第十五話:光明
完全に詰みだった。
何をどうしても、この繰り返しから逃れることは出来ない。
そう思った瞬間、苛立ちと恐怖が同時に押し寄せてきた。
「クソッ……」
吐き捨てるように呟き、膝をついて両の拳を地面へと叩きつける。
痛い。だが、その痛みすら現実味がない。
結局、俺はまた死ぬのだろう。そして、また同じ時間を繰り返す。
何度繰り返しても、何も変わらない。人が勝つことは出来ない。
千代女さんは、反則だろうと思わずにはいられないほどの不思議な力を隠し持っている。その力によって、蛇を勝たせるという彼女の目的は必ず達成される。そう考えると、立ち上がる気力すら失われそうだった。
相変わらず、藪の中では蛇が俺を睨んでいた。まるで、俺のこの状況を楽しんでいるようにも見えた。それが更に俺の神経を逆撫でしていく。
だが、いつまでもこうしている訳にもいかない。蛇を睨み返したところで状況は改善しない。俺はバイクをその場に放置して、重い身体を引きずるように歩き始めた。
本来なら、神社か桑田家へ向かうべきなのだろう。バイクの転倒で負った全身の痛みを、治癒の力で治してもらうか、怪我を手当てしてもらうかすれば、楽になることは分かっている。
だが、そのどちらにも足を運ぶ気にはなれなかった。
この状況で、千代女さんとは顔を合わせたくない。また誘惑でもされたら、絶望の淵に沈んだ俺は彼女に救いの手を求めて、抗えなくなってしまう気さえした。なんにせよ、彼女と話せば心を乱される事は間違いない。
そう思った俺は、神社へ続く石段を素通りする。そして、桑田家のある平地へと出た。桑田家へ行き、弁一さんに怪我を手当てしてもらう選択肢もある。だが、どうしてもその気になれないのは、良二さんのせいだろうか。
彼は言ってしまえば、この状況を作り出した元凶だ。千代女さんの母親である摩耶さんに誘われたかなんだか知らないが、彼が冥蛇の封印を解かなければこんな事態には陥っていなかった筈だ。極限状態となった今の状況で彼と会ってしまったら、その怒りをぶつけてしまいそうな気がした。
そこでふと、一人の少女の姿が脳裏をよぎる。
森上日葵。一周目では蛇だった少女。
二周目では俺を庇い、三周目でも、その姿に似つかわしくないほどの頼もしさを蛇宴では見せていた。
少なくとも、千代女さんとは違う。俺の知る限り彼女は俺を誘惑することもなければ、殺そうともしていない。
そんな事を考えながら歩いているうちに、気付けば川に続く小道へと足を踏み入れていた。
川岸には、もう見慣れた緑色のテントが張られている。夜に彼女と会うのは初めてだった。テントの入り口が開かれており、ランタンの灯りがテントの中で揺れているのが分かった。
テントの中にはアウトドアチェアに座り、本を読む日葵の姿があった。肩まで伸びた黒髪と、黒縁眼鏡。小柄な体躯に、くりくりとした瞳。
俺が川岸にある砂利を踏みしめ、テントの入り口へと近づくと、彼女はこちらの存在に気が付き、首を傾げた。そして開口一番、彼女から発せられたのはやはりあの言葉だった。
「痴漢?」
「違う」
「変態?」
「違う」
「じゃあ、私のファン?」
「……大体合ってる」
「え、認めた!」
日葵がケラケラと笑う。その笑い声を聞いていると、少しだけ肩の力が抜けた。
こんな状況だというのに、少しだけ……本当に少しだけ、救われた気がした。
「で? どちら様? 今にも死にそうな顔してるけど」
「そんな顔してるか?」
「してるしてる」
初めて会うはずの見知らぬ男である俺に臆することなく、日葵は親しみやすい笑みを浮かべる。
「世界が終わる三日前、みたいな顔してる」
思わず苦笑する。半分くらい当たっているからだ。
「まあ、そうだな。ある意味では、俺の世界は終わるんだけどさ」
「え?」
口が滑った。しまったと思った時には遅い。日葵が目を細める。
「今の気になるなー」
「忘れてくれ」
「やだー」
即答だった。俺に興味を持ったのか、日葵は本をテントの中に置くと、アウトドアチェアから勢いよく立ち上がって俺の傍へとやってきた。その後も日葵はしつこかった。しつこく、遠慮なく、容赦なく俺に質問を投げ続ける。
