お嬢様じゃないんです、エセなんです
魅了の魔力に包まれた頭領は、もうガタガタと震えることも、無様な命乞いをすることもしなくなりました。
ただ、蕩けたような締まりのない笑みを浮かべ、虚空を見つめています。
彼の脳内では今、甘い蜜の香りに誘われ、美しい乙女……いいえ、底なしの沼に優しく抱きしめられる、甘美で残酷な夢が繰り広げられているのでしょう。
(……ふん。起きたら何一つ覚えていない、まさに泡沫の夢だな。だが、その夢の中なら、隠し事なんてする気も起きないだろう)
私の脳内で、ミコトさんはどこか呆れたような、それでいて確信に満ちた声を出しました。
私はトロンとした瞳の頭領に、もう一度だけ、鈴を転がすような澄んだ声で問いかけます。
「ねえ、教えて? 本当は、誰がその村を狙えと言ったの? 大河の船を襲う計画についても……全部、あなたと私の秘密にしちゃいましょう?」
「あ……あぁ……。そう、だ……秘密、だ……」
頭領は夢遊病者のように、うつろな声でポツリポツリと喋り始めました。
「あの村を……枯らして、住民を追い出せと言ったのは……あの商人の背後にいる、代官様だ……。あそこには、昔の鉱脈が眠ってるって……。邪魔な村人を消せば、独り占めできるって……」
(代官だと? ふむ、ただの商人同士の利権争いかと思っていたが、公権力まで噛んでいたか。面倒な構図だな)
「船の、計画も……俺たちだけじゃねえ……。川下の入り江に潜んでる『黒鮫団』が、本隊だ……。俺たちは、船を座礁させて……奴らが乗り込むのを手伝うだけの……下働き、なんだ……」
出るわ出るわ、さっきの命乞いの時には出てこなかった具体的で生々しい情報の数々。
代官という黒幕の存在、そして川下に潜む本隊の存在。これこそが、ミコトさんが求めていた『真実』でした。
「そう……よく言えましたね。とっても良い子。……ねえ、ミコトさん。この石ころ、もう用済みですよね?」
私は満面の笑みを浮かべたまま、脳内のミコトさんに問いかけました。
頭領がまだ夢から覚めないうちに、先ほど中断された『ロングシュート』を再開したくて、ウズウズしていたのです。
(……ああ。座標も、敵の戦力も、黒幕の名前も掴めた。もはや、この粗大ゴミに利用価値はない)
ミコトさんの冷徹な許可が、脳内に響き渡りました。
(それじゃ、行きますよぉ! 身体強化! 飛んでけー!)
ドォォォォォォンッ!!
身体強化の魔素を足先に一点集中させ、物理法則を無視した速度で振り抜かれた一撃。
夢の中で幸せそうに笑っていたはずの頭領の頭部は、抵抗を感じさせる間もなく胴体から泣き別れ、凄まじい衝撃波と共にアジトの壁へと叩きつけられました。
後に残ったのは、かつて人間だったものの名残である、生々しい壁のシミだけ。
(あはっ、綺麗に飛びましたねぇ。ね、ミコトさん。今の、いい角度じゃなかったですか?)
(……ああ。重心の移動、魔素の放出タイミング、共に完璧だ。さて――石ころの片付けは終わった。次へ行くぞ)
血の海の中で可憐に微笑む私と、それを見ても眉一つ動かさないミコトさん。二人はもはや、肉塊となった男には一瞥もくれず、淡々と今後の段取りを決め始めました。
(今回の件、元を正せば村の規模が小さすぎてギルドが状況を把握できていなかったのが原因だ。その上、代官という権力者まで噛んでいるとなると、俺たちが直接手を下し続けるのは非効率的すぎる)
(そうですね。悪いことをした人たちは、ちゃんとお役所……ギルドの人たちに怒ってもらいましょう)
ミコトさんの判断は冷徹でした。
特定した元締めや、裏で繋がっている複数の盗賊団、そして腐敗した代官の情報は、全てギルドに匿名で情報提供して丸投げすることに決めたのです。
(ギルドが重い腰を上げるまでは、あの村の罠と、バフでムキムキになった老人たちがいれば最低限の防衛は可能だろう。あそこまでエグい地獄を構築したんだ、並の賊なら返り討ちにできる)
(ふふっ、ミコトさんの罠、本当にえげつないですから。……じゃあ、私たちは私たちの道を邪魔する『大きなゴミ』を掃除しに行きましょうか)
次の標的は、既に定まっています。
狙うはレーネ大河を牛耳り、私たちの船旅を阻もうとする本隊――『黒鮫団』。
