第二十四話:渡河
大学を卒業した後、俺は父の跡を継いだ。
月代神社の神職となり、月の神へ祈りを捧げながら生きていく。
修行の日々だった。祝詞を学び、祭祀を学び、神と向き合う術を学んだ。
そして、その傍らで俺は蛇棲ヶ迫と呼ばれる場所について調査を続けた。残されている文献を読み漁り、地方史を調べ、古文書を探した。時には何日も泊まり込みで、資料整理を行った。そんな生活を何十年も続けた。
周囲から見れば奇妙だっただろう。なぜそこまで1つの集落へ執着するのか。なぜ人生を捧げるほど調べ続けるのか。
だが、俺は誰に何と思われようとも調査を続けた。贖罪するかのように、自分が使える時間をすべて使って。
長い年月を掛けた調査の中で、俺は一冊の古い書物へ辿り着いた。そこに記されていたのは、蛇棲ヶ迫の裏の歴史とも呼べるものだった。
一般に伝えられている内容はこうだ。
かつて、この地には疫病が蔓延した。
原因は冥蛇。死を司る神である冥蛇が災厄をもたらし、人々を苦しめたのだという。
そこで立ち上がったのが弁之助だった。弁之助は冥蛇を討ち倒し村を救った。弱った冥蛇は園崎の巫女によって封印され、疫病が収まった。
天蛇は人々を憐れみ、その力によって疫病を癒した。村は救われ、蛇棲ヶ迫には平穏が訪れた。
それが、この蛇棲ヶ迫に伝わる表の歴史だった。
だが、俺が見つけたその書物には、全く異なる内容が記されていた。そこにあったのは英雄譚ではない。誰かによって隠された歴史の断片だった。
始まりは天蛇だった。生を司る神。病を癒し、人々へ恩恵を与える神。人々は天蛇を敬い、感謝していた。だが、その信仰は少しずつ形を変えていく。
感謝は依存へ。依存は欲望へ。もっと癒しを。もっと恩恵を。もっと生を。
人々は天蛇の力を利用しようとした。
それを見ていたのが冥蛇だった。死を司る神。生と死の均衡を守る存在。
冥蛇は怒った。あるいは、人々を戒めようとしたのかもしれない。神の力を私欲のために求める人間達へ、冥蛇は霧となりて、かの地へ疫病を広げる。
人々は恐れた。そして理解しなかった。なぜ疫病が広がったのかを。なぜ冥蛇が怒ったのかを。
人々は冥蛇を災厄の神と呼んだ。全ての元凶として、全ての責任を押し付けた。そして、弁之助によって冥蛇は討たれ、巫女によって封印された。
もし、この歴史こそが真実なのだとすれば、一つだけ分かることがある。
蛇棲ヶ迫の悲劇は、神が始めたものではない。全ての始まりは――人間だった。
こうして、俺は人生の長い時間を費やして蛇棲ヶ迫に隠された裏の歴史を知ることが出来た。
だが、どうしても最後まで辿り着けない情報があった。
禁忌。
世界が終わりを迎える間際、日葵と千代女さんが口にしていた言葉。
禁忌とはなんだ?
父の言っていた、月の知らせという奴なのだろう。俺はその内容を知らなければならないという思いに囚われていった。しかし、その答えだけが、どれだけ年月を費やして調べても分からない。まるで、誰かが意図的に消し去ったかのように禁忌へと繋がる情報だけが何も出てこない。
気付けば、髪は白くなっていた。身体も思うように動かなくなっていった。父が死に、母も生を終えた。両親の墓前に立ち、花を添え、涙を流しても、月に祈る事だけは忘れずに調査を継続した。それでも、禁忌には辿り着けなかった。焦燥感だけがどんどん募っていった。
子を成すこともなく、やがて病に倒れ、静かに死が来るのを待つだけの身となった。結局、答えには辿り着けなかった。禁忌の正体も、世界を救う方法も、千代女さんを救う方法も分からないままだった。
ただ、父に言われた事だけは忘れなかった。月に導かれたとするのなら、まだ何か出来ることがある。それだけを信じ続けた。
病床の上で、窓の外を見上げる。静かな夜だった。空には満月が浮かんでいる。
随分と長い人生だった。後悔がないと言えば嘘になる。もっと知りたかった。もっと足掻きたかった。けれど、この逃げた先の世界で、時間はもう残されていなかった。
意識が少しずつ遠のいていく。その中で、一人の女性の姿が脳裏に浮かぶ。
長い黒髪。白い肌。凛とした瞳。照れた顔。髪を撫でる仕草。
千代女さん……何度も夢に見た人。
「……もう一度」
喉から掠れた声が漏れる。命の灯が消えていくのが分かる。そんな中、この一生で積もりに積もった願いが心を満たしていく。
「もう一度……会いたい」
もう一度、過去に戻ることができるのなら。
今度こそ、貴方を救いたい。
そんな願いを抱きながら、静かに目を閉じる。
そして——俺は月に祈りながら、またレーテを渡っていくのだった。




