第二話:終焉
先ほどまで一人で歩いていた山道を、神社で出会った巫女姿の女性と並んで歩いていく。中々に奇妙な体験だよなと思いながら進んでいくと、山道を少し上がった先に開けた場所があり、その中央に一軒の平屋が建っていた。
どこかで川が流れているのだろうか。川のせせらぎと虫の声が、夜の静寂に溶け込んでいる。平屋から漏れる灯りが、闇の中でひどく頼もしく見えた。
女性は迷うことなく、ぽつんと建つ平屋の前へと俺を連れていき、その戸を叩いた。
しばらくして、中から一人の男が姿を現した。
年齢は五十代くらいだろうか。鋭い眼光と鍛え上げられた二の腕が目を引く。白髪混じりの坊主頭をガシガシと掻きながら、男は厳格そうな声で問い掛けた。
「千代女ちゃんか。こんな時間にどうされました?」
千代女……どうやらそれが、彼女の名前らしい。千代女と呼ばれた女性は軽く会釈をすると、俺へ視線を向けた。
「弁一さん。近くでバイク事故に遭われた方です。麓の街まで送り届けていただけませんか?」
「ほう、それは災難だったな」
弁一と呼ばれた男は俺を一瞥すると、小さく頷いた。
「バイクはどの辺りに?」
「あっちの山道です」
俺が指差した方向を確認すると、弁一と呼ばれた男性は家の中へ向かって声を張り上げる。
「良二! 車の鍵を持ってこい!」
「えー、今から風呂入ろうと思ってたんだけど!」
「いいから来い!」
数秒後、家の中からもう一人の男が姿を現した。
百八十センチを優に超える大柄な男だった。タンクトップ姿の男は、弁一に負けないほど鍛えられた身体つきで、筋骨隆々という言葉がよく似合っていた。
弁一さんと良二さん、この二人がこの家の住人であるようだ。
「あれ、千代女ちゃんと……誰?」
「事故に遭ったそうだ。麓の町まで送ってやれ」
「あー、なるほどな」
男は気さくな笑みを浮かべ、親指を家の中へと向けた。
「でももう遅いぜ? よかったら泊まって――」
「なりません!」
それまで穏やかだった千代女さんの声が、初めて強い響きを帯びた。その声に、一瞬で場の空気が張り詰めた。
自分でも強く言い過ぎたと思ったのだろう。千代女さんは詫びるように、頭を一度下げた。
「申し訳ありません」
そう前置きしてから、真っ直ぐ俺を見る。
「ですが、そのお方は一刻も早くここを離れるべきです」
「理由を聞いても?」
弁一さんの問い掛けに、千代女さんは少しだけ話すのを躊躇するような素振りを見せたのだが、すぐに「……蛇に睨まれています」と小さな声で呟いた。
その言葉を聞いた瞬間、弁一さんと良二さんの表情が強張った。
俺だけが意味を理解できずにいた。
蛇に睨まれる?
確かに、藪の中にいた蛇と目が合った。だが、それが何だというのだろう。
「あー……そうか。なら、しょうがねえな」
そう言うと、良二さんは庭の隅に停められていた軽トラックへ向かった。しばらくして、エンジンが低く唸りを上げる。
「乗れよ。バイクの場所まで案内してくれ」
「あ、はい。ありがとうございます!」
俺は皆に心配はかけさせまいと、身体の痛みは悟られないように我慢しながら、助手席へと乗り込んだ。
シートベルトを締めながら、何気なく窓の外を見る。
そこには、千代女と呼ばれた巫女姿の女性が立っている。何かを言っている。だが、エンジン音に掻き消されて聞き取れない。
そのまま軽トラックは走り出した。サイドミラーの中で、千代女さんの姿が少しずつ遠ざかっていく。
不思議だった。どうしてあんな顔をしていたのだろう。まるで、二度と会えなくなる人を見送るみたいに。
やがて家の灯りも見えなくなっていく。
それは気のせいだったのかもしれない。
千代女さんの姿が闇へ溶ける直前、その傍らに、白い蛇の姿を見た気がした。
◇ ◇ ◇
数日が経った後も、あの日の出来事は時折、脳裏に蘇った。
バイク事故。山奥の神社。千代女という名の女性。
そして――蛇。
彼女達に助けられ、なんとか麓の町へ戻ることはできた。だが、その後の日常は相変わらずだった。
付き合っていた彼女がいなくなったアパートで、先の見えない就職活動に精神が摩耗していく日々。
何もかも上手くいかない。そんな鬱屈とした毎日の中で、不思議と千代女さんの顔だけは忘れられなかった。
バイクの修理が終わったら菓子折りでも持って、もう一度あの神社を訪ねてみよう。せめて礼くらいは言いたい。
そんなことを考えながら、俺は自分が通う大学の食堂で昼食を摂っていた。
「ねえ、今朝のニュース見た?」
「河原内の事件でしょ?」
近くの席にいた、女子学生二人の会話が耳に入る。
「なんか、数十人以上が死んでたって」
「しかも結構近くだよね」
河原内。その地名を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。俺が住む神野町から、バイクを走らせて三、四十分程の距離にある場所だ。
「被害者の中にうちの大学の文化財学科の子もいたらしいよ」
「うわ……マジ?」
周囲のざわめきが、徐々に遠く聞こえるような気がした。
嫌な予感が消えない。俺は席を立ち、食堂の一角に置かれていた新聞へ手を伸ばした。
そして記事を読んだ瞬間、全身の血が引いていくのを感じた。
【山間集落で住民十数人が死亡。警察が死因を調査】
21日午前、河原内地区にある山間の集落で、住民十数人が死亡しているのが発見された。
警察によると、遺体には共通した症状が見られるものの、現時点で死因は特定されていない。
また、一人には刃物による外傷が確認されているという。
現場は住民数の少ない山間部の集落で、外部との往来も限られていたとのこと。
警察は事件と事故の両面から慎重に捜査を進めている。
なお、死亡が確認された住民は以下の通り。
・園崎千代女さん(二十五)
・桑田弁一さん(五十六)
・桑田良二さん(三十二)
・森上日葵さん(二十一)
・森上登紀さん(七十五)
・その他住民数名
記事の横には被害者たちの顔写真が並んでいた。
園崎千代女。
桑田弁一。
桑田良二。
数日前に出会った人々の顔がその中にあり、恐怖で新聞を持つ手が震えた。
「そんな……」
思わず声が漏れた。理解が追いつかない。ついこの前まで生きていた人達だ。親切にも、俺の事を救ってくれた恩人達だ。
あの場所で出会った人々が、全員死んだ?
記事を何度読み返しても、その事実は変わらない。
胃の奥が捻じれるような、不快な感覚が込み上げてくる。
吐き気を抑えられそうになく、俺は口元に手を当てて嘔吐く。
そして、この日——1999年、7月22日。
世界は終わりを迎えた。