(それじゃあ、行きますよ。ミコトさん)
(ああ。航路の障害物は、今のうちに根こそぎ消去しておく)
夜色に染まった『星霜の蒼』がふわりと夜風に舞い、私は音もなくアジトを後にしました。
出る前は大騒ぎだった村も今は静寂を取り戻し、私は再び音もなく舞い降りました。
待ち構えていた村人たちの前で、私は夜色に染まった『星霜の蒼』を揺らし、静かに告げました。
「あの盗賊団は、もう二度と現れません。……ですが、聞き出した情報によれば、彼ら以外にも複数の組織がこの村を標的にしているようです」
村人たちが息を呑む中、私はミコトさんの冷静な言葉を続けます。
「一応、私の方からギルドへ正式に報告し、対応を要請しておきました。軍やギルドが動くまでには時間がかかるでしょうが……今のあなたたちの肉体と、あの防衛設備があれば、並の賊なら返り討ちにできるはずです。自分たちの手で、この土地を守り抜いてください」
私の激励に、全盛期の力を宿したお年寄りたちは力強く頷きました。
すると、お爺さんが申し訳なさそうに、けれど精一杯の笑顔で口を開きました。
「お貴族様、本当にありがとうございましただ。……ささやかながら、感謝の宴を用意しやした。どうか、今夜はわしらの村で羽根を休めてくだせえ」
……どうやら私は最後までお貴族様と勘違いされたままになりそうです。
案内された広場には、突然の豊作でもたらされた新鮮な野菜や、いつの間に狩りをしてきたのか、血抜きも完璧な野生肉が山のように並んでいました。「ささやか」と言うにはあまりに豪華な食卓です。
(……ふむ、過剰な感謝は時に負担だが、無下に断るのも効率的ではないな。ここで休息を取り、魔素を充填しておくのが最善か)
(そうですね、ミコトさん。皆さんの気持ち、ありがたく受け取りましょう)
私たちは差し出された寝床を借り、短い、けれど深い眠りにつきました。
翌朝、東の空が白み始めた頃。
私たちは村人たちに見送られ、まだ朝露の残る村を後にしました。
主要街道へと続く坂道を登りきり、朝日が私のドレスを照らします。
ミコトさんが意識のスイッチを切り替えると、夜闇に溶けていた『星霜の蒼』が、まるで魔法が解けるように鮮やかな蒼空の色へと戻っていきました。
(バス、か。……内燃機関による駆動ではなく、魔素を動力源とした定期乗合魔導車というわけだな。文明の利器が魔導技術に置き換わっているこの世界の歪さは、見ていて興味が尽きない)
ミコトさんは感心したように、古びた、けれど正確に時を刻んでいる時刻表を指でなぞりました。
一方の私は、掲示板に書かれたその美しい街の名前に、少しだけ心を躍らせていました。
(水都・ネレイドブリッジ……。名前に『橋』が入っているということは、やっぱり大きな川が流れているんでしょうか?)
(ああ。レーネ大河の河口付近に位置し、網の目のように水路が張り巡らされた中継都市だ。船の往来も激しい。……そこが、奴らの、『黒鮫団』の本拠地にして、俺たちの船旅の関門になる場所だ)
平和な観光旅行というわけにはいかないようです。
少しして、街道の向こうから魔石の駆動音を響かせて、巨大な箱型の車両が近づいてきました。
馬車よりも遥かに速く、それでいて揺れの少なそうなその乗り物に、私はミコトさんの記憶にある『バス』という概念を重ね合わせます。
(来ましたね、ミコトさん)
(ああ。……さあ、乗り込むぞ。夜の惨劇は置いてきた。ここからは表舞台の攻略開始だ)
私たちは、やってきた魔導バスのステップを軽やかに登りました。
車窓から流れる朝の景色を眺めながら、私たちは次なる目的地、水の都へと運ばれていくのでしょう。
魔導バスの重厚なドアが開くと、微かにアロマのような香りが漂ってきました。
木目調のパネルにふかふかの絨毯。なかなかどうして立派な内装です。けれど、主要街道の便とあって車内はそれなりに埋まっていました。
(……ふむ、空席はあそこの一つだけか。まあ、座れるだけマシだな)
(そうですね。ふふ、座席もふかふかですよ、ミコトさん)
私は最後の一席に腰を下ろし、深くシートに背中を預けました。
