した過激派は、入念な準備を重ねた上で転生トラックテロを実行した。これによって、アハトベルンはオープンワールド側にその存在を認知され……超人による拉致被害者救出という、とんでもない力業で、オープンワールドの常識を骨身に刻み込まれ、全面降伏。フラグレア王国が中心となり、超次元国際連合に加入する事と相成った。
これに対し、被害を被った地球系列異世界は遺憾の意を表明。事態を重く見た神々の手によってアハトベルンの異世界転移周りの空間の壁が補強されたことで、異世界転移ゲートに必要なエネルギー量が跳ね上がってしまったのだった。
少なくとも、いけにえの一人や二人で済まされる量では、なくなった。
「人間の精神……オープンワールドでもブラックボックスとされる領域に、魔術ならば到達できるという、一つの可能性の証左で……」
この事件をきっかけに、アハトベルンでは反亜人思想が広まり、ディンブルゲンは悪名高い奴隷都市へと姿を変え……それらすべての旧弊が、勇者イザーク・ラムダの手によって一気に改革されるのだが、それは余談である。
そして、逆のケース……オープンワールド側が、未開の地球系列世界から地球人を召喚転生させて、超人組合に取り締まられるケースもある。この場合は、救出した地球人を地球系列側異世界に帰還させ、極秘裏に現地政府へ接触。ホワイトテクノロジーである世界観ゲート発生装置の知識を授け、オープンワールド参入を促すのだ。無論、その時点で拒絶する地球系列世界もあるのだが、そこは地球系列側世界の判断であるから、強制はできない。
そうやってオープンワールドに加入した地球系列世界は、困った事に、かなりの確率で、何かしらの超次元犯罪――多くは、自分達を召喚してこき使っていた異世界への報復を理由にした侵略行為を働くのである。これもまた、超人組合の取り締まりの範疇であり、地球系列側異世界に超人が送り込まれ、鎮圧の名の下に暴れ倒すのだ。
「これは私の専門分野の話になりますが医学の世界でも、結界による鎮静効果は用いられております。
特に、妊婦に対する出産の補助として用いられる魔方陣は私の最高傑作と……」
こういうケースの場合、超人組合側は異世界侵略の中心を担う国の主要都市を一つ二つ、更地にしてから引き上げるのだという……悲しい事に、この際に最も更地にされることが多いのは、アメリカ合衆国の主要都市らしい。
世界の警察という自負故にやらかすことが多いアメリカ合衆国らしいエピソードである。
このように、オープンワールド側の人間が召喚転生されるか、召喚転生するかで異世界の存在を認識し、超人組合の介入によって鼻っ面を叩き折られるケースが多いのだ。核爆弾級の攻撃をものともせずに、核爆弾級の攻撃力を振りかざして暴れまわる歩兵の群れ……そんなものに攻め込まれては、並の文明ではひとたまりもない。
このように、超人組合は、異世界召喚をはじめとした超次元犯罪を取り締まる鬼瓦として、オープンワールドでは恐れられているのだ。
「例えば、この魔方陣に『恐れ』の感情を隆起させるように仕組めば、防犯上の……」
(防犯……鬼瓦、かあ)
はたして、自分にその役割が可能かどうか。
難しいだろう。体内に無限の動力、なんてものを持っていたとしても、綾自身は喧嘩などしたことのない小娘だ。闘やアルトエレガン……そして、あの男のような高度な戦闘技術はとてもではないが発揮できない。
無限動力の力をフルに発揮した……と仮定しても、ひたすら固くした腕でビンタとか、子供の喧嘩の延長が出来るか否か、といった所か。
無論、超人の腕力でそんなもん振り回したらどうなるかは、子供でもわかる事だった。
「この精神干渉の魔方陣は、実は諸君らにも日常的に体感しているという事は、気付いていたかな? 実習棟の魔方陣には、苦痛を緩和する鎮静作用が……」
(その辺りの、武術も体得しないとだめなのかなあ)
それはそれで、才能を惜しんだ連中の囲い込みに遭いそうで、難しい所である。最低限の護身術の心得くらいは、体得するべきかもしれないが……
(だからって、この学園の教師に習うのはなあ)
はっきり言って、ない。少なくとも、出会って一日も立たないうちに諸々の洗脳を試みるような連中に教えを乞うなど、とてもではないが怖くてできない。正直、イザークが保証していた食べるものは安全云々も、信用できるか怪しい……!
