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第十八話:失敗

 蛇宴殿の中央。壇上に立つ千代女さんは、静かに目を閉じている。


 俺にとっては、四度目となる蛇宴。俺は拳を握り締めながら、神託が告げられる瞬間を待っていた。


「神託は――」


 千代女さんが、神託を告げようとした瞬間だった。胸元のお守りが熱を帯びはじめた。まるで、脈打つように。


「っ……」


 小さく声を漏らしたのは、祭壇に立つ千代女さんだった。彼女の眉が僅かに歪み、驚いたように俺へと視線を向けている。


 何かがおかしい。そう感じたのは、千代女さんだけではなかっただろう。告げられようとしていた神託が、いつまで経っても千代女さんの口から告げられない。その事実に、みんな困惑する表情を浮かべていた。


 少しして、もう一度天蛇の姿が顕現する。その蒼い瞳が、こちらへと向けられていた。冥蛇とはまた違った圧倒的な存在感を持つ神の視線に晒され、俺はつい歯をくいしばってしまう。


 少しでも安心しようと、胸元にあるお守りをぎゅっと握りしめた。天蛇は何も言わずに、俺に視線を向けたままの状態でその姿を徐々に消失させていった。


 気絶しそうになるほどの存在感から解放され、肩の力が抜けていく。


 天蛇はきっと、今回も俺を冥蛇の依り代に選んだのだ。だが、その神託が告げられようとした瞬間、お守りが守護してくれた……そんな感じがした。


 ――お守り。その名の通り、人を守るためのものだ。災厄や病、事故。人は古くから、目には見えない災いから身を守るために願いを込め、お守りを身につけてきた。


 なら、このお守りも同じなのかもしれない。俺の身に降りかかる、人の理を超えた何か。その力から、俺という存在そのものを守ろうとしてくれている気がした。


 そして、今度こそ千代女さんから神託の内容が告げられる。


「神託は――真実を知る者」


 神託が告げられた瞬間、俺と日葵の視線が交差した。


 真実を知る者という神託は、まだ聞いたことがないものだ。つまり、それが意味するのは……。


「良二さん! 弁一さん!」


 俺は声を張り上げた後、神託が告げる人物である、冨喜さんへと視線を向ける。それだけで全てを察した二人が、同時に行動を開始する。


 良二さんと弁一さんは、蛇役となった冨喜さんを捉えるため。そして俺は、壇上にいる千代女さんを取り押さえるために駆け出す。


 頼む! 俺達を守ってくれ! 


 走りながら胸元にあるお守りへと願いを込めると、白い閃光が蛇宴殿の中を走った。冨喜さんの瞳が紅く染まりきる寸前、見えない何かが弾けるような音が響く


「えっ!?」


 驚愕の表情を浮かべる冨喜さん。蛇眼の力がわずかに遅れ、その隙に良二さんが黒い布で彼女の目を覆った。それと同時に、弁一さんが背後から冨喜さんの身体を羽交い締めにする。


「悪いな冨喜さん!」

「ちょ、ちょっと弁ちゃん! 良ちゃん!」


 冨喜さんの捕縛に……成功した!


 あとは千代女さんだけだ!


