第十六話:代償
夜の内に、俺は日葵と共に桑田家を訪れた。
日葵の口添えもあり、弁一さんと良二さんは見知らぬ俺の話を聞いてくれた。
もちろん、最初から全部を信じてもらえた訳ではなかった。俺が同じ時間を繰り返していること。これから蛇宴が行われること。毒霧によって全員が死ぬこと。
そんな話を信じろという方が難しいのだ。だが、俺が良二さんしか知らないはずの出来事を言い当てたことで空気が変わった。
「なんでお前がそれを知ってる!」
良二さんが顔色を変えて叫んだ。
園崎摩耶に連れられて、冥蛇が封印されている祠へ行ったこと。そこで摩耶さんに腕を切られ、冥蛇の封印が解かれたこと。誰にも話していないはずの事実を、俺が知っていた。その事実に、良二さんは慌てふためいた。
その後は予想通りというべきか、俺の話を聞いた弁一さんが激怒した。
「馬鹿野郎! 桑田家の血をなんだと思ってる! なんでそんな怪しい場所について行った!」
「摩耶さんに話があるからって言われたら、付いていくしかないだろ! 俺だって何が起きるか知らなかったんだ! 良く分からないまま急に腕を切られて、すぐにこの場を去れって言われて……その翌日に、摩耶さんが急逝するなんて思ってもいなかった!」
「ちょっとちょっと、今は喧嘩している場合じゃないんですけどー」
親子喧嘩が始まりかけたところで、日葵が止めに入る。少し時間がかかったが、落ち着きを取り戻した二人に対して俺が言えることは、俺の話が全て真実であると伝えることのみだった。
長い沈黙の後、弁一さんが深く息を吐いた。
「はあ……正直、まだ信じられん」
そう言った後、弁一さんは良二さんに鋭い目を向ける。良二さんはばつが悪そうに頭を掻いていた。
「……だが、バカ息子の反応を見るに冥蛇様の封印が解かれたというのは事実だろう。それを言い当てられたんだから、お前さんの言う事を真っ向から否定することはできないな」
腕を組んだ良二さんが、俺の前にドカッと座り、弁一さんの言葉に続く。
「……あの時の摩耶さんの様子は変だった。何かを成し遂げなければならないとか、そんな事を言っていて、不穏な空気を感じたのは事実だ。もし本当に霧が発生していて、みんなが死ぬ未来が待っているっていうんだったら、その責任の一端は俺にもあるんだろ……なら、何もしないでいる訳にもいかない」
そうして、俺たちは一つの作戦を立てた。
神託が告げられた瞬間、蛇役だと判明した人物を全員で取り押さえるという、単純明快な作戦。
【神を殺せし者】であれば、良二さんが弁一さんを抑える。
【神を解放せし者】であれば、弁一さんが良二さんを抑える。
そこは神託の内容を見て、臨機応変に判断する。
問題は、千代女さんだった。
「千代女ちゃんには、人の動きを止めるような力があるんだよね?」
日葵の言葉に、その場の空気が重くなる。前回の蛇宴で俺が実際に見た光景。千代女さんは一瞬で人の動きを封じてみせた。あの力を使われれば、取り押さえるどころではない。
「……対抗する方法はあるのか?」
弁一さんが低く尋ねる。その問いに、俺は静かに首を横へ振った。
「ありません」
その一言だけで、場が静まり返る。
「あの力の正体も、条件も分かりません。俺が知っているのは、人が抗えなかったという結果だけです」
良二さんが苦々しく舌打ちした。
「じゃあ、勝ち目なんてねえじゃねえか」
「確かに、反則的な力です。でも、その力がいつ発動するのか、どういう条件があるのか、それとも最初から自由に使えるのか。それすら分かっていません。でも、もし能力を使われる前に取り押さえられれば、人側にも勝機はあると思います」
「逆に言えば……その能力を使われたら終わりってことか」
俺の言葉に、思案していた様子の日葵が小さく呟く。誰も反論しなかった。
