第十四話:狂宴
好きな場所で休んでくれと言い残し、千代女さんはどこかへ姿を消した。
まだ聞きたいことは山ほどあったが、あれだけ明確に敵対する姿勢を見せられた後では追いかける気にもなれない。
俺は居間の畳に身体を横たえ、これまで得た情報を整理し始めた。
先ず、蛇棲ヶ迫には二柱の蛇神が存在する。
癒しと生を司る白蛇――天蛇。
毒霧と死をもたらす黒蛇――冥蛇。
過去、この地に災厄をもたらした冥蛇は、火縄銃の名人であった弁之助によって討たれ、園崎家の巫女によって封印された。
その封印が解かれてしまった事により、今回の事態が発生した。
冥蛇の封印が解かれた事によって神野山一帯に毒霧が発生し、それを鎮めるために巫蛇神宴と呼ばれる儀式が執り行われる。
問題はそこから先だ。千代女さんはその儀式について、一つの嘘を盛り込んでいた。蛇宴を遂行すれば全員が助かると、そう説明していた。
だが実際は違った。蛇が勝利した瞬間、冥蛇が顕現した。そして、その口から放たれた毒霧によって、その場にいた人間が全員死んだ。少なくとも俺は二度、それを見ている。
このことから、千代女さんが蛇を勝たせようとしているという結論に辿り着いた。
ならば、死なないために俺が取るべき行動は一つ。人を勝たせること。それだけが、この狂った状況を打破する唯一の道だ。
俺には、一つの武器がある。それは、時間が巻き戻っても残っている記憶だ。
【禁忌を暴こうとする者】
【神を殺せし者】
これまでに出た神託を、俺は覚えている。これは巫蛇神宴という儀式において、人側を勝たせるための大きなアドバンテージだ。
次も同じ神託なら、それに対応する蛇役の人物を、俺は指名することができる。
少なくとも千代女さんにとって、俺が脅威である理由はそこにあるはずだった。だからこそ、千代女さんは誘惑までして俺を取り込もうとした。
彼女がそこまでする理由を、俺は知らない。
千代女さんは使命だとか言っていたが、そのために命を投げ出すつもりはない。
絶対に負けられない……そう決意しながら、俺は一睡もできないまま朝を迎えるのだった。
◇ ◇ ◇
そして、三度目の蛇宴が始まる。
蛇宴殿の中央。祭壇の上には千代女さんが立っている。参加者は、俺を含めて五人。
もう何度も見た光景だ。それぞれの参加者が祭壇を囲む。円を描くように並び、神託が告げられる瞬間を待つ。
静寂の後、環世之天蛇が顕現する。何度見ても、その圧倒的な存在感には平伏してしまいそうになる。天蛇の姿が薄らいでいくにつれ、その神威を前に強張っていた身体から力が抜けていく。
やがて、千代女さんの形の良い唇がゆっくりと開く。
「今宵の神託は――神を解放せし者」
知らない神託だった。そこから分かるのは、弁一さんと日葵が蛇ではないということだ。
【禁忌を暴こうとする者】でもない。
【神を殺せし者】でもない。
つまり今回の蛇は、これまでとは別人……と、俺がそう考えた次の瞬間だった。
「良二……やはり、お前だったのか」
低く唸るような声が蛇宴殿の中に響いた。声の主は弁一さんだった。その鋭い視線が、真っ直ぐ良二さんへと向けられている。
静かに睨む弁一さんに対し、良二さんの顔色が更に青白くなっていた。蛇宴が始まる前からずっとそうだったが、今はさらに酷い。血の気が完全に失せていて、唇が震えている。
「まさかとは思っていたが、神を解放せし者。その神託で確信した。冥蛇の封印を解除したのは、お前だな。良二!」
良二さんの肩が震えた。横にいる日葵も、冨喜さんも驚きに目を丸くしている。俺だけが、事情を理解できていないようだった。
「どういうことですか?」
思わず尋ねると、弁一さんは良二さんから視線を外さぬまま答えた。