「……アイさん。私、ディンブルゲンの様子が落ち着いたら、真っ先に帰ろうと思うんです」
「ま、まあまあ……」
ぽつりとつぶやいた綾を、諫めようとするアイ……その耳元を、闘が手を伸ばして指を鳴らした。いきなりの事に、アイは悲鳴上げかけたが、何とか抑えて、
「にゃっ……にゃにすんのよ、闘……!」
「今、何を言おうとした?」
「あ……」
その返答に、何かに気づいた様子のアイは、声を潜めて綾に賛同した。
「そうね……あっちが落ち着いたら、すぐにでも出た方がいいかも……」
「……!? アイさんも、何かされました?」
「思わず、連中の肩持ちそうににゃったわ。危にゃい危にゃい……油断も隙もにゃい連中だわ」
魔方陣による精神誘導……ごくごく微弱なそれは、効果が小さいからこそ確実に、綾達の精神に影響を与えつつある。効果は、魔法及び魔術学院関係者に対して、好意的な感情を持たせる、というものだ。
といっても、効果は若干好意的な解釈をしてしまう、程度のモノであり、明確な嫌悪感を持っていれば十分に抵抗できる。
……逆に言えば、この短い時間で既に、抵抗できるほどの嫌悪感を、綾達は魔術学院に対して得てしまっていた。
(いきなり初手で洗脳してくるとか、正直引きます……)
洗脳、というほどの深度ではない、地球系列世界でも行われている、暖色で威圧感を和らげる、といった心理学的なあれこれを、魔術で代用しただけなのだが、精神という領域を故意に踏み荒らされたのは事実だったから、綾の中の嫌悪感は消える事はなかった。
(この分だと、生徒の方も……)
嘆息と共に、辺りを見回そうとした、その時だった。
「失礼、レグン教授」
静まり返っていた座席の中から、声が上がったのは。思わず、視線を投げかけてみれば……
「ふわぁ……」
「へぇ……」
綾とアイ。二人の口から、同時に驚嘆の声が漏れた。
挙手をし、発言の許可を求めていたのは、金髪碧眼の美男子だった。黄金色の毛髪は緩くウェーブのかかった長髪で、背中にまで伸びていた。その顔は……美貌、としか呼べない程に、整っていた。
ミーハーではない、という自負のある二人をもってして、思わず声を上げてしまうほどの美青年であった。
「……何事でしょうか、殿下。何か、授業の内容でご質問でも?」
ラグルドに発言を認められ、その美青年は立ち上がった。立ち上がるとよくわかる、程よく日焼けした肌と、引き締まった肉体の持ち主であったが……それよりも、綾たちの感性にひっかかる言葉が一つ。
殿下。
ラグルドが、そう呼称していた、という事は……あの青年は、フラグレア王国の王位継承者であり、イザークから名の一部を受け継いだという現国王の息子だという事になるが……それも納得できてしまうほどの、絵にかいたような王子様のテンプレートであった。
「いや、学術的な質問ではない。いつから、誇りある王立魔術学院の教室は、老いらくの恋を晴らす、ガールズハントの場になり下がったのか、それを問いたい」
「……!?」
その息子が、いきなり大上段からラグルドに向かって切り込んだ。
「先ほどからうかがっていれば、貴殿は幾度も幾度も繰り返し、そこに座っているレディに対して魔術を用いたアプローチを行っているが……気付かれないとでも思っていたのか?」
「あ――いや、これは……!」
王太子から向けられる厳しい視線に、ラグルドは狼狽を隠し切れずに言葉に詰まった。
ラグルドが、王太子が指さしたレディ……綾に対して用いた魔術の数々は、あまりにもあからさまだったからだ。王太子の指摘に、教室中がざわめいて、非好意的な視線がラグルドに集中した。
「か、彼女は、その……! そ、そのような下心で動いたとみられるのは心外ですな! 学園長から、彼女が魔術に興味を持てるように、との特別なお達しが……」
「ほう……その、丁重に扱うべき相手に、貴殿は無礼にも魔術で洗脳を試みた訳だ」
「洗脳だなどと……! 失礼ですが殿下、それは娯楽小説の読みすぎですぞ! かような絵空事、たとえ魔術とはいえど……」
「知悉している。ある種の感情を、ある程度強制させる事しかできないのだろう?
