第十一話:再宴
思考を放棄して立ち止まっている訳にもいかない。この状況を理解し、打破するためには何かしら行動を起こさなければならないのは明白だった。
俺は、まるで敵対するような言葉を残した千代女さんの後を追い、やがて神社へと到着する。
やはり、その後の展開も俺の記憶通りに進んでいった。ただ、俺と千代女さんが前回とは違う行動を取っているせいかは分からないが、若干誤差のようなものも生まれていた。
例えば、千代女さんの嘘について。前回の記憶では、冨喜さんは蛇宴が開始した直後に勝敗の重要性について質問していた。でも、今回は蛇宴殿へと向かう道中で、その質問が冨喜さんの口から発せられたのだ。
蛇宴での勝敗は関係ない。儀式さえ遂行すれば、冥蛇の怒りは鎮まる。千代女さんの答えを聞いて、俺はすぐにでも、それは嘘だと声を上げたかった。
しかし、それは得策ではないとすぐに思い直した。この集落の人間ではない俺がそれを声高に叫んだところで、立場を悪くするだけだ。
ただ、誤差のようなものであれ記憶と違う展開が生まれるというのは、俺にとっては希望だった。うまく立ち回りさえすれば、死を回避できるかもしれないからだ。
そんな希望を胸に抱いたまま、俺は蛇棲ヶ迫の面々と蛇宴殿の中へと入っていく。
俺にとって、二度目となる蛇宴が幕を開けようとしていた。
千代女さんに案内され蛇宴殿へと足を踏み入れた後、中央の祭壇を囲むようにして立つ五人の参加者。
それぞれの配置も、蛇宴殿の中を漂う張りつめた空気も前回とほとんど同じ。記憶と違うのは、俺と千代女さんだけなのだろう。
俺と千代女さんは既に知っている。これから、蛇宴がどのようにして進んでいくのかを。
神託は【禁忌を暴こうとする者】だったか。
その神託に当てはまる人物は、日葵。つまり、蛇役となるのは日葵だ。彼女が議論を誘導し、最後には蛇として勝利する。その結果、冥蛇が顕現し、毒霧が蛇宴殿を飲み込んだ。
人側だった俺たちは、血を吐いて全員死んだ。この結果を避けるためにはどうすれば良いか。俺が導き出した答えは単純だ。
蛇役である、日葵を勝たせなければいい。
蛇が誰かを暴き、人が勝つ。それで、未来は変わるはずだ。
冨喜さんは前回、日葵に票を入れていた。俺の票も加わり、二票が日葵に入ることは確定している。
あとは弁一さんか良二さんのどちらかを説得できればいい。そうすれば、人側が勝つ。そして、全員が助かる——そんな希望を俺は抱いていた。
だが……その希望は、一瞬で打ち砕かれることになった。
記憶と同様に、天蛇が千代女さんの傍らに顕現した後、やがてその神々しい姿を消失させる。
「天蛇様より神託が下りました」
祭壇の上で目を閉じていた千代女さんが、静かに口を開く。凛とした声が蛇宴殿の中に響き渡った瞬間、全員に緊張が走ったのが分かった。
神託が告げられる。
「神託は――神を殺せし者」
その言葉を聞いた瞬間、全身の血が引いたような感覚に襲われた。
神託が記憶と違う。
【禁忌を暴こうとする者】ではなく【神を殺せし者】と告げられた。
俺が知っている神託ではないという事実に、頭が真っ白になる。未来を知っているという唯一の武器が、全く機能しない事実に絶望する。
不意に視線を感じ顔を上げると、祭壇の上の千代女さんが薄く目を開いていた。その瞳は真っ直ぐ俺を見ている。まるで、俺の反応を観察するように。俺はその視線を黙って受け止めることしかできなかった。
「良二、さっきから顔色が悪いな」
最初に沈黙を破ったのは、弁一さんだった。視線が良二さんへと集中し、俺もつられるようにそちらを見る。
前回から思っていたことだが、良二さんの様子は確かにおかしい。