窓の外を流れていくのは、朝陽に輝く緑の草原と、遠くに見えるレーネ大河のきらめき。穏やかな風景を楽しみながら、私は車内に飛び交う人々の声に耳を傾けます。
「……なぁ、例の件だけどよ。最近、ネレイドブリッジの『潮目』が変わったって噂だ」
通路を挟んだ斜め前、重装備を纏った冒険者のパーティが、声を潜めて相談をしていました。
「ああ。ただの野盗にしちゃ、手際が良すぎる。川底に引きずり込まれた船が、一艘も上がってこねぇってのは……普通じゃねぇ。ギルドの依頼も、最近じゃ『調査』じゃなくて『討伐』ばかりだぜ」
(……ミコトさん。あの人たちの話……)
(ああ、聞いている。どうやら『黒鮫団』の活動は、冒険者ギルドの間でも警戒レベルが引き上げられているようだな。船が上がってこない、か……単なる略奪以上の『何か』を隠している可能性が高い)
物騒な会話を交わす冒険者たちの後ろでは、幸せそうな新婚旅行中の男女がパンフレットを広げています。
「楽しみね、ネレイドブリッジ! 夜の運河クルーズ、予約できるかしら?」
「大丈夫さ。あそこは『不夜城』とも呼ばれる観光名所だからね。悪い噂なんて、僕たちが吹き飛ばしてあげるよ」
その隣の席では、上品な老夫婦が小さな包みを大切そうに抱えて微笑み合っていました。
「孫の喜ぶ顔が目に浮かびますな。ネレイドブリッジの銘菓、喜んでくれるといいのですが」
「ええ。あの子、もうすぐ学校に上がるんですもの。お祝いしてあげましょうね」
(……皮肉なものだな。同じ目的地に向かっていても、見えている景色はこれほどまでに違う。片や死線を語り、片や永遠の愛を誓い、片や家族の再会を喜ぶ)
(……でも、だからこそ。あの老夫婦の笑顔や、あの二人の思い出が壊されないように、私たちは『掃除』をしに行くんですよね?)
窓の外を眺める私の瞳に、ミコトさんの冷徹ながらも確かな意志が宿ります。
(……ふん。お前は相変わらずお人好しだな。だが……まあ、効率的な航路を確保するためには、あの平和な風景を守っておくのが一番の近道だ)
流れる景色の中に、次第に巨大な石造りの構造物が見え隠れし始めました。
水と橋の都、ネレイドブリッジ。
窓の外を流れるのどかな風景を楽しみながら、私は冒険者たちの物騒な噂話に聞き耳を立てていました。けれど、ふとした瞬間に、車内のあちこちから視線を感じることに気がつきました。
それは決して敵意や害意ではありません。どちらかと言えば、見てはいけないものを見てしまったような困惑と、隠しきれない好奇心が混ざったような……。
(……ねえ、ミコトさん。なんだか、さっきから皆さんにすごく見られている気がするんですけど)
(……ああ。お前がそう言う前から、俺の感覚にも嫌というほど引っかかっている)
原因は、考えるまでもありませんでした。
私の身に纏っている、この星霜の蒼。
可変式で旅に適した機能があるとはいえ、その見た目は最高級のシルクと魔力を編み込んだ、夜空の欠片のような極上のドレスです。冒険者が鎧をガチャつかせ、老夫婦が質素な旅装をしているこの車内では、浮いているどころの騒ぎではありません。
(……ミコトさん、どうして乗る前に気づかなかったんですかぁ! これじゃあ、まるで厳格な家を抜け出して一人で遊び回ってる、世間知らずなお転婆お嬢様そのものじゃないですか!)
(……ふん、俺も移動の効率ばかりに気を取られていた。偽装を解くタイミングを誤ったな。だが、今さら着替えるわけにもいかん)
いっそこのまま「おーっほっほ! 苦しゅうないわよ!」とでも高笑いして、開き直ったお嬢様キャラを演じるべきか真剣に悩み始める私に、ミコトさんが溜め息混じりに言います。
(よせ、余計に目立つ。……お前はこのまま、借りてきた猫のようにお淑やかに座って、街までやり過ごせ。黙っていれば、ただの深窓の令嬢に見える)
(むぅ……。ミコトさんは他人事だと思って……。でも、確かに変に動くとさらに注目を浴びそうですね)
私は恥ずかしさを誤魔化すように、より一層お淑やかなポーズで窓の外を見つめ続けました。
心の中では「私は景色! 私はただの風景の一部!」と必死に呪文を唱えながら。
魔導バスは、そんな私の内面の葛藤を乗せて、着実に水の都へと近づいていくのでした。




