第八話:蛇宴
神社へ向かう道すがら、俺は千代女さんから蛇宴についての説明を受けていた。
「まず、参加者の中から一人だけ蛇役が選ばれます」
神社へと繋がる石段を上りながら、千代女さんは淡々と語る。
「蛇に選ばれた者は、自らが蛇であることを知ります。ですが、それ以外の参加者は誰が蛇なのかを知りません」
「蛇になった人は何をするんです?」
「正体を隠します。そして、他の参加者が誤った人物を蛇だと思うよう誘導します」
「なるほど」
「対して蛇以外の参加者は、神託と呼ばれるヒントを手掛かりに蛇が誰なのかを推理します」
「神託って、どの程度のヒントなんです?」
「蛇となった人物に関する言葉です」
「例えば?」
千代女さんは少しだけ考えるように目を伏せてから答える。
「そうですね……例えば、円環を形成せし者でしょうか」
「……なんですか、それ?」
「透様には分からないかもしれません。ですが、蛇となった者は神託によって自分が蛇であることに気付きます」
「神託に当てはまる人物は一人だけなんですよね?」
「はい」
「じゃあ皆で話し合いながら、その言葉に当てはまる人物を探していく……と」
「その通りです」
千代女さんは静かに頷いた。
「議論の末、参加者全員で誰が蛇なのか、一斉に指差しを行います。そして最も指差された人物が蛇かどうかによって勝敗が決まります」
なるほど、こうやって説明されてみるとしごく単純な儀式だった。儀式というよりは、ゲームと言われた方が納得できそうな内容だとも感じる。
「蛇だったら人間側の勝ちってわけですね」
「はい」
「違っていたら蛇側の勝ち」
千代女さんは言葉を発さずに頷く。
「なんか、儀式というよりかはゲームみたいな感じですね」
「そう感じるのは、当然かと。蛇宴は冥蛇様の怒りを鎮める儀式ですが、古くからこの蛇棲ヶ迫に伝わる遊びという側面も持っていますので」
日葵から聞いた伝承について考えると、この蛇宴と呼ばれる儀式とも遊びともとれる行為が、この地域一帯に広がった理由が推測できる。
冥蛇と呼ばれる神——この地に封印されていた、その存在に対する人々の畏怖が生み出したものなのではないだろうか。
「今回の儀式においては、蛇側にはもう一つだけ勝利条件があります」
「というと?」
「時間制限内に人側が蛇を指名できなかった場合です」
「時間制限?」
「霧の到達までに、です」
その勝利条件には少し首を傾げた。もし霧が本当に危険なものなら、時間切れとなる前に誰かを指名する必要があることは明白だ。時間制限内に指名できないという状況は、あまり思い浮かばない。
「まあ、要するに、時間制限内にヒントをもとに犯人を当てるゲームってことですよね?」
「犯人……」
千代女さんは、少しだけ複雑そうな顔をした。
「そうですね。大まかな認識としては間違っていません」
どうやら例えとしては近いらしい。神託というヒントを頼りに、蛇役を見つけ出すという、本当に単純なゲームだ。ただ、気になる部分もあったので質問してみる。
「その神託って言うのはどうやって決まるんです?」
「遊びとして行う場合は、参加者がそれぞれ自分に関する事柄を書いた紙を巫女役へ渡します。その中から巫女役が紙を選び、神託を告げ、当てはまった人物が蛇となります」
「遊びとしてってことは、儀式の場合と違いがあるんですか?」
「はい。これから行うのは遊びではなく、神事です。儀式としての蛇宴は、天蛇様の監視のもと行われます。神託は参加者が用意するものではありません」
「ん? じゃあ誰が神託を決めるんです?」
「天蛇様です」
あまりにも当然のように返されたその言葉に、俺は驚きを隠せなかった。神が儀式に介在するのだと、それが当たり前のように千代女さんは言ったのだ。
神——その存在を俺は否定しない。だが、そんなさらりと神が参加しますと言われると、身構えてしまう。
「神託は、天蛇様から巫女である私へ伝えられます」
俺は思わず黙り込んだ。もしそれが本当なら、神託に選ばれた人物は、自分という存在を見透かされたような気がするのではないだろうか。