千代女さんという超常的な存在がいる限り、この作戦に確実性などない。それでも、他に方法は思いつかなかった。
「何もしなければ、全員死にます」
その事実だけは変わらない。なら、出来ることをやるしかない。
「だったら、一パーセントでも可能性がある方に賭けるしかありません」
その場に長い沈黙が流れる。やがて弁一さんが、小さく息を吐いた。
「そうだな……千代女ちゃんの力がどれほどのものか知らん。だが、何もせず死ぬ気はない」
「失敗したら、その時はその時だな。最初から諦めるよりはマシだ」
見た目通り、桑田家の二人は随分と肝が据わっているようだ。死ぬかもしれないという未来を聞いても、慌てふためくこともなくそんな言葉を口に出来るのだから。
「もう一つ決めておきたいことがあります。もし、俺が蛇役だった場合です」
そう、その可能性がまだ残っている。
「神託と人の結びつきは話した通り、日葵が【禁忌を暴こうとする者】、弁一さんが【神を殺せし者】、良二さんが【神を解放せし者】、そして冨喜さんについてはまだ分かりません。ただ、知らない神託が告げられ、俺が蛇でないと分かっている状況であれば蛇は冨喜さんで決まり。作戦行動に移る事が出来ます。問題は、神託に該当する人物が俺だった場合です」
冨喜さんと結びつく神託の内容が分からない以上、神託が告げられた瞬間に、俺が蛇役となった場合には俺と冨喜さんのどちらが蛇かを判断するのが難しい状況が生まれてしまう。
「俺の知らない神託が告げられ、冨喜さんが蛇だと俺が確信した場合には、すぐにみんなへ合図を送ります。それが出来なかった場合、俺が蛇役となったと思ってすぐに取り押さえてください」
俺が蛇役となる可能性が捨てきれない以上、こういった合図を事前に決めておくべきだった。少しでも作戦成功の確率を上げるために、考えられる可能性への対処は事前に決めておく必要がある。
その後も、夜通し蛇宴で人側が勝つための議論が進んだ。
気が付けば、窓の外が白みはじめ、決戦の時間が近づいていた。
◇ ◇ ◇
弁一さん、良二さん、日葵が俺から情報を与えられているという事実を千代女さんに悟られないよう、蛇宴が始まるまでは、なるべく前回と同じ展開をなぞる事になった。
夜明けと共に俺は桑田家を後にして、山道での冨喜さんとの邂逅を経てから平地へと戻っていく。その場には既に全員が集まっており、重々しい雰囲気を作っていた。
俺と千代女さんは、何も話さなかった。二人で話した時間を省略し、全員で神社の方へと向かった。既に何度も繰り返している俺は、蛇宴のことを熟知している。もう千代女さんから説明を受ける必要もないと、俺は彼女と視線を合わさず拒絶の意思を見せた。
なんとなく千代女さんが俺に寂しそうな目を向けていた気がしたが……それはきっと気のせいなのだろう。
そして、俺が繰り返してきた展開通りに、蛇宴殿へと到着する。
ここまで来る過程で、俺がすべてを話した三人からは今まで以上に緊迫した様子が感じられた。当然だろう。俺の話通りに全てが進んでいるのだから。ここまでくれば、俺の話が真実であると理解したはずだ。
それぞれがいつもの定位置で足を止める。勝てる保証などどこにもない。それでも、一人で挑んでいた前回とは違う。今回は三人が味方だ。その事実だけが、俺を支えていた。
蛇宴殿の中央、祭壇に立った千代女さんが静かに目を閉じる。
神々しい光、白き大蛇、環世之天蛇。何度見ても息を呑む光景。やがて天蛇の姿が霞むように消えていき、神託が告げられる。
「神託は――月に導かれし者」
神託を聞いた瞬間、俺の全身から血の気が引いた。
知っている。この言葉を。いや、知っているどころではない。
月——すなわちそれは、俺に関連することだ。
