第七話:儀式
偶然出会った少し変わった大学生、森上日葵と共に、俺は一旦平地へと出るために森の小道の中を進んでいた。
道中、日葵はこの土地に伝わる様々な話を聞かせてくれた。
彼女は大学で学ぶ傍ら、生まれ育ったこの集落の歴史や伝承についても調べているらしい。昔から神話や民俗学の類が好きだったそうで、その知識量はなかなかのものだった。
そんな彼女の話の中で、特に興味を惹かれたのがこの土地に伝わる伝承だった。
その昔、神野山の麓から不気味な霧が発生した。
霧はやがて、蛇棲ヶ迫一帯を覆い尽くしたという。すると、この地に住んでいた人々が次々と病に倒れた。疫病が蔓延し、多くの命が失われた。
人々はその災厄をもたらした存在を――冥蛇と呼び恐れた。
そこで立ち上がった男がいた。それが、弁之助という猟師だ。火縄銃の名手だった弁之助は、疫病の原因となった霧を発生させていた冥蛇を討ち倒すことに成功した。そして、園崎家の巫女によって弱った冥蛇をこの地に封印することで疫病の拡大は止まった。
疫病に苦しむ人々を救ったのが、天蛇と呼ばれる蛇神だった。天蛇が授けた癒しの力によって病は消え去り、村には平穏が戻ったとされている。以降、天蛇は守護神としてこの地に祀られ、弁之助と園崎家の巫女は救世主として語り継がれるようになった。
——それが、この土地に伝わる伝承だった。
伝承の中に伝えられている霧の発生……まさか、という考えが一瞬だけ頭を過る。
そんな話をしている間に小道を抜け、桑田家がある平地へと到着。本来なら、このままさらに山道を登って森上家へ向かう予定だった。
桑田家の前に人だかりが出来ていて、俺達は足を止めることになった。
集まる人々を見た瞬間、胸の奥がざわついた。何か様子がおかしいと感じた。
そこでは、巫女姿の千代女さん、弁一さんと良二さん、そして下山途中に山道で出会った五十代くらいの女性が輪になり何かを話している様子だった。そこに集まっていた誰もが、神妙な顔をしている。
「ん? お前、透じゃないか」
最初に声を掛けてきたのは、弁一さんだった。だが、その声にもどこか余裕がないように感じられる。俺が視線を向けて頭を下げると、弁一さんは安心したように小さく息を吐いた。
「置手紙だけ残していなくなったから、心配してたんだ。戻ってきたんだな」
「あ、はい。どうにも霧が濃くて、危険だと思いまして……」
霧——その言葉を発すると、弁一さんの表情が険しくなった。
そして、その横にいる良二さんの様子も気になった。昨夜の酒席では豪快に笑っていたはずなのに、今は青ざめた顔で地面へ視線を落としている。まるで、何かに追い詰められているように感じた。
そして、気になるのがもう一人。千代女さんが、俺の姿を見るなり驚愕するように目を見開いていた。まるで、あり得ないものでも見たかのように。
「あら、良かったわ」
唯一、他の人たちに比べれば表情が柔らかい五十代くらいの女性が口を開いた。
「心配していたのよー。霧の中で何かあったんじゃないかって」
「あれ、ばあちゃん。透くんとはもう会ってたんだ」
「……ばあちゃん?」
「うん。森上冨喜、この人が私の祖母ね」
日葵に紹介された冨喜さんは、ゆっくりとした動作で柔和な笑みを浮かべたまま頭を下げる。
「森上冨喜です。日葵ちゃんのお知り合いだったのねえ。もしかして彼氏かしら?」
「あははー。彼氏とかウケるー」
森上家の二人が勝手に盛り上がる。だが、俺は別の意味で衝撃を受けていた。七十五歳……どう見てもそうは見えない。やはり妖怪か何かなのではないだろうか。
「ところで、みんな何の話をしてたの?」
日葵の問い掛けに、冨喜さん、弁一さん、良二さんが一斉に千代女さんへと視線を向けた。答えを知っているのは、彼女だけだと言わんばかりに。
自然と、俺も千代女さんへと視線を向けた。しかし、千代女さんは他の誰も見ていなかった。俺だけを見ていた。何故かは分からないが、その視線には強い警戒と困惑が混じっているように見えた。
「……詳しいことは、場所を変えて説明いたします」