……貴殿が今、彼女にやって見せたように」
視線の集中砲火に晒されたラグルドは、慌てて言い訳を並べ立てるが、全てを折り目正しく論破された。王太子は、深く嘆息すると、
「ラグルド・レグン教授。貴殿は多忙で疲れているようだ……横になって頭を休めた方が、貴殿自身も含めて、この場の全員にとって良いだろう。本日の授業はこれまでにして自習になさってはいかがか。
学院長には、私から、そう説明しておこう」
「……!? 王太子、それはいくら何でも……!」
「それとも、各方面に詳しく説明したほうがいいのかな?」
王太子のその言葉がトドメとなって、ラグルドは言葉を失う。
そしてそれは、綾にも言える事。要するに、王太子はこう言っているのだ。
――今引き下がれば体調不良という事にしてやるが、食い下がるのならありのままを王室及び学園長に報告して大問題にしてやるぞ、と。
あまりにあからさまな権力の乱用に、二の句が継げなくなる綾であった。
「た、確かに……殿下の言う通り私は疲れているようですね……
本日は、自習とします! 各自、テキストの125ページから131ページをよく読みこんでおくように!」
これにはラグルドも折れざるをえなかった。捨て台詞のように言い放ってから、速足で教室を立ち去る。その姿が教室から消えたと同時に、どよめきが教室内に走りかけるが――
「諸君。静かに」
王太子の鶴の一声で、一気に静まり返った。
「よろしい……ここは学び舎であり、今は授業中。歓談をする場所ではない」
言いながら、一人綾に向かって歩み寄る。追随しようとする何人かの生徒を片手で制し、綾の前までくると――
「失礼した。レディ。
私は、ターゴ・サック・フラグレアというものだ。アハトベルンの民として、王立魔術学院の生徒として、まずは、謝罪を。ミス・寺門」
折り目正しく、一礼して見せた。ぎょっとするのは、謝罪された綾の方である。王権政治に詳しくない綾でも、王族が頭を下げるという事の重要性は理解していたから、慌てて席を立ち言葉を紡いだ。
「な、なんの事でしょうか!? そんな、王族の方に謝罪される事なんてないので、これっぽっちも! はい、謝罪は結構です!」
……闘が思わずため息をつくくらいには、テンパっていた。闘は、綾の後頭部を軽く小突いてから、王太子に向き直り、頭を下げた。
「失礼、殿下……彼女は、この国に来てから日が浅く――」
「いや、構わないよ」
闘の謝罪に、王太子は苦笑して、
「彼女には、二重の意味で不愉快な思いをさせてしまったからね。それに比べれば、この程度、無礼にすら入らない」
「……二重、とは?」
「今の授業での、教授の振る舞いと、私の振る舞いさ。
地球系列世界、日本の人間にとって、王族が権力を乱用するところなど、見ていて不愉快でしかないだろう」
綾は目を丸くし、アイは思わず嘆息した。
この美青年は、ある程度のマナー違反……『王権を振りかざすバカ息子』という評価につながる行動を、自覚したうえで実行し、あの場を収めたのだ。
綾の為に自ら泥をかぶった形になる。
「レグン教授も、魔術重視思考が行き過ぎているだけで、優れた教師なのだがね……君という才能を前にして、魔が差してしまったのだろう。
どうか、長い目で見てあげてほしい」
しかも、相手に対するフォローも忘れない紳士っぷりである。
これには綾も慌てた。そりゃあもう、盛大に慌てた。
「い、いえいえ、そんな……わ、わかりました! 長い目で見て見まくります!」
「お前はもう黙ってろ」
もう一度、綾の後頭部を小突いてから、闘は黙礼を返した。
そんな二人のやり取りを、王太子は微笑まし気に眺めて、