「俺が父から伝え聞いた話によれば、この地に封印されている冥蛇の封印を解くには、弁之助の血が必要なんだ。冥蛇の封印が解かれたと聞いた時から、頭を過ってはいた。息子が封印解除に関わっているんじゃないか……いや、そんなことあるはずがないと無理やり否定はしていたが……」
弁之助……また、その名前だった。桑田家の先祖であり、この地に伝わる英雄の名前。
「弁之助の血がどこかに保管されていて、それを誰かに利用されたのではないかとか、可能性の低い推論に逃げていたが、天蛇様の神託がそう告げているのであれば、もう否定はできん。冥蛇の封印を解いたのは、お前しかいない」
つまり弁一さんは【神を解放せし者】が冥蛇の封印解除を意味するのであれば、神託に当てはまる人物は、良二さんだけだと言っているのだ。
「違う!」
良二さんが叫んだ。
「俺はただ摩耶さんに呼ばれただけなんだ!」
「摩耶さんだと?」
「本当だ! 封印の祠があるって言われて……ついて行っただけなんだ!」
良二さんの額から汗が流れ出ている。その様子から、怯えているようにも見えた。
「そこで腕を切られたんだ! 俺だって一瞬のことで、何が起きたのか分からなかったんだよ!」
良二さんの告白に、その場が沈黙に包まれた。
数か月前に亡くなった、千代女さんの母親。
園崎摩耶。
その名前が、ここで出てくるとは思わなかった。
そして、良二さんはいま自白したのだ。自分が冥蛇の封印解除に関わったと。
「……ねえ、話の続きは後でもいいんじゃない?」
口を開いたのは日葵だった。全員の視線が日葵へと集中する。
「蛇って、もう良兄で確定でしょ? 冥蛇を解放した人間がいるなら、その人が神を解放せし者なんだから」
その言葉には、誰も反論しなかった。
「確かにそうねえ」
冨喜さんも、日葵の意見に同意する。
「言い争う時間も勿体ないし、まずは蛇宴を終わらせた方がいいと思うわ」
最年長である冨喜さんの提案に、弁一さんは険しい顔のまま息を吐く。
「……そうだな」
そして、良二さんを睨んだ。
「話はその後だ」
展開を見守っていた俺の胸に、希望が灯っていく。
勝てる。今回こそは人側が勝てる。神託の意味するところが冥蛇の封印解除であることは間違いないだろう。良二さんもそれを認めるような発言をした。つまり、この場にいる全員が、蛇は良二さんだと理解している。ならば、全員が良二さんへと指を向けるのは自明の理だ。
人が勝つ。そうすれば――新しい未来が切り開ける。
「じゃあ、もう指差しに移ろうか」
日葵が言った——その瞬間だった。全員の動きが、まるで石化したかのように止まった。
「……え?」
身体が動かない。指一本動かせない。まるで、全身が麻痺したかのようだった。
なんとか視線だけを動かし、周囲の状況を確認する。
そして、俺は見た。
祭壇の上、千代女さんが目を見開いていた。
蒼く輝く蛇の瞳を宿し、その視線が俺たちへと順繰りに向けられていく。
俺たちは、蛇に睨まれた蛙。まさにその状態だった。
誰も動けない。誰も指差すことができない。
つまり、この状況が意味することは……。
俺はこの状況に陥ってはじめて思い出していた。
蛇の勝利条件。その一つを。
制限時間内に、蛇を指名できないこと。
ああ、そういうことかよ……と理解する。
この儀式は、最初から人が勝てないようになっている。
霧の到達までに俺たち全員が動けないのであれば、時間制限で蛇の勝ちだ。
こんなの反則だ。
誰が勝てる。
どうやって勝てというんだ。
絶望が胸を満たしていくのと同時に、毒霧が蛇宴殿へ流れ込み始める。
視界が白く染まり、肺が焼け、喉が潰れる。
血の味と、床に叩きつけられる衝撃。
結局、俺は今回も何もできないまま、三度目と思われる死を迎えた。