神託が告げられた瞬間、不思議な確信が胸に生まれる。蛇は俺だ。間違いない。そう悟った瞬間、胸の奥から湧き上がってくるのは怒りだった。こいつらを全員、殺してしまいたい。そんな思考で頭の中が埋まってしまう。
「透くん?」
日葵が不思議そうに、俺へと目を向ける。俺は何も答えずに、日葵を睨みつけた。
日葵と数秒だけ目が合い……そして聡い彼女はすぐに行動を開始する。
「弁爺、良兄! 透くんが蛇だ!」
その叫びが蛇宴殿に響いた。
次の瞬間——弁一さんと良二さんが同時に動いた。
獣のように身を低くさせ、俺の隣にいた良二さんがこちらへと突進してくる。
弁一さんは、祭壇の上にいる千代女さんへと駆けていく。
その様子を、俺は冷めた視線で見つめていた。
無駄だった。力を使われる前なら勝てるかもしれない。そんな希望は、最初から存在しなかった。
俺は、蛇役となることで全てを悟ってしまった。俺たちが立てた作戦は成功しない。蛇神の力に対し、何の対抗手段も用意していないこの状況では絶対に成功しない。冥蛇の依り代となった俺を抑え込むなど、絶対に出来ない。
蛇眼を使えるのは千代女さんだけではない。冥蛇の依り代となった俺も、その力を扱えてしまう。その事実は、いまのいままで知らなかったことだ。
「ぐあ……なんだ、身体が動かねえ」
「むっ……どうなっている」
突進しようとしていた良二さんと弁一さんが、呻くように声を上げる。睨みつけた全員が、その場から動かなくなった。良二さんと弁一さんだけではない。日葵と、冨喜さんも驚愕の表情を浮かべてこちらを見たまま動きを止めている。
唯一、千代女さんだけが緩慢な動作でこちらへと視線を向けていた。その目に、蒼く光る蛇の目を宿しながら。
きっと、俺も同じような目をしている筈だ。紅く光る冥蛇の瞳を宿して、ここにいる人間を睨みつけているのだろう。
人側は誰一人動けない。ただ時間だけが過ぎていく。ゆっくりと、残酷な程にゆっくりと。
そして、蛇宴殿の外から霧が流れ込んできた。時間切れ。それはつまり、蛇の勝利を意味する。
俺のすぐ背後で、重苦しい笑い声が聞こえた。俺の足元から、黒い靄が湧き上がる。頭上を見上げると、そこに黒き大蛇の姿があった。
冥蛇の依り代となったことで、その存在に対する畏怖の感情がより鮮明となった。
環世之冥蛇。その紅く光る瞳が、俺だけを見ていた。
蛇宴殿の中を覆う霧が濃くなっていき、次々と人が倒れていった。どういう訳か、俺は息苦しさを感じない。きっとそれは、冥蛇の依り代となった事が理由なのだろう。
天蛇の依り代である千代女さんが、祭壇から降りてきた。真っ直ぐ俺の元へ歩いてくる。そして、俺の手を取った。その手は恐ろしいほどに冷たかった。その冷たさが冷徹さを装っているだけの彼女の心情を表しているかのように思えた。
「透様」
優しい声で俺の名を呼びながら、千代女さんは俺を祭壇の上へと導ていく。
「これから、円環を形成します」
意味は分からない。だが、身体が勝手に理解していた。
俺と千代女さん。天蛇の依り代と冥蛇の依り代。
二人が揃うことで、円環と呼ばれる何かが完成する。
世界を覆う巨大な円環。俺は今から、それを形成するための礎になるのだ。
祭壇の中央、俺と千代女さんが向かい合って互いに手を取ると、床に描かれている模様が光を帯びていく。
黒と白、顕現した二匹の大蛇が互いの尾を喰らいながら空へ昇っていく。
神々しさを感じるその光景は、あまりにも美しかった。
その代償として、俺の命が削られていくのが分かった。
冥蛇の依り代となる事への代償——それは死だ。
天蛇が生を司る神なのであれば、冥蛇はその逆で死を司る神。
死ぬことを、本能的に悟った。意識が沈み始め、俺は祭壇の上から転げ落ちる。
「透様……また、次の世界で会いましょう」
俺が最後に見た光景は、巫女装束の胸元から短刀を取り出し、それを自分の左胸へと突き立てる千代女さんの姿だった。