千代女さんが静かに口を開く。
「皆様は先に神社へお集まりください」
そして、真っ直ぐ俺を指差した。
「私はこの御方と話があります」
「あー、やっぱり、千代女ちゃんにも分かっちゃうよね。この人、なんか不思議な感じがするよね?」
日葵の言葉を受けても、千代女さんは何も答えない。ただ、俺を見つめ続けている。
やがて皆が神社へ向かい、その場に俺と千代女さんだけが残ると、彼女は開口一番に理解不能な言葉を口にする。
「透様は、霧の中で死んだはずです」
「……は?」
意味が分からなかった。だが、どうしてだろう。その言葉は、不思議なほど現実味を帯びて聞こえた。
「いや、死んでませんよ。こうして生きています」
「透様は下山されたのですよね?」
「ええ」
「それなのに、戻って来られた」
「はい。さっきも説明した通り、霧が危険だと思ったので」
「……」
千代女さんは、まるで理解の及ばないものを前にしたように、ただ俺を見つめている。そして表情を変えずに、さらに不可解な言葉を口にする。
「あなたは何者ですか?」
日葵といい、この千代女さんといい、どうやら彼女たちは俺を特別な人間に仕立て上げたいらしい。
「何者と言われましても、月代透という名前の、普通の大学生です」
「そうですか。明かす気がないのであれば、これ以上聞いてもしょうがないですね」
諦めたような声の後、小さく呟く。
「何者であれ、あなたは部外者です」
その言葉には、悲しみが滲んでいた。
「巻き込みたくはなかった」
「……もう少し詳しく説明してもらえませんか? 状況が全く分からないんですが」
「そうですね」
千代女さんは静かに頷くと、俺の目をまっすぐと見つめてから言葉を続ける。
「外部の人間である透様には、詳しい説明が必要でしょう」
そして——告げられたのはまたしても理解不能な言葉だった。
「これから蛇宴を執り行います」
蛇宴。その言葉を聞いた時、何故か恐ろしいことに足を突っ込んでいるのではないかという気にさせられた。蛇宴とは、一体何なのだろうか。その疑問に対する説明を千代女さんはゆっくりと始めた。
何者かによって、伝承に伝えられている冥蛇の封印が解かれたこと。
その影響で、冥蛇の毒を孕んだ霧が現在、発生していること。
そして、その霧を祓うためには巫蛇神宴と呼ばれる儀式――通称、蛇宴を執り行わなければならないこと。
蛇宴は、古くから蛇棲ヶ迫という地に伝わる儀式だそうだ。
かつて弁之助に打ち倒され、園崎の巫女によって封印された冥蛇の怒りを鎮めるための儀式。この儀式を行わなければ、現在発生している毒霧が集落全体を覆い、やがて蛇棲ヶ迫の人間全員が命を落とすという。
普通なら信じない話だ。だが、なぜか俺には嘘だとは思えなかった。あの霧が危険なものだということだけは、本能的に理解していたからだ。
「先ほども言いましたが、透様は部外者です。蛇宴に参加する必要はありません」
だが、そこまで聞いておいてはいそうですか、自分には関係ないので勝手にどうぞと知らぬ顔をするわけにもいかない。
ここで出会った人たちだけが命を懸ける中、自分だけ安全な場所に残るというのも居心地が悪いし、危険な霧が迫っているという状況で、他に行く当てのない俺には彼女に付いていくという選択肢しかないように思える。
「まだ状況が完全に呑み込めていないんですが、俺も参加しますよ。ここで待っている方が辛いでしょうし……なぜか分からないんですが、ここで逃げてもどうにもならない気がするんですよね。ここを離れたところで、結局また戻って来ることになるような……そんな気がして」
自分でも意味が分からない。根拠なんて何一つない。それでも、その予感だけは妙に確信めいていた。
「だから、俺も行きます」
俺がそう告げると、千代女さんは少しの間だけ、目を閉じた。疲れたような表情に見えた。
「……そうですか」
そう言うと千代女さんが踵を返し、巫女装束の裾が揺れた。
付いて来い。そう言われた気がして、俺は黙って後を追う。
巫蛇神宴と呼ばれる儀式へ向かうために。