 俺が何をしようとしているのか、千代女さんはすぐに察知したのだろう。表情を強張らせた彼女の瞳が、蒼い光を灯していく。


 蛇眼——その眼に映された人間の動きを封じる力。


 お守りから、再び白い光が発せられる。俺を守ろうとするその光が、バチリと音を立てて、天蛇の力を弾いた。


「っ!!!! なぜ……」


 蛇眼の力が通じないと分かった千代女さんが、焦ったように目を見開く。俺はそれを意に介さず、彼女を力づくで背後から両腕を抱えて拘束する。


「離してください」

「すみませんが、それは出来ない相談です」


 俺に取り押さえられた千代女さんの声は静かだった。力を込めて脱出しようとしているが、さすがに腕力に差がありすぎると悟ったのか、すぐに大人しくなる。


 ここまで来れば、やることはあと一つだけ。


「蛇だと思う者を指差してください!」


 千代女さんの代わりに俺は壇上から叫んだ。


 俺、弁一さん、良二さん、日葵、その場にいる四人の指が、冨喜さんへと向く。


 冨喜さんが誰を指差そうとも、もう結果は変わらない。つまり、人側の勝利が確定した。


 その瞬間だった。世界が震えたような感覚を覚えた後、黒い靄が蛇宴殿へと溢れ出した。


 巨大な黒い蛇が、俺の前に姿を現す。


 冥蛇。死を司る黒き神。その紅い瞳に怒りはない。ただ純粋に、この結果を受け止めているように見えた。


『ほう』


 低い声が響く。達観したような声だった。まるで全てを知っているかのように。


 俺は恐怖に慄きながらも、冥蛇を睨み返す。この後の展開は、予想が付かない。人が勝った結末を、俺はまだ知らない。


 人が勝ったことにより、冥蛇が暴れだすようなことにだけはならないでくれと祈るばかりだった。


『人が勝ったか……ならば契りは果たされぬ。我は消えるのみ』

「冥蛇様! お待ちください!」


 突如、千代女さんから悲痛な声が上がった。冥蛇の視線が、俺ではなく巫女へと移る。


『大山の巫女よ。我との契りが果たされないのであれば、円環形成すること叶わぬ。諦めよ』

「……そんな」


 千代女さんの全身から力が抜けていくのが分かった。何もかもを諦めてしまったかのように、絶望の淵に沈んでいくようだった。


「お、終わったのか?」

「霧は……来てねえみてえだけど」


 弁一さんと良二さんには、冥蛇の姿が見えていないのだろうか。キョロキョロと辺りを見回しながら、そんな言葉を発していた。


 その言葉に、冥蛇が『ククク』と笑い声を上げた。


『終わり……そうかもしれぬな、憎き弁之助の子孫たちよ』


 冥蛇の黒い身体が、少しずつ崩れ始め、靄へと還っていく。それでも、冥蛇は笑っていた。


『傲慢で愚かな人間共。お前たちの顔が絶望に染まる瞬間を見られないのが残念だ』


 最後にそう言い残し、そのまま冥蛇の身体は霧散していった。最後の言葉の意味は分からなかった。だが、何故か胸騒ぎがした。


 これで、終わったのだろうか。みんなの顔を見ると、誰もが安堵したような表情を浮かべていた。


 弁一さんも、良二さんも、日葵も。蛇役であった冨喜さんも、憑き物が取れたような顔をしている。


 その人たちの顔をみて、俺はようやく終わったのだと理解した。何度も繰り返した死の連鎖が、ここで終わったのだ。俺は安心感で胸が一杯になり、羽交い締めにしていた千代女さんの拘束を解く。


 ヨロヨロとした足取りで、千代女さんは祭壇から降りると俺から距離を置いた。


 その顔はまるで、世界の終わりを見たようなものだった。青ざめた顔、震える唇、焦点の定まらない瞳。


「千代女ちゃん?」


 日葵が声をかける。だが、反応はない。ただ、その瞳からぽろりと一粒の涙が零れ落ちた。


「終わってしまった……」


 小さな声だった。誰に向けた言葉でもない。独り言のような呟き。


「全部……終わってしまった……また、あの結末を見なければならないなんて」


 なんで、そんな顔をするのだろうか。人が勝った。毒霧も消えた。誰も死ぬことはない。助かったじゃないか。そう思うのに、千代女さんの姿は、どう見ても救われた人間のそれではなかった。

 

 やがて、彼女は震える手を胸元へ伸ばしていく。


 俺は……知っている! 彼女の懐に隠されているものが何かを!


「千代女さん!」


 彼女の名を叫ぶ。虚ろな目をしたまま、千代女さんが静かに微笑む。どこか諦めたような、壊れてしまったような笑み。


「ごめんなさい」


 誰に向けた謝罪だったのか、分からない。母親か。天蛇か。それとも、世界か。


「私は……」


 銀色に光る短刀の切っ先が胸元へと向けられる。


「もう役目を果たせません」

「くそっ!!!!」


 間に合えという気持ちで、俺は彼女へと必死に手を伸ばした。


 ゆっくりと胸元へと近づいていく刃。それが、まるでスローモーションのように見えた。


 俺はその刀身を——間一髪の所で掴むことに成功した。


 右手のひらに熱い痛みが走り、血が滴る。それでも、絶対に離すもんかと力を込める。


「やめろ!」


 俺が叫ぶと、千代女さんが目を見開いてこちらを見た。


「離してください!」

「嫌だ」

「離してください!!!!!」


 感情を剥き出しにした声だった。千代女さんの瞳からは、涙が溢れている。


「もう終わったんです! 全部……全部……失敗した!」


 彼女が何をそんなに絶望しているのか、俺には分からない。でも、この尋常ではない様子を見て、この人がどれだけ苦しんでいるのかだけは分かった。


「だからって死ぬな」

「何も知らないくせに!」


 それは悲鳴だった。蛇宴殿中に響き渡る絶望を、彼女は叫び続ける。


「透様には分からない! 私がどれだけ繰り返したと思っているんですか! どれだけ犠牲にして! どれだけ死を見送って! どれだけ耐えてきたと……」


 そこで、千代女さんは口を閉じた。言ってはいけないことを口にしてしまったかのように唇を噛み、必死に何かを耐えるようにしている。肩は震え、彼女の瞳から涙は止まらない。


 それでも、俺は短刀を離さなかった。手から血を滴らせながら、彼女に言葉を紡いでいく。


「だったら尚更ですよ。ここで死んだらダメです。一人で全部背負おうとしないでください」


 俺は真っ直ぐ彼女を見ながら続ける。


「何があったのか知らない。千代女さんが何を抱えてるのかも分からない。でも……」


 短刀を握る手に力を込める。


「死んだら終わりだ」

「……死んでも、終わりませんよ」


 長い沈黙が下りる。やがて、千代女さんの指から力が抜けていく。


 俺が手を離すと、カランと音を立てて血に濡れた短刀が床を滑り落ちていった。


 そして、千代女さんは糸が切れた人形のように、その場へ崩れ落ちた。


 嗚咽が響く。声を押し殺すような泣き声だった。


 俺は何も言えなかった。ただ、泣き崩れる彼女の傍に立ち続けることしか出来なかった。

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