「……では、アハトベルンを、フラグレア王立魔術学院を楽しんでくれ」
一礼し、元居た席へ帰っていく。動作の全てが様になっている、絵にかいたような王子様の姿が、そこにあった。
周囲の生徒達も、見惚れているのか、頬を赤らめている女子生徒が多数見受けられて――
「……?」
その中に、違和感を感じ、視線を集中させる。さながら、黄金色の麦畑の中に、一本だけ枯れた麦が混ざっているような、そんな違和感。
それは、一人の少女だった。黒髪をおさげにまとめて、黒縁の眼鏡をかけている。そばかすのある顔立ちには幼さを残しており、体系は全体的に細めの印象を受ける。
そして、その視線はほかの者達と一緒に、王子に向けられていたが……そこに、他の人々がむけるような熱狂的な憧憬はなかったのだ。それが違和感となって、綾の目に留まった。
視線に籠った感情の正体まではつかめなかったが……その正体を掴もうと注目しているうちに、ふと、二人の目が合った。
「あ……」
「…………」
数瞬、見つめ合った後に、気まずげに目をそらされた。
「……この国の将来は明るいわね」
王太子の背中を見送って、ぽつりとつぶやくアイであったが、闘は別の感想を抱いた様子だった。そっと、綾とアイ、二人にだけ聞こえるように声を潜めて。
「綾の身柄は、俺が守り切る。それは保証する」
「……闘さん? 改まって、何を……」
「だが、いま学園内で起こってる、妙なトラブル。
これに関しては、口出ししかできん。その事を、よく覚えておけ」
その頃の国王とアルトエレガン。
「…………」
「…………」
「さて……アレクサンデル・アルトエレガン・フラグレア君」
「はい。アルトエレガン殿」
「何故、貴方が玉座の間で屹立させられているか、わかりますか?」
「……えっと、正直さっぱりです。
何か、手違いでもありましたか? やってくるなり、二人きりになりたい。二人きりになるなり、立て、だなんて」
「さっぱりです、じゃねーよ! 何だあの横紙破りは!」
「えっ……横紙破りって」
「綾ちゃんの事だよ! ミス寺門の!
国王権限まで使って、イザーク坊やにねじ込むとか何考えてんのお前は!」
「……あの、状況がよく呑み込めないのですが……彼女に関しては、気を利かせたつもりで……」
「ほほーう……そういう考えで行動してたわけか……お前、綾ちゃんが別の進路を、魔術師以外の道を希望してる可能性は考えなかったのか?」
「……あ゛」
「あ、じゃねーよ! 悪意ゼロで外堀埋めにかかるとか、悪意有より性質悪いわ! そもそもお前はどういう経緯で綾ちゃんの情報を手に入れたんだ!」
「そ、それはその、さる筋から……いえ、貴方と私の仲です。言ってしまいましょう。
超人組合が、彼女の中の無限動力について打診してきたのですよ。このような存在が、貴国の領地にいるわけだが、どうするつもりなのか、とね」
「ちっ、やっぱりそういう事か……何処の派閥だか知らんが、余計な事を」
「それで、押しかけ弟子ならぬ押しかけ師匠に困らされていると聞き、イザーク兄さんに打診したわけです! いたいけな少女が困っているのならば、助けるのが人間の道かと!」
「ほうほう…………それで、本音は?」
「できればうちの魔術の発展に貢献してくれたらナーって……あだだだだだだ! 痛い痛い痛い! 小父さんヘッドロックやめて!!」
「こーのー、魔術馬鹿はー! まあいい! それに関しちゃ、俺の方で何とかする!
俺が怒ってる本題は、そっちじゃあない」
「?」
「お前、自分の鼻先の魔術学院が、あんな事になってるのに、気付かなかったわけ?」