「ねえねえ、終わるってどういうこと? 教えて教えて、教えてよー。気になる気になる気になるからさー」
その姿は、まるで獲物を追い詰める猟犬だった。
やがて俺は、あまりのしつこさに根負けしてしまい、こんなことを考えてしまった。どうせ、打つ手はない。それはもう、嫌というほど思い知らされている。それなら、俺のこの状況をすべて打ち明けてしまっても良いのではないかと。
「……信じなくてもいい」
「うん」
「でも、良かったら聞いてくれ」
俺はそう前置きして、日葵に全てを話し始めた。
何度も同じ時間を繰り返していること。明日、蛇宴が執り行われて全員死ぬこと。
千代女さんという存在によって、どうあがいても蛇が勝つこと。
余すことなく、俺が経験してきた全てのことを彼女に伝えた。
俺の話を最後まで聞き終えた日葵は、しばらく黙り込んでいた。流石に信じられなかったのだろう。そう思っていたのだが……。
「それで?」
予想外の言葉が返ってきた。
「それで月代透くん。君はどうしたいの?」
「どうしたいって……」
「蛇宴で人を勝たせたいんでしょ?」
その通りだった。千代女さんが蛇を勝たせようとしている以上、その逆を行かなければならない。だから、俺は自然と頷いていた。
「だったら答えは簡単じゃん」
「簡単?」
「うん」
日葵は当然のように言った。
「千代女ちゃんを止めればいい」
俺は思わず目を瞬かせる。
「いや、それができないから困ってるんだけど」
「なんで?」
「なんでって……」
逆になんで、分からないんだ。
「千代女さんは天蛇の依り代だぞ」
「うん」
「人間じゃないような力を持ってる」
「うん」
「前回の蛇宴では、金縛りみたいなことまでしてきた」
「うん」
「だから――」
「でも人間じゃん」
言葉を遮られた。俺は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「え?」
「だから、千代女ちゃんは人間じゃん。確かに、人の怪我を癒したり、身体を動けなくしたり、凄い力は持ってるんだろうけどさ」
蛇宴の時にも見せた仕草。肩を竦めながら、日葵はにやりと笑う。
「腕四本ある訳じゃないでしょ?」
「まあ……ないけど」
「熊みたいに身長が三メートルあるわけでもないよね?」
「ないな」
「じゃあさ、もう力づくで押さえつければ良くない?」
あまりにも単純な答えだった。だが……その発想は俺には浮かばなかった。
「いや、待て」
「ん? なにさ?」
「そんな簡単な話じゃないだろ」
「そうかなー? 少なくとも、蛇宴の参加者には千代女ちゃんより力の強い男が三人もいるじゃん」
俺の脳裏に二人の顔が浮かんだ。桑田弁一と、桑田良二。筋骨隆々な親子。
「まさか……」
「そう、弁爺と良兄……そして君。千代女ちゃんが何かしてくるなら、その前に協力して取り押さえちゃえば良いよ」
「いや、でも蛇役の人は? 多分、蛇役となった人は千代女さんの味方だ」
「その人も同じだよ。蛇役が分かった時点で、千代女ちゃんと一緒に取り押さえる。そのまま蛇を指名して、人の勝ちにしちゃえばいいじゃん」
俺は空いた口が塞がらなかった。そんな物理で殴るみたいな方法は、絶対に俺には思い浮かばなかった。
「千代女ちゃんが反則紛いの力を持っている以上、普通に蛇宴で勝つのは無理。勝てないと分かっている以上、こっちだってルールの中で戦う必要なくない?」
俺は言葉を失った。今までの俺は、ずっと蛇宴のルールの内側で勝とうとしていた。神託を読み解き、蛇を探し、最後の指名で蛇を見つけて人が勝つ。そういうゲームだと思っていた。
だが違う。俺の目的は蛇宴に勝つことではない。生き残ることだ。
「なるほど……そうか、そんな方法もあるのか」
思わず呟く。真っ暗だった視界が、開けた気がした。
それは乱暴な作戦だった。だが、今まで考えたどの方法よりも現実的だった。少なくとも、初めて勝てるかもしれないと思えた。
絶望に立たされていた俺にとって、日葵の存在はまるで暗闇の中に差し込んだ一筋の光のようだった。