昨晩まで見せていた豪快さが嘘のように顔色は悪く、議論が始まってからも落ち着きなく周囲へ視線を向けるだけで、ほとんど口を開いていない。
「何か気になることでもあるのか?」
「別に……何もねえよ」
弁一さんからの質問に返答する良二さんの声には力がない。
「そうは見えんがな」
弁一さんは腕を組みながら良二さんを見据え続け、やがて小さく呟いた。
「神を殺せし者、か……」
「弁ちゃん、何か心当たりでもあるの?」
冨喜さんの問いに、弁一さんは苦い顔をした。
「その呼び方はやめてくれって、何度も言ってるだろ」
そう言いながらも話を続ける。
「この蛇棲ヶ迫で信仰心の薄い……神を信じていないのは、良二くらいだろうからな」
その言葉を聞いた瞬間、良二さんの顔色がさらに悪くなっていった。
「なるほどねー」
言いながら日葵が腕を組む。
「神を信じない人間だから、神を殺せし者ってこと?」
「そういう意味だ」
「まあ、言いたいことは分かるけど」
日葵が肩を竦める。その目は、弁一さんへと向けられている。
「私はもっと単純な意味だと思うけどなー」
「単純?」
「蛇棲ヶ迫に伝わる伝承から考えるのであれば、神を殺せし者って言ったら、弁之助じゃん」
その場の空気が、僅かに変わった。
「まあ実際には殺した訳じゃないんだろうけれど、弁之助によって冥蛇様が弱り、この地に封印されたっていうのは伝承が語る真実だよね。そう考えると弁之助の子孫にあたる桑田家……弁爺も候補に入るよね?」
痛いところを突かれたとでも言うように、弁一さんの眉がぴくりと動く。
桑田家が、伝承に登場する弁之助の子孫に当たることには、少なからず驚かされた。俺の知らなかった情報だ。
弁之助。伝承の中で冥蛇を撃ち抜いた火縄銃の使い手。そして、桑田家の祖先であるという事実。神を殺せし者という神託に当てはめるなら、日葵の言うことは、確かに自然な解釈だと思えた。
「だからさ、良兄か弁爺。この二人のどっちかで考えればいいんじゃない?」
議論をまとめようとした日葵を制したのは、弁一さんだった。
「待て。俺と良二、二人に選択を絞るのは早計じゃないか? 透については、何も分かっていない。神託に当てはまらないとは言い切れんだろう」
俺は思わず反論しようとした。だが、それより早く日葵が口を開いた。
「いやいや、それはないと思うけどなー」
日葵に即答された弁一さんが、険しい表情を見せる。それに臆することなく、日葵が言葉を続けた。
「ここで候補増やして票を散らす必要ある? 蛇棲ヶ迫の歴史を知ってたら、神を殺せし者が桑田家の人間を指す可能性が高いってすぐ分かるじゃん」
そこまで言って、日葵はにやりと口元に小さな笑みを浮かべた。
「弁爺、今のは悪手だよ」
「……何?」
「票をばらけさせたいようにしか見えないもん」
その姿に、俺は思わず感心してしまった。前回もそうだった。日葵は議論の流れを作るのが上手い。人を誘導するのが上手い。だからこそ、前回も蛇として勝てたのだろう。
「でもねえ……」
冨喜さんが困ったように笑いながら、二人のやり取りに割り込んだ。
「弁ちゃんの言うことも分かるのよ」
「ばあちゃんまで?」
「透くんの素性が分からないというのは勿論のことだし、後は良ちゃんのこと。良ちゃんが蛇神信仰を嫌ってるのは、有名だもの。それに、信仰の消失が神を殺すというのは事実よ」
信仰の消失が神を殺す。それを事実であるかのように断言する冨喜さんには、どこか達観した様子がうかがえた。まるで、彼女だけが全ての真実を知っているかのように。
「ねえ、ばあちゃん。今の言葉、もしかして禁忌に関連してたりする?」
「さあ、それはどうかしらねえ」
「……ちぇ、そうやっていつもはぐらかす」
……なんだ、今のやり取り?