そんな話を聞きながら、俺たちは神社の境内へ足を踏み入れた。本殿の前には、既に四人が集まっている。
日葵にも冥蛇の封印が解かれたこと、そして蛇宴という儀式を行わなければならないことが既に伝えられているらしい。日葵の様子を見るに、彼女にも他の住人から話が伝わっているのだろう。この状況を既に理解しているように見えた。
「お待たせいたしました。こちらへ」
千代女さんに先導され、俺たちは本殿の裏手側へと歩いていく。俺だけが、この中で部外者だ。正直、居心地が悪いと感じてしまう。
境内の中を進む途中、良二さんの姿が目に入った。やはり、昨夜とは様子が違う。酒を飲みながら豪快に笑っていた男とは思えない。顔色は悪く、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。何度も視線を彷徨わせ、落ち着きなく指先を動かしていた。
やがて俺たちは、本殿の裏側に建つ小さな社の前へ辿り着いた。
俺はここに来て、その社の異様さに気付く。決して大きな建物ではない。だが、ただの社とは思えない存在感を放っていた。黒ずんだ木材には、幾重にも蛇の彫刻が刻まれている。その全てが複雑に絡み合い、まるで何かを閉じ込めているようだった。
「ここは……?」
「蛇宴殿です」
俺の質問に、千代女さんが静かに答える。
「蛇宴殿?」
「蛇宴を執り行うためだけに建てられた社です。この集落では古くから、神事としての蛇宴は必ずここで行われてきました」
そう言って彼女は、固く閉ざされている蛇宴殿の扉へと視線を向けた。
「普段は閉ざされています。開かれるのは、蛇宴の時だけです」
どこか厳かな声音だった。建物を前にしているというより、神域そのものを見上げているような感覚を覚える。
「なんか……嫌な感じがするなー」
ぽつりと呟いたのは日葵だった。先ほどまで見せていた軽い調子ではなく、暗い面持ちをしている。
「嫌な感じ?」
「うん。うまく言えないんだけどさ」
日葵は眉を寄せながら、言葉を続ける。
「昔からここだけは苦手なんだよね。見てると息苦しくなるっていうか」
その言葉には誰一人、口を開かなかった。重苦しい沈黙だけが落ちる。
弁一さんは腕を組みながら、険しい顔で蛇宴殿の扉を睨みつけていた。
良二さんは、さらに顔色を悪くしている。その様子は、これから始まる何かを恐れているようにも見えた。
冨喜さんだけは穏やかな表情を保っていたが、それでもどこか落ち着きない様子が垣間見えている。指先だけが、小さく震えているようにも見えた。
その光景を見ているうちに、俺の胸中にも得体の知れない不安が広がっていく。もし千代女さんの話が本当なら。もし冥蛇と呼ばれる神が実在し、霧が本当に毒を孕んでいるのだとしたら。この儀式が失敗してしまった時、一体何が起きるのだろうか。
「参りましょう」
千代女さんがそう告げる。そして、自らの手で社の扉を開いた。古い木の軋む音が、静かな境内へ響き渡る。
蛇宴殿の内部は、想像していたよりも広かった。窓はなく、天井近くの明かり取りから差し込む僅かな光だけが室内を照らしている。
中央には巨大な円が描かれていた。朱と墨によって描かれた複雑な紋様。まるで二匹の蛇が互いを喰らい合いながら、円を形成しているようだった。その中心には、人が二人ほど立てる大きさの祭壇が設けられている。
促されるまま中へ入り、俺たちは中央の祭壇を囲むようにしてそれぞれが立ち止まる。
最後に、千代女さんが祭壇の上に登る。
巫女装束の裾を静かに揺らし、祭壇の上に立った彼女は、ゆっくりと全員の顔を見渡す。
その瞳には、先ほどまでの柔らかさはなかった。神社で出会った、儚げな少女の姿はそこにはない。
そこにいたのは巫女だった。天蛇に仕え、蛇宴という儀式を司る者。その神聖な姿に、誰も言葉を発しない。重苦しい沈黙が場を支配する。
そして……。
「これより、巫蛇神宴を執り行います」
凛とした声が、蛇宴殿の中へ響き渡った。