まるで、二人だけで秘密の会話をしているように聞こえた。
「まあ、今は良いか。とりあえず、議論を進めよう」
気になるやり取りがあったものの、日葵の言葉で議論は続いていく。
だが、俺はほとんど口を挟めず、今回の蛇宴においても成り行きを見守ることしかできなかった。
神託が変わったことで、未来が変わってしまった。俺の記憶は、もはや絶対ではないという事実を突きつけられ、動くことができなくなってしまった。
「さて、とりあえず時間もないし、議論はここまでかな」
時間も差し迫っていたため、日葵のその一言で議論は終わることとなった。
「それでは、蛇だと思う者を指差してください」
千代女さんが静かに告げると、全員がゆっくりと右手を上げ、蛇だと思う者へ人差し指を向けていく。
弁一さんは良二さんへ。
良二さんは弁一さんへ。
冨喜さんは良二さんへ。
日葵は弁一さんへ。
そして俺は……迷った末に良二さんを指差した。
神託が違うことから、日葵が前回とは違い、人側であることは明白だ。
議論の中心となっていた【神を殺せし者】が、桑田家のどちらかを指しているというのも納得だった。
良二さんと弁一さん、このどちらかで間違いないという思いがありつつも、俺が良二さんを選んだのはやはり、その様子が明らかにおかしいからだ。
日葵の言い分にも理解できるところはあったが、反論もせずに動揺だけしているような態度は明らかに怪しく映ってしまう。
神託が告げられた瞬間からずっと怯えたように落ち着かず、何かを隠している……そんな気がしてならなかった。
そんな考えから、俺はゆっくりと良二さんへと指を向けていた。それが間違いだったと気付いたのは、すぐ後のことだった。
ぞわりと、背筋を氷でなぞられたような感覚が走る。蛇宴殿の空気が変わる、この感じ。嫌というほど知っている。
前回と同じ、それは死の前触れだった。弁一さんの傍に、黒い靄が渦を巻いて出現する。やがてそれが、巨大な蛇の姿を形作った。
冥蛇。紅く光る瞳を宿した黒き大蛇。
俺はその光景を前に絶望する他なかった。蛇役となった人物が違う。神託も違う……それなのに結果は同じ。
蛇が勝ったのだ。そして、俺は改めて思った。
やはり蛇を勝たせてはいけない。
人を勝たせなければならない。
死の恐怖によって震える体を両手で抑えながら、俺はそれを確信した。
冥蛇の口から、毒霧が溢れ出す。せめてもの抵抗にと、俺は口元を押さえ、咄嗟に息を止めた。
必死に息をこらえる。その中で、視線だけを祭壇へ向け続ける。
日葵。冨喜さん。良二さん。一人、また一人と血を吐いて倒れていく。
そして祭壇へ歩み寄る二人。千代女さんと、弁一さん。
二人は祭壇の上で向かい合い、互いの両手を合わせながら何かを話している。何を話しているのかは、よく聞こえない。
霧がどんどん濃くなっていき、どんどん意識が遠のいていく。
「がはっ――!」
不意に、祭壇の上にいる弁一さんが血を吐いて倒れた。
そのまま祭壇の上から崩れ落ちていく弁一さんの様子を、俺は呆然と見つめた。
蛇役も死ぬのか——そんな事を、朦朧とする意識の中で思う。
視界が暗くなっていき、肺が悲鳴を上げる。限界だった。堪えきれず、俺は大きく息を吸い込む。毒霧が肺の奥へ流れ込んでいき、胸に激痛が走る。
「げほっ!!」
口の中に血の味が広がる。俺はその場に崩れ落ち、やがて意識は闇へと沈んでいった。




